来日(帰省)二日目の朝は、曇り模様でありながらも冷涼で快適。日頃4時起きの日常なので、1時間時差のある日本ではなおさら早起きになっちゃうのだが、それでもフライト疲れもあって結構爆睡。
そして昨晩に増しての朝「餐」と表現したくなるような数々。
めっちゃ甘い巨峰とブルーベリー。この日本の農産物のサイボーグ的な進化はすごいですね。オーストラリアでも発色剤を撒いたり、甘味処置をすると、オーガニックファームで働いてた翼さんに聞いたけど、日本のそれの手の入れ方は桁違いです。かといって、それが悪いとも思ってないです。「丹精込めて」って感じで受け取りもします。
というのは、そんなこと言い出したら野菜や農業果樹という存在自体が奇形なもので、本気で自然保護をするなら農業を全面禁止すべきことになってしまうからです。シドニー近郊にモリセットパークという野生のカンガルーがそこらへんにたむろしてて、観光客が喜んで人参を与え、カンガルーがはぐはぐ食べてる場所があるんですけど、注意書きには「餌を与えないでください」と。なぜなら野菜の人参は自然界のものよりも糖度が400倍も高く、そりゃカンガルーにとってみれば美味しく、それはほとんど麻薬のようなもので、下手に与えたら気が狂ってしまうからだと。人類の叡智の積み重ねで今の野菜があるわけだけど、叡智を積み重ねるほどに自然界のものから離れていってしまう。ガチで自然状態に戻すなら、雑草食べてるレベルに戻り、自然状態の人間の寿命(だいたい20歳くらい)になる。そのあたりは人間存在の根本矛盾であって、でも矛盾は矛盾として飲み込みしかないんじゃない?とも思う。二十歳過ぎて生きてる事自体が不自然なんだから。なので芸術品とも、工業製品とも形容される日本果実の進化は、これはこれでアリだと思うのです。まあ、能書き垂れるよりも、美味しいからいいじゃん的な話でもあるんですけど(笑)。
下の写真、中央上の巻物みたいなのが湯葉です。味が染みてて美味しかった。右の白いのも湯葉だったかな、汲み出し豆腐だったかな、記憶が怪しくなってきた。いずれも優しい味で。
上のきんぴらとか、下のぷくぷく巨大ないんげんとか、その下の玄米ご飯とか、みっちゃんにも言いましたけど、これ、高級ホテルの朝食に出したら3800円は取れるよ。また、普通の家庭料理を「京都おばんざい」とネーミング・マーケティングで売ってるように、レッテル貼ったら馬鹿売れしそうな。
ここでまたジジーらしく講釈垂れるのだが(笑)、本当の民度とは、政治意識の成熟性よりも、家庭料理で何を食べてるかってあたり(生活感度の成熟性)で出てくるような気がします。
うわー、また困ったことをしてくれて(笑)という完熟マスクメロン、ウサギ型リンゴ。カンガルーのようにはぐはぐ食べました。 あーもー、めっちゃ贅沢な、明日死んでも文句は言えない感じ。
二種のコーヒーリキュール。飲んじゃいましょうってことで開けてくれたもので、どちらも美味かった。右はカチッと端正にまとめあげた感じがいいし、左はコーヒーの野生部分(豆っぽさと、自然のいがらっぽさ)がよく出てた。
宇賀神ガーデニング
ダイニングルームの窓からガーデンが見えました。曇り空には緑がよく映えますね。見てたら、これ、なにげに凄くない?と思ってサンダルつっかけて。何度も見てる庭なんだけど、なんかすごい進化してるような気がして。
うわー、このしっとり緑がいいです。
帰省するたびに言ってるような気がするが、「水蒸気の国」の日本の緑はしっとり潤いのある緑。それは暴虐の太陽と乾燥大陸のオーストラリアからくるとよく分かる。オーストラリアのそれはそれで雄大でいいし、心の外延を広げてくれる。気宇壮大にしてくれる。でも日本の緑は心の内包を細密にしてくれる。
こういう環境で生まれ育てば、そりゃ優しい人になるわ、納得って感じ。日本史と世界史の際立った違いは、一般民衆を殺す度合がすごく少ない点だと思ってて、世界基準ではなにかっちゃ皆殺しです。だから西洋でも中国でも村に高い外壁を設けるけど、日本はそれをしてない。なぜか?殺さないから。戦乱は偉い人の政権闘争でしかなく、一般民衆は関係ない。ギリシャでもローマでも負けたら全員奴隷として売買されてたけど、日本はそうではない。なんでなんかなー?と。ひとつの解が、「なんとなくそういう気にならない」からなんだろうし、じゃあなんでそういう気にならないのかといえば、環境なんかもしれない。離れてわかる日本の良さじゃないけど、どんだけ贅沢な環境で生きてるんだってことです。もう所持金の多寡なんかどうでもいいくらい、根本的な部分ですごい贅沢。ま、こんだけ満たされていたら、政治意識が低く、投票率が50%そこらなのも、ある意味当然かもしれないです。必要ないから。
余談が過ぎたけど、庭の話に戻すと、一見雑然としていながら、実にたくさんの種類の植物が詰め合わせセットのようになってるのがわかります。
ここに小さな水桶があり金魚が泳いでいたり。
宇賀神さんと話してて、ガーデニングしてると時間を忘れるし、こういう労働ばっかりだったら楽しいですよねって。そうなんですよね、庭も、動物もそうなんだけど、自然相手の労働というのは、なんか充実するのですよ。疲れるけど文句をいう気にならない。そして、絶対に思いどおりにならなくてがっかりすることも多いんだけど、だから面白いと感じる。だからやめようとは思わない。不思議というか、当然というか。
しかし、このイングリッシュガーデン風の庭、かなりの時間と労働量が注ぎ込まれているのが見えてきて、うわあ、凄いって思ったです。
下の写真は、前庭部分。
ツーショット、何枚も撮ったけど、これがベストです。
ちなみに僕の弟が描いた絵を飾っていただいてました。
知らんかったけど、今度の10月また個展をやるそうです。
宇賀神医院の風景
「ちょっと職場の方をごらんになりますか」と気を配っていただいて。みっちゃんと3人で、宇賀神さんの車で小一時間ほど離れた鹿沼の宇賀神医院へ。
この車窓の風景が、日本の地方の夏そのまんまって感じで、良かったです。じっと見てるとわかるもので、ああこのあたりは栄えてるな、さびれてるな、昔の家が多いな、新しいところだなとか、いちいち写真に撮ってないけど、年食って目が肥えてくるのか、地域集落の成り立ちがうっすら見えてくるような気がして。一般の家はしょぼいんだけど、寺だけがやたら豪華なエリアとか、こういう業界でこれだけの規模の会社が結構円滑に動いてるから、地域経済の底力は強いなとか、面白い。
また昔ながらの雑木林とか見てると、何十年も忘れていた感覚、「あそこらへんだったらカブトムシ取れるかも」という子供の頃の感覚が賦活してきて、それが楽しい。今回はそれが目的のようなものですから。「ひたすら楽しいだけだった子供の頃の日本の夏」を味わい、思い出すというテーマ。
なんで離れている鹿沼で?というと、もともと鹿沼がご実家で、こっちが本拠地。マイホームは別に自治医大駅になってるだけだと。お父様は別の仕事だったらしいのですが、実家を医院にしていると。
中を案内していただくときに、宇賀神さんのお母様にもお会いして。まだカクシャクとしてらして。
どーんという音が聞こえてきそうな威容。
「じゃちょっと失礼して」と執務に入る宇賀神さん。みっちゃんはその横でテキパキと書類整理や電話で指示したり。ふたりともモードが切り替わってカッコいいんだわ。
「それは何を?」「あ、これはですね」と説明してくださったのですが、なるほど医師、それも院長ともなるとこういうことになるのかーという。これじゃ分からんだろうけど(笑)、例えば介護やら様々な現場で、様々なことをする場合(例えば外泊をするとか)、「医師の許可を得て」「医師の指導にしたがって」という条件があったりするわけで、それが全部書類としてあがってくる。ほとんどの現場の判断でいけそうな気もするんだけど、「でも一応」とか、当局の責任分散的な意図もあるのかもしれないけど、「専門家のチェックと指導」が必要になる。
基本ペーパーワークだけなんだろうけど、ばんばん盲判押すわけにもいかないので、一応書類に目を通す。一応何だけど、いざ読み始めると真剣になってしまい、没頭してしまうという感じでした。なんかわかるわ。弁護士も不在者の財産管理人とか形式的な仕事もあり、やったこともありますが、自分の名前でやる以上、なんか見落としてたらえらいことだから、目を通すにしても真剣になってしまうのですね。
同時に、職員採用の際の珍しい現場も垣間見せてもらいました。僕もイソ弁の頃、職員さんの採用事務をやらされましたけど、基本、「いい人」=しっかりした人、きちんとした人=人間的に円満な人です。キャリアとか年齢とかは二の次です。
そうこうしているうちに、みっちゃんが近所でお昼ごはんを調達。これが凄くて、ボリューム満点のカツサンドと卵サンドで200円ぽっきり。嘘?ってくらいのもので、すぐに売り切れになるそうで、さもありなん。日本の地方都市の底力、恐るべしです。
みっちゃんに館内も案内してもらい、普通の病院風で(病床20以上を「病院」と呼ぶから病院じゃないんだけど)、しかし、これ、お前経営してみろと言われたら途方に暮れますね。これは大変だわ、と。
そうこうしてるうちに、そろそろ行かねばという時間になり、小金井駅まで送ってもらいました。
しかも院長先生に荷物まで持ってもらって。どんだけVIP対応。
最後のショット。
もーねー、毎回こんだけもてなして頂いて、借りも増えすぎて多重債務者のようです。コロナも明けてくると思いますから、今年の年末年始は、また恒例のシドニー旅行をしていただきたいです。