New Face 田中聖人(まさと)くん

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僕(及び一部関係者)にとっては、「あの」マサトくんが「ついに」ワーホリでオーストラリア上陸!って感慨に浸るわけですが、一般的にはわかりませんよね。軽く経緯を言います。

マサトくんが最初にオーストラリアに来たのは、彼が高校生のときで不登校やってたときです。「なんか見失っちゃった」みたいな感じで、当時通っていた私塾の尾崎さん、APLaC卒業生で名古屋で英語塾やってる古橋さんなどの考えで、一週間くらいオーストラリアに行くか?という話になって、ウチに来られました。
その際の付添人みたいに頑張ってくれたのが当時WHで来ていた水貝くんでしたね。懐かしいね。
当時、APLaC卒業生界隈の掲示板やってて、そのまた発展形に実働掲示板があって(フリスク)があって、田中くんが来られた頃には、こんな感じでおもてなししようかとか百以上意見の応酬がありました。これらの掲示板はまだ残存してますし、入室用のパスワードは卒業生には渡してます(最後に送ったバイトの探し方とかいうメールの末尾あたりにあるよ。

下の写真は、水貝くんと田中くん、2015年の8月5日撮影だから、そうかちょうど4周年くらいになるのかー。

話それるけど、APLaC史でいえば、僕が「ただのエージェントで一過性でお世話してそんで終わり」というのは「なんか勿体ないんじゃない?」と思い始めてカタチにし始めた頃です。APLaCって個性が強くてかなり人を選ぶので、逆にAPLaC界隈の人だったら大体人の指向性が似てて、それを単に「過去の顧客」的に死蔵させるのは勿体ない、客とかエージェントとかそんな関係性を全部叩き壊して、相互によい化学反応が得られるならどんどんやってみるべで積極的に卒業生同士の交流の場を作った。最初はクローズドの掲示板でやってて、そこで感触を得つつ、オフというのも意識的にやるようにしていった。帰省の日本でもやるようにしたし、僕がいなくても勝手にやってもらうようにもなった。
どんどん浮上していって、クローズドの掲示板からオープン掲示板にし、さらにFacebookやらブログやらと間口を広げた。また一括パック経験者という枠を外して、なんとなくAPLaCが面白いと思う程度でもいいことにして広げてきました。一回どっかでオフやって10名近く来てくれて、でも純粋な卒業生は一人だけで、あとは全部「界隈」ってときもあって、だいぶ広がったなあって思ったもんです。今となっては関係者かどうかってのは、APLaCが面白いと思うかどうかってくらいで、いい感じに広がり(しかし実質はキープ)してると思います。ここからさらに長期展望的には、ムチャクチャになっちゃうかもしれない日本や世界の未来の修羅場でのサバイバル互助ネットワークとして稼働できたらいいなと。

話逸れました(いや、逸れてはいないんだけど)。
長々経緯を述べたのは、田中くんというのはAPLaCのコミュニティの歴史からしたら、まさのその「申し子」みたいな存在なのですね。ただの同窓会でなく、衆知を集めて質をあげて、実働し、ちゃんとビジネスライクにお金勘定もきっちりやった、そういうことが出来たという一里塚でもあります。
~という経緯があるので、田中くんは、高校生でいながら、既にウチらの中では有名人で、以後日本で行われたいろんなオフでも大人たちに混じって違和感なくすっと参加していましたね。高校生でこれだけの社外人脈を持ってるというのも珍しい(笑)。

でもって、一昨年(2017年01月)には2週間だけ留学できました。FBでの記事はココです。このときは僕は空港からMortdaleのホームステイ先にお送りしただけだど、あとでメルボルンで吉田さんとこに泊まり、さらにファームで働いていたヘジンさんが後見人的にファームにも行ってます。

ということで、16歳、18歳ときて、いよいよ20歳の現在、ワーホリでやってこられたわけで、関係者としては感無量なわけです(笑)。

といっても、一括パックそのものはごく普通にやってました。僕からすれば、その人において必要なことを必要な時期に必要なだけやればいいわけで、1回目も2回目も3回目も状況に応じてやるだけってことに変わりないです。だからわりと淡々と。

一週前にこられた伊藤さんとジョイント(1日だけの一括パックだったんだけど、田中くんとはジョイント参加)で、いつものフルコース。


シェアも結構頑張って見て軽く50軒近く見てるはずです。
ただね、まだ20歳とはいえ、3回目の渡豪だし、16歳から4年間、瀬戸内の小さな島のリゾート民宿で住み込みで働いたり、その他バイト数7つとか絶えず積極的に大人たちと交わってきたので、普通の同年代よりも精神年齢高いだろうし、このくらいは出来て当たり前だとも思います。なんつっても申し子だもん、僕らが英才教育ほどこしてますからね(笑)。

不登校と補正と
高校の不登校くらいだったら大した問題じゃないと僕は思ってます。もともと義務教育じゃないってのもあるけど、実質的にも。
僕らの頃は不登校という言葉も選択肢もなく、仮に殺されるとわかっていても学校行くしかなかった。だけど断片的に漏れ聞く話でいえば、僕らの頃のほうがまだゆるかったし、救いもあったと思う。
というのは、そんなガチガチに管理されてもなかったし、そもそも生徒(に限らず日本人一般の資質として)管理されることを良しとしなかった。管理されようと自分から首を差し出して首輪を巻いてもらうような感じじゃなかった。だからやってられたというのはあります。

何言ってるかというと、僕らの頃は、クラスでいじめがあったとしても全員が参加するみたいなことはまず無かった。あったとしても一部だけだし、必ず優等生的な女子なんかが、「やめなさいよ」とか説教かましてたし、白けてる連中にしたって同調はしなかった。一緒になって同じようにやらないと次は自分が標的にされるというファシズム的な恐怖は、僕が体験しいた中ではなかったですよ。だからいじめられている奴がいても、平気につきあってるくれる友達はいたのよね、普通に。同調圧力がそんなに強くなかったし、圧力が強くなる理由も別になかったし。

あと、先生とか、権威とか、親とか、世間とか、なにか大きなものに逆らったり、突っ張ったりすることは、基本的に「いいこと」「カッコいいこと」でしたね。一人だけ納得できねえって騒いでても、うざい感じはしなかった。

これは学校の話というよりは、今の日本の大人の話です。政府のやること、会社のやること、たとえそれが多少理不尽であろうがなんだろうが、従ってるのが「大人」で、そこでいちいち文句言ったりするのは「ガキ」で、そういうやつはウザがられて、省かれてってのがあるでしょ?どんどんきつくなってきてる。

要は個人に反骨精神が乏しくなってきてるし、そういうカルチャーも土性骨もなくなってる。子供世界の話というよりは大人がまずダメ。従順過ぎる人の存在は、社会的にはむしろマイナスなんだ、なぜなら社会を良くしていくキッカケを潰すからだ、という発想がない。あかんよ、それって。
オーストラリアでうっすら感じる西欧個人主義精神って、子供の頃から、納得できないことにYESと言うな、おかしいと思ったら言え、動け、一人ででも戦えってことだと思うし、家によってはそうやって子供を育てるかしらん(見てないからわからん)。でも、たった一人の高校生が、これはおかしいと思ったら街頭でプラカード持ったりビラ配ったりするし、それを世間の大人はエライ!といってかなり好意的に受け止める。たった一人で戦う人を称揚する気風がある。民主主義というのは、つまるところ個々人の戦闘能力とガッツに帰結するのであって、個々人がヘタレだったらもう民主主義なんか機能するはずがない。そこのところを彼らはよくわかってるんだと思う。そしてファシズムというのは、弱い個々人が大量にいてこそ成り立つのでしょう。

とまあ僕なんかは思うので、妙な同調圧力ファシズムがあるような今の日本の教室(もちろん一部ではあろうが)だったら、行かなくてもいい、てか行くだけ損というか、もっといえば行くだけ有害だと思う。その意味で不登校はむしろ正解ですらある(場合もある)とは思う。

ただし、行かないことによる損失もあるので、時間をかけてでもそれを取り返す必要はあります。
ということで、田中くんの場合、1回目に来られた時と、今回が対になってるように感じました。

最初来たときは、どうにもガッコ行く意味が見いだせない、では普通という軌道から外れた自分はダメ人間なのか、もう一生ダメなのかって、自壊パターンになるかもしれないので、そこのフォローがメインでした。んなことねーよ、普通にやってりゃエラくて、幸せになれて、普通から外れたらもう外道人生でミジメになっていくだけなんてこたあねーよと。
そういうのは、オーストラリア(海外)の方が説得力がある。だって来てる日本人、どっかしら普通から外れてるし、普通から外れた方がハッピーになりやすい(場合もある)というのを体感してるし。そもそも僕自身が日本で弁護士やってたのに何をトチ狂ったかポーンとこっちにやってきて、APLaCとかワケわからんことやってるわけで、その僕が言うと説得力あるでしょ?(笑) それに日本で「普通」にやってたら絶対弁護士にはなれません。普通レベルなんかじゃ全然足りない。どっかで「人外の鬼」みたいになる必要はあるし、「普通」なんぞ気にしてたら自己研磨の基準がブレるから良くない。

もっと世界は広くて、もっと人生は自由なんだから、ガッコー行ったとか行かないとか、そんなクソこまっけーことどうでもええわ、もっと大事なことあるわいって。それが一回目。
そのせいとは言わないけど、田中くんはもともと頑張り屋だし、速攻で大検取るわ、以後はせっせとお兄さんお姉さん、おっちゃんおばちゃんに立ち混じってやってこられました。えらいよね。

で、今回は、ミスった部分の補正だと思います。社会経験や人間形成において、不高校による損失は殆どないか、むしろプラスだと思いますが、ただ、それでも一つ悪い癖が残ることがあるよと、これは本人にも直に言いました。

なにが後遺症的になるかというと、逃げグセです。確かにあの局面では逃げて正解だったとは思うのだけど、その「成功体験」が逆に足かせになることがある。なんか良くないことがあると避けて解決、逃げてクリアみたいなパターンになりかねない。だからそこは補正しなきゃねって。
難しいんだけど、やっても意味ないなってときは迅速に決断して風のように去っていく思い切りや行動力も必要。だけど、意味あるなってときは、どんなにしんどくても、絶対逃げない、意地でも逃げないで、歯を食いしばってやり続けて突破という持続力もまた必要。両方できないとダメで、変化によって成功する体験をしたら、今度は変化しないことで成功するという体験も積まないとバランスが崩れる。

また、行きたくなくなるくらい詰まらん学校生活だったとしたら、それなりに不愉快だったろうし、その不愉快さがトラウマ的に増幅されて、実像の3倍にも10倍にもなって、あとあと祟ることもありえます。子供の頃に犬に噛まれて不快な思いをしたら、一生犬が怖くて近寄れなくなるのはわかりますが、犬だったらまだいいけど、人間集団とか集団行動とかになってくると、やらないで済ませるわけもいかない。どっかの時点ではやらなきゃいけない。だから、出来るようになっておかないと。

最初のときに言いましたけど、日本の学校のように、同年代ばっかりが狭苦しい空間に詰め込まれて、年単位で長い時間一緒になんかやってるって異常に特殊な時空間というのは、卒業したらもう一生ありえないよって。強いていえば刑務所くらいだけど、あれだって同年代じゃないし。
だからクラスルームの体験というのは、のちの人生で役に立ったり、基本になったりするか?というと、意外とそんなこともないんじゃないか?実社会では、もう年齢も境遇も立場もバラバラだしね。学校ではあまりにも同じ過ぎて、そこが同族禁忌みたいにしんどいんだけど(反面気楽でもあるんだけど)、実社会ではあまりにも違いすぎて、それを統合させていくのが非常に難しい(職場の掌握にせよ、マンションの自治会にせよ)。

だから学校時代にあれこれ思ったとしても、それをあんまりひきずってはダメで、それはそれ、これはこれってちゃんと見えるようにならないと。

田中くんの場合も頭では分かってるようですが、ときどきフラッシュバックのように出てくるときもあるようで、それと今頑張って戦ってるところです。
トラウマっていうか、嫌な経験記憶って強烈ですからねー。ゴキブリを手づかみにしろって言われるくらい心理的に抵抗感あるものですから、それを少しづつ克服していくのが課題。

てか、別にそんなに凄いことになってるわけでもないと思うのだけど、身軽に転身して人生を切り開いていくって点に関しては、平均的な日本人の何倍も長けていると思うので、逆に意図的に我慢して続けてみる練習、あるいは人間集団と自分の距離感の置き方、そして冷静に目の前の現実を見抜いていく視力(意外と思ってるほど誰も気にしてないぞ、とか)、そこらへんを意図的にやっておくと、鬼に金棒になろうかと思います。

最後は、Burwoodのシェア移動の際に

 

 

 

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