もう先月の話なんだけど、遅ればせながら。
内田くんは定例会で、中田さんは奥様のご出産に日本に帰る前にちょっとということで、例によって意図的にアポをバッティングさせて輪をひろげようかと。
労働環境~人間に上下をつけたがる人たち
中田さんとは「いつもの話」というか、日豪でなんでこんなに労働環境が違うのか?という。これ、一過性の驚異というよりも、ことあるごとに感じさせられるので、驚きに持続性があるのですよね。特に人間関係の上下関係の無さ。まあ軍隊とか警察になったら違うのかしらんけど、一般には無い。なんか仕事の場というよりも、文化系の部活やってるみたいな感じ。
ただちょい突っ込んで考えると、上下関係とか指揮命令系統そものは、あってもそんなに不愉快ではないです。それが機能性や合理性を持っているならね。ただ日本(アジア一般)の場合、単なる上下ではなく、人間的・人格的支配・被支配という要素が入ってて、それがうざい。
さらに突っ込むと、これって仕事に限らないんじゃないか?
要するに、人間的な優劣関係をつけるのが好きな人達と、あんまり興味のない人達がいて、前者がマジョリティな社会は封建社会ぽくなり(人間の不平等こそが秩序)、後者がメインだと単に給食当番と掃除当番みたいな機能分担になる。給食が掃除よりも「えらい」とか誰も思わないように。
つまり「えらい」という概念が日本には2つあると思う。オーストラリアでは一つだけで、「えらい」というのは、皆のために黙々とゴミ拾いをやってるとか人間的に称賛されるようなことをしている人を「えらい」という。金持ってるとか、地位があるとか、有名だということを別に「えらい」とは思ってない感じがする。でも、日本では、人間的なえらさの他に、単純に人間の序列としての「えらさ」があって、偏差値が高い学校のほうがなんとなくエライみたいな、なんでも人に序列をつけないと気がすまない感性がベーシックにあるのでしょう。
でも、なんなんだろうね、これ?
まあ、サル山でも羊の群れですら、総当たりで喧嘩して序列つけるところから集団秩序が生まれるらしいから、それは動物の本能なのかもしれないけどね。
わ、エッセイみたいに長くなりそ。ま、エッセイ代わりに書いてる部分もあるんだけど、でも中田さんとは面白いネタが出てくるのですよ。
キャリアをいかさない
他のネタは、彼は火力発電の技術者で、この先仕事はあるのか論?さらに広がって、将来的に僕らの仕事はどうなっていくのか論です。エッセイで喋ったon demand的な流れとか、そのあたりも。本業があるとしても、それとぜーんぜん関係ない仕事をやって(たまにでいいけど)それでお金もらうと、なんか安心しますよ。それでも食っていける、その可能性はあるって思えると安らぐわ。
その意味で、「キャリアをいかす」というのも考えもので、最近の僕はいかにして「キャリアをいかさないか」に腐心してるところがありますね。同じ業界とか同じ職種とかだと先細り感があるのよね。キャリアって、あまりにこだわりすぎると選択肢が狭くなっていくので、それも考えものだよねーって。でも、ま、中田さんの場合、火力発電はしばらくは続くだろうし、この国にその技術者はすごい少ないから、そういう食いっぱぐれはないんじゃないの?でも、それで食っていかなきゃって思うと、気持ちがしんどいから、広げていったらいいかもよって話してました
「万が一」過保護は人は無能にする副作用もある
あと奥様の美洋子さんが帰国されて日本で出産される件ですが、日豪ではそのあたりも違って、日本だと腫れ物に触るような、安全第一過ぎるというか、こっちはいい意味でもっとラフで、出産しても3日くらいで退院させたりしますよね。病気ではなく、あとは回復するだけだったら、大切に扱わない方が本人の自覚エネルギーを引き出すので回復も早くなると。
なにかあったら大変、「万が一」とかいい出すのが日本の常のですが、僕はかねがねこの「万が一」があまり好きではない。「万が一」=1万分の1で、9999ケースを犠牲にしても1のケースを優先させよというのは方法論として合理性を欠くと思うのよね。
それが1万以上のモノを管理して売るビジネスであれば、1万分の1は十分配慮すべき事柄です。なぜなら確率的にほぼ生じることなのですから。しかし、自分だけのたった一例だけに、0.001%を過度に考慮するのはどうか。それによって失われるものもあるのではないか。
例えば、過保護にするということは、同時に自立性や危機管理能力を劣化させることでもあるので(修行機会が減るし)、それとのトレードオフでしょうけど、そこらへんがあまり自覚的ではない。
オーストラリアも別に自覚的だとは思わないが、ただ、いざという想定外事態が生じたときのオージーの決断や行動の俊敏さは凄いもんがありますよ。「思ったとおりにならない」ことに子供の頃から慣れてるから、そうなったときの対応の引き出しが多いのでしょう。つまり、万が一の少数事例の対応経験が豊富で有能だから、万が一が起きることを過度に怖がらないのだと思う。
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一方定例会の内田くんですが、もっとナイスに見栄えをよくしよう委員会で、前に言ったとおり髪をさっぱりしてきていい感じです(だったら俺も切れよって話なんだが)、学校でもけっこう話しかけられるようになったとか。
電気工事~永住権なんかどうよ(深い考えなし)?
で、中田さんと二人で、この先どうするの問題を考えてたんですけど、電気工事の資格やキャリアなんかどうよ?とか、フラッシュアイディアで言ってました。
あの種の現場技術系は永住権の最右翼ですからねー。いぜん、メールで相談に乗ってた方は、水道の配管をずっとやってたらしたんですけど、すっと永住権取れましたしね(英語では苦戦したらしいけど)。
まあ、ITとアカウンタントが一番数も人気も多いんだけど、それだけに競争率もレベルも高い。英語はネィティブで、Googleで3年働いてましたなんてのがライバルになるわけですから、昨日今日やりはじたようなレベルではどうにもならんでしょ。
僕らの時代の共通一次(センター入試)で日本史と世界史を両方取るようなもので、倫社とか政経とかの方がいいかも。同じように僕らの時期の司法試験で、6-7科目に刑事政策と社会政策をとるようなもので、ケーセー・シャセイ・アホ政策って呼ばれてました。とにかくとっつきやすくて面白そうだから受験生が多く、故に合格水準がとんでもなく高くなってる。逆に経済原論なんかその数%しか受験生がいないから、ちょっと勉強すればすぐ上位にいける。狙い目。
で、電気工事。詳しくはわからんのだけど、ぱっと考えた感じでは、ITとかアカウンタントの間口と奥行きの広さからすれば、一般家庭や小規模商業施設のメンテ修理くらいの業域だったら、そーんなに広いとも思いにくい(甘いかな)。ま、インテリジェントビルとか、巨大な変電所とかになったらかなり高度なアレがいるのかもだけど。希望的な観測だけど、「ちょっとやったくらい」で「なんとかなりそう」な気もしないでもない。
需要はあるんですよね。こっちは家が古いから、年がら年中どっか断線したり、リニューアルのたびに配線変えたりするから。また、日本に帰っても、空き家や古い家のメンテとかそのあたりは今以上にニーズ出てくるかもしれない。なんせ、漏電火災とか起きたら堪らんから、やらないわけにはいかんでしょうし。
メカニックとか車系もいいんだけど、日進月歩で車種やら技術が更新されるのでついていくのが大変そうだし、古い車も平然と走ってるしで、職域広そう。それに比べれば家庭用配電なんか、車ほどのスピードで変化してるとも思いにくいんだけど、まあ、これも素人の推測。ま、考えてみたらと。
でも、と中田さん、どうせ学ぶなら、日本で3年くらいやるのも手ですよねーって。技術は日本の方が絶対高いし、その間徒弟制度的にイヤかもしれんけど、職安の講座とか、人手不足もあいまって道はあるかもよと。それで日本で3年やれば、こっちきても就職しやすいし、またいきなり永住権リーチもあるかもしれない。それも含めて、来年英語学校を出るまでにまた考えてみたらいいじゃんって。
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最初はウチで話してたんだけど、だんだん、男3人で部屋に引きこもってるのもアホらしくなってきたので、近所の公園にいっておしゃべりをつづけました。先日のエッセイを撮ったところね。てか、時間的にはこっちが先で、そこでみなとおしゃべりして、ああ、ここ感じいいじゃんって思ったから撮影もしようと思ったという順番です。ま、どうでもいい話なのだが。
最初は部屋で喋ってたんだけど、、、
やっぱお天気いいし、外はいいよねー
すぐ先がバス停