おばちゃん(おっちゃん)フリーダム

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「おしとやかで可憐だった乙女も、おばちゃんになると、なぜああもド厚かましい無敵状態になるのだろうか?」
という命題について論ぜよ。

たぶん誰も覚えていないだろうが、ずっと昔に似たようなテーマで「おばちゃんLady化計画」というエッセイを書きました。それとは全然視点が違うんだけど。

まずこの「命題」ですが、ツッコミどころは満載です。

まず第一に、この命題は真か偽か?
一見いかにもそうだよなーと思うのですが、しかし、よく考えてみると、一人の人間について数十年にわたって観察をするような機会というのはリアルにあるのだろうか?というと、そんなに無いのではないか。
強いていえば、自分の配偶者くらいだろうけど、これは女性に限らず男性もそうだし、そうならない人もいるし、さらにそうなったとしてもその原因は「おばちゃんになったから(加齢現象)」というだけではなく、関係性が長くなって緊張感が弛緩したとか、なにもかもルーチン化したからとか、ほかの原因もあるだろう。
家族(娘や姉妹)の場合は、弛緩した家族内での振る舞いをずっと見てるわけだが、その場合は年とともに変わったというイメージはあまりない。

なので、乙女→加齢→無敵という、芋虫→蛹→蝶みたいなメタモルフォーゼがあるかどうかは疑問だ、とも言える。つまり論ずる以前に、この命題自体が間違っているのではないか?事実というよりは勝手な思い込み、脳内イメージでしかないのではないか?

ま、実際、無敵状態(わりとズケズケと自分の権利主張が出来る性格・態度)の中高年のご婦人がいたとしても、おそらくはその人が少女~青年時代においても似たようにズケズケ言ってたんじゃないかという気もする。若い時分に引っ込み思案で目立たない人は、年をとってからも引っ込み思案で目立たないのではないか。

なのでこの命題はけっこう怪しいと言える。

しかし、それを差し引いても、「歳を取ると図々しくなる」という一般命題はなお成立しそうな気はする。問題はなぜそうなるのか?である。

理由は幾つも考えられるのだが、まずひとつは、年をとると、、というよりも社会経験が増えてくると、世間をそれほど恐れなくなるからというのがある。恐れなくなるというよりも、リスク査定が正確になると言った方が良いかも。

若い時分は、社会経験が少ない。よく分からない領域に船出するときは、分からないだけに安全係数をたっぷりとって慎重に動く。おっかなびっくり事に当たるために、「控えめ」「おしとやか」「従順」という感じになる。
ところが経験を積んでいくうちに、ここはそこまでビビらなくてもええわ、あの人は顔は恐いけど実は優しい、あの上司はやたら厳しいこというけど口だけだし、実はヘタレだからビビらなくてもよい、、、という経験値が増えてきて、そこで自由度が増えるし、無敵度が上がる。
なにか小言を言われた場合、若い頃は「はい、すいません」と素直に謝ってるけど、だんだんそこまでヘコヘコせんでもいいよねといのがわかるから、「文句言ってる暇があったら、自分でやんなさいよ」とか切り替えせるようにもなる。

これが理由の一つ。

もうひとつは、(虚飾の見返りとしての)報酬の減少。
若いうちはパートナー探しやら何やら、基本色気づいているので、社会礼節としての「見苦しくない」を超えて、魅力的な自分を演出しようとする。それはめちゃ自然で健康的なことで、だからファッションにも金をかけるし、キャリアやら生計力も頑張ろうと思う。見返り報酬が期待できるから。

まあ、実際にそういう部分で報酬があったとしても、嬉しいか?と言われたら微妙な部分もある(見てくれ(と肉体)目当てでモテたり、単に生計力だけでモテたり)。また実際のパートナー選択ではそういう部分では「ない」ところ(「素顔の自分」とやら)でのヒットこそが大事だったりするのだが、それはさておく。

いずれにせよ若いうちは頑張ったら頑張っただけの見返り報酬があるような気がするのだが、だんだん年をとってくるとあんまり見返りがなさそうな気がするこんなおばちゃん(おっちゃん)が着飾って、それでなんかいいことあるんか?というと期待薄のように思われる。

ゆえに頑張る気力が失せてきて、失せた分だけ気遣いしたり、背伸びをしたりという部分が減ってきて、より自然体になり、より構えなくなる分、なまの自分のグイと押し出せるようになる。

逆に言えばなんらかの報酬がリアルに期待できる場合、あるいは頑張らないと損失があるような場合は、年齢に関係なく、猿のように頑張ってしまうのが人の生理というもの。ちょっと晴れがましいパーティとかになると、自分だけみすぼらしい格好をしている屈辱、特にあまり愉快な感情を持っていない誰かから軽侮の視線を浴びる悔しさという「損失」がリアルになるとがぜん頑張ってしまう。

そういえば、以前、二部上場会社の社長さんがAPLaCに来て、ビシバシ現地の作法を鍛えたことがあったが、その人曰く、大企業の会長とか、経団連の重鎮とかいわれる人達の「勲章獲得競争」は熾烈なものがあると。春秋叙勲でなんたら褒章をゲットするとか、ライバルのじいさん(○社の会長)にだけは負けたくないとか、もうガキ丸出しの競争心で、あの手この手の画策をするらしい。こき使われる会社の秘書課とか、側近の連中こそいい面の皮で、オリンピック招致そこのけでやるらしい。その人は、早めにリタイアして後進に譲り、APLaCに来るくらいだから恬淡としてて、そういう風潮が心底不愉快らしく、「くっだらない」「老害」「老醜」といわんばかりの口ぶりでしたが、内部を知ってる人からみたら、そうなのだろう。

何の話かといえば、年をとって、お迎えが近くなっても、猿のように必死になってしまうわけで、恐るべきは「報酬」である。

以上を整理すると、
「ありのままの(ダサい)自分をさらけだして、のびのびと」という「フリーダム」
があるとして、それをいかにして得るか?
逆にいえば、フリーダムを阻むものはなにか?である。

それは、
(1)経験値の少なさから世間を過大に恐怖視すること、あるいはミスや非難を恐れる心理
これは、経験を積むことで、必要以上にビビることもないし、ミスしても回復可能だということを知ることでどんどん自由になれる。
もしかしたら、社会に出る目的は、全てこの一点に集中するのかもしれない。正確に人の世が見れること。

(2)あとは愚にもつかない「猿の報酬」である。
猿の業があるから、モテても実はうれしくない人からモテようと頑張ったり(ファンはストーカーだけとか)、下らない見栄の張り合いに血道をあげたりする。なんでそんなに馬鹿なのかといえば、猿だから、、というと猿に失礼だが。競争が自己目的化する。

おばちゃんやおっちゃんになり、年を取るということは、(1)の面では有利であるが、(2)の面でいえば、年齢は関係ない。むしろ年をとってからの猿化の方が目を覆わんばかりの醜態ともいえる

ならば善き部分である(1)の点、つまり年をとるほど(経験値が増すほど)、無駄にビビらなくなってるはずなので、それは意識的に見ておくと良いかもです。年々、随分楽になれると思う。はっきりいって、歳を取る悲しさよりも開放される楽しさの方が大きいんじゃなかろか。

と同時に、常につきまとう猿化のリスク(無駄な競争についムキになってしまう)には気をつけて対処すべき、ということかな。

(このエッセイは、オンラインサロンに8月に掲載したものです)
(冒頭の写真に深い意味はありません。なんか写真がないと寂しいからテキトーに)

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