クリスマスツリーがそこかしこに林立している12月、2014年に一括パックを受講された山崎ご夫妻が10年ぶりにオーストラリア旅行でやってこられました。
長い事やってると10年くらいだったら、「ちょっと前」くらいの感じで、よく覚えてます。てか、2019年の上越オフのときもご参加いただき、そのときに再会してます。右端のお二人が山崎夫妻。
山崎さんの場合、年齢の関係で旦那さんの優さんは学生ビザ、奥さんの美鳳さんはギリホリだった記憶してます。シェア探しは最終的にロックデールになり、荷物持って庭の方から一緒に入っていったのを覚えてます。覚えているというか、写真も残ってました(シェア移動時のもの)
山崎さんの滞在中、お二人ともそれぞれに印象的なイベントがありました。優さんは慣れてきたところで整備士の資格でのバイト探しを敢行し(2年目以降ならともかく、着いた最初の数ヶ月でこれをやる人は少ない)、時間をかけて、ロックデールからPrincess Highwayをとぼとぼ歩き、一軒一軒訪ね歩いて、歩いて、歩いて、70軒くらいやって、それでも成果ナシでセントラル駅まで着いちゃって。よし気分一新だと今度は逆サイのボンダイジャンクションまでいって、そこで3枚くらい配ったところで見事に職ゲット。一気に「富裕層」になってしまって、滞在後半はシェアから卒業してボンダイビーチのフラットを自分らで借りたという。今回彼も言ってましたが、最初の1週間の一括パックの衝撃的達成感に迫るくらいの大きなイベントだったそうです。それが帰国後の身の振り方にかなり影響していると。
美鳳さんは、滞在後半にラウンド、それもケアンズのはるか北方、木曜島という真珠で有名なところにしばらく滞在していたそうです。オーストラリアというよりも、ほとんどパプアニューギニア。もう「なーんもない」「田舎」ってレベルで語るのも愚かしいくらい、ジャングルの中の生活という、仙人の修行みたいな感じで、かーなり良かったそうです。
ちなみに日本人の真珠ダイバーとオーストラリアの関わりは深く(核入れという母貝に核を入れる技術では日本はダントツ)、場所でいえば木曜島と、あとブルームです。ブルームの真珠祭りの際にたまたまラウンドで滞在してたら、日本人だったら参加しなよって言われて町の実行委員会に入れてもらったという人もいたな(誰だっけなー)。
また、僕が来た頃に読み漁ってたオーストラリア関連本(英語だけど)のなかに、White Tribe of Asiaというインドネシア人のジャーナリストRatih Hardjonoという人が書いた本。超初期のAPLaCのコンテンツの参考文献ページが実はあって、そこにも紹介してます。
オーストラリアに来たばっかの頃は、日豪関係者ではない全くの第三者からみた日豪というのが知りたくて結構読み漁ってましたね。日本語訳本なんか全然ないのばっかりだけど、せっかく英語やった以上、そういうベネフィットを求めないとやった意味ないしね。
リンクをたどるのも面倒だから僕が書いた紹介文をコピペしますが、知っておかれるといいですよ。
”単純に概説書として読んでも非常に良く描かれている。当初植民地化しようとしたイギリス人に対して12年間にわたってゲリラ戦を展開したアボリジニの英雄Pemulwuyの話にはじまって、現在そして未来の展望まで、わかりやすく丁寧に書き綴られている。”
”印象深かったのは、オーストラリア北部まで真珠採取にやってきていた日本人漁師達こそがアボリジニの人たちと最も友好的な関係を築いていたというくだり。明らかに異なる文化を持っている部族と出会いつつも、恐れたり、嫌ったり、制圧や同化をしようとせずに、あるがままに「違い」を受け止め、尊敬とともに対等につきあおうとした日本人達に、現地のアボリジニ達も最もよく心を開いたとのこと。つまり、操業に際して現地のアボリジニを雇っていても、分け隔てなく彼らと食事をともにし、一緒に寝ていたという姿勢や、日本人の航海技術のすごさが「海の男」同志でアボリジニにも伝わったりなど、本当にいい関係だったようです。現在でもこの地域の長老は当時の日々を懐かしむそうですし、日本人との混血の人々も住んでいるそうです。こういう話を日本人が書いたり、日本人に向けて語られたのではなく、インドネシア人がインドネシア人に向けて語っている部分がキモでしょう。「外人恐怖症」が日本人の天性であるかのように語られがちですが、根っこにある本性/素質は、実は全然違うのではないかという気もします。”
話横道に逸れましたが、イベント満載の山崎さんの滞在だったということです。
オーストラリアを離れる頃に、その年に来てた同期の連中とニューカレドニアに遊びにいって、将来みんなでここに暮らそうとか誓い合ってたそうです。若気の至りっちゃそうなんだろうけど、仮にその後実現しようがしまいが、そういう一瞬の高揚や感動があったということ、それ自体が、人生における貴重な財産になりますよね。
山崎さんの帰国後は、地元新潟で移動式車整備の起業をやったり、スキー場でバギーのインストラクターやガイドやったりしつつ、徐々にYouTuber(という言葉はまだ無かったんじゃないかな)を目指す。
今はもうYouTuber一本(+関連収入)でやっているそうです。
今回、なんどそこでYouTubeを選んだの?と聴いてみました。
山崎さん(優さん)、最初の頃、成田空港に行ってきました的なYouTubeをいくつか見たんですけど(上越オフの頃かな)、確かにガタイも押し出しも良いし、なによりも彼は声がいいんですよね、だからYouTubeに向いているなーと思うんだけど、これって単に趣味でやってたのか、最初から大きな目標があったのか?
これは趣味ではなく、最初からビジネス目標があったそうです。それは生計を立てるとかそういう話ではなく(それも勿論あるだろうけど)、「好きな海外にもっと気楽に行きたいから」だそうです。
これまで海外?と縁遠い感じだったのが、オーストラリア経験でガラッと変わって、めちゃくちゃ面白いじゃないか、と。オーストラリアがいいというよりも、日本と違うというだけで面白い、ワクワクする。ずっとやってたいなー、でも仕事あるしなー、そうそう行けるもんじゃないよなー、そうだだったら仕事絡みで海外に行けるようにすればいいじゃないかってところが原点だそうです。
単に海外旅行に行くだけだったら出費ばかりですけど、それをネタに稼げるようになると、ずっと行きやすくなるじゃないかと。
ということでYou Tubeだあでやるんですけど、当時はそんな手取り足取りいろいろ解説があるわけでもないので、暗中模索の五里霧中でやってたそうです。が、そこに折悪しくコロナになって、海外いけなくなってしまった。仕方ないな、国内しかダメか、ならばということでキャンプ系のネタになり、それが今では柱になっているそうです。
全国各地に出かけていって(47都道府県全部行ったそうな)、キャンプするだけではなく、現地の人とオフをやったり。もう会員数も万単位なので、固定ファンが全国各地にいるので、何処にいっても誰かいるみたいな。いいなー、てか僕の帰国オフもちょっと似てるけど、そういう人とのつながりがまずお金以上に財産だし、楽しいですよね。
優さんは整備士だし、美鳳さんは看護師だし、地元で普通にやって行く分にはいくらでも出来たのだけど、一回海外の面白さを知ってしまうと、そういうのが色褪せてしまうという。わかるわー。てか、日本にいたって、面白く生きていくことは可能だといういい見本ですよね。
もっとも、こういうやり方をしていくと「将来の保証」みたいなものはあまり無いです。ま、どこで何をやろうが、一寸先は闇であることは変わりはないし、保証なんか元々どこにもないのですよね。あるわけがない。ただの「気休め」はあったとしてもね。ありもしないもの(保証)を求め始めると、ドツボにはまって詰まらなくなるような気もします。
それよりも「出来るのかな?てか無理に決まってるじゃん!」と思えるようなことも、なんだかんだやってたら出来てしまった、なんとかなるもんだなーという感覚、「実践経験に裏打ちされた楽天性」こそがオーストラリア体験の最大の財産だろうし、最初の一歩のシェア探しの本質ですよね。「とにかくやってみ」ですよね。このご夫妻はオーストラリアで得た資産を非常によく有効活用されていると思います。
上の写真は、お土産に持ってきてくださったオリジナルトレーナー
同じアングルで今度はスマホの広角で撮ったもの↓。
ランチは、ウチの近所のGlebeの地味なパブに行きました。Bridge RdとGlebe Point Rdの交差点にあるAB Hotelという、立地はいいくせに、ひたすらに地味なパブ。近所にありながらもおよそ入ることはないだろうという雰囲気の地元のパブ。
ここをなんで僕が知ってるのかというと、Uberやってて、パブのビストロ(というよりもタイ料理屋)の注文を取りに行ったことがあったからです。おお、こんなところにタイ料理が!という灯台下暗し的発見。それに店の感じもいいし、レストラン部分もアジア系のじいちゃん一人でやってて、ちらっと見たら美味しそうだし、けっこう安いし。ずっと前に、近所でバタッと前田くんにあったときにも一緒に行って、やっぱ美味しいじゃんと確認したのです。
パブは、一般のレストランに比べて広々してて過ごしやすいです。店によるけど、地元の地味なパブはだいたいガラガラって場合が多いですし。
ご飯頼んだら、ピッチャーに冷たい水をレモン入れて出してくれました。
お約束のクリスマスツリーも
僕はシーフードラクサ。この紅白の箸がいいねって、別に「紅白」という意味ではなく、クリスマス的な色合いなのかもしれないけど。お二人も。
ここでカメラマンの前田くん登場。
数日前のオフで前田くんに会ったとき、今度の日曜日山崎さんってご夫婦がくるから、近所だし空いてたらおいでーと言ってたのですが、2時まで近所で仕事があるから、それから行きますってことで、前田くんが参加してくれました。
前田くんとお二人とは初対面ですけど、当然のように話が弾む。
カメラマンとしての日々の稼働状況とか(メシ食うヒマもないらしい)、激しく機材を使うから、そのコストが山のようにかかる話とか(シドニー1のクラブでの撮影が仕事なので、レーザー光線に機材があたってダメになるとかあるらしいし、そこでビビってるといい写真は撮れないとか)。
山崎さんからYouTubeやるときの取り組み方の話。極端にニッチにいった方がいい場合があるとか、でも人気あるジャンルでパクリとまではいわないまでも似たような構成で作ったほうがいいとか(これはYouTube側からそういう指導をするらしい。ジャンルが同じで似てると相互に関連動画として出て来やすいから、WinWinになるとか。
なんだかんだ4時間半くらいおしゃべりしてたのかなー。
最後に明るいところで(小雨が降ってきてあいにくの空模様だったけど)
立て看板の「スリップ注意」の人の形を真似してーと注文つけて撮ったもの。よく見ると全然形が違うんだけど(笑)。
というわけでわざわざお越しいただいた山崎さんご夫妻、ありがとうございました。そろそろ日本に帰国の日程だけど(地元新潟の写真みたら雪景色)、お気をつけて。10年ぶりのオーストラリアも、着いたらすぐに「帰ってきた」という感じらしく、もう居るのが当然みたいになってて、また日本に帰らねばならないのが納得いかないって言ってましたね。え、なんで日本に行かなきゃいけないの?みたいな感じで。
またお越しください。こちらも日本には年イチでは帰りますし、また上越とかもいいですよね。どこかでお目にかかりましょう。See you around.