2026年日本帰国記(5)名古屋~内海~離島オフ(2)

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名古屋から内海海岸までは、名鉄で富貴という駅まで行き、そこで分岐する内海線に乗り換えて終点までです。

位置関係がわからないと思うので地図を。
大体知多半島とか知らないよねー。僕も名前だけで、掲示板に前に書いたけど、カニのハサミのように二本半島が伸びている地形は多く(鹿児島の大隅半島と鹿児島半島のように)、愛知にも知多半島と渥美半島があると、小中学生の地理レベルですけど。

この地図を見て改めて思うのは、名古屋の東の諸都市の位置関係です。岡崎、豊橋、蒲郡、豊田、安城、名前は知ってるけど、ほお、こういう位置関係になるのかと。同時に気づいたけど、「豊」がつく地名の多いこと。豊田市、豊橋市のほか、豊明(とよあけ)市や豊川市なんてのもある(細かくいえば豊山町、武豊町、豊根村もある)。調べると特に確たる理由はないようで、それぞれ別に由来があるらしい。ただ豊川という昔からある大きな川に橋があって、それまでの吉田から改称して豊橋市にしたらしい。なので豊川と豊橋は距離も近いし、由来も同じ(川)。

今回の地方遠征をどこにしようか考えていたところ、オフ掲示板でも触れたけど、いつも名古屋は日帰りでさみしいな、一泊してゆっくりしたいなというところから、周辺エリアを地図でさぐっていくと、半島の間に小さな島があるのをみつけたのが始まりです。ここ行けるの?行ってみたいな、と。ちなみに一般の観光情報は意図的に見ないことにしてます。発想が限定されるから。地図をじーっと見てる方が面白い。

名鉄に乗って乗換駅の「富貴(ふき)」に行くまではわりと普通に電車だったけど、富貴くらいになると雰囲気ががらっと変わってきて、いい感じになっていた(途中だんだんそうなっていたんだろうけど、喋りに夢中で気づかんかった)。
この富貴駅で結構待った。

結構待たされたけど、不快ではなかった。雰囲気や空気感が良かったから。
なにが違うのかな?上越の時に感じたシンとした落ち着いた静寂があるのかな。結構車は走ってるし音はするんだけど、大都市のうっすら常に鳴っている背景ノイズが無い。車が通り過ぎると、本当にしんとして静かになる。それがとても気持ちいい。

また時間の流れがしっとり落ち着いている感じもいい。都会にいると常に急き立てられているような、時の流れに常にBGMが鳴ってるような感じとは違って、風や陽光のように、ただ自然の一部として時間が存在している。
もっともこれもたまに来るからそう感じるだけで、この地に住んだら、それが閉塞感や退屈に感じるのかもしれないのだけどね。

加えて、西日。午後の陽射しから、だんだん日が傾いてきて、夕方になりかけてきた頃の陽射し。斜陽とか斜光とかいうのか、陽射しがだんだんオレンジ色にうっすら色づいて、ひときわ眩しくなる感じが良かった。放課後の陽射し。

こんなのは別に家の近所でも見れるんだけど、家の近所だとしみじみ見ることも少ない。常に他の用事があるからそちらに気を取られるし。こういう旅先でヒマしてる時間は貴重で、雑草の「照り映え」みたいなものでも美しく感じるようにもなる。

以後、宿に着くまでゴージャスな西日斜光で楽しんだのでした。
やっと来た電車に乗り換えたあとの車窓も、なんか芸術映画みたいに見える。

進むに連れ、だんだん緑深度が高くなっていくような

そして内海に到着

内海駅。この駅に限らず、終始一貫、にぎわってるのか、寂れているのかわからない感覚がありました。それなりに現役バリバリに稼働してるんだろうけど、ピークは去っている。そのピークも昭和時代のもので、それがそのまま残存していて、街全体が昭和時空間のテーマパークみたいだった。タイムスリップ体験みたいな。
でも昭和の時空間に戻ってみると、それよりも古い時代のあれこれが濃厚に残ってて、それもまた興味深い。それらは翌朝宿の裏手を散歩してたときに感じたのだが、またその箇所で書きます。

いよいよ傾いてきた西日のクッキリした照り映えがいい。

ここから宿まで1.2キロをとことこ皆で歩きました。


バスやタクシーなど他の選択肢もあったのだけど、地元の雰囲気を味わいたかったので徒歩でいいだろうと。海に向かう(海抜ゼロ)のだから、下り坂で楽だろうし。
期待通りにいい感じでした。

綺麗に舗装された道路とか、意外と多い新築戸建てなどは最近のものですけど、

家の裏手に繁茂する雑草群、懐かしいな。小学校の頃の通学路はこんなのばっかりだったな。

この一帯でこの薬局だけがハデだったのは、令和の高齢化社会を反映しているのかなー。

でもこういう昔の村のお寺らしき風情のものも。現代風の建築(スレート葺きとか)もあるけど、昔の瓦葺きの一戸建てもかなり多い。いまどき瓦葺きの家を建てると高いでしょうね。詳しくはしらんけど、瓦重いし、それに応じた構造計算や太り梁、その材料などどれも高くつく。昔は他にチョイスがなかったから当たり前のように瓦だけど、今となっては貴重品でしょう。

地元の小学校ですけど、建物も校庭も令和の最新センスで、ライオンズマンションの入口みたいな感じ(エントランスに赤レンガとか)だったけど、二宮金次郎の像はしっかりある。僕の母校にはなかったけどなー。金次郎像も今風に本の代わりにタブレットを持ってたら面白いのにね。

トコトコあるいて、あとっちょっと。

浜辺の宿なので、とにかく海に向かえばいいので楽な道でした。
そして、やっと着いた。

ほんとに海水浴場の真ん前。宿決めのときさんざんネットで見て回って、ほとんどすべての宿をチェックしたのだが、なんで日本家屋風の旅館ではなく、マンションみたいな建物が多いのかなと思ったけど、全室オーシャンビューにして海を楽しもうと思えば縦に伸ばすしかないですもんね。

入口ですけど、この写真ではわかりにくいけど、この石灯籠が巨大で立派だった。うわ、すごいなとか思ったし、翌朝の散歩でも思ったが、石材物が目についた。昭和時代にそこまで手が届かなかったと思うから、江戸時代くらいからこのあたりは石材が豊富だったのかな。

宿から合流された丸山さんも含め4部屋、いずれも4階の部屋になりました。
ゆったりした旅館和室空間で、僕は窓際の椅子の部分が好き。
浴衣に着替えて、備え付けのお茶飲んでという、旅館の作法がいいね。オーストラリアじゃ間違ってもそんな空間ないし。

田中くんからいただいたお土産。あとで飯時に皆に配ろうと。美味しかったですよ。僕は大納言と黒蜜をいただきました。

さすが全室オーシャンビューで、眼の前の海水浴場がよく見える。

すでに夕焼けの気配ですが、まず先に一風呂浴びる。風呂内撮影はヤバいので写真は一枚もないけど、5階の展望風呂で、気持ちよかったです。面白いのはシャンプバーというのがあって、備え付けのシャンプーなどのほかに、各ブランド別のシャンプ+リンスのセットが、7-8種類置いてありました。

風呂から上がるといい感じに夕焼けになってた。水曜ロードショー(金曜だっけな)状態。部屋から撮るよりも、非常階段の屋外に設置された喫煙場所の方がアングルが良かったので、そこで奮闘。

奮闘というのは、最近全然写真撮ってないので、撮り方忘れてしまったから。普通に撮ってたら、どうしても太陽が白くなってしまうのだ。本当に目に見えているのは太陽だけひときわオレンジ色が強く、最後の方は真っ赤になってた。

この下の写真なんか太陽部分だけ鮮やかな赤なんだが、どうやっても白くなってしまう。あとで思い出したが、デジカメの露出を変えるとか、ホワイトバランスをいじくるとかあったんだけど、そのときは忘れてました。くそお。

お待ちかねの晩餐で、ベタな旅館メシがうれしい。

ぺちゃくちゃ皆で喋り倒していたので、料理に集中できなかったというのが実際のところ。

隣のふじさんですが、こう撮ると、落語の師匠か将棋の高段者みたいですな。

どーんという擬音が入りそうなヴィジュアル。細かい鉢が沢山あるのがいい。こんなの自分作ってたら発狂するもんね。こういうのは海外ではまずお目にかかられないし。真正面に見えているのは、皆に配るための田中くん土産。

どれもこれも驚天動地の美味しさってことはないまでも、期待や水準を下回ってなかったです。一品づつあとから後から出てくる。煮魚なんか久しぶりだわ。

なかでもこの天ぷらはカリッとしてて美味かったし、

最後のじゃこ飯。かなりいろいろな海産物の具が入ってて美味しかった。

デザートまで。写真の右上に見えている懐かしいマッチは、僕のライターが肝心なところでガス欠になってたら、宿の方がマッチを持ってきてくれたもの。マッチなんか久しぶり。使ってみると、火を熾してつけるという原始的な作法がそそるし、一瞬火力がライター以上になるのでつけやすい。

食べながら、食べ終わったあとも、例によって皆で喋りまくってて、もう食事会場には我々しか残っておらず、温厚そうな支配人らしき方から、「お客さま、そろそろ、、」「す、す、すみません」というやりとりがあり、このやりとりは翌日の朝ごはんのときにもカーボンコピーのように再生されたのでした。

その後喋り足りない感じだったので、東城さんの部屋で続きを。
予約してた貸切露天風呂の始まる10時くらいまでやってました。

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