前回からの続きです。
社会学と内面宇宙
写真からちょっと離れるのですが、近況の流れで、社会学とボランティアの話が出ました。
「最近は、地元のボランティアセミナーにちょこっと参加したりして、いい刺激になりました。日本にいる外国人や2世、3世の方たちを取り巻く環境について学んだり話し合ったり、どのように受け入れるのがいいのかとか
今一冊の本を読んでいます。The Art of Listening というイギリスの社会学者、Les Back氏が書いた本です。イギリスの現状や近代史などをベースに、人種主義、移民、都市社会学などを説いています。面白いといえば面白いし、複雑といえば複雑。人間は複雑で、複雑にするのも人間で、最近では世の中の変化についていくのがやっとです。」
「社会学は大学の時に学んで以来ちゃんと向き合ったことはなかったのですが、当時勉強したことって、意外と今も役に立ってます。役に立っているというか、知識として頭に微量ながら残っていて、考え方や物事の捉え方のストックとしてとってあります」
と、書かれてたので、僕の脳内でまた「ああ、そういうことか」と化学反応が生じたわけです。
増原さんは、最初の紹介のときにも書いたけど、内面宇宙が茫漠と広がってる人で、外面的な学・職歴では、心理学で心療内科の事務やったり、マカロン専門店でマネージャーやったり、書店の店内アレンジやったりしつつも、16カ国旅してた旅人であったり、今回のように写真やら社会学やら、なんかはたから見てると統一的に理解しにくいんだけど、内面の増原宇宙のなかでは意味ある連環をなしているのでしょう。でも、もうちょい内面趣味人格と外面生計を近づけてもいいかもねっていうのがが前半の前田先生紹介の部分でした。
社会学も写真も同じ根っこ
僕がメールで「こうじゃないですか?」と書いたのは、まずは写真の傾向。
増原さんの作品集は、インスタにあります。@p.s_s.c
「プライベート設定なのですが、フォローリクエスト送っていただければどなたでも承認しますので!」とのことです。
いい写真沢山あるので、どうぞ。僕も適当にダウンロード(インスタでもやろうと思ったら出来る)してたらすごい枚数になってしまって、今回もかなり削って載せてます。でもこんなもんじゃないし。
で、そのインスタの写真をつらつらと眺めていると、写真の傾向で、初期のころは、いわゆる芸術写真の写真技術の方向、いわゆる「ぽい」系が多い。それはそれですごく使いこなしてる感じで好きです。
例えば、色とりどりでカラフルな被写体を選びながらも、トーンと仕上げはオフカラーにしていくところ。プラハの色違いのビルが並んでるやつとか。
↓アメリカ、マイアミ
これはチェコのプラハ↓
モノトーンの光の感じとか。
上はロンドンのKnotting Hill、下の二枚はパリ
でも最近になるにしたがって、そういう「ぽさ」が抜けてきて、なんか限りなく普通に撮ってる感じにしてますよね。
今回出展した日本の和室の写真も、
一見こういうのって、プロの庭、つまり詩仙堂とか、京都行ったらこの種の被写体はいくらでもあるんだけど、でも、これは敢えて普通の民家ですよね。
絨毯とか敷いてあるし、庭もきれいなんだけど、寺社のようなプロ仕様ではないです。よくみたら普通の風景ですよね、日本人的には。
つまり「それがどうした」的な被写体でありながら、しかし、受けるイメージは豊かだったりする。そう思って、視点をずらすと、実は良いという。
でね、ここで話は飛躍ワープするんだけど
それと、増原さんの社会学とがリンクするように思えるのですね。
社会学と写真の共通するところなんだけど、
見慣れてる普通の風景が実は面白いこと
見慣れてる、わかってるよと思いながら、実は何もわかってない
見てるようで全然見てない
ちょっと意識を変えてみると、実はすごく面白い
もっといえば
本当はすごく面白い現実のなかに生きてるんだけど、なんか日常的な記号処理をすることで、その面白さをミスってる
写真って、その面白さを見出す(再発見する)作業だと思うのですよ
最初からすごく珍しい、すごく美しい被写体を探して、それを何年もかけて信じられない忍耐力でシャッターチャンスを狙うという方向(自然写真や動物写真など)もあるんだけど、街撮り系は、そうではないですよね
ありふれてるんだけど、でも面白いという
視点や、発想がポイントです
社会学も同じで、なんとなくのイメージで見てたことって、よくよく調べると全然違う。大体、どんなこともちゃんと調べたりすると、思ってたのと真逆だったりしますよね。
共通しているのは、増原さんは、この社会や現実が実は面白いことを知ってる人なんだろうなってことです。
それが増原内面宇宙なんだろうと。
という意見をぶつけてみたところ、増原さんのご回答は、
「初期の頃と今の違い、お気づきでしたか。というか、見れば気づきますよね。
”ぽい”というのもありますし、まあ、海外、主にヨーロッパの街並みって大抵どこを切り取っても絵になってしまうというのもあるのですが、
私は20代の頃はとにかくひとりで海外に行っていて、本人としては、できるだけ住まうようにその時間を過ごしたくて、
観光地も行くけれどローカルが行くところを好んでいたんですが、でも、結局、自分はツーリストなのだと写真から透けてしまうんですよね。
それが、良い悪いでは全然なくて、むしろ、ツーリストだから垣間見ることができるローカルが写真に写っているのが嬉しかったりして。
だから、初期の頃は、一瞬のものなんです。時間をかけない、構えない、パッと撮ったものばかりで。かけてもほんの数秒。
そして、色味もカラフルです。今も初期の頃の写真は好きです。そちらの方が好きだって言われたりもします。
今の方が、一見して普通の写真なのに実は、時間をかけて撮っています。
そして、視点をずらすというのは、まさにそれで、”静”のボリュームが初期の頃より増えていて、普通の写真だと思って二度見三度見していくとまた違ったように見えてくる。みたいな。そこが狙いというわけではないのですが、はまってくれたらうれしいなと。
と、こうやって説明していますが、全部後付けだったりします。笑
私は英語学習もそうなんですが、感覚でやってるので、感覚が全てだったりして。
だから、技術面で惜しいんですよね笑 ロジカルな部分とかその辺り。そこをモノにしていくのが課題かなあ。
今のように撮り続けるか、初期の頃のようになるか、また違った風になるかは、わかりませんが、写真が好きなのは変わらないです。
社会学と写真、まさにメールで書いた本にそれが載っています。さすがです、田村さん。そういうことです。写真と社会学。何も異論はございません笑
友人に言われたのが、
夏子は人が気づかないようなところを写真に撮る、視点が面白いと言われたことがあって、嬉しかったです。
前田さんがやられているような、被写体と対話しながらだったり、ひとのいる空間の一部として写真を撮ることがあんまりそういえばなかったので、そういった写真も撮ってみたいですね。
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以上のようなやりとりをしておりました。
ただ展覧会に載りますだけではなくて、話がひろがって、面白くなったので、皆様におすそ分けです。まあ、語りだしたらもっともっとディープに広がりそうだし、またお話する機会があればじっくり語りましょう。
それは国境が開いて増原さんが再度こちらに来るときか、あるいは僕が帰国してオフやるときかわかりませんが、これも近い将来。
「近い」っていつなんだよ?って感じもするコロナ風情あふれる昨今ではありますが、そんなん2-3年なんかあっという間です。増原さんとだって2016年からですからもう5年目ですよ。
縁というのは細かろうが大事に育てれば豊かになるし、また社交辞令やら寸言の交換だけではなく、雪合戦みたいに実のある意見をぶつけ合ったりすると、さらに育つものだと思います。
最後に、増原作品集から僕が好きなのをいくつか(沢山あるんだよー、でも多すぎても大変だし、増原さんのインスタみてください)。
↓イタリア・ベニス これはちょっと系統が違うんだけど、すっごい臨場感ある感じが好き 空の青さとか表情とか
↓東京 色彩処理が好きです
↓プラハ(チェコ) 昔の洋画とか夢の世界みたいな浮遊感が好き
↓下の二枚はポルトガル・リスボン この色彩感が好きだけど、それ以上に「異郷に旅する」楽しさみたいなのが伝わってくるのが好き。
映画を撮ったんじゃないの?ってくらいの感じが好き クロアチア
↓これ自体が宗教画のようなパリの美術館
キリがないので以上です。
もっと見たい方は、増原さんのインスタのページへ。
プライベート設定ですけど、フォローリクエストを送ると、すぐに承認してもらえます。