生島咲也子さん、NZワーホリ上陸

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AUSワーホリのあとしばらく日本におられ、コロナ明けに再び(33歳で)ワーホリとしてNZに渡った生島咲也子さんからメールをいただいたので(ご許可の上)掲載します。皆でシェアすべき内容が含まれていると思うので。

思い起こせば6年前、僕が帰国の際に、ワーホリを考えていた咲也子さんと会ってお話ししました。京都の実家の近く、近鉄十条駅付近のガストで、会社帰りの咲也子さんと。その1年後(5年前)に咲也子さんはオーストラリアにワーホリとしてこられ、学生ビザでちょっと延長し、充実した日々を過ごしつつも、この先の人生展開を悩むようになります。もともと学生時代から登山をしてて、旦那さんも山仲間で、結婚し、仕事も頑張り、趣味も充実という世間的には三位一体的に満たされた感じだったんだけど、でもなんか満たされない、なんか違うって、それがワーホリのきっかけになったのでしょう。

リアルタイムの過去の記事では、
・来たばかりの頃
・ワーホリが始まったシドニー時代
・ラウンド通信~タスマニアで思うこと
・咲也子さん(一時)帰国へ (WH~学生ビザのあと)

オーストラリアから帰国後の数年は、「いろいろあった」ようで(笑)、人生設計のモデルが違うかなーで旦那さんと別れたり、また別の時期には再婚前提でフランスに行くことになったり(でもやっぱり別れたり)、いろいろ模索してます。でもそういった配偶関係はむしろ傍系で、本筋は「どんな感じで生きていきたいか」「それはどうしたら実現可能なのか」だと思います。

それは今、地球の(少なくとも先進国の)皆が直面しているのと同じテーマだと思います。なんせ資本主義も国家制度もどん詰まりになってきて、「こうすればOKさ」って人生モデルがボロボロになってきてますからね。古いモデルにしがみつくのも不安だし、待っても新しいモデルが出てくる感じもないし、もう個々人で勝手にやっていくしかないだろうって。でも「勝手に」とかいっても、どうやって?と、そこが悩みの種だと。咲也子さんのこの5-6年は、それを真正面から向き合って、取っ組み合ってる軌跡のように思えます。

能書きはこのくらいで、あとはメールのやりとりです。

咲也子さんのメール

田村さん、こんばんは!
先月に一時帰国された際は、お会いできずに残念でした。
毎週末、どこかしら登山か旅行をしていました。やっぱり田舎暮らしとアルプスの組み合わせ、最高だな~と大満足の夏でした。

さて、近況報告なのですが表題の通り、ワーホリでウェリントンから北へ1hばかり行ったOtakiという所にいます!9/7に入国しました。

ワーホリビザのトリックですが、31歳になる直前(2020/2)にワーホリビザをアプライしていました。当時は付き合っていたフランス人彼のところへ行く直前でNZは計画していなかったのですが、将来何があるか分からんしな、、と申請していたのです。それがこの度ビザ再発行の対象となり、33歳のワーホリが実現しました。ラッキーとしか言いようがありません。

NZで何をするか迷っているところもあるのですが(もちろん1年以上滞在したいので、なんとかワークビザ取得にこぎつけないか…等)、文字通り最後のワーホリなのでとにかく悔いなく楽しもうという気持ちだけはオーストラリアの時より強いですね。

そして、あまり苦労せず基本的な疎通ができること、どう動けば良い方向に行くかがなんとなく分かることに日々感動しています。言葉だけでなくコミュニケーションのお作法的な部分でも、オーストラリアでの経験が活きているなあ…と。シドニーに降り立ったのがちょうど5年前です。改めまして、その節は大変お世話になりありがとうございました:)

初動はウェリントンに1週間滞在して各種手続きを済ませた後、先週からWWOOFをしています。(オーナーがウェリントンのファーマーズマーケットに出店していて、立ち話から意気投合しました)そのオーナーから車を買う予定&仕事探し中という状況です。

いきなりの乱文で失礼しました。また折に触れてご報告できればと思います!

田村からの返信

生島さん こんにちわ 田村です メールありがとうございます。
そうなんだ、今、NZに居るのですねー。しかも、隠し玉のようなワーホリ権で(笑)
これから始まるワクワク感が伝わってきます。

この夏も山と自然とで充実しておられたようで、なんというのか生きていく基本ラインみたいなものが、少しづつ作られてきてるかのように感じます。

>シドニーに降り立ったのがちょうど5年前です

ああ、もうそんなになるのですね。
それを遡る1年前か、そのくらいに、渡豪のための相談を、当時帰省していた僕の実家の近く、近鉄十条駅のガストでお話したのを覚えてます。あの頃は、大阪で勤務し家庭も持たれてて、山好き自然人が世間人並み街道みたいなものをやってた時期だったようにも思えます。

それからの5年は、そこからまた原点回帰というか、世間と自分のすり合わせをやってきて、だんだんいい感じに仕上がっていってるようにも思えますけど、違うかなー?

でも、今は皆そんな感じじゃないかなーって気がします。特異にユニークなケースがあるというよりも、皆の代表みたいな感じで。

既に新しいドラマも始まってるようですし、満喫してください~

これ、多分ワーホリが終わるとか、ビザがどうとかいうレベルではないような気もします。もっと大きなレンジでの人生の組み立て方みたいな。

咲也子さんの返信

田村さん、こんばんは。
お返事ありがとうございます。

>それからの5年は、そこからまた原点回帰というか、世間と自分のすり合わせをやってきて

→まさにそう思います。それに、当時(オーストラリア前後)自分から見えていた「世間」というものが限られた狭い範囲だったこと、
それ故に求めていることを具現化できず、また実現する術も見つけられず苦しんでいたことにも納得がいきます。
現在進行形ですり合わせは続くと思いますが、無駄に悩むことはなくなったなと実感しています。

あと、リモートの仕事に就いてから石垣島と安曇野でシェアハウスに住んだんですが、それも良いターニングポイントでした。
国内にも本当にいろんな人がいていろんな生き方があるし、人生を楽しんでいるかどうか、
やりたいことをして自分を幸せにしてあげることをストレートに求めたらいいのか!みたいな
デフォルトでごちゃごちゃ考えがちな私にとって、ますます頭も心も軽くなる良い経験でした。

>多分ワーホリが終わるとか、ビザがどうとかいうレベルではないような気もします。もっと大きなレンジでの人生の組み立て方みたいな。

→そうですね。その時できることをして、あとは流れに身を任せつつその時々を楽しみたいですね。
10年後どころか1年後のことも分からないですけど、将来どこかでこれまでのことが繋がってくる時が来るんだろうな~と
そういう長い尺で気長に構えることができるようになりつつある気がします。

この2週間でまた色々とありまして、ウェリントンのジャパレスのマネージャーとして仕事が決まりました。うまくいけばワーホリ後ワークビザをオファーしてもらえるかもしれません。

仕事が決まったので職場のあるCBDからほど近いAro Valleyというサバーブに引っ越しました。Aro streetというメインストリートから少し登ったCozyなフラットで、Kiwi社会人女子3人とのシェアです。ウェリントン自体が思ったよりも本当に小さい街ですが、トレイルも周りにたくさんあるし「街中」という感じがしないので個人的にはとても快適です。風が強く寒いのと、まだまだ天気が悪いのが玉にキズですが。

写真を添付しましたので、良かったらブログに載せてください。動画からの切り出しで粗いものもあります。

以下写真の説明です。
1 ウェリントン眺望です。CBDは徒歩で回れるサイズ感です。

2 昨日はかなり冷え込んで、遠くの山に雪が積もりました!たまたま夕日を見に行ったんですが、空が一段とキレイでした。
対岸の光があるあたりがウェリントンCBD、右側の海岸がPatoneというサバーブです。

3 ウェリントンCBDのウォーターフロントです。すぐ後ろに山が迫っていて坂が多いところが神戸っぽいです。このエリアにある国立博物館Te Papaが素晴らしかったです。(入場無料)。毎週日曜日にファーマーズマーケットもあり、多国籍のフードストールが出ていました。

4 お約束の。

5 国会議事堂Beehiveです。エリザベス女王が亡くなった時ですね。

6 WWOOFをしていたKapitiCoastです。黒い砂浜も良い感じです。対岸はKapiti島です。

7  Palmerston Northに遊びに行った時の写真です。NZ第6の街で、大学やインターナショナルスクールがあり、また家畜の取引や物流中継地として発展した…と友人Kiwiは言っていました。このカフェがあるのはきれいに整備された公園の中だったんですが、個人的には平坦な町でつまらなかったです。笑

8 引っ越ししたフラットです。女性だけのシェアフラットらしく植物が至るところにあったり水回りがキレイだったりで快適です。

 

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