昨日は朝から晩まで喋りまくって疲れたのか、10時すぎには墜落睡眠。このくらいの時間に寝ると、いつも2-3時に起きてそれからパソコン仕事になったりするのだが、この日はすぐに二度寝して、起きたら5時。
浜辺近くだから寝る時に波の音が聞こえていいかもという目論見通り、一晩中潮騒の音はありましたが、速攻寝るから聞いてる時間は数分にも満たない。
朝の海岸を見下ろす。昨日もそうだったけど、浜辺で遊んでる人のなかで外国人比率が高い気がした。流れてる音楽がカリブ系なのかインド系なのかわからんけど。インバウンドというよりも地元で働いている人らみたいな気がする。それは離島訪問なんかでも感じた。
朝食は8時なんだけど、結構ヒマでした。PC持ってこなかったし、スマホでは限度あるし(画面小さいし、操作性の悪さでブチ切れてくる)。


ヒマを持て余して、同じくすでに起床しているふじさんと、この海の家はパーマネントに建ってるんでしょうかねえ?シーズンが終わったら取り壊すって感じでもなさそうだし、とかどうでもいい話をし、さらに、、、
写真の左情報に、二本の突堤のような、誘導水路のようなものは何なのでしょうねーという話になる。釣り客には格好の場所だろうし、水路に停泊してる水上バイク(この写真では見えないが)の誘導路にしては金かけすぎだし、古さからいって水上バイクが普及するよりも前の時代に作った気がするし、奥に水門みたいなものが見えるから、もしかしたら漁船とか釣り船の誘導路なのかしらね。
これもどうでもいい話なんですけど、「ヒマだし、ちょっと見てきますわ」と外に出かけたのでした。もとは暇つぶしだったんだけど、結果的には有意義な朝の散歩になりました。
下まで降りていったついでに宿の写真を撮る。

いい宿でしたよー。ピカピカでスタイリッシュってことはないまでも、きちんと行き届いていて、不快な思いは全然なかったし、面倒くさい割り勘精算も笑顔で応じてくれたし。
サイトをみると、子連れ支援!みたいなプランが結構あった。海水浴場だから、そのための日帰りプランとかと並んで、お子様連れでも気軽にどうぞって感じ。実際、子供の一角もあった。
定番のお土産コーナー。
なぜかおみくじの自動販売機と、絵馬みたいに掲げるボードがあった。
なぜここだけ秋葉原みたいになってるのか良くわからんコーナー。
このときには閉ざされた障子の向うには立派な端午の節句の兜が陳列されていた。昨日撮っておけばよかった。勝手に開けるのも憚られたし。

上から見たときは気づかなかったが、海の家はバリバリ元気に稼働していた。
例の突堤のところの水上バイク。見た目白人系のお兄ちゃん(おっさんかな)がうれしそうに乗っていった。
二本の突堤のところ。
ある程度突堤を歩いてから一枚 なかなかいい海水浴場ですねー。
内海(ここでは「うつみ」という地名ではなく、「うちうみ」の意味。大きくは伊勢湾の中)で波も穏やかだし、広いし。シドニーでもマンリーとかマルーブラとかビーチはあるけど、これだけ大きいのは少ないかも。AIに聞いたら愛知県の海水浴場は22か所、シドニーは百か所以上ある。しかし、外洋に面してるボンダイやマンリーは波が荒く、泳ぐのはきつい部分があり、その代わりサーファーが多い。サメもいるしブルーボトル(毒クラゲ)もいる。ライフセーバーも常時稼働してるし、遊泳可能なエリアは広いビーチのほんの一区画です。シドニー湾内のバルモラルなどは波が静かで泳ぎやすいけど、大きなビーチは少ない。それでも皆さん遊ぶの大好きだから大体いつ行っても混んでる。真冬でも遊んでる人が多いから、駐車するのが一苦労です。
それを考えるとこれだけのビーチで、夏も近い時期に、駐車もイージーそうだし、人も少ないのは、すごいよ。さすが海洋王国。外人さんが喜ぶのもわかる。
振り返ってみて、写真中央やや右の黒っぽい建物が泊まっている宿です。
突堤からもどってきて、ほおと思ったのがこれ。温泉タンクローリーの出入り口だそうです。
これは多分温泉の湯を運んできて、契約している旅館などのパイプに注ぎ込む作業場なんだろうなーと推測します。念のために(あてにはならんが)、AIに写真をぶつけてみたら、やはりそうみたいです。
温泉パイプといえば、法学部に入ると最初にやらされる「宇奈月温泉事件」を思い出します。温泉のパイプが自分の敷地の僅かな部分(二坪)を通るので、足元をみて莫大な損害賠償をふっかけた地主が強欲すぎるといって大審院(最高裁)で負けてザマミロという大正時代の判決です。これは地主が最初からふっかけるつもりで土地を買っていたわけで計画的で悪質だったということもあり、形式的に権利があっても理不尽な権利行使はダメよという、「権利の濫用」法理が認められ、その後民法一条の3項に「権利ノ濫用ハ之ヲ許サス」という条文が付記されたという。
温泉をパイプで引き込んで利用する権利を湯口権といい、慣習法上の物権になると言われているんですけど、ここで物権と債権の違いとか学ぶんだけど、初学者はこのへんでダウンしたりします。
実際には教室設例には留まらず、湯口権は数千万円で取引されていたり、税法上の資産評価をされたり切実なビジネスマターになってるんだけど、湯口権のリアルなビジュアルを見たのは生まれて初めてだったので、「おお」と思ったのでした。
この人だれ?というと唐人お吉みたいです。え、知多の人だっけ?と思ったのだが、あとで書きます。
こういうマップがあって、この地区の名所旧跡が出てくるのですが、よっぽど日本史に詳しい人でも知らんようなことが多くて興味深い。これもあとで書きます。散歩コースとか江戸タイムトリップコースとか色々考えられてて面白いです。長逗留するのならコンプリしてもいいかも。
突堤の間に水門はありましたけど、これじゃ船の出入りは無理っぽいですね。
反対側を見ると運河のような川になってて、護岸工事なのかな。

こんなところで津波がきたらどうするだろ?と思ってたら一応逃走経路の案内などもありました。

さてこの場所で、このような渋すぎる釣り客用の宿がありました。おお、こんな宿があったのね。ただ、感動したのは植木の見事さです。写真で見るよりも実物みると、すげーって気分になります。各樹木の配置、枝ぶり、手入れ、完全にプロの仕事です。よくわからんまでも凄いレベルであるような気がする。
隣接する建物も廃墟みたいで窓も閉ざされているんだけど、これは倉庫利用なのか。でも、家の前の植え込み、えーと、前栽(せんざい)だっけ?などはきちんと手入れされていますね。
ともかくも植木の手入れが半端なくて、ちょっといった先の家の前もこんな感じできれいでした。
そして感動したのが、この家の前の自然石です。
こんな自然石をよく見つけて、塀みたいに配置するとか、そして形もいいし。こんなの素人ではできないでしょう。家は建て替えられているけど、こんなところに自然石を運び込んで、こう活用して、周囲の植木を寄り添わさせるって、戦後の昭和時代の一般庶民はそこまで出来ないと思う。だからもっと前からの、どうかしたら江戸期くらいからの、地元の植栽や石材の活用技術レベルがそのまま継承されているように思う。名所旧跡で江戸にタイプスリップとか書いてあったけど、江戸期の事件が語り継がれていて旧跡になってることからも、昭和などのごく最近のぬるいレベルじゃない気がします。
で、その名所旧跡と唐人お吉ですけど、出生地がありました。
誰それ?ですけど、僕はたまたま鴻上尚史のエッセイに書かれてて知ったのですが、そこで温厚な鴻上氏がかなり真剣に怒っているのにびっくりしたので覚えてます。だが怒るのもわかる。おきちは子供の頃に家族で下田に移住して、そこで働いている時に、幕末のアメリカの黒船の提督ハリスの看病人として3日(数週間という説も)付き添っただけですが、これが世間の物語によって「消費」されます。政府がハリスに男女関係のある愛妾、人身御供として差し出した(という事実確認はできないのだが)、お国のための犠牲という哀しさで泣き、しかし帰ってきてからは異人と関係したというだけで(その確証もないのだが)、汚物あつかいの差別と偏見でいじめぬかれて、ついに身を持ち崩し、アル中のようになり、最後には自殺してしまう。その死体すら差別され、気味悪がって誰も触らなかったという。
この話を題材に、沢山の作品がでてきて世間の人を泣かせてきたのだけど、手前勝手な都合で事実を捻じ曲げ、面白おかしく脚色し、差別したと思ったら、今度は哀れといって勝手に泣いている。一人の女性をいじめ殺しているこの世間の怖さと醜さ、殺した後も飽き足らず何度も何度も事実に反する物語を作っちゃ消費する。そのような「物語」が独り歩きする恐ろしさについて、鴻上尚史は真剣に怒り狂っていたのです。戦時中はアメリカに対する憎悪や攘夷感情を高めるために政治利用されていた節もある。
一番哀れなのは、お吉ではなく、こんな愚劣なことを今も変わらずやっている我々自身なのかもしれない。しかし、お吉が知多の内海の出身だとは知らなんだ。
ほかにも旧跡がありまして、これは清水の次郎長の子分が、戦死した同僚の亡骸をここで洗い清めたという史跡だそうです。それは知らなんだ、って知ってる人いるのか。
これは明治生れの力士の話で、京都相撲で横綱までいってイギリスはじめ各国で巡業し(海外公演とかやってたのね)、最後は50歳でベネズエラで逝去するという、この頃の人って意外とグローバルですよね。ブラジリアン柔術の開祖である前田光世にせよ。
さて、全ての家が植木や石に凝ってるわけでもなく、普通に荒れてるところも多い。うん、こういう風景子供心をそそるわ、あの頃の仕事は「探検」で、なにかっちゃ変なところに行ってたし、それが遊びだったし。
気づいたのだが、こういう建物に蔦が這っている家がわりと多い。内海だけではなく、このあとの離島でも、河和駅界隈でも。
あ、空き地めっけ。これも子供の遊び心をそそりますね。
これはなんだろ、キュウリじゃないしなと思って写真をAIに読み込ませたら、ゴーヤですってことです。ほんとかどうか知らんけど。
裏道の散策は面白いのですが、思った以上に道が複雑に曲がりくねってて、このまま行ったらわけわからんことになると思って出てきました。
海岸に出たら、いつもありがとうって挨拶されてしまった。
宿の方まで戻ってきたら
待望の朝食。生卵と温泉卵のニコタマがうれしい。みりん干しもナイス。
この朝食の場でまたしゃべくり大会になり、「あの、そろそろ、、」「す、すみません」というリピートで。てかね、8時の朝食で、9時17分のバスに乗ればいいわと思ってたら、すでに9時15分くらいで、もう乗り遅れ確定。しかも次のバスは1時間半後だという。そんなに間隔があったとは。てかもう少し考えて喋れよってことなんだけど。
それぞれに精算を終えて、最後に一枚。
東城さんはここで東京に帰らねばってことで、丸山さんの車で内海駅まで。
残りの僕らは、のんびりバス待ち、、、、のハズだったのだが、時間までコンビニにいこうということで歩く。歩いても歩いてもなかなかつかず、結局やっと着いたおもったらはるか先のハズのバスの時刻になっていて、最後焦ってコンビニでライターは買えず終いでした。
やっと乗れたコミュニテイバス、海っ子バス。
結構乗ってて、宿の候補になっていた当たりも通過したけど、わりと離れているし、これだけバスの間隔が離れていたらやっぱしんどかったかな、いち豆で正解だったかなと思ったのでした。まあ、こっちにしてたらしてたで、やっぱりこっちが正解とか言ってたんだろうけどね。
宿と港と篠島の位置関係
バスの車中でこんなんが見えたので、この写真をまたAIにぶちこんで、海苔なのか?と聞くとYESと。

曰く「南知多町を含む知多半島周辺は、全国でも有数の海苔の産地です。特に西側の伊勢湾沿いや、南知多の篠島・日間賀島といった離島周辺、さらには豊浜や師崎周辺の沿岸でも古くからノリ養殖が行われてきました
師崎の周辺は潮の流れが良く栄養も豊富なため、非常に質の良い海苔が育つ絶好の漁場となっています」ということです。
ちなみにAIを活用してるようですが、嘘も多いですよね。「嘘ばっかAI」「チョーシこきAI」「太鼓持ちAI」とか勝手にあだ名をつけてますが、ツッコミ入れたりして遊ぶと面白いです。やたら自信満々なこといってくるから、あれこれ例を上げて反論しまくってたら、最後にはエラーになってしまったこともあります。うぬ、逃げ足の早いやつめ。
やっと師岡港までつき、離島へのフェリーに乗る。しかし、篠島まで10分程度の乗船で片道800円もする。離島でスローライフって人も多いらしいが、この値段だったら生活の足としてはきついよね。往復割引を使っても1400円なら、通学通勤で月20日利用でも2.8万になる。この点は調べてみたら島民割引、定期、行政の教育補助などあるようです。調べた過程で町会議事録が出てきたけど、かなり真面目に議論しててびっくりした。投票率をみても、2025年6月 南知多町議会議員選挙では60%を超えている。
意外と乗船客が多かった。

小さな湾内で180度反転してからGO

シドニーフェリーでもいつも思うのだが、船の車庫入れって、車の100倍難しいでしょう?手漕ぎボートだって、最後の接岸で思うようにならん。なんせ反応が遅いし、ブレーキもないから、かなり手前で操作をやめて、あとは慣性の流れを見極めるという。プロは簡単そうにやってるけど、Xなんかで事故などを集めたアカウントが沢山あるのだけど、それらを見ると、接岸を間違えた船が途方もなく悲惨な事故になっている動画があります。急ブレーキとかないから(スクリュー反転くらい)、岸壁にガリガリと接触して、そのまま船に亀裂が入って破壊してしまう。船なんかすぐに億単位いきますからね。わー、あーなっちゃんだーってことで、めちゃ怖いです。それをあっさりこなしているわけで、やっぱプロはすげえなっていつも思います。
港を出ていくとき、なんかワクワクしますねー 
軽快に通り過ぎていく高速艇。はえー!って感じ。
あれなの?と思うがこれは無人島。よく地図を見ると、篠島と日間賀島の間に小さな島があった。
こっちが篠島。なんか写真をみてると、こんもりした緑で似たような感じだけど。
内海海岸にはそんなになかったテトラポットが大量に積み上げられていて、波がきついんでしょうね。ここらは両半島の間の部分なので潮の流れや、風などもあるのでしょう。港に入るときガクンと気温が下がって寒かったのを覚えているので、気流の流れもけっこう違う気がします。

この船は、篠島でとまって、そのあと日間賀島にいき、そのあと師岡港に帰るんだっけ、それとも対岸の渥美半島の伊良湖に行くんだっけ、忘れてしまった。でもバスの途中の停留所みたいな停泊だけど、そこそこ乗降客は多い。
生活資材らしきものを搬出しているリアカーもあった。リアカーなんか久しぶりに見たな。
篠島のMAP。事前の予習でもわかってたけど、篠島って小さいんですけど、いざ歩くとなると結構大きい。もう上陸したら、昼飯食って即帰るくらい、なんのために来たの?ってくらいでないと京都まで帰りつけない。実際、滞在1-2時間で戻っても、京都に着いたときは午後6時を廻ってましたし。

ゆっくり楽しむのなら、島に2泊くらい泊まったほうがいいです。それはそれで面白そうだ。でも今回は、地図をみて、「ここ、行けんの?」が原点だから、本当に行っちゃったっていう暴挙感がいいんですよね。松山の興居島もそうだったけど。あんま深いこと考えずに、「とにかく行く」という。VIVA!軽挙妄動って感じ。
だから島には、ほー、はーとか言いながら、疲れない程度に散策するにとどめたらいいです。何を見ても物珍しいし。
JUNJUNと成田さん夫妻の下調べのおかげで、島内の近場のランチ場所のアテを教えてもらい、引率していただきました。
まず発着所にほど近い広場に、新しいプレハブというか、コンテナみたいな店がちらほらありました。結局このうちの一つに入ったんだけど。ここの海鮮丼が事前に見てても美味そうだったし。

他の店も見ましょうと、散策をつづける。
途中、こういう渋い店も。

これは、この建物全体が町の電器屋さんなのか、工場なのか。
反対側の突き当りまでいき、塀超えにみた風景。対岸の伊良湖の方かな。
これはもう廃屋なのかな。草の侵略がバイオハザードみたい。
他にも店は沢山ありましたが、いずれもローカル密着の、昭和の喫茶店的な風情でありました。
で結局、店外に置かれていた海鮮丼のPOPにひかれて、コンテナみたいなお店に。
店外の広告(1700)よりも高いんですけど、まあいいか。
シラス丼も良さげなんだけど、やっぱゴージャス度で海鮮に。
先客のおばさん4人組も全員これだった。

美味しかったです!刺身の一切れ一切れが、たっぷり大きく肉厚で、鮮度も良い。特に鯛の湯引きと思われる一品が良かった。皮に熱湯をかけて、すぐに氷水で冷やし、皮ぎしの脂をとろっとさせ、独特のグニグニ感を出す。オーストラリアに住み始めた頃、見様見真似でよくやったのだが(向こうは鯛、Snapperが安い)、なるほどこれが完成形か(とかいって全然違ってたりするかも)。
そういえば表示通り1870円だったな。消費税とか会計の時に額が上がるってことはなかった記憶。宿もそうだったですね。1.7万だったけど、普通これに税サ10%とかもろもろつくんだけど、1.7万だけ。土日だから1.7で、平日だったら1.5万で、あの広い部屋、眺望、お風呂、あの料理でそれなら結構お値打ちよね。
帰りの船便の時間が迫ってるので、乗り場近くの道の駅、てかただの土産物屋で僕はアイスクリームを食べました。なんか甘いものが食べたくなったのと、JUNJUNと一緒に島根に行った時に、途中で食べた大山のアイスがやたら旨かったのを思い出したからです。

さて出航してほどなく隣の日間賀島に着く。ここはタコが売りなのか。
日間賀島を出て一路河和だと思いきや、すぐにまた港につく。あれ?20分ほど乗るんじゃ、、と思ったら、よくみると日間賀島は大きいから二か所港があるのでした。このあとに止まったところが一番賑わってる感じで、観光客も多かった。

その後、船の旅で20分ほど。ぼーっとしてて写真撮り忘れたけど、なんもない海原を一直線に進むのは気持ちいいです。子供の頃、よく家族で木更津フェリーに乗ったのですが、あれ以来船旅は好きですね。そうそう乗ってるわけじゃないけど。海の上の広大な空間感ってものすごいんだもん。あんな広い空間、普通に暮らしてたらそうは味わえないし。
単に行って、メシ食っただけじゃんって言われたらそうなんだけど、それが面白いんじゃん。単に行くってところがイイのよ。
河和港につき、河和駅まで徒歩6分だっけ。


ここでも蔦のからまる建物が、これはなかなかすごいな

河和駅はさすがに町中で、車の往来も激しいし、歩道橋もあったりして、都会に帰ってきてしまったという寂しさを味わいました。面白くなくなっちゃったーって。

今度は富貴駅乗換もなく、一本で名古屋に。帰路は短く感じるといいますが、ほんとそのとおりで、すぐに名古屋にもどってこれた。途中結構寝てたしね。いいよね、帰路のうたた寝は。
名古屋に着いてから、コーヒー飲まない?と誘った。帰国してからまともにコーヒーあんまり飲んでないので。ここでドリップ式のメガ盛りみたいな一杯を飲む。特に大サイズではなく、普通というかドリップは一種類しかないんだけど、滅茶苦茶でかいんだよね。他の人の普通サイズと比べるとわかるけど。美味しかったし、たっぷりあったので堪能しました。3分ほどお時間がかかりますがとか、これだけは店の人が運んでくれるとかいちいち扱いが違うんだけど。

いやあでも、JUNJUNと成田さんには世話になりました。最初の発案で、今回は名古屋近辺で泊まるってことで、そういうのに興味あります?と聞いたところ、興味アリってお返事をもらったのがすべての発端です。いや、それはちょっとと言われたら、別のところにしてたと思う。
最後に一枚。
ふじさんとまた二人で関西に戻ります。
車窓から養老山地の山が見えたので。
このあたりはどこ?というと垂井駅でした。関ヶ原の一つ手前。
このあたりから米原までの風景がいいのよねって、一回目の冒頭に帰ります。

車中うつらうつらしつつ、ふじさんとおしゃべりしてました。まる二日一緒だったし、遡れば昭和の頃から一緒だったんだが、初めて聞く話もあって(フルートやってるとか)、こりゃ喋りのネタが尽きないわけよねー、掘っていけばいくらでもあるし。
というわけで、なかなか個人的には充実した今回の遠征でした。これまで上越(2回)、島根、宮崎、松山、その他、津(何度も)、真鶴、小田原など行きましたけど、行くんじゃなかったってことは一度もないです。行ったらなんかあるし。あんま複雑なこと考えないで、とにかく行く、のが大事ですねえ。軽挙妄動のススメです。