2023年初夏の日本帰省記(12) 最終日-原宿・浅草・羽田

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前回の続きで、鶯谷のバッパーに泊まったわけですが、朝は習性で早く起きてしまうわ、本日の成澤ファミリーとの合流は10時だわで、暇を持て余してました。あんな狭いところに何時間もおったら気が狂いそうで。よくしたもので、屋上に灰皿のあるタバコスペースを発見(洗濯機があって、干すスペースもある)。何度も上がって(5階なので1階あがるだけ)ぼけーっとしてました。


よく見たら、このあたりホテルだらけです。

大きなホテルが目に付きますけど、小さなビルもよく見たらホテルだったりして。早朝から見てると、道を大きなスーツケースを持って移動してる観光客が結構多い。鶯谷って、要するに上野の周辺エリアだから、外国人観光客のメッカなんでしょうねー。
ただ、鶯谷駅から駅前の超ごちゃごちゃしたエリア(路地裏に駅の改札がある感じ)を見てると、寅さんの日本映画の風景というか、凝縮してますねー。

これなんか昭和というよりも、もう大正くらいの感じ。でも現役でバリバリやってる風。面白いもんだなー。

さて、成澤一家がそろそろ来るという連絡を受け、チェックアウト。またタブレットでやるという。

原宿
成澤ファミリーの車に乗り込み、おー久しぶりー!という挨拶もそこそこに、娘さんがトイレーと主張。さっそく近所のコンビニに。このトイレ要求は小刻みにあり、その都度、圭祐くんはコンビニを探し、見つけ、駐車しを繰り返してました。
日曜で空いている首都高を走り、娘さんのリクエストで原宿へ。苦労して探した駐車スペースに車を駐めて、

いざ原宿見物。

原宿なんか来たのは何年ぶり?思い出せないくらい。原宿が有名になったのは1980年代だったかな。竹の子族とか出てきて、渋谷とは違った角度で若い人のメッカ的に。僕も当時は若い人だったけど、どっちかといえば、原宿は田舎から出てきた人のメッカって感じ。僕の知人の知人(つまりは赤の他人だが)のまた聞きだと、彼は原宿生まれの原宿育ちで、昔は閑静な住宅街だったそうです。渋谷もそうだったけど。それが80年代になると「日曜になると人が押しかけて、東京弁が通じないんだよ」と。デビューしたばかりの爆風スランプの「週刊東京少女A」という曲(84年)もそれがモチーフでした(「黄色い電車(総武線)」「はいといいえでキメて、訛だけは気をつけて」「教えられないわ、10桁もあるテレホンナンバー」)。バブルが弾けて、すっかり過去の街、あるいはマニアックな街になったかと思ったら、えらく盛況でした。3-4割は外人さんだったけど。

なんで娘さんは原宿をご所望なのか?というと、原宿紹介をしているYouTuberが好きで見てて、そこで紹介されているアレをライブでみたいというごもっともな話。

片端からって感じで、まず目についた「いちご飴」に娘さんのリクエストが。ゲットして帰ってくる梨衣ちゃん。

オーストラリアに来たときは、広島大学の女子大生(卒業してたっけ)だったのだが、今はいいママになってる図。あんま雰囲気変わらないけど。
次にご所望なのはコレ。真ん中のLong, Longer, Longestと比較級・最上級の英語の文法みたいなポテトの揚げたの。

えっらい並んで待ったけど、ついにゲット。これはお姉ちゃんのカスミちゃん(いちご飴は次女のマノちゃん)。この姉妹、クッキリと性格が違ってて、お姉ちゃんは辛党で妹は甘党。

次はコレ。哺乳瓶に入ってるジュース。

なぜこんなモノが?というのが多い。

えらい人ゴミで、駐車時間の1時間ほどでご両親(圭祐くんと梨衣ちゃん)はすでに疲れ果てているご様子。

でも、思ったけど、無理やり観光地や有名地にしてない?って。どってことないモノ(いっそしょーもないモノ)も、今人気の、YouTubeで有名なとか、煽ることで虚飾の付加価値をつけている。ま、それが商品や消費の本質なんだろうけど(TDLもそうだろ)、それだけでここまで成り立たせてしまっているのは逆に凄いかも。
だって原宿ブレイクした頃は「竹の子族」という、全国でここだけでしか見られない面白い生き物が生息したわけで、それが好きかどうかはともかく、リアルな付加価値があった。でも、今は別になんも無いもんね。それでも当時以上の人だかり。

薄ぼんやりした記憶では、原宿なんか竹下通りあたりに芸能人の店があって、そんだけみたいなしょぼい感じだったけど、今は増殖しまくって、そのあたり一帯全部そうなってる。これは浅草でも同じことを感じたけど。

いかにも外人が好きそうなTシャツ。なるほどこうやって仕入れているのか。しかし、「痛車」ってあるけど、これは「痛T」だよなー。これ着て一日中歩いてこいってのは、格好の罰ゲームになりそうだわ。

堪能したんだか、うんざりしたんだかで、原宿終了。ま、でも、面白かったよ。こんな機会でもないと、わざわざ行かないもんねー。

また首都高をびゅーんと走って、今度は下町の浅草方面へ。
途中に見えた東京タワー。

久しぶりに見た気がするけど、なんか一回り小さくなったというか、「あれ、こんなもんだっけ?」って感じ。高層ビルが当たり前になって、相対的に小さく見えるようになったのね。でも、赤と白がキレイではある。

ファミレス
浅草に行く前に昼ごはんを。浅草で食べたらぼったくられそうだし、駐車料金もかかりそうだし、適当に停めやすいファミレスでいいじゃんってことになって、浅草近辺のジョナサンへ。

ファミリーが行くからファミレスという王道路線の図。

微笑ましいからもう少し載せよう

配膳ロボが持ってきてくれる。この配膳ロボ、実は厨房から人がリモコンで操作してたりしてねーとか、くだらない冗談を言って笑ってました。

ファミレスといえばハンバーグでしょうって僕が頼んだもの。しかし、1192円とかやたら半端な数字だから税込みかと思いきや、いざ会計になるとさらに税金が加わり、なんか釈然としないくらい高くなったのであった。そうなの?って感じで。

懐かしい下町的な風景。

実は京都に折畳み傘を忘れてしまって(実家から持ってこようとして忘れた)、オーストラリアの傘は死ぬほど出来が悪いので、日本で買わなきゃと。藤沢のセブンでも買ったのだが、軽いのはいいけど、なんかしょぼい。もうちょいほしいなで、この写真に見ているDAISOへ。梨衣ちゃんが見つけてくれた。300円傘を2本お土産(買い出し)に。

また、圭祐くんと店外のタバコタイムで色々喋ってました。彼がWHで来たのは10年前でまだ19歳のとき。だから今はまだ29歳で、若いんだよね。お父さんの後を次ぐような感じで大工さんやってるけど、今はほんと若手が来ない。圭祐くんもゆくゆくは片腕になる人がもう一人はほしいんだけど、どうしたものかと。屋根関係の仕事なので60歳くらいでもう身体がきつくなるから、そのあたりの長期戦略もいるし、でも農業にも興味があるし、それならJUNJUNの、、とか、いろいろ話してました。
しかし、こちらは19歳当時のイメージでいるから、やっぱ逞しく成長してるよねー。前回の本庄で会ったときは梨衣ちゃんだけで、圭祐くんに会えなかったし。「ほお、こうなるのかー」って。でも、梨衣ちゃんともども雰囲気やオーラは変わらないのが良かったです。

浅草
で、やってきました浅草!

浅草って妙に身近で実はじっくり見たことがなかったです。僕は高校が向島(墨田区)にあって、最寄り駅が京成曳舟か東武線の曳舟駅。東武の場合、浅草駅から乗ってたから通学路でもあった。また柔道部のランニングコースで言問橋とか吾妻橋とか走ってたからモロ近所でもある。だから余計にわざわざ見物もしてなかったし。最後に行ったのは司法研修所時代に、単身赴任の寮生活の妻帯者3人が、クリスマスイブを持て余してロック座(ストリップ劇場)を見に行ったときくらいで(笑)。
だから逆に新鮮。
どーんと雷門。「おー、これが有名な!」って感じ。しみじみ見たのは初めてかも。

どーんと仲見世。

ファミリースナップ

カスミちゃんは、暑いよー、歩きたくないよーってブータレ顔。この年くらいまでは喜怒哀楽がめっちゃハッキリしてるよね。扉写真とはまた別ショットです。

人混みに早くもウンザリして、人気の少ない最短ルートで、圭祐くんご所望の巨大なタコせんべいの店へ。
あったぞ!

が、しかし、がーん、、

休業中で「3時半から再開」。それまで待つのは無理なので、残念な結果に。小さくて見えにくいけど、なんかいろいろ注文をつけていて面白い。いわく「落としたせんべいは拾ってください」「現在百円玉がありません(Sorryだけ英語)」「縦に並んでください」など、注文の多い料理店みたいな。

暑いので、前にあったユニクロで涼む。一息ついて、定番ベタな顔出し写真を

ところでこのあたり、昔ながらの店が多い

人力車もけっこういた

人混みをさけて駐車場まで戻る。

浅草って、雷門から仲見世くらいじゃないの?と思いきや、原宿と同じく、そこら一帯すべてが観光地化されていた(そうじゃないエリアも地引網的にそんな感じになってる)

この感じ、なんか見覚えあるなーと思ってたら、

この「新仲見世」ってアーケードを見て思い当たったのは、京都の新京極界隈に似てるんですよ。新京極とか隣の寺町京極とか、交差する錦市場はともかく、別に全然「京都」じゃないんですよ。ただの地方都市の商店街でしかない。でも観光地化することで、なんか一帯全部が観光地っぽくなって、人が集まるからそれっぽい店もたくさんあって、でも昔ながらの地味な店もあって、、という混在具合がなんか似てる。

浅草って、僕も詳しく知るものではないながらも、断片的なイメージでいうと、大正昭和初期の頃に栄えた街ではないのか。その昔はあのあたりが東京の文化の中心だったのかもしれない。なんせ西側(赤坂とか六本木、渋谷、新宿)は武家屋敷が多かった。青山墓地は美濃郡山藩、明治神宮だってもとは肥後藩→彦根藩の屋敷があったらしいし。だもんで商業賑やかエリアは東の下町地区。永井荷風の濹東綺譚も浅草から墨田区の方面、そういえばあのエリアにある僕の高校の校歌の作詞は幸田露伴。そして江戸川乱歩の明智小五郎と小林少年VS怪人二十面相って、浅草の有名建物が舞台になってたりしたよな。花やしきとか遊園地もあるし。ビートたけしも最初の頃は浅草の芸人だったし。今で言えば、歌舞伎町や道玄坂やディズニーランド的な機能を浅草がやっていたような感じですかね。
それだけに戦後の発展(特に西側)によって相対的にさびれてきた。同じ下町でも神田あたりは、まだ学生街や出版という新しい価値で生き延びたけど、浅草はそれも乏しく。
が、海外からの観光客ブームで復活したという感じなのでしょうか。すまん、きちんと調べずに適当なことを書いてますので読み流してください。

近くにはスカイツリーがよく見える。

橋をわたると、バブルの頃に建築されて有名になった黄金のウンコオブジェが。こんな馬鹿なもんを作るところがバブルの勢いであり、良さだよね。「面白いからやっちゃいましょー」ってノリ一発で数億円使っちゃうって、今は無理かも。

さて4時に羽田ということで、三度首都高を進んでもらって、空港まで送ってくれました。
最後に一枚。

楽しい東京ホリデーをありがとうございました。いやあ、マジで楽しかったわ。またねー。

羽田空港
空港に入り、預けておいたロッカーから荷物を取り出し、最後の準備。つまり借りていたポケットWifiを返却する確認であるとか、、

預け入れ荷物OKなもの、機内持ち込みできるものとの仕分けとか(携帯の充電器は預けられない)、シドニーは寒いのでその衣類の分別(荷物が出てこないこともありうるので、最低限は機内持ち込みにするとか)。
そうこうしてるうちに徳原くんと合流。最後の羽田オフです。

無事にチェックインを終えた後、保安検査場に行く前にビールで一杯。

徳ちゃんは今回大車輪で参加されてたけど(京都、宮崎、中野)、ちょうどいま仕事の切り替え(東京へ移動)の休暇時期とか。
宮崎から語っていた懸案事項など、ここでも延長戦のように話してたんだけど、やっぱサシ(一対一)で話すと、話は深まりますよね。

たったこれだけのビールで850円とか空港価格すぎるだろーとか言いながらも、そろそろかなと思ったらアナウンスが。出発が20分発が55分発に遅れると。1ヶ月前に来たカミさんのときもそうで、理由も同じ(シドニー空港からの要請=朝混むので遅れてこいと)。
そっか、じゃあもう30分くらいいれるよねって、河岸を変えて、また。今度はジンジャエールにしたけど。

では行くべってことで、見送ってくれた徳ちゃん

いやあ、最後までありがとうございました。
今回も往路の宇賀神さんご夫妻から、オーラスの徳ちゃんまで、まるで「尻尾の先までアンコが詰まってるタイヤキ」みたいな滞在でありました。

機中はそれほど混んではなく、いつもの指定席のような、「後方の座席、真ん中の島の端っこ」を取っておいたら、目論見通り4席独り占めできて、のびのび寝っころがって帰れました。これで4連勝。

8月と9月にくる(中野で会った)皆のために書いておくと、シドニー空港では、最初に小さな機械があっちゃこっちゃあるコーナーがあり(周囲の皆と同じように並べば良い)、そこでパスポートとチケットを読み込ませ、顔認証をすると、小さなチケットが出てきます。そのチケットを持って、今度は入管のゲートの機械にいき、チケットを読み込ませ、再び顔認証をすると、もうGOです。”What is your purpose of entry(travel)?” という英会話問答はもう過去のものです。

機内でもらった入国カード(JALなど日系は日本語版をくれる)に記載し、それをもって最後の検疫をパス。
すると出口になります。ここでお出迎えの人たちと感動の対面。
これまで撮ったことなかったけど、その部分を撮りました(ボケちゃったけど)

で、一括パックのお出迎えの待ち合わせポイントである花屋さん(ゲートAとBの中間地点)があります。ここで会いましょー、もう顔知ってるし、簡単。

国内線ターミナル(T2かT3)の場合は、もっと簡単でバッグが出てくるベルトコンベアで待ってます(国内線は入国手続がないので仕切りがなく、作りが簡単)。

で、掲示板でも書いたように、えっちらおっちら歩いて預けておいた車を修理工場から受け取ったのでした。これもドラマがあって、日本滞在中、保険の更新料(1500ドル)払ったのにウンともスンとも言ってこないし、修理の自己負担分を払ったのにも関わらずまた払えとか言ってきたり、下手したら30万円くらい余計に払わされる羽目になるところでした。滞在中、英文メールで「ぼけえ!」とかバトルをしていたものです。帰ってきたら、今度は南区役所とバトルをすることになってます。だー!

以上、オフをメインに書いた帰省記はこれでおしまいです。でも、まだ他に雑感があるので(魚料理の自炊とか)、それも書く予定です。てか、もう歯が痛くなくて、寒くないだけでも幸せだったんですけど。

今回はあんまり人が集まらないかなー、前回はコロナ明けで3年ぶりの新鮮味があったし、年1くらいでは新鮮味がないわねーとか思ってたんだけど、蓋を開けてみたら多くの人と会えたし、充実でした。たった一ヶ月でこれだけ遊べたら言う事なしです。Many Thanks>All

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