成松さんと高見さんをご紹介します。お二人とも同じ日に到着されて、一括パックの同期の桜です。大手広告代理店など日本でバリバリ働きすぎて自分が無くなっちゃった成松さん、ベトナムの日系企業で数年間働いていた高見さん、どちらもやることやってきた女性達ですので、一括パックも面白かったです。
ひとりっついきますね。写真は二人同時ってのが多いのですけど。
まず成松さんですが、以前オーストラリアに留学に来られた花房さんのご紹介。昔からのお友達だそうで。
花ちゃんこと花房さんは、過去にも何度か登場してますが、オーストラリアに留学後、イタリア人のいい人をめっけてイタリアに嫁いで現在も同地(ミラノ)在住。直近ではミラノからオーストラリアに「里帰り」したときの記事で、歴史と唯我独尊の京都人の花房さんが、歴史と唯我独尊のミラノ人の中で揉まれてて面白よねとかそんな話でした。数えてみたら過去に花房記事はFBに5回もあります。FBの過去記事は検索するのが異様に大変ですので、リンクを貼っておきましょう。来たばかり(16年01月)、二回目(16年10月:プチラウンド帰還)、三回目(17年02月:NZからの便り)、四回目(17年07月:イタリアからのメール)、五回目(17年08月:再訪(結婚直前))。 これ全部並べて読むだけで体験談になるよね。
なぜこんなに花房さんについて書いているかというと、「同じ」だからです。
花房さんもなんでもやれば出来てしまうんだけど、出来ることが幸福に結びつかなくて、煮詰まって、こっちに来た。でも最初は慣れてる「出来る(ようになる)」系の努力をして、でもやっぱ煮詰まって。そういえば、その頃に「勉強なんか、あんなもんやればいいだけですから、簡単なんですよ」とか名言を吐いてたな~。いやあ、簡単でない人もいるとは思うけど、でも言わんとするのはわかる。
力む(頑張る)ことでは解決しない。で、「押してもダメなら引いてみな」ではないですけど、力むのではなく、力を抜くことで解決って方向性が見え始めたのは、留学も後期の頃、ホリデーを利用してWA州のWWOOFファームにいって田舎暮らしを始めた頃でしたね。そのあたりから「楽しむ」というコツを覚えてきて、オーストラリアのあとNZに滞在して、彼と出会った(語学学校のクラスメートらしい)のももう卒業間近の頃で。結婚も、そんな大上段に構えなくなって、「話のネタにいっぺんやってみるか」くらいの感じですっといけるようになって。
で、たまたま日本に帰国してた花房さんが、悩んで憔悴してる旧友成松さんとあって、「昔の私とおんなじだ」って思って、「うだうだ言わずにとにかく出てこい」とばかりに説いて。その紹介もあって、去年、僕が日本に帰ったとき、それもドバイスイス旅行からオーストラリアに戻る経過日に、スポット的に仕事を抜け出してきた成松さんと銀座の甘味処でちょろっとお話しました。
ということで、成松さんの留学の基本設計はもう出来ているわけですよね。「花房的解脱」を目指すと(笑)。
しかし、ま、そんなことが分かっても解決にはなりゃせんです。抽象的なお題目だけなら、すでに本人にも十分にわかってるだろうし、また「花房的」といっても人によってそのニュアンスは千差万別ですし、膨大な時間をかけて緻密な作業をやるっきゃないですよね。
なんでそんなに大変なのか?
思考の「水路づけ」って言葉を中学の頃に聞いたことがあります。当時流行ってた多湖輝さんのいくつかの著書で「頭の体操」というパズル本があります(まだ売ってるのね)。心理学者である著者が、人間心理の盲点を突いた問題を出して、かつ解説してくれているもので第5集まであったかな。その後受験用に「勉強術」「記憶術」とかあって、僕の以後の勉強とか「頭の使い方のコツ」は氏の著作に負うところが大です。
その頭の体操の中に、人間は一旦こうと思い込んだら中々その発想から離れられない、思考が流れていく道筋をセットされてしまうと後からこれを自発的に変えるのは至難の技であるという意味で、「思考の水路ずけ」という用語が頻繁に出てきました。いかにそれを打破するか、いかに柔軟にものを考えるかの修業みたいな感じ。
僕らが生きていく上での価値観やら、「こうするべき」という判断というのも、多分に思い込みで水路付けされている場合が多い。それは小さな体験の膨大な集積でそうなっている。それを変えようとするならば、同じように小さな体験、「あ、そういう考え方もアリなんだ」って目から鱗が落ちるような体験を膨大に積み重ねていくしかないです。一つ悟りを得たら、一気に全てがスラスラと~という感じにはならんよね。
花房さんもそうだし、多くの日本人、特にこれまで優等生的にやってきた人の場合、海外に出る効用は、「え、そんないい加減でいいんだ?」「あ、そこまで自分を出してもいいんだ」「このワガママを人は個性だといって尊んでくれるんだ」「別になにもかも上手くいかなくてもいいんだ」ってことを山程体験しますから、そこで少しづつ変わっていくのでしょう。
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って、成松さんのことを全然書いてないじゃないか(笑)。
といっても、まだまだ、彼女はこういう人って見えてるわけではないので、そうそうは書けないのですが、しかし、僕と彼女の間では、花房的申し送り事項みたいなのが共通テーマになっておりまして、いたるところに出てきます。
やれシェア探しにおいても、「そこでそう考えてしまうと昔のまんまだよね」みたいな話はしました。また、最近まで学生ビザのGTE英作文添削でももっぱらそのあたりでやりとりしていました。
成松さんに限らず、僕ら日本人は空気を読むのが得意です。空気を読むとはなにか?といえば、その場における参加者の(語られぬ)意向を察知し、皆の意見や心理を総合的に考えれば、まあこんなところが落とし所になるだろうなと予想し、それに合わせて自分の立ち位置からすれば、どのタイミングでどういう言動を取ることが最も好ましいかを判断し、行動する力です。
使い方に寄っては、深い叡智に基づいた大人の能力でもあるし、それこそが政治でもあるし、良からぬ方向にいけば、付和雷同し、集団に媚びる力でもあります。
成松さんの場合、もともと聡明な人なのでそのあたりがよく見えてしまうし、また学業にせよ仕事にせよなまじ実績を積んでしまうから周囲の期待も高くなってますます身動きがとれないという悪循環もあったのかもしれない。それに加えて広告代理店の営業の仕事ですから、クライアントが何を考えているか、どうすればクライアントを満足させられるか、他人の思惑を迎え撃っていくような職業上のスキルが否応なく鍛えられてしまった、という点もあるでしょう。
僕が思うに、彼女の場合、その場における模範答案や優等生的解答が、とにかく見えてしまうんだと思うのですよね。でもそればっかやってると、今度は自分が無くなってしまう。自分はどういう人で、何がしたいのかがわからないようになる。成松さんも、ご自身の結婚すらも世間に合わせていってる感じになっていって、そこで「あかんやん!」って気づいたらしいです。
ということで、そのあたりが彼女の主戦場なのでしょう。かなり明瞭に見えてしまうであろう「正解」らしきものを、自分で叩き壊していかないといけないわけで、これはなかなか心理的にもハードな戦いになるでしょう。
ワガママになる修業みたいなことですけど、これは意外と難しいですよ。
自分の内側から出てくる、良い・悪い、好き・キライの感情を大事にすることで、一見簡単そうに見えるんだけど、自分の内側から出てきているようで、実は出て来てない場合がほとんどです。知らないうちに、過去の体験や世間の評価に激しく影響されちゃったりする。ある意味、100パーセントそれをゼロにするのは不可能かもしれない。
またこんな素っ頓狂な意見を言ったら引かれるだろうなーと思いながらも口に出すこと、あるいは引かれるだろうなって予測作業自体を「しない」ようになるというのは、かなり修業度が高いです。
だからシェア探しにせよGTE作文にせよ何にせよ、僕から見て、「合わせにいってる」っぽいときは、それをビシバシ言うって感じでやってます。シェア探しも、世間的なスペックはさておき、「自分がピピッとくるところ」というのは、かなり自分の感性が顕在化してないとわからないし、耳を澄ませるように自分の内なる声を聞く練習にもなりますよね。成松さんも高見さんもそのあたりは分かっていて、かなり激しくシェア見学してました。50件くらいは見てると言ってましたし。
シェアに限らず、バイトにせよ、勉強にせよ、生きてる全ての作業がそういう自己対峙になるわけで、だから海外というのは中々良い環境になります。なぜかといえば、無意識的に世間に合わせるように生きてきた僕らにとって、海外現地での日々は、日本的な世間価値観なんか何の意味も持たないし、クソの役にも立たないという意味がひとつ。かといって、現地オージーの世間を基準にしようとしても違いすぎてて使えない(そもそも最初はそれ自体がよく見えないし)。
結局頼りになるのは否が応でも自分しかいないわけで、とてもよい精神と時の部屋みたいなものです。
さて、成松さん、1年後くらいにどうなっているのか楽しみです。
なんとなく直感的に思うのは、もっと創作的な人なんじゃないかなー?漫画とか好きだとか言ってたし。マネージメント能力には長けているし、それが飯の種にも指針にもなってるんだけど、本質はまた別で、むしろ「無から有を作る」部分、自分で「世界」を創る部分。
別にそれは「作品」という形で結晶化しなくても良くて、これは僕の年取ってから気づいたんだけど、日々の日常やら、生き方そのものレベルで「無から有を作る」ようなことって出来るよなって。そんな生き方、そんな生計の立て方、そんな日々の過ごし方、どんな本にもネットにも載ってないんだけど、でも自分的にはアリだよなっつってオリジナルなものを作っちゃうという。
そういった話をまたしてみたいと思います。
悩みに悩んだシェアは、最初の方にみたAshfieldのお家に。入居にあたって簡単に英文契約書があって、チェックしてくださいってことで読んだのですけど、非常に知的で礼儀正しい英文、内容も穏当なものでして、人柄が偲ばれるというか、この人ならまず問題はないんじゃないかなって思えるものでした。
二日目の学校見学とシドニー交通機関乗りまくり大会。これはパディスマーケットで。
恒例化してるポルトガル料理
ポルトガル人の町であるPetershamの駅。使ってない旧駅舎がいい感じで、成松さん、おおーと感動してはりました。
去年、日本に帰ったときにお会いしたときのもの。東京駅と銀座の間くらい。バリバリ営業やってた頃の成松さん。