稲森くんシドニー来訪

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ひさーしぶりに懐かしい名前のメールをいただきました。明日弾丸で2日シドニー旅行するのでお時間があったら?という。
もちろん会いましたよ。万障繰り合わてっていうほど何があるわけではないし(こんなときUberは楽ね)。

稲森くん、ワーホリ2年やったあとこっち戻ってきて、学ビザでGCだかブリスベンだかに滞在して、現地のオージーの女性といい感じになって、結婚して永住、、、したのかな、その後どうなったのかな?というのが「前回までのあらすじ」でした。

なんともあやふやな記憶なんですけど、しかし、「アナログはデジタルの百倍強い」と最近よく思うのですが、会って話をすれば、あら不思議、当時の感覚がきれいに蘇り、そのままシームレスに現在に接続されたのでした。

家に帰ってもう一回調べてみると、彼がワーホリで訪れたのが2015年の4月です。まだ23-24歳くらいのときです。宮崎出身で、野球に打ち込んで(13年やってたらしい)、大学は山梨、仕事は福岡でホテルでって、履歴書作ったあげたのが残ってたのでこういうときに便利ですね。パーソナルなプロフを細かく言ったのは、意味があります。後述します。

2015年にワーホリで来たばかりの頃の写真がありました。

それからもう8-9年オーストラリアにいて、今は永住権も取れつつあり(仮免は取れて、あとは経過期間を過ぎて本免許だが、もう取れたも同然)。

今回ゆっくり話ができたので、「ほんでどうなったの?」とざっくばらんに聞いてたら、「なるほど、こういうパターンもあるのか」と視野が広がりました。
例えていえば真珠貝がゆっくり真珠を作っていくような、サンゴ礁が出てきていくような、似たような風景なんだけど、少しづつ肉厚になって、内実が高まって、いつしか形になっていると。
2年ワーホリやって日本に帰ったんだけど、やっぱりピンとこなくて、まだ海外にいきたいなで戻ってきて、ビザ取りでなんでもいいからってことで、たまたまレメディアル(治療用 )マッサージの学校いって学ビザをとり、その流れで資格も取り、バイトもしてってことだったそうです。
奥さんとのなれそめも、淡く→濃くを数年がかりでやってるよな感じらしく、最初はマッサージ店で働いてたときのお客さんだったらしく、なんか話が弾んだりして、お店が閉まったあともお喋りして、、とかそういう普通の感じ。それがだんだんって、よくある話なんだろうけど、サ!ピ!と話が進んだわけではなく、ほわわ~んと進行していって、だんだん濃くなってって感じらしいです。そのタイム感が、「朝顔の観察日記」よりもゆっくりしてて、「桃栗三年」みたいな(笑)。まあ「感じ」ですけど。
結婚して永住権取るパターンは女性が多いんですけど、男性も実はそこそこいます。何人か知ってるけど、そんなナンパがどうの、婚活がどうのって感じでは全然なく、なんとなく自然に~という感じですね。

生活や収入の方も似たような感じで、ビザのためになんとなくで選んだマッサージですけど、やってるとだんだん収入も上がるし、今はフルタイムで結構いい給与だそうです。

いいじゃん、順風満帆じゃんって思うんだけど、本人はこれでいいのか?と。何が不満なのよ?というと、やっぱ刺激が無い、と。稲森くんももう人生の段落を超えたようにみえるんだけど、でもまだ31歳ですからね。なんかもっとヒリヒリするようなことをやってみたいというエネルギーはある。が、方向性がわからないのと並んで、今がそこそこ良いので壊せなくなってるという。

これ、わかるわー。こっちのフルタイムで働いてしまうと(って僕は経験ないけど)、労働条件良すぎますからね。なんせ年次有給休暇がマジに4週間もあるし、いやでもフルに取らされるし、厚生年金(スーパー)は全額会社持ちで積み立ててくれるわで、カジュアルやギグとは全然違う。でも、もとがビザ取りのために選んだというのが原点だから、そんな自己実現系でやってるわけでもない。

僕がこっち来たのは34歳だけど、やっぱ「これ以上年とったら動けなくなる、壊せなくなる」という危機感も一つの動機でしたもん。ここは一発壊さなあかんなーと。それに仕事が忙しすぎてお金使ってる暇もなく、実感なかったのもあります。まだ受験中の百円、二百円でピーピー言ってた頃の感覚が残ってて、10万超えたらただの数字で、お金という気がしなかった。司法修習生時代、当時は給料が出たんですけど、月給手取りで10万切ってました。それですら「目もくらむような大金」だった。だから年収一千万を軽く超えてても全然実感なかったし、捨てても惜しいとも思わなかった。しかし、やがて実感出てくるし、その収入を前提にした生活をし始めるかもしれないから、そうなったら動けなくなるな、やるなら今だと。それにいくら貰っても使い方がわからんから、やたら貯まってたというのもあります。全部原チャリで通してて、車も買ってなかったしなー。

さて、稲森くんが今回シドニーに来たのは、幼馴染の友達がJALでCAやってて、年イチくらいでシドニー便に乗る時があり、そのときは落ち合っておしゃべりするというのが、いい刺激になってたらしく、今回もそれ。で、ついでに、「そういえば」で僕を思い出したと(笑)。

で、現状を変えるにしても、じゃあ具体的にどうするの?話になって、だからといって全部捨てて出家しろとか、放浪しろとか極端なことをする必要も意味もないし、儲からなくてもいいからやりたい仕事、起業でもいいからやってみたら?と。僕みたいにエージェントをやろうかなとかいうなら、やればいいじゃんって。やりかたは教えてあげるし、ブリスベンやGCの行く人がいるなら紹介してあげれるし。仕事というのは、別にこれで儲けなくてもいいんだと思うと、つまり自分のやりたいようにやっていけるとなると、意外と面白いもんですしね。稼がなきゃと思うとほんとしんどい。

それと同時並行して、少しづつ新しいことに手を出して、ネットワークも広げてってやっていけばいいじゃん、って思います。

で、ネットワークを広げるってところで、そういえばGC/ブリスベンにはシドニーから引っ越した中田さんご一家もいるし、連絡とってごらんよとか、こんどJUNJUNが稲森くんの故郷の宮崎で有機栽培の農場をやる(親戚の家にWWOOFみたいに弟子入りから始めて)とか、ヌーサには向井さんご夫妻がいるし、他にも知り合いいるし、紹介してあげれるよ、次にシドニーに来るときはお迎えオフやってあげるよ、メルボルンにも行ったらいいよとかね。この界隈では、誰と会ってもそんなにイヤな思いをすることはないので。

それもあって、稲森くんの人となりやプロフを書いたのでした(これを読めば自己紹介の代わりになるから)。

稲森くんは、宮崎の人だけあって、ほんわかした感じの人です。写真でもわかると思うけど。僕の大学時代の下宿の友達が大分出身で、大分話はさんざん聞かされたんだけど、九州東部の大分と宮崎はライバルというか、かなり性格が違うらしい。のんびりした宮崎とせっかちな大分。
でも、稲森くん、覚えてるけどけっこう頑固で(笑)、ニコニコしながらも信念は譲らないところがありますね。もっとも「絶対にココは譲らない」というカチンとした硬質なものを持ってる人でないと海外に暮らしたりはせんだろうから、こっちにいる連中は皆同じかもしれんけど。

そんなこんな数時間話してて、楽しかったです。Petershamでポルトガルチキン食べて、MarrickvilleでGelato(Bar Italiraのお弟子さんが出したFrancoという店)行って。その間にタイヤがパンクして交換して、タイヤ屋行ってというハプニングもありましたけど。

ポルトガルチキン屋で(冒頭の写真も同じ)
ポーズを取ってくれたので載せなきゃね(笑)

ジェラート屋で

Marrickvilleの街角で

 

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