どこも同じなのね~モスクワ(ロシア)、ドイツ、キューバの日本人の記事から

最近読んだ記事からのピックアップ
ロシア、ドイツ、キューバから現地の在住(or旅行)の日本人ライターの記事がありました。複数の国、それに日豪を加えると、けっこういろいろ見えてきたり、考えさせられたりして面白いです。

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最近の記事からピックアップ~モスクワ(ロシア)、ドイツ、キューバ在住(&旅行者)である日本人の感想記事です

興味深かったので紹介します。それぞれに事情は異なるとはいえども、大本においてオーストラリアで感じることとかなり似てるのですよね。
二国間だけの比較でやると、日本がユニークなのか、その国が変わってるのか、相対的なものだからよく分からんのだけど、3カ国(+オーストラリア)で比較してみると、かなり立体的にわかってくるので、そこが面白いです。

ロシアの場合
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55459
皮肉な現実:ロシアに残りたい人が過去最高に
JB Press 2019.2.14 徳山 あすか氏の記事

要旨をいくつか抜粋しますね。
・ロシア国内でもよりよい生活を求めて国外移住をしたいという願望は強い。
記事では「特に欧米の先進国や、タイ・ベトナム・オーストラリアといった温暖な地域に住みたいと願うロシア人は一定の割合で存在するし、実際にたくさん住んでいる。米国で優秀なロシア人エンジニアが多数活躍していることはよく知られている。」
「最近知り合ったビジネスパーソンは、ブルガリアなどEU圏の中でも“ゆるい”国に提出する書類を偽造して、現地に架空の親戚をつくって国籍を取り、後はドイツに移住するという計画を話してくれた。見た目は普通そうな人だったが、頭の中ではとんでもないことを考えているものである。
この記事を書いている最中も、「アンティグア・バーブーダ国籍を取ろう!」という広告が筆者のPCに表示されている。」

・でも、移住したくないという回答が過去最高に
最近の世論調査では移住熱が冷めているかのようであるが、地元サイコー感が盛り上がってるというよりは、「生活が貧しすぎて考えられない」というトホホな理由らしい。ほかにも「自分の周囲でそういう刺激を与えてくれる環境もない」「ヨーロッパはロシア人への憎しみで溢れているという政治的プロパガンダの浸透(居なくなってもらっては困るから「海外怖い」と宣伝している)とか。

・「モスクワはロシアではない」。地方はもっと悲惨
地方経済はもっと疲弊してて、移住はなおさら夢の夢で、移住熱はずっと低迷している。要するに疲弊と生活苦が地方からモスクワにも押し寄せ「夢を抱く気力すらない」現象がひろがっているかも。
ところで「モスクワはロシアではない」という言い方があるらしく、これって「ソウルと韓国は違う」「ミラノはイタリアではない」とか、あらゆる国で聞きますね。「東京は日本ではない」とも言えるし。少数の大都市と大多数の地方とでは同じ国でも全然違うという現象は、どこもいっしょなのね。

・若い人の方が柔軟で肯定的
移住することに対して、若い世代の方が肯定的なのに対し、年長世代は否定的。年長世代は「テレビの視聴率も高く」「アンチ欧米洗脳を受けている」こともある。このあたりは日本も変わらんかも。特に「テレビをよく見る」という部分とか。

・ロシアを目指す人 ダメダメなビザ事務
「観光でなく長期滞在するとなると、途端にハードルが上がる。書類が大好きな国・ロシアでは、なおのことだ。」「ビザが必要な国からやって来て、移民としてまともなステータスを確立するのは無理ゲー」で、筆者はその無理ゲーに果敢に挑戦しているらしい。
滞在延長のビザ手続きのためには、新しく出来た超辺鄙なエリアにある役所まで行かねばならず、しかも吹きさらしの寒いところで、死ぬほど待たされる。整理券をゲットするだけで1日仕事。
「スポートの翻訳、無犯罪証明、収入証明、健康診断、ロシア語やロシア法・歴史の知識を証明する書類など、必要なものはケースによって異なる。少しでも不備があると窓口で書類を突き返されるが、次に申請したときの検査官が同じ意見とは限らない。筆者の経験では、毎回違う検査官が、新しい「不備」を指摘し、「一時滞在許可」は申請7回目にしてようやく提出できた」
審査の結果がわかるのは最短で半年。とにかく我慢と忍耐。

このあたりもどこも一緒よね。移民局の担当者がアホで、意味ない追加書類を要求し、人によって全然違うというのは過去にオーストラリアでもよく聞いた。
ちなみに、2000年のシドニーオリンピックの前後は、ビザ事務が膨大だったのか、学生ビザを現地で取るのが大変だった。オンライン申請なんかなかった時代、なぜか当時Rockdaleに移民局があり、朝の7時から並んで順番待ちして夕方4時頃にようやく順番が回ってくるという話を聞いたこともある。当時の先輩はそうだったのよね。今は超楽ちんだよー。
そのかわり、いい意味でいい加減でもあり、3ヶ月の学生ビザを申請している間(交付されないうち)に学校通学そのものが終わってしまい、さらに学生ビザの延長をしたら、「もう料金は一回分でいいよ」とおまけしてくれたり、2回目ワーホリも申請してから降りるまで3ヶ月以上かかったので、結局オーストラリアにワーホリで2年3ヶ月いた人とか。牧歌的よね。

記事中、ロシア人の奥さんと結婚している初老のフランス人男性が(あまりの現実の厳しさに)憔悴しきっていたくだりが面白かったです。

まあ、しかし、どこの国も出ていきたい人と、入ってきたい人がいるわけで、どちらにしても厳しい現実があるわけです。それに打ちひしがれて諦める人もいれば、諦めないで今日もボコられている人がいるわけですな。
こう思ってみると、人類は「諦めちゃった人」と「諦めてない人」に二分されるのかもしれません。一般にマジョリティとか大メディアは「諦めちゃった」派であり、皆に諦めてもらった方が何かと都合がいいのでしょうけど(だから「移民」に対して害悪的なニュアンスで書く)、当事者にならないと分からない(だからあまり語られないし報道もされない)「諦めてない派」相互の連帯感もまたあるのですよ。これは世界レベルであるよね。ドバイ行ったときも、世界中から来た人達が働いているわけだけど、「頑張れよ」「おめーもな」的な交流はほのかにありました。

オーストラリアもまた「諦めなかった奴」が多く、それが国力を常に活性化させている。考えてみれば、諦めてないヤツのほうが、諦めが悪い分だけしぶといし、根性あるし、行動力も企画力もあるし、依存心もないし、経済社会の構成単位でいえば「使える」のですよ。そのかわり従順ではないけどね(笑)。
ドバイの風景でもそうだったけど、これからの地球は諦めた人達の世界と、諦めてない人達の世界とで分かれていくのかもしれません。諦めてない奴らの世界とネットワークは、諦めている人達からは見えないんだけど。

ドイツの場合

ダイヤモンドオンライン 2019.02.06 宮崎智之:フリーライター

この筆者さんはミュンヘン在住29年ですので、シドニー在住25年の僕のちょっと先輩くらいで、でも書いてあることは(国は違えど)よくわかる。
「1年間の平均可処分所得は290万円前後と意外に低い」また消費税(付加価値税)も19%だから日本の倍以上にしんどい。それでも結構「ゆとり」があり、生活に満足している感がある。
その理由はなぜか?といえば(多々あるのだろうけど)、ここでは日本での「過剰なサービス」がないことだと書かれてます。これはオーストラリアでもそうで、てか、日本だけが突出で過剰なサービスだと言ってもいいと思う。しかし、それが労働者の環境を厳しくし、メンタルを圧迫し、ゆとりを無くしているのもそうだと思う。

このあたりは海外に住むと最初に誰でも感じる部分で、僕もかなり初期の「お客様は(神様ではなく)人間です」とかエッセイに書いたけど、この寄稿はその意味では非常に基礎的な部分だと思います。

ただ、僕としては、日本の顧客サービスが「過剰なくらい優秀」だとは、実はあまり思いません。感覚的には年々形式化し、劣化してるくらいに思ってます。それは労働者の責任ではなく、使う側の責任だと思う。
これ言い出すと長くなるんだけど、一つは現場個々人の裁量権が年々狭くなってること。マニュアル等による高度な管理が浸透してるんだけど、そのマニュアルや管理がクソだからうまくいってない。確かに日本ではお客様絶対的に、かなり理不尽なことを言われても「お客様、申し訳ございません」と頭を下げてくれるのだが、だからといって何をしてくれるわけでもないってのが多い。丁寧に謝ってくれるだけ。「じゃあこうしましょう」という対案を即座に出せるくらい現場に裁量を与えていない。
過剰包装とか本のカバーとかどうでもいいサービス、さらに知らないうちに流行ってるファミレスなどで注文取るときにいちいちしゃがんで目線を下げるというくだらない慣行も肉体疲労を加速させる。人が全然通ってないところでバイト君に呼び込みさせるとか、いちいち大声で挨拶させるとか、偉い人が来ると仕事中でも全員で起立して迎えるとか、生産性のない労働が多い。
総じて、「プライドも自尊心もある一人の人間の能力を引き出す」という労務管理の視点でいえばクソだと思ってます。そんな環境で働いて楽しいか?です。いい仕事させたかったら、まず楽しませろってのが「人を使う」際のコツだと僕は思うけど、上の連中の頭が悪いのかな。

あと「これは俺の仕事じゃないから、知らんもんね」という職務記述書的なドライな態度も、あれが客として我慢できるのも、回り回って自分の場合もそれで許されるからです。取引先が怒ろうが、会社が潰れようが、5時になったらスパッとやめられるのは、そうしないとズルズル地獄に落ちていくからでしょう。社会トータルでは良くない。もっといえば「経済ごときに人生や幸福を語らせない」というバックボーンの哲学があるかどうかだと思う。

むしろ、そんな貧弱でデコボコしたサービスレベルでも全体としてうまくやっていけるくらい、ビジネスモデルや労働モデルの組み方が上手だと言うことでしょう。

なお、サービス云々の部分と、可処分所得290万とは直に結びつかないので、これは著書を読んでくださいってことなんでしょうねー。所得とゆとりの関係は、もっぱら公的インフラの良し悪しにかかってくるように思います(教育費が無料であるとか、セーフティネットが完備しているとか)。

キューバの場合
https://diamond.jp/articles/-/193125
ダイヤモンドオンライン 2019.02.06 宮崎智之:フリーライター

これは、在住の人の記事ではなく旅行者の記事なので、ちょっと軽くなります。

音楽が共有されていて、「たかり」とか普通にいるんだけどしつこくなくて、なんとなく憎めない程度のものであるとか、とにかく人と人の距離が近いことで、平気で話しかけてくるってあたりが書かれてます。

これはキューバに限らず(音楽はキューバ独特なんだろうけど)、人との距離が近いのはオーストラリアでもそうです。というよりも、日本だけが人との距離が遠い、あるいは「ここ数十年の」「大都会」においてはそうだと。特に東京がそうね。
日本だって、その昔は人との距離は近かったし、僕も近所の悪ガキと悪さしてると、知らないオジサンおばさんに怒られたし、そこでポカリとゲンコツ食らっても普通の話だった。今でも、地方にいけば、それも鄙びたエリアにいけばいくほど人の距離は近いとは思うよ(まあ、身内的に近いので逆によそ者には遠くなるってのもあるだろうが)。

オーストラリアにきて、最初にシェア探しを教えているのも、そのあたりの人との距離感、社会のなんたるかが皮膚感覚で分かるためです。これが感覚的にわかると、かなり気分的に楽になりますし。
多分オーストラリアやキューバがそうというよりも、これが人類本来の距離感なんだと思います。

それを平均的な現代日本人の感覚に置き換えるならば、小中高でクラス替えがあって半年くらいして、クラスの中にはまだ直に話したことがないクラスメートが普通にいるんだけど、その「まだ話したことがないクラスメート」くらいの距離感が、こちらでは赤の他人との距離感なんじゃないかな。
特別に親しいわけではないんだけど、話しかけるくらいだったら全然OKって感じ。

だからオーストラリアに来るんだったら、普通に町ゆく人達全員、同じクラスメートくらいに思ってるといいですよ。シドニーならシドニー全部でひとつのクラスだ、くらいに。

ところで僕の「キューバ」ですが、ここ数年、カミさんとよく行くのがCrowsnestにあるキューバカフェです。Coco Cubano っていって、いくつも支店があるようで、僕らはいつも近所のCrowsnestに行くのです。
何がいいかっていうと、雰囲気。あれを「キューバ的」というのかなー、レイドバックしてるというか、「気持よくいい加減」というか、夏休みにプールのあとに畳で昼寝してるような、いい感じにけだるくて、リラックスしてる感じ。店内のテーブルなんかも統一してあるようで、いい加減だったり(ソファがあったり、マチマチだったり、ペイントが禿げてるし、そもそも色が違うとか)。
また、雑然と置かれているラテンぽい小物とか、「いかにも感」満載で、いつの時代の話じゃい的な絵とかさ(=パナマ帽に白いスーツでキメた男性(大昔のギャング映画みたいな)が、ビーチで健康的に踊っている娘をガン見してる絵とか)。

そこに醸し出される世界観が、なんか、昼間っから酒飲んで、酔っ払って、踊って、ナンパして、ヘイヘイ~♪って、「お前、人生舐めてんのか」的な感じで、でもそこがいい。
リラックスというよりも、いっそ「だらしない」くらいなんだけど、だけど、不思議に不愉快にならないんですよね。妙に落ち着く。
なんと申しましょうか、「とても生産的なだらしなさ」とでもいいましょうか。

なんかワタクシゴトばっか書いてるんだけど、この感覚がこの筆者さんが書きたかったことと近いんじゃないかなーと思って。

メニューは平均的なラテン系で、まあ何を食べても可もなく不可もなくというか、超絶美味ってわけでもないけど、大事なのは「不可もなく」って部分で、ハズレはないです。
でも、雰囲気を楽しむために、冷たいGRANITAとかがおすすめっす。

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