Part1から続いている錦織インドシリーズ。
いよいよ会社辞めてまで専業でやりたくなった、収入10分の1に激減してもそれでもやるし!という音楽活動についての部分です。
もともと僕の補充質問(Part2の末尾記載)の
というツッコミに対する錦織さんからの詳細な回答です。
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インド音楽図
古典宗教系
インド古典音楽は何千年も前から続いています(シタールという楽器が有名)。独特のチューニングと曲調、リズムで演奏しジャズのような即興演奏も普通にあります。
演奏は街の市民会館みたいなところで毎週平日も休日も演奏会やってます。入場料は200円~500円ぐらいでピンキリ。古典音楽の宗派は宗教の宗派と繋がっているのでお祈りをする時のお経が歌詞になっていたりとヒンズー教徒のインド人にとっては小さい頃から音楽は身近にある存在です。一曲40分ぐらいある曲が多いので途中でミスが多いとお客さんに見切りをつけられて「こいつはその程度だ」みたいな感じで帰られてしまうこともあるってシタール奏者の友人が言ってました。
最近ではこの古典音楽のメロディをエレクトロニックに乗せてDJとしてクラブで演奏しているようなアーティストも出て来てますね。
ボリウッド系
もう一つ有名なのがボリウッド。日本でボリウッドって言ったら大体の人は理解できるのかな?ボリウッドはインドの金融都市ムンバイを拠点としたインドの映画業界のことです(ハリウッドのインド盤)。映画で使われている音楽のことをボリウッドミュージックと言いますが、綺麗な衣装を着たインド人女優が男性に誘惑されながらダンスを踊る的なイメージです。
どの民族に焦点を当てているかで言語(ヒンドゥー語、タミル語、マラティー語、カナダ語など)異な理ますが内容は基本男性が女性にアプローチして最後はハッピーエンド、が多いです。面白い映画もたっくさんあります。インド文化を学ぶには映画を制覇すれば完璧、とインド人によく言われます。で、そのボリウッドで使われた音楽を様々な有名歌手がカバーして演奏する。歌手が映画に出演することもある。それが商業的な意味ではインドで一番お金になる音楽活動です。
今、インドで一番有名で尊敬されていて最高の音楽スキルを持った作曲音楽家がA R Rahmanです。
https://www.youtube.com/channel/UC3mb5QRlm4VQmOZD_P0ctGw
正直ここまでは自分の得意分野ではないので、音楽仲間に聞いた話を書いているような感じで多少自信がないですが、ここからは得意分野です。
インドの「洋楽」
日本では洋楽と言われている西洋音楽になりますが、歌詞が英語でロック調の音楽がインド全土で盛んに聞かれるようになってきたのが1990年ごろからです。
理由はその頃、Parikramaというバンドが結成されインドで一気にロック調音楽が有名になりました。私が演奏を始めた3年前頃、すぐにこのParikramaのマネージャーさんから連絡がきて一緒にコラボしてほしいと言われましたが、当時は仕事が忙しくてそれどころではなく断ったことがありました。。。涙
だから信じられないかもしれないけど、大都市デリーの中で洋楽ロック、ポップスをカバーして演奏できるアマチュアバンドって本当にいないです。
デリーはちょっと遅れてるのでムンバイとかバンガロールに行けばもう少しいるかもしれないけど。。。
これはインドの家庭事情もすごく深く関わっていて。
実は現在のインドでは、エンジニアかお医者さんが一番尊敬される仕事でその次がビジネスマンとか弁護士。ミュージシャンやアーティストっていうのは全くもって論外な訳で。「お父さん僕エンジニアになりたい!」という子供であればハグされるけど、「お父さん僕ミュージシャンになりたい!」なんて言った日には頭がおかしくなったと思われる。百歩譲って楽器をやってもいいけど、それを職業にするなんて。。。というのが親の本音。
なので、私たちのバンドが結成された当初も彼はお父さんに隠れてライブに行ったりしてました。ちなみに、今インドで流行しているロックミュージックの走りは、「Local Train」というバンド。オリジナルのロックミュージックで一世を風靡しています。理由は、インドで大学の学祭で演奏して若者を虜にするとミュージックシーンを勝とれるっていう正攻法があるんだけどその第一人者として活躍しているのがこのバンド。
ウチのバンドのストーリー
ここから本題ですが、私が今所属しているバンドは私の彼スルタンが2013年4月に結成したバンドで最初は彼のギターボーカルとドラムの男の子2名のバンドでした。
2人は大学の同級生で、在学中はあまり仲が良かった訳ではなさそうですが、それなりに人前で演奏できるスキルを持った2人が惹かれ合いバンドを結成。ドラム一式を買うお金なんて到底ないので、最初は超大型のポリバケツを反対にして地面に置き、その表面を叩いてパーカッション風のお手製ドラムにして演奏してました。
ジャンルは洋楽のカバー全般。激しいメタル系が好きだったドラムの子とは反して、スルタン君はポップ寄りのブリティッシュロック系が好きだったので、コールドプレーとかを中心にカバー。スルタン君は弾き語りで洋楽のカバーを中心にレストランで演奏するという経験があったので、そのほうが始めやすかったんでしょう。
オーストラリアでバスキングしていた私にとっては、せっかく練習してるんなら「道で演奏して見たら?」とサラッと言うと2人は最初「インドだから・・・」と遠慮がちにしてたけど、勇気を出して当時デリーの代官山って言われてたエリアでバスキングを実施。
すぐに警察に注意されて中断したけど、そのバスキングがきっかけでデリーでは3本の指に入る有名イベントオーガナイザーの女性インド人に目をつけられ、その界隈のレストランで演奏するようになるんですよ。
インドではライブハウスっていう存在がなくて、基本レストランの中にライブができるステージがあってそこで毎日何かしらのイベントをする、というスタイルが多いです。演奏するミュージシャンにノルマは一切なくて、むしろ演奏後に無料で食事と飲み物が付いて来て、少しお小遣いももらえる。
特に5年ぐらい前からインドで「レストラン+ライブ音楽」っていう流行が来てて。で、2014年に彼のバンドが今ではデリーの有名ライブレストランになった「サマーハウス」というレストランのオープニングアクトとして招かれ一気に有名になります。
実はこのオープニングには多くのプレス関係、音楽家関係の人が来るのでその時に演奏を見た人が次のライブの話を持って来てくれる、そんな感じで1年半ぐらいが過ぎた頃に、当初はファンという位置付けだった私を彼であるスルタン君がバンドに誘ってくれます。
ギターとドラムだけでガチャガチャやるんじゃなくて楽器を増やしたいという気持ちが強かったのと、仕事で大変そうだった私に「趣味があったほうがいいよ」とトロンボーンを再開することを勧めてくれました。
その後すぐに同じ大学の同級生だったキーボードの子が新しく入ってしばらく4名体制でやってましたが、やはり当初からメタル系が好きだったドラマーの彼とは途中でソリが合わなくなり、ドラムの子は脱退。スルタンの幼馴染でリズム感覚のいい子にお願いしてパーカッションで入ってもらったのが今のメンバーです。
この4名(ギター&ボーカル、キーボード、パーカッション、トロンボーン)で多くの舞台を経験しました。とはいえ、本当に私は基本仕事!だったので、演奏に参加できないことも多々。その間バンドメンバーは文句もあまり言わずに私の代わりにトロンボーンを運び準備して、本番前に飛び入りで参加しても良い状態にしてくれていました。
ここ最近、これもまたスルタン君の幼馴染が仕事を辞めてデリーに戻って来たのでベースとして参加。現在は5名体制です。
お小遣い程度だったギャラも今では1ステージで5万円ぐらいは稼いでます。オリジナル曲を作り始めたのは2015年ぐらいからで、基本スルタンが作詞作曲して、バンドメンバーでセッションして音を作っていきます。
でも、これも私が仕事で忙しい合間を縫って・・・だったのでなかなか進まなくて。今月から本腰入れてアルバム完成に向けて作曲活動に専念してます。
上手くいってる理由
ここまでうちのバンドがうまくいっている理由は、
★バンドの創設者であるスルタン君の創設当時から培った5年のネットワーク網で仕事がたくさん入って来る(そりゃ、最初はお客さんゼロのレストランで演奏することも多々。私は当時ファンとして仕事の合間を縫って見にいってましたが、そりゃ淋しかった。お客さんゼロ・・・。
でも本人達にノルマがあるわけじゃないからお小遣いは入って来る、しかし悲しいものがありました。でもそこで諦めず、1人でもお客さんが入ればいつも真剣に歌っていたんですよね。
★そこで見てくれていた人が後々連絡して来てくれるみたいな流れ)、
★あと選曲が若者が好きな洋楽を自分たちでアレンジしてカバーしているのでキャッチーな曲が多く大衆受けする、
★メンバーの大半が幼馴染だったり友人からのスタートであ・うんの呼吸で音楽ができる、
★私以外はみんなフリーランスで絵の仕事をしているので時間に融通が効きやすい、
★バンドメンバーの全員が掛け持ちしないでこのバンドだけに所属している(1人でも演奏できる人はいろんなバンド掛け持ちして結構フリーランスのミュージシャンで稼いでます)、
★音響に興味のあるバンドメンバーが多くて演奏で得た収入を新しい機材購入に当てる(外部の音響に頼まずに自分たちで大体大きな場所でも音響をハンドルできる)、
★機材を持ち込めるので依頼者の金銭的な負担が減る(インドではライブハウスではなくただのレストランに舞台だけあることが多いので、バンドを呼ぶと+アルファで機材も借りなきゃいけないので経営者の負担金額が大きい。でもうちのバンドは自分たちで機材を持っているので持ち込みできる)、
★あと先にも書いたけどそもそも洋楽をカバーしてるそこそこのアマチュアバンドのパイが圧倒的に少ないから選択肢が少なくて声がかかる、などなど。
ちょうど昨年、仕事を辞めるかどうか悩んでいた時すごい大きな舞台の依頼があって。でも私が仕事で出れなくて、そうしたら依頼者の人が「トロンボーンいないんだったらいいや」みたいなことがあって、それで「ああ、やりたい音楽のチャンスを逃したくない!」って強く思ったんですよね。
今は、インド人の大衆はカバー曲を求めているし私たちのバンドもカバーバンドとして有名になって来ているので矛盾しているかもしれないけど、今はカバーよりもオリジナルとか新しいこと考えることの方が100倍楽しいい、早くインド国内ツアーに出たいです。ちょうどいい時期かなって思う。
(以上、錦織さん記)
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なるほどねー、典型的な「創業者利益=早いもの勝ち」状態なわけですね。誰もやってない段階で青田刈りをしていくという。
でも、美味しいようで辛いですよね。「普通の人なら絶対やらない」ことをやらないと「創業者」になれない。インド家庭カルチャー読んで納得したけど、親に隠れてまでやらないといけないという、殆ど「犯罪」くらいにハードルが高かったわけですね。それだけ根性キメてやってるからこそのご褒美としての創業者利益なんだと思います。
日本の昔のロックも、そんな感じで、極道になるかロックやるかくらいで、白い目で見られるのも、後ろ指差されるのも標準装備で、世間を敵に回して~って感じ。長髪にしてるだけで知らない人から説教されたりディスられたりするし、僕の知り合いのバンドの人もその頃珍しく髪染めてたので、定期的に誰か(ヤクザ系の人とか)に殴られてたそうです。
だから、年がら年中、究極の選択=どうやって生きていきたいの?を突きつけられているわけだし、「野垂れ死にしてもいいからコレはやりたい」ってそればっか考えてる。今から思うと、それがその後の人生で凄く役に立った。人生レベルの決断が日常茶飯事だし、世間百パー無視もナチュラルにできるし。
バンドに限らず何でもそうだが、そういうことやってきた人って(俺はこれじゃあ!って世間を敵に回してきた人)、あとが楽ですよね。あんまウジウジ悩まないで済むし。
最後に、バンドのPVのなかで、これが中々好きでした。これ、錦織さんそのまんまの物語じゃんって感じで。タイトルの「癒やし HEAL」もそうだけど、仕事忙しいわ、理不尽だわ、ストレスたまるわ、でもトロンボーン持って駆けつけてると仲間と音楽が待っていたという。まんまじゃん。本人も出てくるし。でもそうやって、自分の生きざまそのものを表現できる、表現してくれる人がいるってのは、幸せなことですよね。