先日ダーウィンお留守番案件で登場した木暮さんがシドニーに遊びに来てくれました。
木暮さんが最初に留学で来られたのは2013年の12月。APLaC卒業生界隈でいうと、航平くんの約一ヶ月後くらい。やれ懐かしや、会うのは5年ぶりくらいかな。現在は永住権も取ってダーウィンでパートナーと暮らす日々ですけど、この機会に、そもそもなんでオーストラリアに来たの?てか日本で何やってたんだっけ?ってところから復習。
木暮さん、日本ではキャリア10年のSEで、ソニーの携帯の開発などをやってて、10年やって心機一転で転職したのが製薬会社だったかで、そこで上司からイジメのようなパワハラを受け、やってられっかで退職。オーストラリアへ。ちなみに結構パワハラで有名な上司だったらしく犠牲者累々、でも仕事は出来るそうで会社も切れない。木暮さんも泣き寝入りするタチではないので、最後は細かに記録をつけ、録音もし、全部会社に送りつけて退職。くだんの上司のは後日クビになったそうです。ざまあみやがれって感じだけど、本人はもうこっちに。
で、今は何やってんの?というと、のんびりダーウィンでのんびり生活。もう2年8ヶ月(だったかな)ダーウィンにいるそうだけど、仕事は地元のWoolworthのスシコーナーで早朝から昼くらいまで働いているそうです。朝早いのは辛いけど、昼に仕事が終わるから、午後はのんびり~と。このあたり最近の僕と似てるので話が盛り上がったり(笑)。携帯最前線でバリバリやったりパワハラと戦っていた頃とは打って変わって穏やかな日々。
こうして並べてみると全然違う人の人生みたいなんだけど、こういうことって普通にあるんですよねー。僕自身がそうだし、こればっかりは自分で経験するか/しないかで全然違うと思います。経験すると人生なんかいともたやすくガラリと変わるのがわかる。現実に体験してるから否定のしようがない。テレビのチャンネル変えるくらいの手軽さで変わるし、変わり方も「第二の人生」なんて生易しいものではなく、「前世」「来世」くらいの完全断絶感があります。
ただ最初はそうは思えず、日本でのキャリアをひきずってなんかオーストラリアで資格をとか、そんなこと考えるのですよね。木暮さんも最初はTAFE進学(花屋さん系だけど)を考えておられたようです。
さて、半年ちょいの留学生活のあと一旦帰国、しばらくして第二ラウンドで今度は河岸を変えてパースに留学。もうちょい居たいなーいうくらいの感じだったらしいのですが、そこで運命の転機=今のパートナーと知り合うわけですが、シェアしていた家のお隣さんだったのがきっかけ。お付き合いがはじまって、もうちょっと続けようかでビジネス学校などで学生ビザを延長し、彼の仕事(ダイバー)の関係で良いオファーがダーウィンから来て、一緒にいく?で行くことに。以後二人でダーウィンで、永住権も取れ、Woolworth寿司午後のんびりライフの現在に至ると。
今後はというと、彼がなんかオイスターファームをやるんだとか意気込んで物件探しをし、QLDに視察にいくとかいうので、同行させられたところ、すでに物件が取られちゃってて、やることなくなって、じゃシドニーに旅行に行くわで今回来たとのことです。
でも、牡蠣の養殖とか、全く経験ないんだけど「いやあ、大丈夫だよ、ははは」とかいってトライしてしまうあたり、ついて行けない感があるのですが、いくらオージー化したとはいえ日本人である僕らからしたら、「いいのか、それで?」と思うくらいガンガンいくよねー、こっちの人は。これまでもそういう話は沢山聞いた。カメラもまだ持ってないのに、会社(かなり高給)をやめ、今日からカメラマンになるんだと宣言したり(そして本当になってしまうところが凄いんだけど)、馬のブリーディングやってる人もいたし(本を読んだらわかるよ、みたいなノリで)、とにかく未知の領域に対する恐れとかビビリとか、キミタチにはそういう精神構造が無いのか?ってくらいいくよね。
そのあたり、なんかもう人生というものの考え方が根本的に違う感じがする。海外に出てる僕らは、日本人仲間からしたら「むこうみず」なチャレンジャーの方なんだろうけど、彼らからしてみたら全然なんだろうな。東京で携帯ITキャリア→ダーウィンのんびり昼下がりが、前世だ来世だ言ってるのも、「大袈裟だなー」って笑われちゃうよね。
石橋を叩いても渡らないのが日本人平均だとしたら、石橋を適当に叩いたり、叩き忘れたりして渡るのが僕ら。でも、彼らは石橋どころか、それがグラグラ揺れてる吊り橋だろうが、そもそも橋なんか無かったとしてもお構いなしにGO!って感じ。そういう話を聞く度に、くそお、修行が足りんな俺も、と思うのであった。
ただ、どんなに環境やら運命やらが変わろうが、意外と変わらないのが本人そのもので、木暮さんも5年前と同じオーラでいたし(リラックスしてる度合は深化してたけど)、木暮さんから見た僕も「全然変わらない」「そのまんま」だそうです。
逆にこうも言えるのかな、と思った。
(いい意味で、というか本質的にって意味で)こんなにも自分自身が変わらないなら、自分の外側なんか幾ら変わってもいいのかもしれないなーって。外側というのは、どこに住んで、どんな仕事してとかいうことで、それが人生の本体そのものであるかのように思われながら、実は単なる背景画像というか、カーテンの柄というか、絵画の額縁というか、そんなに大したこと話ではないのかもしれません。
絵画の額縁がそうであるように、額縁それ自体に意味があるのではなく、絵本体を引き立たせるものであれば、それでいいのだって感じ。
さて、話変わって、3年近く住んでおられるダーウィン話もたっぷり聞かせてもらって、面白かったです。
僕なりに学んだことをまとめると——-
とにかくダーウィンは雨季と乾季の差が絶対的で、雨季になると人も減るし、仕事もなくなる。だから人によっては乾期の間に一年分稼いで雨季はのんびりってパターンか、あとは出稼ぎに行くとか。聞いた感じでは、雪国における降雪期とそれ以外くらいの差、ほとんど昼と夜くらいの差があるみたい。
ダーウィンはインドネシアに近いので、乾期ともなるとインドネシアから大量に出稼ぎにくるらしい。全体にオーストラリアというよりは、オーストラリアと熱帯アジアの中間みたいな感じらしい。
ふむ、やっぱ同じオーストラリアでも全然違いますねー。WHさんのラウンドでのダーウィン話はよく聞いたけど、数年スパンでの生活者の話はまた角度が違うので面白かったです。
さてさて、木暮さんの未来は、どっかQLDで牡蠣の養殖業をやっているのか、あるいは違う方向にいくのか、全然わからない~って感じだけど、でも日本に居た頃のような将来不透明に基づく不安感とか焦燥感はないよね。先がわからないのは僕も同じことなんだけど、でも、「どうなっちゃうんでしょうね~」「わかりませんね~、ははは」ってな感じで、まあ、なるようになるでしょって感じです。
これは楽天的とか、投げやりとかいうのとはちょっとニュアンス違う気がします。自分自身いろいろ環境が変わる実体験が増えてくると、先程の額縁論のように、別にそんな大したことじゃないかもね、どこで何をしても自分は自分だしねってことが、単なる言葉や発想ではなく、感覚として血肉化していくのかもしれません。
例えていえば、、、うーん、そうね、例えば、明日自分がどんなゴハンを食べるかとか、1年後の自分がどんな服を着ているかとか、そのあたりは全く不透明なんだけど、だからといって不安になったり、焦りを感じたりはしないでしょ?
それに似てます。そのときになったら、まあ適当になんかやってるんじゃない?って。そして、その感覚が、別に「楽天的」というのでもないし、「投げやり」というのでもない、、、といえばわかりますかね?
それにですね、木暮さんの場合の転機も、「シェア先のお隣さん」ですからねー。こんなもん、予め計画立てて~って話じゃないもん。でも「そんなこと」で人生のバックグラウンド(額縁)なんかいともたやすく変わってしまうんだよー。もう、わかるわけ無いじゃん!って感じ。ただ、自分が自分でありさえすれば、その時々で自分らしい判断や、自分らしい動きをするだろうし、それが積もっていけば自分らしい人生になっていくんでしょ?結果としてそうなるよね。
近所のSONOMA(というパン屋カフェがある)で
特別付録 2013年時点でのシェア移動の際、次の週に沢山来てたんだよね、上田くんとか、なぎさちゃんとか。Kensingtonにて。
これは翌年リラックしてきた頃で、ミョンちゃん(左)とか懐かしいな。辻本さん(右)は、最近チャットで話てたら今はカナダにいるそうです。