2022年夏帰省日記(5)8月11日京都山崎駅と翼さんとお好み焼きの夕べ

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日本上陸しょっぱなの怒涛の東京方面二泊三日を終えて、京都に戻る。
待っているのは、コロナ2年ロスの穴埋め作業です。
つまり毎年コンスタントに国境移動出来てたこうはならなかったあれこれ。1年以上誰も住んでない実家の片付けやら、たまりまくっている歯医者治療のため住民票入れて保険証つくって歯医者探してとか、その過程であれこれ気づくこともあったんだけど、それはまた。

今回は、大阪と京都の境あたりにある山崎(JR山崎、阪急大山崎)で新婚新居を構える翼さんに会いに行ったというお話。

いやそんな深い意味はなくて、結婚しましたー、どこ住んでるの?山崎、あー今度帰ったら遊びに行くわーとかメッセとかメールで言ってたので、言った以上は行かねばって。ま、そんな義務感でやってるわけではないけど、翼さん、京都にずっといるから、帰る度に会ってましたね。こっちは帰るだけだけど、翼さんの方が行く度に変わってて。もともと北海道出身の道産子で、作業療法士の仕事は千葉あたりで、それで海外づいてオーストラリアやら世界放浪やらやって、放浪の延長みたいな感じで「おもしろそうだから」というただそれだけで縁もゆかりもない京都に住み始めて、本業の療法士の仕事もしながら、パン屋さんでバイトして、まだ外国人観光客も町家旅館もメジャーになる前から町家ハウスのお手伝いもして、それが長じて町家ゲストハウスの共同経営もやって。で、方針の違いからやめて、また長いこと付き合ってた人とも別れてって時期もあり、しかしその傍ら勉強してWEB制作屋さんを立ち上げて、そして今度は「普通の人(海外放浪するわけでもなければ、起業経営するわけでもない)」と一緒になって、今度赤ちゃんが生まれる予定で。

こっちはそんな流れとはお構いなしに帰ってきては、「最近、どないしてん?」という感じ、いろいろ話してました。なんかギラギラしてないなー、漂白されてるよ、世界の連中のように健康なケダモノの感じが薄くなってるとかズケズケ言ったりもした時期もあれば、あ、復活したねー、オーラ出てきたってときもある。あんま深いこと考えず、ぱっと見の直感だけで言ってるだけだけど。

オーストラリアの居た頃よりも日本に帰ってきたから会った回数の方が多いです。同じ京都ということで、歴代京都オフ、全国オフやら、その前夜祭オフやら、七条の町家オフやら、直近(19年)の夢屋さんの離れ貸し切りオフやら共同幹事でありました。今回も、20-21日のオフの打ち合わせもかねての話。

でも、ま、それとは別に単純に山崎、行ってみたかったんですよ。サントリー山崎工場のある山崎、商品名にもなってるけど。古くは明智の三日天下が潰えた山崎。京都と大阪の中間の、なんか取り残されたような、でもアーバナイゼーション(都市化)の波を受けることなく、昔ながらのほっとした感じを残しているエリア。
僕の思い出は、その昔、サンスターの高槻工場で1日だけバイトしたことがあって、今となってはどの駅だか忘れたけど(高槻のような大きな駅ではなく、島本町かどっかの寂れた駅)で、帰りの電車を待てて、こんなとこあるんだーと異世界感覚を抱いた。また、かなり昔の話だけど、大阪で飲んで、終電ギリ付近でとにかく電車のって、途中で降ろされて、深夜のホームでぼけーと待ってた記憶もあります。そんな中途半端なところで電車が終わるのも変だから、なんだったんだろうな、事故かなんかかな。
ともあれ、京都でもなければ、大阪でもない、最寄りの高槻や長岡京や向日市ほどのベッドタウン的な感じもない、普通の日本のありふれた地方駅の、なんと言えばいいんだろう、「生成りな感じ」がこのあたりにはあって、それを味わいたかったからです。なんもないから、用もないし、用がないからついぞ降り立つことはなかった山崎駅。ついに「用」が出来たから、今降り立ちましたーって感じで。

夕方の約束で、ウチ(京都十条)からは近鉄→JRですぐそこ。
よく見る近鉄十条駅のホーム。ここもいい感じに寂れてるんだけど。

東寺がよく見えるんだけど、これは望遠です。リアルにこんなに大きく見えるわけではない。

憧れの山崎駅ホーム。期待を裏切らない佇まい。夏の強い日差しが傾いて、夕方になりかけていくこの感じがいいです。「放課後の教室」というか、「部活の陽射し」というか、この時間帯、いいですよね。黄昏=たそがれ=誰ぞ彼?=暗くなってよく見えないってほどではない、そのちょっと手前の感じ。一日溜め込んだ息をちょっとづつ吐き出し始める感じ。

駅には翼さんが待っててくれて。
このすぐ近くに住んでるらしいです。 駅前の佇まいがいいね。
昔の日本映画みたいな。うーん、満足。

このお寺は実は結構有名らしく、予約しないと見れないらしい。

む、この駅前の家の造りがすごいじゃん。昔の街道沿いの日本家屋が大体こんな感じだったという印象。前回、五條市の米田くんのところにいったときも、こういう家屋が建ち並んでる一角があった。

幾つか駅前でオプションを上げくれたけど、僕も翼さんもお好み焼きで衆議一決。

5時からだということだけど、ちょい早くても入れてくれた。若い女性一人で甲斐甲斐しくやっているお店で、こざっぱりとして気持ちいいです。

さっそくビール。もーね、夏はこのためにあるようなもので、美味しかったです。

当然というべきか、サントリーモルツで。ふとみると、お品書きにウィスキーまであって、余市やら山崎やら響やら。あれ、そんな企業城下町的な感じなんかなーとか思ったけど、話が逸れるから、それはまた。

このお好み焼き、焼いてもってきてくれたんだけど、美味しかったー。さすが翼さんおすすめの。お好み焼きって、ベシャベシャか、パンパンに固いかのどちらかが多いのだけど(自分で作ると尚更)。ふわっと焼き上げてくれて。

そのあと、追加で、味噌漬けチーズ。これだけ?ってくらい小さかったけど、でも、美味しい。

 

チーズ餅も良かったです。熱々ほこほこで。

オフの打ち合わせは、わりと簡単に済んだ。広範囲から人が来るし、宿も含め、最大にフレキシブルで、かつお財布と身体に優しくという基本的なコンセプト(価値観)さえ企画側で共有できればいいですから。

大体話の殆どは、共通の友人の話で、これはまあ誰でもそうよね。ただ、なんかしらんけど、考え込んで止まってしまう人と、止まらない人の二種類がいるよねって話が出て、僕も翼さんもわりと考え込まないし、航平くんや、吉田さんなんかもその類。なにが違うんだろうねーと。

そのときはそれだけだったけど、後日また他の人と話してて、また似たような話になったときに、ふと思った。考え込まないタイプというのは、生まれてからずーっとサッカーのピッチに立ってるような感じ。特に自分がボール持ってドリブルしてるような感じ。ドリブルしてる間も頭は高速で回転し、考えます。やれどこにパスを渡せばいいかとか、そのあとのシュートまでの展開図とか、全体の流れとか、誰がどこにいるとか。周囲も考えるし、自分の力量や疲労度も考える。激しく考えるんだけど、でも考え「込」まない。足を止めたりもしない。そんなことをしたら、たちまちボールを奪われるし、絶好のチャンスをミスるし、ありえない。与えられた状況で、直近未来に何をすれば最適解なのかを必死で考え、思いついたとき、今がチャンスだと思ったときにはもうボールを蹴っている、行動している。そんな感じだから、あんまり考え込むという感じにならない。というよりも、「なれない」です。

だからなんだ?というと、考え込んで塞ぎ込んでしまうのは、どっかの時点で足を止めてるからじゃないかなー。たしかにゆっくり考える時間も必要なのかもしれないけど、でも動いた方が問題は確実にシンプルになりますよね。ドリブルやってる最中に、「サッカーとは」「人生におけるスポーツの意義」「受験もしなきゃね」とか考えないですからね。無心で球を追ってて、球を追うのに必要な限度で考えるから、話はシンプルです。立ち止まると色々複雑になって身動き取れなくなる。

つまり、考えこまないで行動する連中というのは、別に彼らが努力家であるとか、行動力があるとか、決断力が優れてるとか、人格者だからとか、そんなことではなくて、「動いた方が楽だから」そうしてるだけじゃないかと。僕も含めて、それを経験的に、無意識的に知ってるんじゃないかな。

シェア探しでも仕事探しでも動いたほうが楽ですからねー。やりもしないで、出来るのだろうか、この私が?とか考えても、「無理に決まってるじゃん」「なに調子こいてんだよ」とか思えてくるし、だからなおさら足がすくむし。でも、出来るわけがないってことでも、なんかの拍子で出来てしまえば、「出来るのだろうか?」という疑問はその瞬間に消滅します。どんどん問題が減っていく。どんどん減っていくから、しまいには、何を悩んでいたのか思い出せないって感じになる。

さて、話は戻って、かくして、お好み焼き鳩首会談は終えたのでした。
すでに、夕方から「宵」の色に空気が変わってて、これはこれでまたいいです。

京都駅からドンコーで14分のお手軽「小旅行」でありました。

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