荒井潔子さんのカナダ通信(2019)

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体験談以降、「それからどうした」的に近況シリーズ化している方々が多々おられますが、荒井さんもその一人で、AUSのWHの後カナダWH、滞在期間ギリギリまで奮戦し、9回裏ツーアウト状態で日本帰国後の話とかしているとき、蜘蛛の糸のようにスポンサーの口をゲット、やれやれと思ったら本場のハードな英語の仕事環境で青息吐息、落ち込んでる日々のなかで出会ったのが今の旦那さんで、やがてご成婚、そして出産、忘れた頃に永住権もゲット(パートナーではなく仕事ベースで)というところまででした。
直近回は、カナダからのMerry Christmas~荒井、阿部、奥村くん
でした。去年の年末に、阿部ミズキちゃんと奥村くんと3人で集まったときの記録です。

さて、今回は、津で塾経営をやってるJUNJUN(渡辺絢也くん、地域掲示板に専属会議室あり)がなぜかカナダに行って荒井さんに会った(てか、荒井さんからするとJUNJUNが来た)という報告からです。そういえば「渡辺先生、入試指導も一段落したからカナダ行くとか言ってましたよ」というのは、今朝、一括パックでBurwoodのシェア先までお送りする車の中での田中聖人くんの話です。あ、ココ、わかんなくていいです。人間関係が世界中に入り乱れてますので(笑)。

以下、荒井さんのお手紙と、恒例の僕のツッコミ補充質問でお送りします。
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田村さん
こんにちは、ご無沙汰しております。シドニーは今頃真冬でしょうか?ホワイトホースはここのところ連日晴れの日が続いています。ただ、山火事の影響で空はどんより曇って見えるという、、、私も娘も煙の影響で毎日くしゃみがとまりません泣

さて!もうご本人から連絡があった、もしくはFBを通じてご存知かもしれませんが、JunJunがホワイトホースに遊びにきています!
これまでも、吉池さん、奥村くんとホワイトホースで集合する機会がありましたが、とうとうJunJunがこの北の僻地に!!!彼の場合は永住権狙いではなく、完全なバケーションということです。日本人で、オーロラの見えないこの時期にわざわざホワイトホースを選んでくれたあたり、さすがJunJun。

と、とても親しげに話してますが、実は私たち、一度もお会いしたことがありませんでした。お互い体験談やFBを通じて存在は知っていたものの、今回が初対面。
ちょっと緊張しましたが、会った瞬間にもう即打ち解けました!”あー、JunJunだ”って。肌で感じる”この人だ”という感触(うまくいえない)が!!!
最近そういう人に出会っていなかったので、純粋に嬉しかったです。そして奇遇にも同い年。短い間でしたが、お互いの共通点や将来設計、海外生活についてなどみっちり語ることができて、本当に充実した時間を共にできました。

彼は今週末まで滞在予定、明日から二日間は奥村君とホワイトホースの自然を満喫しにいくそうです。その後JunJunにまだ余裕があれば、もう一回ゆっくり飲みにでもいきたいねーと話しているところです。まずはこの興奮を田村さんにお届けしたくてメールした次第です。記念の写真も添付しますね(これが上の写真)

返信
そろそろ荒井通信も新刊を出すべき、と思っていた今日このごろ、タイムリなー。でも、これJUNJUN通信の色彩が強いっすよね(いずれ彼に書いてもらおう)。

> と、とても親しげに話してますが、実は私たち、一度もお会いしたことがありませんでした。会った瞬間にもう即打ち解けました!”あー、JunJunだ”って。肌で感じる”この人だ”という感触(うまくいえない)が!!!

これ、あるよねー なんでだろねー 体験談とかブログとか、結構来た年代もバラバラだし、輪切り状態になってるから、相互に知り合うとか、意外となかったりするんですよね。
でも、会うとピンとくるという。 これだってシェア先にぶち当たったような感覚。なに、このフィット感?という感じ。

あ、同い年なんだ。年とか、ほんと気にしないからね海外では、改めてそうなんだって。こないだのブログでも、メルボルンで頑張ってる小田くんが、実は吉田さんと同い年ときいて、あ、そうなの?って思った。年代別一覧表とか作ったら面白いかもしれないですねー

で、JUNJUN関係もいいけど、荒井本人の通信もよろしくおねがいします。

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田村さん お返事ありがとうございます。
確かにこれはJUNJUN通信ですね。 ということで荒井通信を。といっても何かわくわくするようなことは何もお伝えできませんが。。

私は1年間の産・育休を十分に満喫したのち、昨年12月よりフルタイムで働いております。職場は以前のホテルではなく、ユーコン準州のガバメントです。ファイナンスチームの事務を担当しています。
給料・労働環境ともに前職とは比べ物にならないようなありがたい条件です。実は育休中にこのガバメントの採用試験を受けていたのですが玉砕。また受けなおすかーと思っていたところ、たまたま日本人の同僚の紹介で今のポジションにカジュアルとしてすべりこむことに成功。あんなに苦労した”正式”な採用プロセスはなんだったのか、電話一本で決まりました。

働き始めは、1年のブランク、いつクビになるかわからない緊張感、まったくわからないファイナンス&ガバメント用語、娘のデイケア対策、ともうストレスMAX。同時期に主人もメンタル的におかしくなり、家族全員ぼろぼろでした。今思い出しても泣ける。

でもそんな山を何とか乗り越え、今は少し落ち着いています。未だに
”ザ・カナディアン”なゆるーい働き方に、カルチャーショックを受ける毎日ですが(タイムシートなしの自己申告、出社後30分は世間話が当たり前、バケーション6週間とか当たり前、ランチからしばらく帰ってこない、、、、)、楽しく働いています。願わくば、カジュアルからパーマネントのポジションにステップアップできればと思っています。

娘は1歳半になり、早くもイヤイヤ期が訪れております。何しても”NOOOOOOOO”
です。でもまぁそれも成長の証ということで、嬉しく思って・・・・・思うようにしてます!
主人は英語、私は日本語で話しかけていますが、どうしても英語が強くなってしまっていると感じています。デイケアも英語なのである程度は仕方ないですが、もっと日本語教育をがんばらなきゃと少し焦る今日この頃です。

実は6月に日本に2週間一時帰国していたのですが、私の両親の孫フィーバーっぷりに、さらに日本語教育へのプレッシャーを感じました。せめて日本語でコミュニケーションがとれるようにしないと、、、ちなみに最近ブームの日本語は、”トトロ”です。笑

今は短いユーコンの夏の真っ最中です。みんなこの夏を全力で楽しまないと!と毎週末アウトドア三昧です。出産後特に趣味らしい趣味を見つけられていないので、この夏はSUP(Stand Up Paddle)にチャレンジしようと思っています。なんだかオーストラリアの海を思い出せる気がして。あー、、娘がもう少し大きくなったら、シドニーに連れて行きたい!

以上、簡単ながらわたしの近況でした。田村さんは元気にお過ごしでしょうか?どうぞ暖かくして、シドニーの冬を乗り切ってくださいませ。
P.S.いくつか写真を添付しますね!

ドラマーな娘。

7/1 CANADA DAYは浴衣で

上野動物園にも行きました!

日本でDisney デビュー

(返信)
>あんなに苦労した”正式”な採用プロセスはなんだったのか、電話一本で決まりました。

これは、「そんなもんだよねー」という、誰もがいう慨嘆的なフレーズに集約されますよね。
決まるときは1分で決まるけど、決まらないときは数年ダメだという。海外だからってことでもなく、日本でもそうだし。 この現象をなんと言えばいいんでしょうね。 「待てば海路の日和あり」とでもいうのか、そう言ってしまうとのんびりし過ぎて実践マニュアルにはならない感じがするし、いい言葉がないですね。

で、 > 給料・労働環境ともに前職とは比べ物にならないようなありがたい条件です。
ココなんですけど、もう少し具体的に教えていただけますか?
欲張りですけど、前職であるホテル職との比較、そして日本で働いていたときとの比較も含めて。
オーストラリアと似たり寄ったりなんだろうけど、日本では「働き方改革」とかいいつつ「搾取改革」みたいなのが横行している昨今、なんとなく「世の中こんなもんだ」的になっちゃうんですけど、「じゃないよ全然」って事実はデカいと思うのですよ こんなにゆるくてもやっていけるという実例。しかもそれで日本の何倍も成長しているという事実ですね。

> 働き始めは、1年のブランク、いつクビになるかわからない緊張感、まったくわからないファイナンス&ガバメント用語、

これ、結局、どうだったんでしょう? そんなビビることはなかったのか?いや、ビビって正解であそこで必死こかなかったら首になってたのか、そのあたりのニュアンスを

>娘のデイケア対策、ともうストレスMAX。同時期に主人もメンタル的におかしくなり、家族全員ぼろぼろでした。今思い出しても泣ける。

このあたり詳しく、、って、プライバシーもあるから難しいとは思いますが、でも、結構、皆さんそんなもんですよね。掲示板でも菊川さんがリアルに綴ってくれていて非常に参考になってたりしますし。 
ハードな話ってやっぱ役に立つと思います。 
でもって、マスコミ的なクソな文脈、なんと言えばいいんだろう、僕の言葉でいえば安易な記号処理というか、「それっぽいオチ」をつけて語られることが多いんだけど、リアルにはそうじゃないでしょう?大変だという事実があって、「でも日々頑張ってまーす」みたいな無理やりポジティブとか、それで上手くいって「やっぱり諦めたらダメですよね」みたいな予定調和的、道徳的なおはなしにしちゃうとか

「違うだろう」と思うのですよ。 リアルにはオチなんかなくて、なんとなく小康状態だったとしても、アレで良かったんだとは中々思えず、トンネルを抜けた気もせず、どこまでも続く崖を昇ってて、とりあえず手足を休めるテラス(岩棚)に出たくらいの感じしかしないと思うんですよ。リアルというのは、非常に宙ぶらりんのまま続いていくという。そのあたりも含めて、オチをつけなくてもいいから、こんな感じで大変ですとか、ありましたら。

>私の両親の孫フィーバーっぷりに、さらに日本語教育へのプレッシャーを感じました。せめて日本語でコミュニケーションがとれるようにしないと、、、ちなみに最近ブームの日本語は、”トトロ” です。笑

日本語教育って、やっぱ気になりますかね?僕は子供がいないんで、そこらへん今ひとつ実感としてわからんのですけど、子供に日本語やってほしいのは、
(1)2つ以上の文化を知ってることのアドバンテージという実裏面
(2)家族で自分だけが非英語的に取り残されるような不安感
(3)その他
いろいろあると思うのですけど、どうでしょう?

以上、また補助質問をしてしまいました 体験談の続きみたいな感じ(笑)

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田村さん、追加質問ありがとうございます。なんだか久々の田村節が嬉しい。笑

> 給料・労働環境ともに前職とは比べ物にならないようなありがたい条件です。
ココなんですけど、もう少し具体的に教えていただけますか?

まずは、お給料。
現職:時給28.90ドル。ボーナスないしSick leaveとかもないけど、それでも年収換算すると日本時代より全然!何よりこれがデカいです。前職の給料では娘のデイケア代払ったらもう何も残らないので。
カナダでの前職であるホテルは時給15ドル。

労働環境。
日本時代:残業当たり前、というか「ボスがいたら帰れません」という典型的な日本的働き方。Noとはいえない雰囲気。休暇申請しづらい。部の飲み会は断れない、、、、など。

ホテル時代:24時間体制のシフト制。朝昼晩問わず、時に10連勤も当たり前。昼休みというか休み時間なし、ご飯はゲストがいないときにさっとかきこむ。繁忙期以外は基本1人勤務、マネージャーのフォローもらままならず、とにかく毎日ストレスフル。でも、スポンサーになってもらっている以上、Noとは言えない奴隷制度。
それでも残業月80時間休み、休みも部長のゴルフに付き合うとかいう日本のサラリーマンに比べたらなんてことないですけどねー。

現職:土日祝日完全休み、1日7.5時間労働、1時間の昼休みのほかに午前午後に15分のコーヒーブレイク。月に一度のケーキの日(月替わりで誰かがケーキを焼いてみんなでワイワイする日)。
とにかく自由。仕事さえしていれば誰も文句言わない。残業してる人見たことない。まぁこれは公務員ならではかもしれません。ホテル時代は安月給の奴隷制度でしたから、、、、ここで仕事を始めて、初めてカナダ人がこういう風に働くんだと知りました。

> 働き始めは、1年のブランク、いつクビになるかわからない緊張感、まったくわからないファイナンス&ガバメント用語、
これ、結局、どうだったんでしょう? そんなビビることはなかったのか?いや、ビビって正解であそこで必死こかなかったら首になってたのか、そのあたりのニュアンスを

うーん、私は必死こいて正解だったと思います。クビにはなってなかっただろうけど、契約延長まで漕ぎ着けることは無理だったかなと。
そもそも当初の契約は、1ヶ月バケーションをとる人のカバーだけでした。その間に、いろいろと部内の人事が動き、私がそのまま今のポジションを引き継ぐことに。もし必死になっていなかったら、間違いなく1ヶ月ではいさよーなら、だったでしょう。
当時のメインの仕事はボスの秘書業務が主で、そのボスがまた非常にこだわりの強い人でした。そのプレッシャーたるや、彼女の顔が夢にも出てくるほど。でも私の必死さを買ってくれたのも彼女。今となっては、このガバメント初の仕事が彼女のアシスタントでよかったと思っています。

(田村)なるほどー。そこが踏ん張りどころだったのですね。
なんかわかる気がするのは、オーストラリアでも優秀な人は死ぬほど優秀ですし、仕事も凄いシビアですよね。でも、その人に認めてもらえたら(それが大変なのだが)、強力にプッシュしてくれるという。ビザのスポンサーゲットや、仕事に関する一般解なのかもしれない。

>娘のデイケア対策、ともうストレスMAX。同時期に主人もメンタル的におかしくなり、家族全員ぼろぼろでした。今思い出しても泣ける。
このあたり詳しく、、って、プライバシーもあるから難しいとは思いますが、でも、結構、皆さんそんなもんですよね。

娘のデイケア、これは日本でも保育園探しが大変なのと同様、カナダもとにかく争奪戦です。ぎりぎりまで決まらない、決まったら決まったで、私の心の準備ができず、毎晩娘の姿を想像しただけで泣くという始末。いざ始まってみるともう毎日病気の嵐で、はじめの一ヶ月は1週間も登園できていませんでした。

そんな娘から私も病気をもらい、でも仕事を始めたばかりで休めない。フラフラの頭と体で、マイナス20-30℃の中なんとか仕事に向かい、上記のストレスと向き合い、帰宅したらしたでメンタル的に弱った主人が待っている。

主人は職場のワークボリュームが異常に上がり、当時は1日10時間勤務だったのですが、まさにノンストップで仕事をこなさねばならない毎日。プラス4人のステップキッズたちの世話。普段はキッズに対しては基本やさしい&頼りになるパパですが、このときばかりは彼らにすらキツく当たっていました。覚えているのは、キッズのバックパックがキッチンの床に乱雑に置かれていたのを見て、無言でものすごい勢いで蹴り飛ばしていたこと。あとでどういう心境であんなことしたんだって聞いたら、普通の精神状態では考えられないような行動しか取れなかった、と。
私自身もいっぱいいっぱいだったし、主人のケアまで手が回らなくて、お互いストレスがたまる一方。毎日喧嘩もしくは冷戦状態でした。
実はこのとき以来、なんとなく関係がギクシャクしたままでした。最近まで。ついこの間、それをお互いぶちまけたところです。とりあえずできるだけHappy な顔で向き合えるように今無理やりがんばってますが、なんかこれ、がんばる方向が違う気が。。。まぁしばらく様子見てみます。

(田村)
おおー、だいぶ「夫婦の歴史」を刻みつつありますね。そんないつまでも100パーラブラブなんてことはありえないですからね。いくら話し合っても、ココだけはわかり合えないな、この話になると絶対喧嘩になるなとか、そういう陰影みたいなものが出来て、イロイロあったりするわけですけど。
でも、それもこれもひっくるめて、大きく「夫婦の年輪」みたいなものになっていくのかなって気もします。
相続かなんかで遺品の整理してて、「(配偶者)が存命中は、なんでこんなもんに夢中になってとさんざん文句言ったんですけどね、今こうしてみると、その気持も多少はわかる気がします」とか、死んだ後に理解が深まるという、人の関係なんかそんなもんなんだろうなーって思います。

(1)2つ以上の文化を知ってることのアドバンテージという実裏面
(2)家族で自分だけが非英語的に取り残されるような不安感
(3)その他
いろいろあると思うのですけど、どうでしょう?

(3)その他
日本にいる家族とコミュニケーションがとれるようになってほしい。これが何より大きいです。

(1)2つ以上の文化を知ってることのアドバンテージという実裏面
これも重要かなと思ってます。でもカナダにいる以上、日本語よりフランス語をマスターしたほうが断然有利ですが。
あとは、将来的にカナダか日本か自分の国籍含め将来を決める段階のとき、言葉が理由でどちらかの国を選択肢にいれない、ということがないようにかなと。娘には自分自身の目で見て、どちらを選ぶか決めてほしい。

(田村)
なるほど、これはわかります。
そういえば小西くんの子供達が日本で暮らしみたいと思ったように、またアメリカで6年中高をすごした谷村くん(うどんの)が、日本の学生生活に憧れを感じたように、ずっと海外ベースで生まれ育つと、結構、日本が魅惑的に見えるのかもしれませんね。そのときに、喋れるのは大きな救いになるでしょうね

というわけで、今回は長くなったけど、ちょいシリアスな補充質問で深くなったと思います。

各地の皆さん、また近況を教えてね。載せますので。
今回の荒井JUNJUN会談のように、どちらもAPLaC界隈では常連というか有名人なんだけど、お互い会ったことがないというのは結構多い、てかそれが普通。でも、世界中にそういうのが居るのを知らないのはもったいないじゃん。会えばかなりの確率で意気投合できそうな人って、そうは居ないしね。とりあえず共通の話題(僕の悪口とかさ(笑))、はあるし。


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