辻麻衣子さん NZ永住権取得して来訪

HPの体験談には留学体験談、過去のFB記事には怒涛の「NZマネージャー奮戦記」が朝の連ドラのように続いており、さらに決死の「空中ブランコの乗り換え」を行って、ついに念願のNZ永住権取得。

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辻麻衣子さん来訪

HPの体験談には留学体験談、過去のFB記事には怒涛の「辻さんのNZマネージャー奮戦記」が朝の連ドラのように続いておりましたが、ついに、念願のNZ永住権取得。NZのモト彼とよりが戻るというおまけつき。

メルボルンのあと、シドニーにお立ち寄りいただいて(三木さんに続いて新オフィス訪問第2号)、結構いろいろ喋ってました。

まず永住権獲得の軌跡は過去回にさんざん書いてますが(2015年10月の「NZ共同経営壮絶ボコられ記」から直近の18年1月の「NZ転戦記」(https://www.facebook.com/aplac.info/posts/2001529656751486)まで、取れてしまった後に将棋の感想戦のように振り返ると、やっぱ最初のアビーのところを次のアテもないままブッチした(プチ裁判沙汰までして)ところでしょう。

「空中ブランコの乗り換え」って言ってたけど、次のブランコがやってこなかったら、あーって墜ちるわけで、それでも跳ぶという決断が出来るかどうか。結果論的にいえば、あのまま最初のところで心身潰して頑張っててもおそらく永住権までは行かなかったと思われるので、あそこで「前後の見境なく」「跳ぶ」ことが出来たのが最大の勝因なのでしょう。あくまで結果論ですが、「捨てる神あれば拾う神あり」で見事今のスポンサーに巡り会えて。

ま、それも永住権ギリギリのところでは、大量に書類不備があって「もう絶対無理!」みたいなお約束の「ゴール直前のドラマ」があってって感じだったんだけど、なんとかかんとかクリア!で。

やあ、ほんと人生の飛躍のときって、命がけで飛ばないとダメっすよね。一生に何度かあるという断崖絶壁を飛ぶ経験。辻さんも最初こっち来たときに一回目を飛んで、今度は二回目ですもんね。はたからみたら最初にオーストラリアに来てから3-4年で永住権取れてるわけで、トントン拍子なんですけど、本人にしてみれば生きるか死ぬかのプレッシャーのなかの跳躍だったと思います。それをやったからこそのゴールなわけですし。

いや、そういう経験は若いうちにしておいたほうがいいですよね。僕も、司法試験の最後の最後で「あと30分で人生が決まる」という口頭試問のクライマックスがあって、1時間くらい椅子に座って待たされるのですが、その待ってる間が地獄で、もうなんかプレッシャー凄すぎて、だんだん世界が透明に見えてきて、異次元になってきて、ほとんど「臨死体験」でした。生きてる気がしなかったな。25歳であれやってたから、あとでポーンと身一つでオーストラリアやってくるのは、それほど大きなことではなかったです。あれに比べればねーって。

んでも、永住権も取れてしまえば、拍子抜けです。え、これだけ?と。日常は1ミリも変わらん。巨額の賞金が手に入るわけでもないし、実感としてはゼロですよね。

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でも、反動はあります。辻さんにも言ってたけど、取れてしまったあとが結構たいへんで、茫漠とした大海原にぽつんと浮かんでるような感覚。どこにいってもいい完全自由は、何をしたらいのかわからない濃霧の海原。

永住権取るまでは、そういう明確な目的があるからやりやすい。パースペクティブ(透視図)もチャート(海図)もある。ある意味大学入試と同じ。そして、永住権になるまでは、ビザ期限という「余命宣告」が常に人生をかぶさってくる。「地球滅亡まであと○日」という宇宙戦艦ヤマトのようなカウントダウンが否が応でも充実を呼ぶ。

人間心理の妙で、なんでもいいから辛いことやってると、とりあえず充実してるような気がするのですよね。戦ってる感があるし、アドレナリン出るし、自分の人生を突っ走ってる感があって、そこが良い(しんどいけど)。

でもそれが無くなっちゃうと、5月病や燃え尽き症候群的に張り合いがなくなる。そこがけっこう難しく、今度はビザとか「お仕着せの目標」ではなく、正真正銘、自分で生きていく意味、今なんでコレやってるの?を作っていかなくてはいけない。それも、これまでの緊迫感と充実感に比肩するくらいのものを。生半可な作業じゃないですよ。

ともあれ、オーストラリアやNZという「会場の確保」が出来たわけで、さあ、本題はこれからだ、です。

そんでもって色々な起業案とか。やっぱ自分がたどってきた軌跡、日本にいるときに「人生これでええんか?」「もっと他にないんか?」という点が基軸になるでしょう。
それが将来的にビザにつながるとか生計に役立つとかいうのでなくても、「他にも生き方がある」ってことさえ分かれば大きな救いにはなります。実際、それさえわかれば、日本でだってどこだってそれなりにアレンジしていくことは可能なんだし。ただ、問題は最初の呪縛=これしかない=をいかに打破するか、それも説教とか論破ではなく、「わー!」って心弾む体験を通じて自然とひらいていくような。ちょうど、僕らがやってきたような。

それをもう少しなんか出来ないかなーって。
いや、実際、2-3週だけでもこっちでシェア生活やってみて、でもって無償のお手伝いでもいいから、現地ローカルでなんか軽作業とかやって、一日に終わりに心地よい疲れのままバス乗って、近所のスーパーで買い物してって、そういう「他の生き方」の体験をするだけで、全然違うと思います。それを商品化したら?と。

話はまた飛ぶのだけど、先日、こちらに長いこと住んでる日本人の方とお話する機会があって、僕と同じように20年以上自分で会社作って自営でやって(プロのカメラマンで、海外ロケなどのサポート~「イッテQ!」なんかも)、もうそろそろ僕と同じく、本業からさらに違う展開があってもいいなって話してて。あー、だったら(以下は僕個人のアイディアですが)、その方は顔広いので、同じように長いことこちらで自営でやってる日本人が沢山いるんで、仕事の現場でちょこっと手伝ったり体験させてもらったり、いろいろ生活っぽいことやってみたり、例えばリタイアしたご夫婦を招いたり、そしてプロのカメラマンであるその方が撮影して電子書籍の思い出アルバムとして編集してさしあげたりとか。

ともあれ、日本にいるだけだったら煮詰まりがちだというのが一つ、こっちきたら、ぶわーっと開放されて、なにか大事なことに気づく&体得するというのがまた一つ。それとこれをつなげてなんか出来ないかって話ですよね。出来ると思うけど。

その逆で、オーストラリア的な時空間と世界観を日本でやってしまうというのもアリでしょう。僕が日本でオフとかをやるのも、その営みの一環だとも言えます。場所は日本だけど、人間関係を司る論理・倫理観や空気感はオーストラリアだという。筋肉少女帯の古い曲に「日本をインドにしてしまえ」ってのがあるけど、「日本をオーストラリアにしてしまえ」ですよね。おっと、話がだんだんずれていきそうなので、この話はこのくらいで。

ランチ先の候補がいくつかあって、結局Marrickvilleをあまり知らないと言うので行くことに。ベトナム料理なんだけど、Phoのほかに、自分で巻き巻きする(前にも紹介したけど)生春巻きセット。これが楽しいのよね。右端の白い容器にライスペーパーと半円形の器に熱湯が注がれていて、ここにちゃぷんと浸して柔らかくしてから、おもむろに巻く、と。


滞在先が、旧フラットメイトの現住所=Camperdownだというので、じゃあ、ゆるゆる散歩して帰ったら?って話に。
そして、MarrickvilleからVictoria Rd経由でEnmoreにいくなら、途中でRoastvilleというカフェと、Seredepityのアイスクリームは食べるべしとお伝えしました。

そしたら、しばらくしたらメッセンジャーに写真が、、

さっそくどちらもゲットして、楽しんでおられました。さっすが。

前回会ったときは、まだLane Cove時代で、NZの最初のマネージャー時代の初期洗礼を浴びてる時期でした。やあ、次に会うときはどうなってるかな?

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