菊川さん、NZ永住権獲得~永住権十年戦争完遂

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冒頭の画像は、菊川さんのワーホリ体験談のオマケの+PLUSのトップ部分です。過去のメール書簡ですが、オマケといっても15万字もあります。しかしそれとて十年戦争のほんの序章にすぎなかったわけですが。

「永住権十年戦争」というのは僕の造語ですけど、「そのくらい腰を据えてとりかかった方がいいよ」という意味でもあり、起承転結ならぬ、二転三転、四転五転、七転八倒の七転び八起きという、「運命のいたずら障害物競争」みたいなもんだよって意味も含めてます。と同時に、10年くらいメゲずにやってると、なんかの拍子にポロッと取れたりする(かも)と。
上の画像を見ると、一番最初のメールが2012年の2月でしたので、まさに10年です。

さて、能書きはこのくらいにして、菊川さんのメール本文です(もちろん許可済)。裁判所の前で、「勝訴」と書いた紙をもって走ってくるようなメール。

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田村さん こんにちは!
念願だった永住権が今日ついに取れたので、ご報告いたします。
正確には永住権(Permanent Resident Visa)ではなく居住権(Resident Visa)なんですが…。
あと、Approved in principalなのでまだビザは出てなくて、去年に出した居住権申請料金と先月出したファストトラックの居住権申請料金との差額を払う必要があります。あとは支払いが完了したら、ビザが発行されます!

居住権は二年間の「仮永住権」のようなもので、二年後に永住権に切り替え可能です。
永住権と違うのは、
・住宅を購入できるけれども自分たちが住むためだけにしか購入できないこと(例えば、余ってる一部屋を賃貸にして貸し出すことや投資物件を購入というのが法的にできない)、
・軽犯罪であろうとも何か犯罪を犯せばビザが即取り消されて強制送還になること、
・国内の学生向けの価格で教育を受けられる一方で学生ローンは利用できないこと、
・生活保護を利用できないことです。
それ以外は永住権との待遇の差はありません。

永住権を取ってしまえば一生有効で、更新を数年ごとにしないといけないとか、
直近五年以内のうち二年間はNZに居住していないといけないなどの規制はありません。

居住権申請は去年11月に郵送で提出(移民局の作業の遅れでLodgementは今年の1月…)していたのですが、前回のご報告の時にお伝えした一度限りの大量発行の居住権にも私のパートナーは申請資格があったので3月1日にそれにも申請して、そっちの方がファストトラックの審査なので先に通った形です。

これで来年パスポートの更新後に居住権を新しいパスポートに紐づける時と、あと二年後に永住権に切り替える時以外は移民局ともう関わらなくて良くなるし、ビザの心配もしなくて良くなるので嬉しいです。今から5年後には市民権の申請もできるようになります。

2012年の5月末に日本を出たので、ほぼ10年かかりました…。
居住権が取れたことで日常に劇的な変化が特に起こる訳ではないですが、ずっと頭の片隅にあったビザの有効期限がなくなるので開放感があります。
とりあえずの変化は、クレジットカードが申請できるようになることと、NZの年金の積み立てが始められるようになるくらいです(NZではオーストラリアと違って短期ビザだと年金の積み立てができないので)。

彼は何年も職種と業界と雇用主に縛られた状態で、精神的にも肉体的にも苦しみながら頑張ってくれました。
私は必要書類を揃えたり申請フォームに記入したりと申請の全事務作業と資金面を担当しただけですが、彼は「君がいなければここまで頑張れなかった。この居住権は二人で取ったものだ。俺の人生最大のAchievementだ」と言っています。

この10年、
オーストラリアで二人でワーホリして、
NZにもワーホリで来て彼がスポンサーを見つけてワークビザを取って、
そしたらそのスポンサーが別の従業員のビザ関係で不正して捜査されることになり、
それで転職したらそのスポンサーも移民局関係で違法行為をして移民局の捜査対象になり、
それでまた転職して、取得から二年後に居住権に移行できる種類のワークビザを取れたと思ったら、反移民の政党が与党になって年あたりのワークビザ発行数を減らさず居住権の発行可能数を絞ったので居住権審査期間が二年超に延びて、
二人とも精神的に限界になり、
「もうだめだ、終わりが見えない、NZを出てアイルランドかカナダに行った方が良いだろうか」と考え始めた時に一度限りの居住権大量発行が発表されて、それで取れたという経緯でした。

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メールは以上ですが、いやあ、お疲れ様です。「お疲れ様」という慣用句がこれほどまでに実感を伴うことも珍しい。

最初のメールから10年間(そしてこれからも)、折に触れてあれこれメールで意見交換などしてたので、僕もちょっと感慨モード。

いろいろ去来することもありますが、一つは、文字通り「待てば海路の日和あり」というか、あなた任せ風任せの帆船みたいなもので、風が吹いたら進むけど、ベタ凪だったら止まる。場合によっては逆風で戻される。なんだかんだやってる間に水も食料も尽きたら終わりだけど、それまでにナイスな風が吹いたらOKと。だからもう「戦略」も計画もクソもない。ある程度の大綱はあっても、実際にそれが成就するかどうかは時々の偶然に大きく左右される。
菊川さんの場合も、イジメのような規制の改変につぐ改変で翻弄されまくり、コロナ禍のサポートも乏しく、絶滅一歩手前まで追い込まれつつも、皮肉なことにコロナ反動ともいうべき大量ビザ発給という、干天のあとの洪水のような現象でゴールという。

オーストラリアもそうですし、日本もよくは知らないがそうかとも思うのだが、国家政府の政策なんてそんなもんで、日和見と保身と予算と人気取りによる馬鹿野郎カクテル状態なんで、理屈で考えててもどうしようもない部分もあります。その意味では自然の天候と同じでしょう。過去のオーストラリアの規制でも、ハシゴをかけて二階に登らせて、登ったと思ったら今度は三階までハシゴをかけられ、それも登ったら、、で最後まで行くとハシゴを外されてそれで終わりとか。

ただまあしかし、これって別に永住権とか国家政策に限ったことではないですよね。ある意味、人生の普遍的なパターンだともいえます。世の中そういうもんだという。事実、その普遍現象は、「一寸先は闇」「捨てる神あれば拾う神あり」「人生万事塞翁が馬」「禍福は糾(あざな)える縄の如し」、そして「待てば海路の日和あり」と似たような意味で「果報は寝て待て」などなど。

思えば僕が一括パックやらラウンドの話やらするのは、この「人生不確定性の原理」みたいなものを体得するのにうってつけだからです。それまで、きちんと計画して、きちんと努力すれば大体何でも叶うという、社会主義のコルホーズ(計画農業経営)みたいな日本社会に育てば、この不確定性を学ぶ機会が少なく、結果として「理不尽耐性」が弱くなる。「待てば海路~」の「待つ」ことができずに潰れてしまう。往生際が悪く、諦めが悪く、物わかりが悪いというのは、ある意味成功の秘訣みたいなものです。

菊川さんには、早い段階で、「なんだかんだいって永住権取れると思うよ」「どういう経緯で取れるかはさっぱりわからないけど」「全く思ってもいなかった感じで取れてしまうんじゃない?」とか無責任に言ってたんですけど(笑)、これはだけど修辞(お世辞)ではなく、直感的に。

今回取れたと聞いて、懐かしい感覚が蘇りました。その昔司法試験やってた頃、何年も経った後「〇〇さん、合格したらしい」という話が聞こえてきて、「おー、そうかー、良かったー」と思うのと同時に、「あ、やっぱりね」と思った。その感覚に似てます。

「この人は通るだろうな」という感触みたいなのがあるんですよね。それを口で説明するのは難しいけど、なんかあるのですよね。気のせいかもしれんけど(笑)。
人間それぞれが大地に打ち込まれた杭だとしたら、やたら深く打ち込まれている杭みたいな人がいるんですよね、たまに。深く打ち込まれているから、ちょっとやそっとじゃ抜けない。浅い人は、台風が一回きたらそれで抜けてしまうんだけど、深い人は、大地震がきてもまだ抜けない。それは会って話してなんとなく感じる(こともある)という程度で、カチンという硬い感触というか、人格の韻律というか、カッコいい言葉で表現しても曖昧なことに変わりはないんだけど(笑)。

ともあれ一段落です。おつかれです。
ほどなくして、茫漠とした第二幕が始まりますが、まずは長旅の旅塵を落としてくださいな。

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