なんで抗体パスポートにならないの?素朴な不思議がたくさん

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※以下は、オンラインサロンの「時事クリップ」会議室に投稿したものですが、「おすそ分け」の意味と、掲示板と違って画像を入れられるので、ここにも書いておきます。

絶賛発狂中!とも言うべきシドニーのロックダウンが続いていて、イギリスやアメリカのメディアにすら呆れられてます。

もうナチスドイツの再来か、ミャンマーの軍事政権みたいな感じで。
写真とか見てると、わーすげーって感じで、パトカーが何十台もズラリと並んで一台一台チェックするし、軍がちゃんとステイホームしてるか一軒一軒戸別訪問するとか。

Australia uses helicopters and the ARMY to enforce its ‘Zero Covid’ lockdown as thousands of police flood Sydney to enforce the rules and hand out $500 no-mask fines – with just 17% of adults vaccinated

Australia will Use Military to Enforce Sydney Covid Lockdown – Troops will Knock on Doors to Make Sure Residents are at Home

https://www.zerohedge.com/geopolitical/sydney-sends-military-help-enforce-lockdown-amid-record-jump-covid-cases

でも感染数は1日200人程度。日本の1万人、ロックダウン解除前のイギリスの1日3万以上からすれば微々たるものなんだけど、なにをそこまでテンパってるのかという。

ちなみにイギリスのロックダウン全面解除(フリーダムデー、7/19)とその後の経緯。世にいう「ロックダウンをすると増え、解除すると減る」という。

 

でも皆あんまり気にしてない感じもします。Uber Eatsのドライバー(配送業者)は天下御免の自由往来が認められているので(宅配を認めないとステイホーム出来ない)、毎日あっちゃこっちゃ走り回ってますけど、ミャンマーっぽい「写真映りが良い」シーンは、土曜日の反対集会に向かう車を規制するためにやってたパラマッタロードの検問だけで、それ以外はフリー。

というよりもどんどんハードになるのと反比例して、道路には車が増えてきてます。ロックダウンで車が減って運転しやすくていいやって思ったら、(工事現場は再開許可が出たことも相まって)だんだん増えてきてます。ランチタイムの商店街でもわりと車が駐められたのが、それも難しくなってきている。ぐわ、なんでこんなに人が出歩いてるんだって。要するにあんまり皆さん守ってない。守ってる人もいるけど、いない人も多い。それは日本でもどこでも同じ。だから政府も威厳が傷つけられた気がするのか、余計にカリカリきて、ハードな規制になっていくんだけど、そうなればそうなるほど「つきあってらんないわ」って話になる。メディアは馬鹿みたいに煽るだけだし。

なんか学校時代を思い出す

この不思議な状況をどうみるか?って大きな問題があるのですが、現場の感覚でいえば、昔の中学高校の学生時代を思い出したわ。

くっだらない校則とか押し付けられて、ブーブー言いながら目をつけられない程度に守るけど、馬鹿にしているという感じ。そこらへんは生まれたときから厳しい管理社会で鍛えられている日本人にはお手の物(ほかの非欧米諸国もそうだろう)。

マスクも「すりゃいいんだろ、すりゃ」だし、QRコードも適当にって感じ。これって生活指導の先生から、詰め襟はちゃんとホックをはめろとか、帽子はかぶれとか言われて、「へいへーい」ってそのときだけやるけど、すぐに外すという感じに似てる。Glebeのオフィスは雑居シェアみたいなボーディングハウスだけど毎日どっかの部屋でパーティやってるし(うるさいんだ)。

ワクチンだってどうしてもっていうなら射ちゃいいんだろって感じだけど、でもそんなに射ってないね。あまりの不人気さから、野党からは射ったら300ドルもらえるとしたらどうかとかいう案まで出ている。日本でも1万円だったかな、案がありましたよね。

なんかすごいデジャヴュなんですよね。

人生にとって大して意味あるとは思えない無味乾燥の勉強をおしつけられ、受験に追い立てられ、一生がそれで決まると脅されて、まあブーブーいいながらも皆やるんだけど、それを真に受けてしまう人もいれば、けっとハスに構える人もいるし、思いっきり反発する人もいるし。

しかしですね、人生60年やって検証するに、やっぱあの勉強、大した意味なかったわ。ピタゴラスの定理でも実際に使った経験は一度もない。「知ってて良かった」と思うことは一度もなかった。

なんであんな無駄なことを強制するのかといえば、日本の大企業の暗黙の要請、「そこそこ地頭が良くて、実務処理能力があって、それでも従順な人」を選別するシステムであり、そんなに頭の良くない子には、セルフエスティームを低めに固定し、批判能力を徹底的に削ぎ落として、「馬鹿は言うこと聞いてりゃいいんだよ」という指示待ち人間を作ることでしょう。

コロナもそれに似てる。
マスクだって、最初の頃の方がずっと「科学的」で、空気の対流しにくい場所で、1メートル以内くらいの状況で、15分から30分以上一緒にいた場合感染確率が上がるとという、それでもマスクをすれば防げるものではないし、マスクによる健康被害もあるから強制はしませんとか言っていった。それはけっこう筋の通った理のある話だった。ところが、どんどん離陸していって、今やガランとしたところをひとりぼっちで歩いていてもマスクをしろと、しないと罰金数万円だと。どんどん非科学的になってるよね。
つまり、マスクは服従のシルシであり、学校時代の制服の詰め襟であり、スカートの丈の長さという象徴的な行為なのでしょう。ハイルヒトラーと右手を差し出す行為と同じ。

でもなんでそんなおバカな茶番をやってるのか?誰が何の意図があってやってるの?
そこは非常に面白く、いろんな絵解きがあるみたいだけど、それはさておきます。

なんでワクチンで騒いで、抗体で騒がないのか?

ちょい根本的な疑問を書きます。
なんでワクチンとか騒いでいるのか?意味あんのか?です。
以下、ワクチンの副作用がどうのとか、それ自体の危険性とかそういう話は一切しません。
てか、そういう方向に行く前にもっと自然な疑問があるだろう?


という記事が昨日あって、これはパリで活躍するカナダ人のジャーナリストが、お母さんに会いにカナダに帰国したけど、入国拒否され、フランスに逆戻りさせられたという話。この人、ワクチンは射ってないけど、既にコロナにかかって抗体も持ってる、その証明書も持ってる。だけど、自然獲得の抗体ではダメで、ワクチン射たないとダメだと言われて入国を拒否られている。

抗体があるかどうかではなく、ワクチンを射ったかどうかが大事ってことみたいだけど、なんで?

でもワクチンって何のために射つかといえば、人体に抗体を作らせるために射つんでしょ?それが従来の弱毒化されたウィルスをとリッガーにするか、mRNAという「金型」によってウィルスの一部を錬成させ、それによって抗体を作らせるかの違いはあれど、最終的に抗体をつくるのは人体であり、そこに差がある筈はない(差があるなら、ワクチンは失敗している)。

なので問題はワクチンを射ったかどうかではなく、その人が抗体を持ってるかどうかでしょう?違うの?

だけど、ものの見事にその視点は全世界から欠落している。子供でも分かりそうな理屈なんだけど、知らんぷりしてるのが不思議でならない。

本来なら抗体検査をガンガンやって、OKだったらワクチン不要、ロックダウン天下御免、国境OKにすればいいじゃないかと最初の頃からずっと思ってたし言ってたけど、一瞬そうなりかけたけど、しかし続かず、以後、世界的にガン無視状態です。

ここで抗体も消えることがあるから、絶対ではないからとか愚にもつかない、言い訳にもならない話もあるんだけど、消えるかもしれない・絶対ではない抗体をつくるためにワクチンを射ってるんだから、それをいうならワクチンも無駄だということでしょう。ま、実際無駄っぽいんだけど。でもワクチンだろうがなんだろうが、最終的に抗体をつくるのは人体なんだから同じことじゃん。

なぜここまで抗体そのものから、ワクチンに話をそらそうとするのか、不思議だわ。

で、そのワクチンも、「感性防止効果は薄いけど、重症化を防ぐから効果がある」という説があるけど、これも、見たところ「神話」「売り文句」「広告」じゃないんですか?だって、皆が好きなエビデンスでいえば、それを裏づけるエビデンスは、接種者と新規感染者を注意深く見守り、統計を取り、解析して初めてわかること。普通は治験をやってみるんだけど、今回は治験なし(てかいまやってるのが治験代わり)。ならば、そういうワクチンの特性は、そろそろ研究が出てきてもいいかな、世界中で数十というレベルでのレポートが出てきて、それらをつきあわせ、仮説を立て、さらに研究を進めるという過程で出てくるもの。射つか射たないかとかいう早期の段階で「重症化防止効果がある」なんて、なんでわかるの?それは願望であり、広告じゃないの?「南無阿弥陀仏と唱えると極楽浄土にいける」といってるのと価値的に同じ(未検証の命題という意味では)。

また実際の調査では感染予防効果もなければ、重症化予防効果もないというレポートすらある。
直近でいえば
USA Today / NBC News: “New data suggests vaccinated individuals could have higher levels of virus and infect others”
https://www.investmentwatchblog.com/usa-today-nbc-news-new-data-suggests-vaccinated-individuals-could-have-higher-levels-of-virus-and-infect-others/
という、アメリカのメジャーメディアで「さえ」、あんま意味ないみたいね、みたいなことを言ってる。その前にはワクチン接種率世界トップクラスのイスラエルが(でも全然感染がおさまらないので)、似たようなことを言ってる。あんま効果ないんじゃない?と。
Israel sees drop in Pfizer vaccine protection against infections
https://www.reuters.com/world/middle-east/israel-sees-drop-pfizer-vaccine-protection-against-infections-still-strong-2021-07-05/

そもそも、「感染予防効果は少ないけど重症化は防げる」というメカニズムがわからん。知ってる人、教えて下さい。なんで?多分、ワクチン→抗体→感染予防するんだけど、十分なだけの量は作れないから、感染ゼロにはできないけど、ウィルスの数を減らすことは出来るから重症化を予防できるってことだと思うんだけど、これ要するに、結局「量」の問題なのかな?
ワクチン1回にどれだけmRNAが入ってるのかあんまり書かれてないけど、少ないから2回いるとか、3回いるとかいう話になるのでしょう。んでもね、抗体つくるのは人体で、ワクチンはそのとリッガーに過ぎないんでしょ。あとどれだけ必要に応じて抗体を作れるかは、その人体次第でしょ。
人体がウィルスの型を記憶して、製造ラインに回せばいいんでしょ。その製造期間に2週間かかるとしても、最初にどんだけトリガーを入れようが入れまいが、要は人体が認知するかしないかでしょ。沢山送り込まないと認知しないのかな。そのあたりの説明も探したけどよくわからん。

とりあえず量の問題だとするなら、それはどれだけの期間が経過して人体が多くの抗体を作ったかであり、最初の引き金(ワクチン)を何度射ったかではないんじゃない?また、量の問題なのか?という話もある。なぜなら重症化するにしても一般の肺炎が重篤化する場合と、あっという間に死んでしまうとか、あきらかにパターンが違う場合があって最初からそれはわかってた。それはむしろ人体側の既往症なりの問題であって、人それぞれじゃないの?だから一概に重症化防止が、とか言えないんじゃないの?そのあたりのツッコミもすくない。

ま、そのあたりはさておき、いずれにせよ、最終的にはその人が抗体を持ってるかどうかであり、ワクチンを射ったかどうかではない。ワクチンパスポートを作るなら抗体パスポートを作った方がいい。抗体が消えるとかいうなら、定期的に抗体検査をしてリニューアルしてもらえばいい。それじゃあかんの?

Sky Newsですら出禁

さて話は戻ってオーストラリアですが、大本営化しているメディアの中では、比較的距離を置いていたSkyNewsが、YouTubeから出禁を食らっているそうな。すごいな、あんなメジャーなメディアでも禁止するんだ。

なぜ2類指定を外さないのか
日本においては、なんで感染2類から落とさないの?ずーっと不思議だったんだけど、医療崩壊を起こすにきまってるような扱いを何故するの?1年経って、結局死んでる人が増えてない(てか減った)、毎年のインフルの死者と似たりよったり、平均寿命はむしろ伸びたことからして、そんな大騒ぎするよりも、冷静に多くの人をトリートメントする体制を作るほうが賢くないか?なのに重大感染のように厳重なマニュアルでやるから現場が死んでる。

この2類死守問題という謎が日本にあるんだけど、最初は感染研がデーターを独り占めしたいからだろとかいう話が流れてました。でもこれだけ時間がすぎれば、もうデーターもとったろうし、いいんじゃないか?という気もする。じゃあ、なぜ死守してるのか?ですけど、これは邪推かもしれないけど、一般の民間病院(8割がそう)にコロナ患者が押しかけてこられたら困るからじゃないのですかね。いまほとんどが2割しかない公立病院でやってるからすぐパンクする。だけど、大掛かりな受け入れ整備が必要な2類は民間では出来ない。
もし2類を外してしまったら、民間でも受け入れろって話になる。それで医療崩壊は解消するだろうけど、コロナ患者が来てるということになると、普通の患者がビビって民間病院にいかなくなる。ただでさえ経営厳しい民間において、一般のお客さんが来なくなるのは死活問題だから、できれば2類のまま置いておいてもらって、断るための大義名分は残しておいてほしいんじゃないの?
これは推測ですよ。そうだという証拠もないんだけど、でも、あまりにも不思議で、理屈が合う説明を探していたら、もしかたらと思いついたので。

だけど、これで民間を非難するのはおかしくて、そもそもそんなに経営が苦しいというのがまず問題。それは医療報酬の年々低額化やらいろいろな要素があります。最大な原因が「日本が貧乏になってるから」でしょう。もっと稼げる国にならなきゃてことでしょ。早い話がスマホをアップルや中韓メーカーに取られているのではなく、次世代のものを日本で作って世界的に大ヒット(Walkmanみたいに)する力、そのための教育システム、企業カルチャー、人生カルチャーを変えていくことでしょう。ま、30年くらいかかりそうだけど。
また2類解除してコロナ患者が近くの病院にいたとしても、それで皆ビビらないか?それだけの理性があるのか?といえば、そこは期待薄だと思います。他愛もなくビビってこなくなって、可哀想に民間病院が倒産してしまう。それがミエミエである以上、わかっていても防波堤は決壊させるわけにはいかない。

ならば国民がもうちょい賢くなることでしょう。しかし、賢くなってもらうと統治がしにくくなるから、アホになっててほしい。ということで、つきつめていくと、結局、自業自得になっていくんかもしれないです。

なお、なんでいまこんなコロナワクチン祭りをやってるのか、オーストラリアでも集団免疫80%とかいいだし、いや90%だという説も出てくるし、最新では「あと15年こんなのが続く」という説も出てきてます。
たまんねーなとか思うけど、なんでそうなの?です。それはまた別に。

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