花房さん体験談ライブ

~日本時代の自我の3つの構造→オーストラリア時代の自我奪回→旅先での解脱・自我いらないかも→イタリアでのハードすぎる日々

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かなり執拗に突っ込んで聞いていったので(また花房さんもかなり真剣に答えてくれたので)、長くなるけど、内容についてのメモ書きを残しておきます。

体験談書いてもらえばいいんだけど、そのヒマもなさそうだし、一過性のものとして忘却してしまうにはもったいないし。

1.日本時代

京大→医師なんてのがスタンダードみたいな家に生まれちゃったので、ちょっとやそっと勉強が出来たくらいではダメで、常に劣等感を抱かせるような環境。
そんななかでのアイデンティティは周囲の期待(これがべらぼうに高いのだが)を満たすかどうか。
(1)ナチュラルな「自分」というものが生まれてこない、(2)だから将来の進路といっても「存在しない自分」に決められない、ただし(3)最終判断の好き嫌いレベルでは自我がまだ生存していた
これが、1~3まで全部周囲メインで自我が限りなく希薄だったら、周囲の期待光線がホログラフのように実像化したものが自分であり、それはそれで完結するのだが、最後のレベルで自分が残っていたので、それが10代~20代を七転八倒する構造になる。

大学は理系で電子工学だけど、これも理系は潰しがきくからなーくらいの打算であり、大学での勉強は楽しかったけどキャンパスライフは別に楽しくもなく、またそっち方面で人生を進んでいくことに抵抗はあった。ここで(3)結果も周囲におまかせだったら、どっかのメーカーの研究職になって、いわゆるエリートと結婚すれば一丁上がりなんだけど、それには抵抗があった。

悩んだ挙げ句、山狩りされて追い詰められた窮余にいきなり崖から飛び降りるような感じ(映画でよくある感じ)で、ポーンと畑違いの美容部員になる。もともとお化粧は好きだったし、仕事自体は楽しかったんだけど、決め方そのものが緊急避難みたいな感じだったので違和感は残る。また立ち仕事がきつすぎたので体力的に持たず、数年で退職。

25-7くらいは実家で充電という名のニート状態で悶々としてたのだが、27-28くらいで法律事務所の職員になる(6年勤める)。これもこれ以上家で悶々としてたら壊れてしまうから、なんでもいいから外に出なければという消極的な決め方で、仕事レベルで特筆すべきものはなし。
その間もお見合い攻勢は続き、もうスペック的にいいからこれでいいかという外部条件的に妥協して決めようとしたこともあったが、「あー、やっぱダメ!絶対ありえない!」と最後の最後で自我がストップをかける。

つまり、これまでのところ彼女らしい自我は、ダメ出しをする部分でのみ機能しており、「じゃあ何がいいの?」という本体部分が欠落している。周囲のあれこれを除外した自分の存在が希薄だから、自分で何がいいのか、そのためにはどうすべきかという話になっていかない。それが問題の根本構造だというのにだんだん気づいてきて、自我奪回というテーマで、また崖から飛び降りるような感じで(もう慣れてるが)、渡豪。

2.オーストラリア語学学校時代

来るにあたって、自分で決めたのは、
(1)それがどんなに小さなことであれ、周囲の基準ではなく、自分自身の価値観で物事を決めること。それが無難とか、親の期待に合うとか、周囲がそうしてるとか、帰国したときに言い訳(自慢)になりそうとか、就職に有利とか、こうすると受けそうとか、そういう外部基準は一切遮断して、自分は本当は何がいいの?を常に問いかけて、それで物事を決める練習をする

(2)ビビリだからすぐにやらないで済む方向を考えがちで、その第一歩が踏み出せない傾向があるのでそこの徹底改善。「こわい」という感情を克服し、こわい、不安だということを理由なり言い訳なりにすることを禁じる。怖かろうがなんだろうが、とりあえずやる!と。

実際にこちらでどうだったかというと、予想以上にうまくいった。

それは、自身の不退転の覚悟もあったのだが、それ以上にオーストラリア社会の環境が大きい。つまり、自分を背景事情や、商品の目利きのようにして測らずに、一個の人間として素直に見てくれる環境。

これまでは常に「目利きされる商品のような自分」であり、特に男性からは無意識的にも一段下に見られていたり(君にはわからないだろうけど、みたいな前提)、「あそこのお嬢さんは」みたいな記号としての評価対象として自分しか体験しておらず、それがめちゃくちゃ不愉快だった(ことすら気づかなった)のだが、こちらでは、生まれて初めてといっていいくらい、フラットにストレートに自分を見てくれる。

語学学校もすごい良かったんだが、何が良かったかと言えば、ここでもやはり色んな国から来た人が、ストレートに自分をみてくれるのが気持ちよかった。日本では自分の何かを褒めてもらうにしても、特に男性からは「君(女)にしては」という留保つきだったり、あるいは本当によく出来た場合はなんか嫌そうな反発があったり(調子に乗るなよ、的な)したのだが、手放しに、ストレートに「すごいね!」って言ってもらえるのは良かった。褒められたからというのではなく、偏見も何もなく見られることの居心地の良さ

それは希求してきた自我奪回においてこの上ない環境であり、それと上の2箇条(自分で決めるべし、ビビるべからず)が相まって、日々すくすくと育っていった感じ。

実際渡豪1年間は毎日毎朝起きたときから、自分で決めることを心がけて、小さなことから冒険することを連綿とやってきたので、ある日突然ドーンと変わったという感じはしない。

ただ、僕の印象(周囲の印象でもあるが)、大きく変わったのは、2回のホリデーででかけけたWA旅行であり、ファームの体験。

それの何が良かったのかというと、もうこの時点ではかなり自我奪回は出来ていたと思うのだが(もともと強烈な自我あったのだが、芽生えなかった&表現方法を知らなかった)、それよりも先のステップにいけたこと。

フリーマントルで知り合ったおばあちゃんに絵の面白さを教えてもらってハマる。特に抽象画がよくて、ここでどんな色を塗るかは、抽象画だから何のお手本もないわけで、100%自分との対話になり、ここでこんな色を塗ると、どのくらい自分の心が踊るか?という自問自答の連続になり、それが引っ込んでいた自分を前に出してくれることにものすごく役に立った。だがそれは自我奪回の総仕上げみたいなもの。

さらにその次というのは、色の面白さに気づいてから、その視点で外界を見ると、なんと豊かな色彩に満ちているか、この世はなんと美しいのか!と打ちのめされるような思いで気づく。
そしてファーム(WWOOF)で一人暮らしのおばあちゃん農場(動物がいて、家庭菜園があって)で、Weedingとかやってると、この自然界の営みがいかに巧妙に作られているか、草一本にいたるまで生きていくための意思やメカニズムなどがよくわかってきて、それにも感動する。

それらに触れていることがひたすら面白く、飽きない、つまりは自然に満たされていく。そこで「あ、なあんだ!」的に得た悟りは、別に自分が必死になって努力する必要なんかないじゃん、この世界は、あるがままで十分に美しく、面白く、それだけで十分に満たされるし、幸せになれるんだという発見。

これまでは自我が奪回しようがしまいが、自分が頑張る→幸福値があがるという公式からは逃れられなかったんだけど、「自分、関係ないかも」「自分ぬきにしても幸福というのは成り立つかも」という発見は、かなりコペルニクス的転回で、生まれたから今までで背負い込んできた重荷が一気になくなったような感じ。

これまでは(仮に自我を奪回しても)あれこれ頑張って、良い結果をだして、そのうえで世間に採点されるかのような構造だったのだが、実は採点者も自分だったのだ、自分で答案書いて自分で採点してるだけなんだ、自分がいいと思えばそれでいいのだとなったので、気が楽になった。

この発見が、いまから思えば次のステップ(結婚、イタリア生活)の基礎になったのではないか。つまり自分ひとりだけだったら、何とでもなるだろって思えるようになった(気難しい世間を納得させなくてもいい)ら、かなり出たとこ勝負で、不安しかないようなことでも、出来るようになる。てかそもそも不安に感じなくなる。自分でいいと思えばそれでいいんだから、ほぼ万能な感じ。

2.5 英語の勉強について
勉強はできたので苦労した感はまるでない。楽しかったし。ケンブリッジのFCE(初段くらい)も楽勝に合格し(CAE(二段)との境くらい)、CAEは時間の関係で受けられなかったが。
なんでそんなに英語ができたのかと言えば、悶々時期に英語のブラッシュアップを思い立ち、近所の図書館から英語の絵本を借りてきて、ひたすら読んだから。簡単な英語だが、それらの単語が生理感覚になるくらい身につけ、その積み上げて、もう生理的に喋れてしまうって感じにもっていった。

要は彼女も強調していたが、インプットを膨大にしないとダメだと。その絵本は合計で何冊くらい読んだの?と聞くと、500冊以上って言っていたので、そのくらいのボリュームはやらないとダメだと。
単純にボリュームに比例するだけだから、勉強は簡単だし、楽しいと。うるさい世間の期待にこたえること、そして応えればこたえるほど自我が壊れていく苦しみに比べたら、楽しさしかない。

3.学校終了後とイタリア結婚までの軌跡
今の旦那さんとは、語学学校で知り合った。解脱して里(シドニー)に帰ってきた彼女は、夜のコースにいたのだが、ホリデー期間中に旦那が入学していた。で、自分を見て一目惚れをしたそうな。
以後、積極的な攻勢がかかってくるのだが、さすがイタリア人というべきか、日本人だったらこれだけNOといえば絶対にもう誘ってこないってレベルでいくら言っても、全く効果なし。そんなレベルでは話にならない(笑)。
ちょうどバイトも減らして貧乏してたんで、メッシー君的な誘いはオールOKでタダ飯ごちそうになったろうかくらいの感じ。

最初は、ニヤけた野郎だなで、次に、チャラいなー、軽いなーで、真面目にやる気はなかったんだが、それは表面的なもので、根っこにあるのはすごい素直で純朴な人柄。男女的にどうとは思わなかったけど、人間的には最初から嫌いではなかった。

いよいよビザが切れて、ワーホリが35歳になるのを期待して一時NZに退避旅行。その間も、旦那さんは、せっせとイタリア料理屋でバイトをして飛行機代をためてはNZにやってくる。もう二週イチ、多いときは週イチで来ては、帰りたくないよーといいつつオーストラリアに戻り、また一週間過激に働き、またやってくる。繰り返されると、なんて健気なと感動もする。
彼の方も学校が終わって、さあこれからどうするで、とりあえず世界一周でもするかって話になり、東南アジアとヨーロッパを4ヶ月ほど回る。その前に、一応親に彼を連れて行く。その頃には、自我も奪回し、自信もついてたので、親の意向がどうとか(反対はされたらしいが)意にも介さずって感じ。

4ヶ月の旅行で本格的に好きになってイタリアへ。なんで?ときくと、やっぱり人間的に真っ直ぐな点が一番大きく、人ってこんなにすくすくとまっすぐ育つもんなんだーって、自分が屈折しまくってきただけに、それが新鮮で、そこに惹かれたと。

また結婚する人はだれでも言うけど、これだけ長期間一緒にいても全然疲れないって人は初めてだと。ああ、いいかも、結婚願望とか特になかったけど、まあやってみるものいいよね、ビビリとか不安とかいうのは理由にならないというのは履修済だし。

4、イタリア時代
丸2年間イタリア(ミラノ)に住んで、かーなり苦労した。ここが一番ハードだったんじゃないかってくらいハードで、ようやく2年たって第一章終わり、一括パックの一週間到達地点に2年かけて到達したって感じ。

なにがそんなにしんどいのか?というと、まず人種差別。
オーストラリアではおよそ感じたことなかったんだけど、ヨーロッパのちょいローカルにいくと、アジア人自体が珍しいし、「自分らとは違う(下の)存在」というのが、ものすごい当然の前提みたいになっているので、それがキツイ。
せっかくオーストラリアで奪回した自我が、またどんどん削られていくような感じ。

特にたまたま住んでた町も悪かったのかもしれないが、わりと「いいとこ」だったんで、それだけに意識は逆に古い。宅配便の配達でも、アジア人の自分が出ていくと、手渡しせずに、荷物を地面に置いて足で押し出すような扱いを受けたり。

この点は花房さんと昼飯食いながら話してたんですが、僕もスイス旅行いって、チューリッヒではちょっと感じたな。で、そうされても腹もたたず、むしろ「馬鹿だなー、アジア人敵にまわして21世紀を生き残っていけると思ってるの?中国もインドも他の成長エリアも全部アジアよ?情弱もここに極まれりだよなー、どうしてそんなに馬鹿なの?」って不思議というか、かわいそうというか。

まあ、この種の差別というのは、差別しようという明確な悪意というよりは、見慣れない人が来たのでどうしたらいいのかよう分からんくらいの感じだとは思う。また人は無意識的にも自分が一番エライくらいに思ってるので、その延長線で知らない異人は自分よりは下みたいにみる。それは、日本人がなんとなく東南アジアの人を下に見てるような部分に似ている。

ヨーロッパは、一面すごい人類の最先端をいっていて、イケてる人達はとことんイケてるんだけど、遅れてる人達は、魔女狩りとかまだやるんじゃないの?ってくらい遅れてて、数百年スパンのズレがあるような気がする。ネオナチがはびこるわけよね。でも、それはアメリカでも日本でも同じだよな。未だに、「女のくせに」とか言ってしまう馬鹿なオヤジはうんざりするほど居るし、外人(非白人)をみると犯罪者予備軍みたいな目で見るような人もいるし、白人絶対KKKとか21世紀になっても未だにのさばってるし。どこの国でも同じことだろう。

ただ、自分がそれで割を食ってると話は論評レベルでは終わらず、24時間実害を生み続けるので、それが花房さんのネックになってた。とくにシステムが完備しておらず、万事いい加減なイタリアの場合(これに比べたらオーストラリアは天国)、ローカル独特のシステムを知らないと何も出来ない。そのためにはイタリア語が喋れないと何もできない。

なまじオーストラリア時代英語ができたところから出発してるから、言葉が全くわからんとこんなにも苦労するのかという悲哀を今更ながら味わった。うーん、修行が足りなかったかなと(笑)。

でも、旦那さんとの間はうまくいってるし(日々最高記録更新中みたいな感じで、倦怠期どころか尻上がりによくなってるらしい)、それが救い。

が、負けん気の強い彼女がそれで終わるわけもなし、くっそお、今に見てろって感じで、孤独にイタリア語をやりつづけ、ある程度はいけた。今度試験を受けるのだけど、英語で言えばIELTS6.5相当だから、2年でそこまで上ってきたのは凄い。
最近、翻訳の仕事の加えて、地元の折り紙教室に招かれたり、そこから人脈が増えてきたり、徐々にひろがってる感じ。

将来的にはどうか?というと、まだ白紙だけど、イタリアは微妙かと。ゴハンはすごく美味しいらしい(でも昼飯は自分で日本食風なのを食べるそうな)。でも人間的に未熟な部分(これもエリアを変えるとそうでもないというのもわかりつつあるそうだが)、あとWAで感じた自然の幸福感というのが意外と少ないのがネックになってて、またオーストラリアとか来れたらいいなあと。
じゃ、日本とイタリアの二択だったらどっちがいいの?というと、イタリア、だと(笑)。

旦那さんは刃物関係の金型製作みたいな(それとはちょっと違うんだけど、まあそのあたりの)メーカーの営業で、世界中を飛び回ってるらしい。ハードすぎる日程で、今回も、アジア営業のビジネストリップで、花房さんはそれに自腹で航空代を払って同行(ときに通訳もする)。シドニーのあとはメルボルンで商談、そのあとはフィリピンに飛んでマニラとセブ(ここで一旦花房さんは日本に戻るらしい)、そのあとシンガポール?マレーシア?、、と2月くらいまで巡業するらしいです。

以上、長くなりましたが、「オフやりましたー、楽しかったー」で終わらせてしまうにはあまりにももったいない内容だと思うので、復元メモを残しておきます。

以下写真を
終了後、近所のダーリングハーバでしばらくカジュアルな感じで普通のオフ

仕事を終えた旦那さんも合流

皆で

最後にはこのメンツで晩飯食って

 

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