2025年帰省ツアー(6)~閑話(1)40年ぶりの母校訪問

Pocket

 

先日、ふと思い立って、家から205系統の市バスに乗って、母校である立命館大学衣笠キャンパスと近所の金閣寺に行ってきました。

数えたら85年の卒業以来40年ぶり?の再訪。あれ?そんなになるかなー。もしかしたら永住権の結果が出るまでの日本待機の時期(95年頃)になんかの話で当時の法学部長と大学で会ったような気もするし、電話だけだったような気もするし、そこらへん曖昧。もし会ってたら30年ぶり、会ってなかったら40年ぶり。どっちでもいいけど。

なんでまた?というと暇だから。
ちょろっと1日くらい「せっかくだから京都観光」で行くのは過去もあったし。比叡山までバスでいったり、左京区の詩仙堂に行ったこともあったし。

母校を再訪したいというよりも、ふんふんとGoogle Mapを見てたら、大学の近くの学生用定食屋さんが並んでて、そのなかの「べんけい」という店に覚えがあって、へー、あれまだあるのかーと思ったのがきっかけ。当時は「弁慶」と漢字だったような記憶があるが。久しぶりに行ってみるか、ついでに学校も流してくるか、そのついで金閣寺にもいってみるか。どうせ順路的には、京都市バスの有名な循環系統205号の道すがらだし、往復460円の京都観光もいいよねと。

金閣寺編はまた書きますが、今回は母校再訪編。
京都住んだことある人なら知ってるだろうが、京都は小さいし、基本バスメイン。地下鉄があとから多少できたけど、電車でいけるエリアは限られていて、電車は京都と京都外(大阪とか)を結ぶためにある。京都市内の移動はバス(例外的に嵐電とか京福とかローカル路線はあるけどやっぱ限局的)。
数多くのバスの系統があるけど、便利なのが201-208番のバスで、僕らは「ニーマルサン」とか「ニーマルゴ」とか呼んでました。これらは山手線みたいな循環系統で、内周り外周りと両方向に走っている(内回りという言い方はしないけど)。大体住んでていてメインとなるエリアを、メインとなるタテヨコの道路を走って繋いでおり、且つかなり頻繁にやってくるので覚えておくと便利。というよりも住んでれば嫌でも覚えるはずです。
大体、バスの巣のような操車場(車庫。ちなみにオーストラリアでは「デポ」という)が出発点になってる場合が多く、左京の銀閣寺近くの錦林(きんりん)車庫、京都駅真南の(ウチの近所の)九条車庫。あと壬生(みぶ)操車場もあるな。新選組の屯所のあった壬生ですけど、行っても当時を偲ぶなにかがあるわけでは全く無いので、期待してはいけない。

バスの車窓からみた京都駅(ガラス越しなので色が変だが)

205系統は始発の九条車庫を出てから、わざわざ京都駅に寄り道して乗客をピックアップする。この遠回りがなければ10分早く目的地につけるのだが、これは仕方ないよな。てか事実上京都駅始発であり、九条車庫との間は車両の回送のようなものだし。

駅を出てすぐ、七条堀川に大きなお寺。ここは何百回も通ってるはずなのに記憶にない。あれ、こんな立派な寺があったっけ?興正寺というらしいのだけど、すぐ北に西本願寺があるから相対的に目立ってないのかな。まあ、京都市のお寺は1700とかそのくらいあるから、いちいち覚えていられないのだけど。
ちなみに京都駅から歩いていけるお寺は、東本願寺(烏丸通)、西本願寺(堀川通)、そしてこの興正寺など。いずれもちゃーっと見るだけなら拝観料無料だったと記憶してます。そこそこ見応えあるので、帰りの新幹線までちょっと間があるなら、ぶらっと行くといいです。

小一時間バスに揺られて、ようやく着いた。205系統は、京都駅から七条通を西に折れて、ずんずん西に進み、西大路七条でカクッと直角に右折し、以後西大路を延々北上するというシンプルな大回りコース(その後北大路にぶつかったら、また北大路を延々東進し、カクッと右折して下鴨突っ切って河原町通りに出て、以後京都駅までずーっと河原町通を南下)。
多分このへんだろってあたりで降りたけど、見覚えがない。
まあ年月経ってるからわからんのも無理ないが、、、

この平野神社には見覚えがあるわ。3-4回生時、西陣に住んでてチャリで動いていた頃、この神社を突っ切って帰ってたから。

この道(上立売通り)を左折して行くというのは覚えているけど、風景が随分記憶と違う、、てか、地味過ぎてもともと記憶に残るような風景はないのだけど。しかし何かしらん、山が近い。つい数日前にそう感じたけど、雨が近くて大気中の水蒸気のせいだとか言うけど。オーストラリアはとにかく山がないので(ブルーマウンテンとかいうけど、あれは高原だからね)、山を見ると物珍しくて嬉しくて。
こんな店知らんぞ。でも面白そうね。 30周年なのかー、よう頑張らはって。しかし30年程度では僕が知らなくても無理はない。
この正面の小道を入っていくのは覚えてる。
学生さん用の不動産屋があったので覗いてみると意外に安いじゃないか。先日ふじさんと京都中心部を歩いてたときも不動産屋をちょこちょこ見たけど、高かった。「京都、高っか!」と思ったのだが、これは安いな。2-3万円台であるわ。

小道の途中に「べんけい」がありました。あれ、こんなだっけなー?見覚え全然ないけど。

興味本位で食べにきたのだが、ガーン!お休み。定休日でもないのに。先日のふじさんのときもそうだったけど、最近こんなのばっかだよ。ワタクシの日頃の行いが悪いのか(否定できない)、それともゼネラルに景気が悪い(材料費の高騰とか)なのか。

この弁慶よりは、「くれたけ」という店に良く行ってたのは覚えてます。煮崩れる直前、味の染みまくってる大根のおでんが美味しくて、いまでも覚えています。当時必死に勉強してた内容は忘れているんだけど、おでん大根だけはよく覚えているという、人生そんなもんさ的な。

せっかくここまで来たからで、キャンパスに入ってみる。

基本的な配置は変わっとらんし、変わるわけもないのだが。
しかし、以学館、存心館、清心館くらいしか知らんなー。記憶が薄れたのではなく、在学当時からそのくらいしか知らんかった。必要ないし。
中央の中央広場ってのは、僕らの頃はただのグラウンドで、酷暑のさらに一番暑い昼下がりに、研究室の連中とよく地獄の千本ノックとかやってましたね。研究室のくせになぜか野球の道具はあるのよね(笑)。クーラーなしの暑いさなか、高度に知的労働やってると、うぎゃー!と発狂するから、激しく身体を使いたくなるのですよ。だからもうぶっ倒れるまでやってて。

しかし、ああいう馬鹿やってる頃が人生で一番楽しかったなー。当時薄々感づいていて、でも認めるのが恐かったけど、このトシになったら平然と言えるわ、楽しいか楽しくないかでいえば、合格する前の方が楽しかったよ。合格した瞬間はそりゃハッピーだけど、それをピークにだんだん幸福値が減っていって、最後は「やってられっか」になり、またあの楽しい感じになりたいなーで、オーストラリアに行ったわけです。なんの成算もアテもなく、永住権という言葉すら知らず。不安定と不安の極致みたいな状況こそが幸福や自由、充実を生む。

さて、アテにしていた定食屋さんが閉まってたので、ひさしぶりで生協で食べるとか。たしか以学館の地下に食堂があったなと行ってみたら、すでに閉店してた。あー、そういえばここ早く閉まるんだっけなー。
最近の生協メニューと価格。
まあ、そんなもんちゃう?という妥当感はある。

僕らの法学部棟(存心館)の地下にも生協食堂があったはずなので行ってみる。通称「ゾンチカ」と呼んでたな。
時計台のある建物がそうだけど、屋台がでてるのが面白いね。

この写真の右側の建物は僕の当時には無く、例の千本ノックのグランドでした。まああんな敷地をほっとく手はないから、当然なんだけど。

ゾンチカやってました。レジのお姉さんに、非組合員でも食べられますか?と聞き、OKだと(5%あがるけど)。

もう一品のおかずがやたら充実してた。  

ドーンとあれもこれも取ったら、全部で千円を超えてしまった。

味で言うなら、「オクラと巣ごもり卵」99円が光ってました。ぶりの甘酢あんかけは高いわりにはイマイチだった。でもこれで千円超えるか?と、あとでHPで見てみたら、ご飯が高かったのよ。中盛りで168円もした。時節柄しょうがないけどね。

40年後輩と一緒に食べるのっていいよね。建物も、雰囲気も、人も、総じていえば「変わってないなー」と感じました。
当時は生協ランチA定食330円が高くてビビってたし、付近の定食屋さんでも大体300円台だった。だけど、当時の時給が460円とかそんなもんだったから、まあ妥当なところでしょ。購買力平価の僕のフォーマットは、「時給=ランチ代」で、オーストラリアでもそんなもんです(今は時給25ドルでランチ20ドルくらい、時給12ドルの昔はランチも10ドル)。

ところでこの衣笠キャンパスは、僕が3回生になってから通ってました。それ以前は、今はなき広小路キャンパスという、御所の隣の河原町通の一等地。手狭になったので衣笠に順次移転し、最後に法学部だけ取り残されていた最後の時代でした。でも一番大学らしい建物で、昔の建物は西欧建築をまんまパクってるだけにカッコいい。古い博物館がそうであるように、とにかく天井が高く、廊下を歩くと足音にエコーがかかる感じ。カツーンカツーンって。階段式教室も斜面が急で、それだけに中空に膨大な空間があってよかった。ボロいから階段も木製で歩くとギシギシいうし、御所の隣だから、巨大な教室空間によく鳩がまよいこんで飛び回ってました。
ボロいんだけど、いかにも大学って感じで良かったのよね。それが衣笠に移ってきて馴染めなかったし、七回生までいたけど、ついに馴染めなかったです。
時代は80年代で、リアルタイムでいえば、金ピカで軽薄短小80年代と小馬鹿にされていたもんです。大学もレジャーランド化しはじめたところで、衣笠はまさに絵に描いたようなレジャーランドで、クソだなーと言ってました。だから実はあんまり母校感はないです。

個人的には本格的に司法試験をやりはじめたのが3回生=衣笠からで、だから僕にとっては予備校というか「仕事場」みたいな位置づけでした。1-2回生の頃の、バンドやって、女の子とつきあってとかやってたのは広小路の頃で、いわゆる大学時代はあの2年だけだったかも。あとはプロの受験生時代で。
僕らが根城にしていた研究室も、厳しい選抜試験を経て、一学年の上位1%くらいしか入室を許可されなくて(まあガチに目指す人がそもそも2-3%しかいなかったし)、学内でも、「恐い人たちがいるヤバいところ」「近づいてはいけないところ」でしたもんね(笑)。

ほんでも「隔世の感」というほど何が異なることもなく、「あのまんま」な感じが残ってるのは、なんかちょっと良かったかな。

生協の書籍部がまだ残ってた。てか見るまですっかり忘れていた。ああ、そういえばあったなーと。
法学部の棚をみると、ふーん、最近はこんな感じかーと思ったけど、これ指定教科書売ってるコーナーですね。
意外なのが、最近、日本でもIELTSが流行ってるのねってことです。

再びキャンパスへ

こんなギリシャ神殿みたいな面白い建物なかったけどね。僕らの頃はただの体育館じゃなかったかな、どこの高校にもあるような。

いい空で、今年も入道雲が順調に育っているようです。
キャンパスの北のバス停にある堂本美術館。なかなか良い美術館らしいのだけど、ついに一回も中に入ったことはない。

キャンパスの外壁に沿って続く道で、このまま進むと龍安寺の石庭にいきます。
高校時代の修学旅行でこのあたりを歩いてたのですよね。グループ行動とかで。ここなんの建物?やたらでかいけど?とか言ってたのを覚えているが、まさかにそこに自分が通うとは夢にも思ってなかった。

向こうに見えるのが大文字山で、やっぱ山近く見えるわ。京都の横幅のあっちとこっちくらい離れているのに。

あー、これ(写真中央でバイクが信号待ちをしてる部分)まだあるのかーと見て思い出した。上にのぼっていくと原付きの専用駐車場があった。一回暗くなってから自分のバイクを探しても見つからず、嘘!と半泣きになってたのを覚えてるわ(あったけど)。

ここをちょい進むと有名な金閣寺。
ついでにいってみるかと。
続きは次回。

 

Pocket