成松さんは、去年(2019年)の06月にこちらに留学で来られました。その際の紹介文はこちらです。
そこにも書いていますが、もともとは先日イタリアから”里帰り”した花房さんのご紹介です。「昔の私と同じ人がいる」と(今はまた別の方をご紹介いただいているんですけど)。
何がどう同じかは既に書きましたが、日本社会で育って社会人をやっていく過程で、どうもしっくりくる自我の確立がしにくい、周囲のリクエストにせっせと答えていたら自分がなくなっちゃったとか、自分が自分じゃなくなっていって気持ち悪いとか、「あれ?」ってことになって、一発リセットをかけるためにオーストラリアにやってきて、いろいろあって、特に旅先でふんだんに自然に触れることで自分を取り戻していく、、という大きなストーリーは同じでです。
ただ、それはその視点で見てるからであって、本当は人それぞれにキャラに応じて、また別な捉え方やストーリーはあるとは思います。
成松さんは去年の6月に来られて、4月頭に帰ったので約10ヶ月くらいの滞在でした。本人的には全然短い感じ(まだやってたかった、というかこれからが本番だろ的な)だけど、ウィルス騒ぎもあるしで帰国。
その意味では不本意なんだけど、でも、それならそれでやりようもあるってことで、「とりあえず一回ここで締めて」って、宴会の会計みたいな感じでフィニッシュ。また強くなった自分を日本社会にぶつけてみたいって、答え合わせ的な欲求もあったし。
いやあ、成松さん、変わりましたねー。何がどうって難しいんですけど、どんどんモノに動じなくなるというか、最後の挨拶のときにいただいたメールに、
「この1週間、ロックダウンがあったり、JALがキャンセルになって振替がなかったり、財布をなくしたり(笑)めちゃくちゃいろいろありましたが、「やばいな私の人生めちゃくちゃ面白い」と思えているので、人間変わるもんなんだな…と驚きがありました。」
と書かれていたのが象徴的で、ほほー、帰国便危うし!しかも財布無くすしなのにヘラヘラ面白がっていられるくらいにはなったか~という、「やったじゃん!」って感じ。
財布なくした直後の表情↓
うまくやろうと思わなくなる
滞在中、成松さんには2回ほど書いていただいた文章の添削をしたことがあって、そして難儀しました。一つは学生ビザのGTE、もう一つは、ホリデー中にウーフにいって開眼した経緯の文章なんですけど、なーんか書いても書いてもしっくりこなくて。
ちなみにウーフから帰っていたときの記事がトルコPIDEとジェラートの午後です。
このあたりが成松さんの課題で、ご本人もよくわかっておられたんですけど、なんというか優等生的というか、日本で生まれ育った人ならわかると思いますけど、周囲が何を求めてるのかってのは大体わかるし、その期待に120%応えることが成松的なやり方だったんだけど、それがもう自分でも嫌になってて。
だけど長年の修練というかクセというのはなかなか治らないもので、文章書いた り自己表現したりってなると、どうしてもその「合わせていってしまう」部分が出てきてしまう。だから完成度でいえば全然OKで、どこに出してもいいんだけど、でも僕とかカンの鋭い読者から見てると、そのへんが見えてしまうのですね。いまひとつリアリティがないというか。
つまり、そのくらい他者の視線や世間というものが、まるでウィルスにように自分の思考中枢やアイデンティティに食い込んでしまってて、それを分離させるのに四苦八苦してたって感じなんでしょうかね。
で、彼女の場合(あくまで僕の印象ですけど)、分離させる前に、そもそも「うまくやろう」「成功させよう」という欲求やハードルそのものを無くそうとした感じがします。意図してそうしたのか、自然とそうなったのかはわからないんだけど。
世間や他人の目が出てくるのは、「うまくやろう」という欲(or やらないと大変なことになるという恐怖)があるからですし、そこで「うまく」の基準はなんなの?ってところで、世間が出てきたりするわけですよね。「世間様に笑われないように」「後ろ指さされないように」とか。でもうまくやろうと思わなかったら、そういうのが入ってくる契機はないですからね。
じゃなんでその「うまくやろう」願望を減殺できたのかはわかりません。ただ察することはできます。おそらく、こちらにきて、お金がないから早く稼がねばとか思ってるときに限ってなかなかビザがでなくて働けなかったり、でもお金が厳しい時期が続くと段々それに慣れていってしまって、まあ、なんとかなるもんだなって感じになったり。
また、シェアの移動や、旅やら、学校やらで、力んで狙っても外したりするし、でも全然期待してない形で良いことが起きたり、、、
だんだん、あんまり自分がムキになって狙ったり企図したりって意味ないかも、それよりも普通にまっとーにベストを尽くしてたら、適当にいいこともあるし、それで結構ハッピーになれちゃうし、そんなんでいいんじゃないの?って感じじゃないかと。
水泳といっしょで、最初は力んですべてを支配しようとバタバタやってるんだけど、うまくなるにしたがって、波に逆らわず、無駄にリキまず、波に流されてればいいんだよって感じかな。自分の運命や生活を、そこまで1から10までマネージしなくたっていいんだ、したところで出来るはずないしってことを、異国での日々の生活で少しづつ腑に落ちていったかのように思います。
ひるがえっていえば、多分、日本ではこれが出来てしまったんでしょう。大体マネージできてしまった。まあ母国で、そこまでアップアップと激流に飲まれるような環境になることは稀ですからねー(起業して破産して救われてってやれば別だが)。
思えばこれが海外修行する醍醐味なんでしょうね。なんせ明日住む家もよくわからないとか、あと1万円しか全財産がないとか、日本にいる頃には考えられないような環境でやってるんだけど(そしてそれが楽しいって皆言うよね)、その方がこの世の仕組みや法則がよくわかるんでしょう。ナチュラルに海辺で泳いでいると、波の感じやら、砂浜のガラスやら、磯の岩場の危険やらがわかるようになる。でも日本でいると、やっぱ温水プール的な環境なんで、そこらへんの機微がつかみにくいのでしょう。波もまた人工的だしね。
ところで話は最初に戻るけど、花房さんと大きくは同じといいますが、個別に見れば全然違うところもありますね。花房さんは、僕の印象だけだけど、自分のスタンスや価値観はそう変わらなかったと思うのですけど、そんなユニークである自分自身の表現の仕方に四苦八苦してたかのような感じがしますね。
成松さんは、自分の置き場所というか、どこからどこまでが自分なのか、マネージャ的な機能的な部分は自分から切り離そうとか、そういう部分で頑張ってたかのような気もします。ま、第三者の「気もします」程度のことですけど。
さてさて、日本に帰ってこれからどうするの?ですけど、だいたい、皆さん同じニュアンスですよね。「ま、なんとかなるでしょ」ということで。
ただ長いストーリーでいえば、まだ序章か第一章くらいでしょう。とりあえず人生の旅の出発にあたって、自分チューニングをやりました、ウォーミングアップをしましたくらいのところだと思います。
とりあえずは体験記書いてください。今度は力まず、合わせず書けるんじゃないかな。
ペンディングになっていたホリデーWWOOF体験記の写真をおまけにのせておきます。これは三軒目のWWOOFかな。
この、ちょっと童話的で幻想的な羊の写真が好きです