奥村くんの第二章 Part04(最終回)~カナダユーコン準州編 (2)

永住権申請をしたホワイトホースでの職場でまさかの冤罪解雇!90日という限られた期間内に遠征職探しをして辿り着いたのは公私ともにスローライフ環境だった。NZ~カナダと転戦して永住権獲得した奥村くんの最終回。

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前回の続き
ユーコン準州に2018年5月にやってきてから州都ホワイトホースで仕事を見つけたその後です。

最初の仕事(ホテル)顛末記
2018年の5月末から仕事をはじめ、ルーム清掃だけでなく全館清掃員や洗濯室・ルームサービスなどいろいろなポジションで繁忙期は週6日で働き中々働いた。

シフト制なので繁忙期になると新しくシーズンで入るようなスタッフの休暇は安定しない。もちろん僕も入りたてのスタッフの一員なので、スーパーバイザーが僕の週一回にしかない休みを曜日で固定せず、11−12日連続勤務とか普通にあった。連続勤務は結構体力的に大変だったけど、繁忙期スタッフが多めに雇われやすいので、人数が揃うと朝から始めて大体16時半くらいまでには終わる。ユーコンの夏は、ミッドナイト・サンと言われるくらい深夜まで明るいので、十分楽しめる時間を仕事終わりに確保することができた。

僕は、このホテルで働き始めてから企業側にとって使える人材になれるよう努力した。どんなポジションでも2−3日で指導スタッフなしで単独で働けるレベルになるようにし、繁忙時期は質も担保しつつ、スピードをつけて業務を早くこなし、スーパーバイザーから一定の評価を貰えるようにした。

これらの努力は、僕が今までに滞在したNZやオーストラリア、そして日本での仕事経験が活かされた。上司が期待するノルマ予測を超えるように働けたら、どこの国であっても良いスタッフとして評価されやすい。そのノルマを超えるようにするには、タイムマネジメントや言われなくても自分で仕事を探していくといった行動が大事だった。

こういうスキルは日本の仕事でも評価されると思われるけれど、僕が経験したオーストラリアやNZ、カナダの職場において、より一層評価されやすかった。海外と言っても僕が経験したのは、カジュアルな仕事場ばかりであるので、全ての職種に当てはまるような一般的な経験論ではないかもしれない。

ただ僕が経験したカジュアルな仕事場では確実にこうだった。オーストラリア・NZ・カナダの3カ国で上司が求めるスキルをちゃんと実践できるスタッフの割合は、日本の社会にいるスタッフの割当より低いと感じた。なので、相対的に自分のスキルは競争力で上に立つことができやすく、こういうYNPスポンサー争奪戦のような企業で評価されやすい状況だった。

ノミニー獲得~永住権への道筋が見えた
ついに僕は9月頃(働き始めて4ヶ月目頃)に、ユーコンノミニープログラムへの推薦を人事部で貰った。事前に何度か暇をみて、直属の上司となるマネージャーに、「可能性があるならばノミニープログラムを受けたい」旨を伝えていた。仕事を頑張れば人事部と掛け合って推薦を貰えるとのことだったので、それが叶ったようだ。

これでカナダ永住権への道筋が少し見えてきた。
ビザに悩まされずに自分の海外拠点をつくることができる、日本にわざわざ出稼ぎ仕事をするために帰らなくてもいいかもしれない。

ユーコンノミニープログラム(YNP)を申請するにあたって、いろいろな提出書類が必要だった。僕は、不幸中の幸いにもNZでワークビザを申請した経験から英語で必要書類を見てすんなりと何が必要そうなのか理解できる土壌ができていた。必要そうな書類をピックアップし、カナダワーホリを始める前に揃えて持参することができていた。さらにカナダに来てから荒井潔子さん他のYNP経験者から情報を収集し、持参した書類以外で必須となる資料をユーコンに来て繁忙期の仕事をしながら集めた。企業側からYNPのオファーをされてから書類集めるするのでなく、オファーと同時に申請用紙さえ書き込めば申請ができるように努めた。そうすれば、ペーパーワークで遅延することなく、永住権までのプロセスが結果的に短くなると思ったからだった。

実際に人事部からユーコンノミニープログラム(YNP)申請書類をもらってから、おかげさまで特に滞りなく2−3日で申請準備し、人事部を通してYNPを担当する移民局へ提出できた。

僕がYNPをサポートをしてもらっている企業は、ホワイトホースでは一番大きな企業グループである。人事部は豊富なYNPに関する経験もありYNPを担当する移民局と仲がいい。それを実感したのは、僕のYNPが承認され証明書が発給されるまでのプロセスだった。今回の移民局の仕事ぶりは、ミスなく数日ですすめられていた。
海外留学・移住したことがある人なら一度は体験するだろう公的機関での仕事の遅さや杜撰な管理など、そういった問題が全く発生しなかった。僕はYNPに関する申請書類を提出でき、やれやれと思いながら働いていたら、数日で人事部から承認されたことが伝えられた。

※2018−2019年当時のことであるが、通常YNP申請して承認されるまで12週間ほどかかると言われていた。後に僕が別企業で2回目のYNPを申請した際には、若干スタッフに僕のプロセスが忘れ去られかけていたりして、オーナーが催促の電話をして、なんとか承認される具合だった。

フラッグポール
どんなにYNPが承認されるまで早かったとしても、ユーコンの冬はメッチャ早くやってくる。8月の末には初雪があったりするくらいだ。ちょうどYNP承認後に申請できる僕のワークビザは、2018年の初雪の季節と重なった。
一般的にYNPでワークビザを申請する際、【フラッグポール】と言って直接カナダとアメリカ(ユーコン準州の場合はアラスカ州)の国境を車で往復して、カナダ国境でビザを申請する事が多い。中古車を買ったので、ドライブがてらフラッグポールをしようと思ったのだが、気温が氷点下前後の微妙すぎる時期であり、積もる前に雪が溶けて氷になるといった道路コンディションが芳しくなかった。

既に僕は、買い物がてらに雪道走行をし、不慣れが祟って、ホワイトホース郊外の丘道にある下りカーブでスリップし、ガードレールにボディをぶつけたを経験していた。40km/hでこんなに滑るものなのかと肝を冷やした。もちろん冬タイヤを装着してたが、タイヤが小さくて自重が軽い車だったせいもあり道の段差に対して、少しボディが跳ねたのをキッカケに車のコントロールを失った。

この経験から、雪が溶けて氷道になりやすい中途半端な季節にフラッグポールすることに危険を感じた。
山間部を抜けて海側にあるカナダ(ユーコン準州)・アメリカ(アラスカの州)国境は、ホワイトホースより気温が比較的暖かいけれど時期的に天候不順で、道も険しく雪が溶けて凍るリスクが高い。
今回は、車で国境へ向かうことを断念し代替案であるオンラインでワークビザの申請をすることにした。

オンライン申請があるなら全員オンライン申請で良いじゃないかと思うことだろう。
たしかにフラッグポールするより便利だけど受理されてから承認されビザが発行されまで約3ヶ月を必要とする。フラッグポールならその場で発給してくれるので、ホワイトホースから400−500km走る時間をいれても一日あれば十分という時間の利があった。

僕は、オンライン申請について雪道を走る以上に懸念していたことが一点あった、ワーホリビザが2018年11月で期限切れになるのだ。YNPの場合は、YNP申請中に働けるビザが期限切れになると申請が却下されるとのことだったので、ワークビザも心配となり、一応人事部に相談した。

人事部曰く、ワークビザの期限切れまでに新しいビザを申請すれば、移民局もその点についてはわざわざ違法滞在にするような対応はしないだろうし、なんとかなるだろうとのことだった。彼らの言う通り、オンライン申請し、ちょうどワーホリビザの期限切れが近づいた頃に移民局からメールが来た。期限切れ後もワークビザ申請中として働いていいとのお達しだった。ただあくまで僕のビザのステータスは、「ワークビザの審議中」であり、ワークビザの申請結果がでるまでカナダを出国するなどややこしいことは出来ないなと思った。

まさかの冤罪解雇
スタッフの質の問題
ホテルで仕事をしていると、いろいろな人種がやってくる。特にホワイトホースでは、マネージャーとか管理職でなく一般的なスタッフになるとフィリピンや韓国・台湾・日本、インド・南米が多い印象だ。少数になるけれども英語が母国語のカナディアンや英国系、そして欧州からもいた。

ホテルに関連する仕事は、管理職でない限りカナディアンにとって給料も低く、労働環境も良くないので、はっきり言って人気がない職種であり、ゆえに慢性的な人員不足に陥る。だからこそYNPサポートしてでも人材が欲しい仕事になりうるのであるが。オフィスでの仕事が多いマネージャークラスになれば給料や待遇も良いのかもしれないが、現場ではたらくスタッフは、このホワイトホースの職場で働く限りハードワークな環境でしかない。

時々ホテル清掃のポジションでやってくるカナディアンスタッフは、訳ありスタッフばかりであった。どんなに時間制限とノルマのある厳しい労働環境でも残念ながら根っからのノンビリとしたカナディアンスタイルであり、労働力として考えると低い方ばかりであった。僕からみれば一人でやり遂げられるノルマでも、ヘルプが数人入らないといけないくらい効率の悪い仕事をする人ばかりであった。僕が働いた2年間で3ヶ月以上清掃スタッフとして長く続いた生粋のカナディアンは一人もいなかったと思う。

もちろん能力が高いカナディアンは、ユーコンに一杯いるのだろうけれど、そういう人は自ずと給料が良かったり、待遇の良い場所で働くだろうし、わざわざホテルにやって来て働くことはなかった。

一方南米、アジア系スタッフは、文化的に労働環境がブラック過ぎる社会から来ていることが多い。カナダのホテル仕事は、間違いなく【労働時間、給料、勤務内容】のどれかでブラックな労働環境であるのでけれど、南米・アジア系は、母国の労働環境に慣れているので総じてカナディアン以上の仕事ができる印象だ。

そのため、小さなことであるけれどスタッフ間で国の違いからの文化的な労働のスタイルや言語で衝突が起こることもある。カナディアンなど英語が流暢な人材は、なにかと理由をつけて上司に報告し休暇をとったり、労働中腰が痛いやらなんやら言ってはサボる。これは、仕事の質とが低すぎるの同じくらいスタッフ間の労働格差として顰蹙を買う原因になりやすかった。時間に厳しくハードな労働を強いられる同じポジションで働くならスタッフ間の平等性が担保されないと不平不満は貯まるのは無論だった。

また、日本の看護師時代に僕はかなり辟易したのだが、女性スタッフが多い職場あるあるなのかもしれない。ここカナダ・ホワイトホースでもゴシップ好きな人が多かった。僕は、そういう小さな争いの火種に関わるのが嫌いだし、奴隷制度のような職場であろうと物怖じせず意見を言うタイプだ

なのでその被害に被ないように、自分が起こさないように、そしてムカついたりしないよう、しょうもない人材とは深く仲良くしないようにしていた。しかし、レイジーなスタッフやゴシップ好きな人材達にとって、鉄仮面のような僕の行動が不満なのか突っかかってくることもあった。

いざこざが起こるたびに何度か、ホテルの支配人クラスや本部のオフィスマネージャーたちと話し合ったが、スタッフ同士が表面的に仲良くするようになるだけだったで何も解決しない意味のないミーティングになることが多かった。
さらにこれ以外にもミーティングは、繁忙期に問題となったベッドバグや新しい清掃方法などに関することで隔週のようにあった。おかげさまで、僕は週一回しかない休暇であろうと関係なく無給で強制的に出席させられることになった。これに関しては僕も何度かマネージャーに可笑しな事だと不満を伝えた。

他にも僕のような企業サポートのワークビザによるホテルスタッフと異なり、永住権や市民権のあるスタッフは、どんなに人員不足でも法律通りの権利を行使して、突然休暇を申請しても受理されて休めていた。一方ワーホリやYNPのスタッフは、移民申請の都合といった期日の差し迫った事情での休暇でさえ、スタッフ不足なら一切認められない環境だった。僕は、この格差は相当に頭にきてマネージャー陣と意見を言い合うこともあった。

そのような背景を抱えながら数ヶ月経った頃、あるスタッフの私物の盗難で僕は濡れ衣をかけられた。もちろん否定したけれどCCTVに映っているという上司の話で、マネージャー権限によるレイオフをされてしまった。もちろんCCTVを一緒に確認したい旨を伝えたけれど、最後まで、そのCCTVは見せてもらえなかった。

理由が濡れ衣での突然解雇で残念であるのだけれど、僕の気持ちとしてはこんな場所で一年以上永住権のために働かなくていいのだとホッとしていた。一応、カナダの雇用に関する法律通り、突然解雇なので追加で一週間分の給料も後日払われるとのことだったし、次のステップへの資金になるのでラッキーだった。

こちらの話を一切聞こうとせず、またCCTVなどきちんと説明しようともせず、ただただ冤罪を既成事実のように取扱うマネージャーと話をしても時間の無駄ではないか?それは、すでに価値解雇通知を説明されている途中から感じはじめていたことである。こんな人と話をしてても埒が明かない。なので解雇通知の一言以上は彼らの言葉を話半分で聞くようになった。僕の脳内は、次はどうしようかなといこうばかり考えて、完全に気持ちを切り替えていた。

職場内のロッカーにある私物をまとめて帰宅の途についたとき、一度NZにてワークビザの申請が受理されず国外退去になった経験からなのか、なんとかなるだろうと思ったりして、そこまで落ち込むことはなかった。

翌日までにホワイトホースで関係してきた多くの人と話すことにした。関西のノリなのだろう、折角の面白い人生ネタだと思いホワイトホースで出会った友人達と笑い話にしていた。

昼過ぎに解雇を言われてそのまま帰宅してからは、しばらく次のステップについて考えていた。ユーコンで次の仕事やYNPの機会がなければカナダを離れて勢いのあるアジアなど目指しても良いかなとか考えていた。当時から僕の資金は潤沢になく、仕方なく日本に戻って、数ヶ月程だけだが奴隷労働時間を満喫することも考えた。看護師で夜勤専従のパートであれば経験上、結構時給が良いことも知っていたし。。。そして、その資金でアジアを進出でもいいかと思ったりしていた。

しかしながら結局、当時既に台湾から移民に来ていた彼女がホワイトホースにいたので、カナダにいられれば一番良いなという思いもあり、一度違う場所でビザを取得して永住権を再度狙うことをメインに考えた。

仕事探し再び
僕は、ホワイトホースの解雇されたホテルで幸いにもYNPサポートをしてもらい、そのホテル限定で働けるワークビザを貰っている身だった。その為、翌日には移民局から知らせがやって来て、解雇されたスタッフに対する今後の身の振り方についてYNP移民局で話し合いをすることになった。

移民局の担当者と話していると、彼は移民局という公平な立場の人であるはずなのだが、解雇された職場サイドの人のようだった。
担当者から話を聞いていると(冤罪だけど)僕が他社の私物を盗難をしたということを移民局へ一切報告していなかった。そして担当には、僕が求められる仕事ができないという理由で解雇したことになっていた。兎に角僕に対する担当である彼の話す内容や振る舞いは最悪だった。

明らかに僕自身に問題があり、企業のイエスマン/奴隷とならなかった僕は悪者だという感じで話してきていた。僕は、はっきりと前職場の上層部の人材のやり方に信任できないと伝えた。すると、僕がYNPという企業サポートがないと働けないし永住権を取得できないシステムの上にいる限り、奴隷にならないといけいないようなことを遠回しに言ってきた。

僕がYNP申請した時、サポート企業の力でYNP申請プロセスが速く進んでいたのを覚えるているだろうか。

この時あまりにも早い僕のYNP承認までのプロセスに対し少し疑問に思ったのだが、ホテルとYNP民局の担当者との力関係やグレーな部分を合間見ることが出来た瞬間だった。日本のお代官様ネタのようだが、移民局で働いてうちにいろいろと企業同士となあなあな関係を築いてるのかもなと思い始めた。

ただ彼独自で僕の未来を決断できる権限まではないのだろう、なにかと僕に言ってきてはいたが、今回の件を決断する移民局の上司のサインが入った手紙をくれた。
その内容は、移民局とYNPの同意書で交わした際の内容通り、【90日以内に自分がYNPを貰った同じ職種で、YNPを引き継いでくれる仕事場が見つかれば、YNPのもとで申請した永住権もそのまま進めることができる】だった。

担当者から最後に、「事例によっては、このプロセスに進めない人もいるんだから真剣にやれよ」と励ましなのか捨て台詞なのかわからないことを言われた。既に僕を解雇した企業との裏側が感じられる彼には、ほとほと興ざめしていたので、手紙を受け取って【すぐ見つけてきます】と言って離れるように事務所をあとにした。

事務所から帰宅途中もずっと今回の騒動を考えたいたのだが、移民局との話し合いをしてさらにYNPの闇を感じることが出来た。僕は盗難の濡れぎぬをかけられたが、ホテルの上層部は警察への連絡でなく僕の解雇を選んだだけだった。要するになにか理由をつけてでも企業としても、僕を排除したいと思う節があったのかもしれない。

助けてくれた人々~英語の先生
僕は解雇されから、あるカナディアンとこの一連のことを話す機会をもちアドバイスをもらった。

解雇されたホテルでは、職員待遇の一つに移民用の英語教室を受けられる制度があった。そこで英語教員をするグウェンは、親身に僕の事情を察してくれるチューター的な立場でもあり素晴らしい方だった。彼女は、僕が解雇になるまでの企業側との背景も知っていた。マネージャー達の勝手な創作ストーリーに異変を感じ、解雇後にわざわざ彼女自身でスタッフなどから情報を収集していた。

彼女のアドバイスは、「カナダで永住したいのなら新しい職場をみつけることが最も大事だ。僕のターゲットにフォーカスすることを優先し、真実を求めて戦うことは現状得策でないとのことだった。どんな公的なリソースを使ってホワイトホースの大企業と法的に対決し、判決が出るまで戦ったとしても現状の僕の立場では利が少ない。」とのことだった。

僕は永住権も持たない期限付きのビザで暮らす移民だし、結局のところ判決によって、ある程度真実を突きつめることがでたとしよう。それでも勝利した結果=永住権獲得でない。当初の自分の目標であるカナダに永住するなら、地道にYNPなどを通して正規の方法で永住権獲得する以外はない。裁判に勝ち、謝罪や賠償など企業からあったとしても永住権をくれるといったボーナスゲームのような超法規的な処置はない。

それならキッパリとこのことを忘れて、次に進んだほうが賢いし合理的だということだった。

彼女は、主観的な考えに陥りやすい自分に対して、より客観的に僕に関する戦況を見極めて、目先の勝負などにフォーカスすることなく全体を見通して動く賢い生き方を教えてくれていた。

※僕が永住権を無事取得した今も彼女は、いろいろとカナダでの生きる術などアドバイスを個人的にしてくれる仲である。もちろん、この次の仕事探しで重要なポジションである僕の人間性などリファレンスしてくれる人になってくれた。Carmacksへ僕が働くために移動したあとも、ホワイトホースへ戻ったときに話をしたり、カルガリーへ移住したあともレジュメの添削をオンライン会話を使って助けて頂いている。今となっては先生というよりユーコンでであったカナディアンの友人という感じだ。

 

助けてくれた人々~彼女
少し話は前後するが僕の付き合っている彼女は、解雇された職場で出会った。台湾からYNPで移民している彼女は、僕が解雇された後いろいろと職場でスタッフへ話してくれているようだった。例えばゴシップ好きな人間たちが僕について前職場で騒いでいたようだが、彼女は「実際に犯行現場を観てもいない人間が適当なことをほざくな!」と言って黙らしたそうだ。どうでもいいことを話して楽しむ人間はどこにでもいるのは知っているし、僕は気にしないのだが彼女は腹が立つようだった。

今まで彼女は永住権申請中、奴隷の様に働き不平不満や強い発言をしてこなかったのだが、最近YNPで永住権を取得していた。彼女は永住権や市民権を持つ他のスタッフと同様の発言権がうまれ、それなりに強く言える立場になった。さらに彼女は、どんなにできるアジア系スタッフの中でもダントツで時間内に仕事ができる人材で企業側は捨てたくない人材でもあった。そのためマネージャー人は彼女を擁護する側だし、ゴシップ好きのスタッフは表面上彼女へは何も言えず、職場で陰口を公に叩くことはできなくなった。

英語の先生と彼女

気持ちを切り替えて、折角移民局が提示した90日間の猶予もあるし、できることをやろうと思い早速仕事探しをすることにした。

職種とターゲット
ホワイトホースで解雇されたホテルのサポートで貰った僕のYNPの職種は、カナダの移民申請などで使われる職業リスト(NOCリスト)で定められたポジションでいうとLIght Duty Cleanerだった。

これはホテルのハウスキーピング【Room attendant】のような特定の職場での清掃に限らず、あらゆる分野の清掃に携わることがきる職種だった。僕が、ホテルでいろいろなポジションで働いた結果とBanffで働いていたギフトショップ(インベントリー・清掃・ワンオペ)での経験を活かして、移民局は僕の職種を上記の通りにしていた。これはホテル以外でもYNPサポートを引き継いでくれる職場を僕が見つけられることを意味した。

仕事探しは、まずホテルを中心に清掃に関連する学校・企業・児童施設の清掃などホワイトホースで内で調べることにした。前回仕事探しをしたときのように地図やオンラインで調べ、翌日からホワイトホースで、ノミニーを引き継いでくれるよう場所を手当り次第レジュメを配った。

数日して企業向けの清掃業者から連絡はあるものの、YNPを引き継いでくれそうな場所でなく、なかなか幸先は厳しかった。デイケア(乳児・幼児の保育園)での清掃要員兼スタッフとしてホワイトホースでの伝を頼って面接のオファーは頂いたが、ワークビザの特記事項に医療・教育機関で働くことができないという条件があり断念した。

もちろんホテルは、YNPの引き継ぎができる可能性のある職場なので、全てのホテルにレジュメを配り歩いた。何件か面接までこぎつけて事情を話してYNPを引き継ぐと言ってくれるところもあった。しかし採用担当者は、面接後に慣習どおり僕を解雇したホテルに僕についての情報収集をするのだ。僕の解雇を決めたマネージャー達と採用担当が話をする限り、良いように言うわけがなかった。そのため面接後に全く音沙汰が得られなかった。

小さな町の限界
ホワイトホースは小さなコミニティーであり業界関係者同士で繋がりをもっている。。面接後に僕がマネージャーの連絡先を伝えなくても、解雇を決めたマネージャーと採用担当が個人の繋がりで話をされている限り、採用の目処がたたないと実感した。

ユーコン準州は日本より大きい割に人口は5万人ほどの州だけれど、繁忙期になれば多くの国地域から人がやってくる観光産業の街ばかりだ。そのためハイウェイの要所となるコミニティーにあるホテルなどは人材不足になりやすい。ホワイトホースでなく違うコミニティーに行けば、解雇した職場との繋がりも薄くなり、再就職の可能性があるかもしれないと思った。

助けてくれた人達~フィリピン系のママさん
そこでホワイトホースと違うコミニティーで仕事探しをする前にリファレンス用の電話番号を予め自前で用意し、採用担当へ良いこと言わないマネージャー陣とコンタクトが避けられるように準備することにした。早速前職場で、いつも仲良くしてくれていたフィリピン系のママさんスタッフに推薦人を依頼した。彼女は今回の僕の解雇が不当なものだと信じてくれており、フィリピンコミニティーや仲間を介して就職情報を集めてくれたり、応援してくれていた。彼女は、僕のようにホテル内の清掃スタッフとして働きつつ、週に何度か代理でマネージャー業をしていたので、リファレンスとしての資格があった。

彼女は二つ返事で了承してくれた。※彼女がいなければ、僕のCamacksでも仕事も決まらなかったことだろう。

春のユーコン川

春の白鳥シーズン

゙ゴールドラッシュ時代に使っていた船と春のユーコン川

一度、解雇されたのが2019年の2月末であり、就職活動しているうちにユーコンも3月中旬になった。ユーコン準州の町と町をつなぐハイウェイも雪が溶け、車でも走りやすくなっていた。

遠征出撃
まずYNPサポートされる場合、スタッフに通年で企業は仕事を提供しないといけないので、その点を念頭に置きながらホワイトホースから450km少々離れたWatsonLakes、200km ほど離れたHanes Junction 後に働くことになるCarmacksの求人情報を中心にネットで調べてみた。

春になるにつれて繁忙期に向けてスタッフを必要とする街も増えており、いくつか応募候補を見つけることが出来た。見つけるたびに間髪入れずメールやHPの求人欄にレジュメも付で応募したけれど、連絡が僕のもとへすぐに反応は来ない。相手が僕のレジュメを見てないのか、仕事が埋まっているのかはわからないので、適当に近い場所からレジュメを直接渡しに車で向かうことにした。今まで経験上、オンラインよりも直接渡したほうがカジュアルな仕事であればあるほど相手の印象もいい。今回は特に小さなコミニティーに出向くので、ネットでわからない情報が得られたり、なにかしら新たな化学反応がおこるかもしれない。

どんなに慎重に走っても2時間あれば到着できるHanes JunctionとCarmacksがホワイトホースから最も近いコミニティーだった。なんとなくなのだが、Carmacksから車で行ってみた。まだまだハイウェイの両サイドは湖は凍って雪が覆われ、木々にも雪が残る銀世界だったけど、既に春の兆しなのか日差しが強くドライブ日和だった。

Carmaksでの出会い
Carmacksについた時、本当にユーコン準州らしい小さなコミニティーだった。商業施設は、ハイウェイに沿って2階建てのこじんまりとしたホテル一棟とガソリンスタンドが併設された生活用品兼ギフトショップだけがあった。
もう一軒隣に大型トレーラーが停車できるくらいの敷地を持った別のガソリンスタンドがあったけど、冬に期間は閉店しているような雰囲気だった。

早速、ギフトショップのある駐車場に車を停めて、ホテルのフロントにレジュメを持っていった。日本の民宿のようなこぢんまりとしたフロントに数人スタッフがいるだけで優雅な時間が流れている感じだった。カナダの田舎にある良い雰囲気だった。ホワイトホースで働いていた時のような常に大量の人が往来するようなバタバタしたホテルと大きな違いだった。

フロントスタッフの一人はアジア系のおばちゃんと話すことができ、僕が「レジュメをホワイトホースから持ってきた」というと、とても驚いていた。「ちょうど人不足だったのよ」と教えてくれ、すぐにオーナーに渡すからねと事付をもらい僕はホテルを後にした。一応このホテルへ訪れる前にオンラインページやEメールにて仕事を応募し反応なかったのだが人不足だったらしい。やはり直接持ち込むほうがいいのだろう。

わざわざCarmacksまでやってきたのだが、コミニティーの規模を再確認してみて、レジュメを配れそうな場所は一軒だけそうだった。それ以上することはないので、同乗してきた僕の彼女と相談し、凍ったユーコン川とギフトショップを少し眺めてから帰ることにした。

ギフトショップで彼女とウロウロ見て回っていると、突然ジャムおじさん(アンパンマンのキャラ)のような人に声かけられた。このマイナス10℃という気温でハーフパンツとポロシャツ一枚の彼は僕に尋ねた。「レジュメを持ってきたのは君かい?」

なんと彼はホテルのマネージャーであり、レジュメをフロントで受け取って早速僕を探してくれたようだった。
よくよく話を聞いていると、僕がレジュメをホテルのフロントに持ってきた時、マネージャーはオーナーオフィスにいたとのことだった。そのオフィスがちょうど僕が車を停めていたギフトショップの裏口にあった。そのためCarmacksで見かけない僕の車が、まだ停車しているのを彼は知っていたようで、Carmacksにいるなら面接しようと言うことだったらしい。

早速ホテルのオーナーとマネージャーを交えて面接をした。全ての指に金の指輪をしたマダムのようなオーナーに対して僕は少し物怖じしてしまったが、僕は既に何度も採用担当に言ってきた決まり文句のように覚えてしまった僕の身の上をオーナーである彼女に話ししているうちに落ち着いてきた。事情を説明するとオーナー自身もYNPサポートを何度もスタッフに対して行っておりYNPをある程度熟知しておられ、話がしやすかった。ユーコン準州では、YNPをサポートをしたことがない企業や採用担当がいるので、そうなるとYNPについて説明することから始まることもあるのだが、今回は不要だった。

ただ今回の僕のケースは稀なことだったらしい。他の企業でYNP中だったスタッフを引き継いで働かせることをオーナー自身は、やったことがないとのことだった。オーナーである彼女曰く、移民局と確認が必要だがおそらく僕のYNPを引き継ぐことは問題ないだろうとのことだった。最後に彼女へリファレンスとなる人(レフリー)の番号を教えて、いい感じで面接が終わった。彼女は、レフリーと連絡したり、YNP事務所とYNPの引き継ぎの方法などを確認してから数日内に追って連絡してくれることになった。

やはりレジュメを直接配ったほうが効果があるんだなと改めて確信した。同時に局面が変わるときは、ちょっとした行動から起こるのだな感じた。直接このコミニティーまでレジュメを配りに来なければ、ギフトショップに少し滞在しなければ、こんなにスイスイと決定権のあるオーナーと直接面接まで進まなかっただろう。

今回の一連の仕事探しの流れは、いつもより手応えがあり、良い感じだった。ここで決まると良いな感じていると数日後、オーナーから連絡があった。ホテルの清掃スタッフとしての採用通知だった。今回、新たに準備したリファレンスで、是非とも採用したいと思ったとのことだった。リフリーになってくれたフィリピーナのおばちゃんは、僕の事情をとても良いように説明してくれたらしい。早速お礼の連絡を彼女にした。

※現在もリフリーになってくれたフィリピーナのおばちゃんとの交流はつづいている。僕がカルガリーに来てからもコロナで必要になったマスクや消毒などをホワイトホースへ送った。コロナ騒動が起こった後、ホワイトホースでは中々それらが手に入りにくかったようだ。カルガリーでは探せば、衛生用品は見つかったので、その当時の恩返しではないけれど助け合いができてよかった。

早速、YNPの引き継ぎのための再申請準備を行い、オーナーが買い出しでホワイトホースへやってくるタイミングで一緒に移民局へ向かいYNPに関する書類を提出した。

オーナーは、僕がYNP証明書が発給されて働けるようになれば、いつでもCarmacksから荷物をピックアップに来てくれるとのことだったが、僕は既に愛車があるので丁重に断った。この職場は、スタッフのピックアップもしてくるのか、至れり尽くせりだなと思っていると、オーナー曰くCarmacksにあるこのホテルやストアのスタッフの多くが他州からのカナディアンや他国からの移民で成り立っているとのことだった。そのためスタッフを新しく雇うたびにCarmacksmまで足がないスタッフだと、ホワイトホースの空港まで送迎に来るとのことだった。

YNP書類提出して数週間してオーナーからメールが来た。「YNPの結果がまだ来ないけれど、2ヶ月のバケーションでモロッコに行く。何かあれば、ホテルのマネージャーが対応する」との連絡であった。幸いなのかどうかわからないが、彼女の長いバケーション中に何も移民局から音沙汰もなかった。その間、僕は何も出来ないので小さな春の兆しを探したり、徐々に氷が溶け始めた湖などで釣りをした。

5月も終わりにが見えた頃、オーナー自ら移民局に連絡をとって催促し、遂に新しいCarmacksのホテルの雇用主にアップデートされたYNP証明書が届いた。

早速、オーナーと連絡をとりスタッフアコモの準備と日程調整を行ったあと、アラスカへポールフラッグを行いワークビザを貰いCarmacksへ向かった。

オーナーとしては、スタッフがいなくなる4月からホテルで働いて欲しかったようだが、こればかりは移民局の仕事のスピード次第であり、コントロールできなかった。僕が解雇された前職場なら数日でYNP証明書が発給されたのに今回は本当に時間を要した。これが本当のお役所的プロセススピードなのだろう。。。

Carmacksのホテル

Carmacksのホテルでノミニー稼働の再開
Carmacksのホテルは、主に夏のハイシーズンなどにやって来る観光客のためにあるのだが、Carmacksの集落・コミニティーを支える街の中心的役割も担っていた。オーナーは敷地内にレストラン、マリファナ販売所、ガソリンスタンドを併設した日用品店、アルコールが購入できるバーをホテルと兼営していた。ホテルは宿泊するだけでなく、ファーストネーション達が貰う政府からの補助金(小切手)を両替する場所でもあった。

そのため年中、補助金支給日を迎えると多くの人がホテルのフロントを訪れ両替し、そのままバーや日用品店などでお金を使っているようだった。

オーナーは、長年このコミニティーで生活しておりコミニティー内で必要不可欠な場所を提供していた。それだけに彼女の家は、コミニティー内で一番大きく、手には常にギラギラとした指輪が何個もついていた 笑。

スローライフにならざるを得ない住環境
ユーコン準州のホワイトホースでの生活しか知らない身には、Carmacksでの環境はギャップが大きく感じた。

まずインターネットがままならない。ホテルのADSLインターネットは、スピードがとてつもなく遅かった。オーナー曰くホワイトホースよりも料金が高く無制限でないので、ホテル利用者全員に節約を申し出ていた。

僕は、Carmacksのホテルに来てから単独での仕事が多かったので、清掃中に音楽を聞くためにYouTubeやSpotifyを音源に利用者していた。結構遅延やシャットダウンが起きており、それがCarmacksのホテルにおけるインターネット利用のスペック限界だった。動画のHD視聴は到底不可能で、Youtubeなどで使われる解像度でいえば144p-240pが限界であり、ブログ作成やネットサーフィンはですら、時間帯によって滞りやすく、あまり利用できなかった。

さすがにホテルのフロントやオーナーのインターネットは、予約対応ぽあるので別回線を使っているようだった。しかしながら、清掃中僕がフロント周辺にいると、フロントスタッフがOMGなどNGワードをパソコンの前で叫んでいたので、滞りやすいインターネットだったのだと思う。

僕は、この余りにも程度の低いインターネットの対応策として、カナダで最も格安MVNOとなるケータイのプランから最大量となる8GB/月に増量して、チビチビCarmacks生活で利用した。なぜかケータイの回線の方が圧倒的に太く速かったので、必要なネットサーフィンは、主に携帯から行った 笑。

これがCarmacksに来てから最もびっくりしたことなのだが、水道水に硫黄の匂いがしたことだ。よく白い陶器のシンクの縁を観ると水道水が滴るポイントを中心に黄色く変色していた。主な原因は、ホワイトホースのような水道水処理ができる施設がCarmacksにはないらしく井戸水を直接使っているからとのことだった。井戸水は、Carmacksの近郊で石炭や硫黄が多く産出していた地域から流れており、これが匂いや色の原因とのことだった。

飲料水として問題はないらしいのだけど、お湯にするとさらに匂いがきついかった。そのためホテルの利用者からシャワールームを中心とした水に関してのクレームがよくあった。

生活だけでなく僕が清掃スタッフとした働く上で硫黄水の影響は大いにあった。シンクなどが黄色くなるくらいなので、例外なく頻回に洗濯し続ければ白い服やシーツは徐々に色がクリームっぽくなり、色がくすみやすかった。さらに頑固な汚れを落とすのにブリーチなどの化学製品でリネンを漬け込んだりするのだが、リネンを少し漬け込みすぎると黄色でなくオレンジっぽく変色し、化学反応したようなオレンジドットのリネンになった。

ホテルや生活用品店などオーナーが所有する施設で働くスタッフのアコモデーションは、ホテルの二階にあり下階はバーであった。下階のバーから鳴り響く騒音レベルで音響は、部屋のベッドが揺れるほどに轟くこともあり、なかなかの室内環境だった。

ただ部屋はトイレやシャワールームは撤去され、ホテルのシングルルームを改築したような感じで広く、ユーコン川やオーロラを眺めることができ良いロケーションではあった。

スタッフルームはホテルの構造の一角をなしており、きちんとカナダの冬に対応した作りとなっていたので冬場の暖房は効いていた。ときどき窓を開けて換気しないといけなくらい。ただし暖房設備だけしか設置されていないので、夏は悲惨だった。夏の昼間の温度を部屋にこもったままだと夜に暑くて眠れないので、扇風機での強制換気が必須だった。もっともユーコン準州の短い真夏は、日差しも強く暑いけど、夜はぐっと気温が下がり涼しいことが多いので扇風機の換気はちょうどよかった。

Carmacksのレストラン

Carmacksホテルのごはん

スタッフ用のキッチンは、アコモデーションにないため、ホテルのレストランで無料の食事をすることができた。アコモデーションに住むスタッフは基本的に料理をしなくてもいいので楽であるのだけど、長く働くほどメニューのレパートリーに飽きがでてくることもあった。物が限定される辺境コミニティーにおいて、決められた予算でシェフが頑張って考えてくれていた日替わりのメニューもあるにはあるのだが、時々簡単な食事が食べたくなって簡易の炊飯器をホワイトホースから持参し、ラーメンやおにぎりを食べることもあった。

基本的に仕事関係なく毎日、レストランで食事やコーヒタイムをするので、スタッフ同士のコミニケーションの場になり僕にとっては食事以上に環境として良かったと思う。日本人スタッフは皆無なので、毎日24時間ずっと英語環境となった。

スタッフはカナディアンだけでなく、ハンガリー・ドイツなどの欧州や韓国・台湾などのアジアと幅広く雇われていた。次第に各国がよく使う英語のボキャブラリーがあることがわかり、僕が使わないような表現などを聴けたり、表現力に幅が生まれてリスニング力などが自ずと上がっていく素晴らしい環境になっていた。。

この職場は、先述の通りスタッフミールが出るので、僕のように彼女に会うためにホワイトホースに行ったり、田舎のために輸送費が上乗せされて値段が高いけどホテルの敷地内にある生活用品店やパブでアルコールを頻繁に買わない限り、支出は少ない生活が可能だった。経済的な面でYNPをしながら永住権とるまでの期間働くだけなら最高な場所なのかもしれない。

小さなコミニティーなので都会の生活のようなことはないけど、夏はユーコン川がホテルの目の前を流れており、少し車では知らせると湖もあるので釣りはできるし、ハイキングもできた。さらに年中公共のジムがあるので身体を動かすことはできる。ネット環境も良くないので、ネット中毒なども起きなくて、コーヒー飲みながらのんびりとスローライフが体験できる環境は整っていた。

そのスローライフな環境は、仕事にもあった。

仕事内容もスローライフ
フルタイムスタッフとして僕はホテルの全般の清掃スタッフとして働くことになった。
初日から引き継ぎができるYNPサポートで1年以上いたスタッフは既に辞めていたので、2−3日前から来ていたファーストネーションのおじさんスタッフと働くことになった。

彼はとてもフレンドリーかつ仕事は早くさっさとデキる人だった。ただ彼は、連続でペースを維持して長時間働くことが嫌いなのか、休憩時間が多めで時間に余裕をもたせるのが好きだった。彼の行動パターンは以前働いていたようなホワイトホースのホテルでは到底許容されないことだ。しかし、このホテルで可能なのである。時間内にノルマとなる仕事ができれば、僕たち清掃スタッフにプレッシャー与えるような監視する上司はいなかったので基本的に自由だ。

フロントデスクに清掃した場所を報告すれば、あとは彼らが勝手に部屋のマネージメントをすることになっている。部屋の清掃さえ終われば、僕たちの仕事ノルマはほぼ完了したことになる。3時以降は就業時間まで、のんびりラジオを聞きながら洗いと乾燥が終えたシーツなどのリネンをたたみながら、翌日の準備をした。

僕が仕事を始めた6月は、屋外のキャンピングカーやバスが停泊できるRVパークは埋まるけど、まだまだ7−8月のように連日屋内の部屋は満室となることはなかった。

RVパークの滞在客の場合、僕たち清掃スタッフが行うサービスは基本的に特にないので、僕たち清掃スタッフにとってありがたい客だ。彼らは勝手に停泊地に備えられた水道と排水のホースや電気ケーブルを車に繋ぎ、適当にキャンプ用のテーブルなどを広げて長いデイタイムの緩い時間を自然と共に満喫してくれる。

連日満室のようなハイシーズンが始まるまで、僕を含めて2−3人の清掃スタッフに対して清掃する部屋が、10部屋くらいだけ日も多くあった。これは、ホワイトホースでの仕事を考えれば3分の1以下の仕事量である。客室の清掃以外にもホテル内に併設されたバーや公共ランドリールームや屋外にあるログハウスや屋外トイレ、そして客室で交換したリネンの洗濯乾燥などもあるけれど、部屋数がそもそも少ないので、2−3人いれば全然余裕のノルマだった。

これがホワイトホースだと70−90室を毎日4−6人で清掃するので大変だった。スタッフのズル休みが重なって3人しかいないときは本当にやばかったのを覚えている。

例え満室になったとしてもここCarmacksホテルは、22部屋のホテルである。リネンなどの備品の準備や心の準備ができていれば、もともとホワイトホースのホテルで1人で15-20部屋ほど掃除していた自分としては、難しいことではなかった。

二人チームでの仕事が安定し慣れてくると、決められた就業時間内に仕事が終わり時間が余るようになった。そうなるとタバコを吸いに行く人もいれたけど僕は吸わないタイプであるので、多くの時間をレストランでコーヒータイムを設けたり、ユーコン川を眺めたり自由だった。僕は、夏の間ホテルから近いユーコン川までコーヒーカップを持って歩き、辺りで飲みながら過ごすことが多かった。

もちろん僕以外のホテル清掃のスタッフは、ハイシーズンのみ働く短期スタッフばかり(一応シーズンジョブであるが数週間で辞めていく人が多い職場)なので、唯一長期で働く僕は、仕事に余裕があれば責任持って少しずつホテルの備品など整理整頓や在庫管理を行った。
ホワイトホースで学んだことを応用して、長年誰も触ってこなかったゴミや不要なものを片付けるだけでなく、新しく次のスタッフが来てもわかりやすいようにレイアウトしたり、備品にタグをつけたりした。

時々ホテルのフロントスタッフやマネージャーなどが新しく備品を持ってきたりするのだが、整然と並んだ備品やリネンにビックリしていた。今までこういう事をする人がいなかったらしい。

たしかに働き始めた当時は、今までのスタッフが杜撰な管理をしていたのか、同じような備品があちこちで保管されていたり、かなりカオスな状態だった。実数もわからないし、何が必要なのかもわからない。この点はホワイトホースのような管理責任者がいるような大きなホテルは違う。責任者がいれば僕たち清掃スタッフは、基本的に清掃に集中できる環境が構築されやすい。予算が決まっているので、責任者がオーダー調整して備品を揃えてくれる。逆に責任者がちゃんと管理できなけば、清掃スタッフは勝手に判断して不足した備品をオーダーしたり柔軟にできないので、すごく困ることもあった。

ここCarmacks のホテルには、ランドリーやルームサービスを含む清掃部門の統括責任者はいない。僕が清掃部門の唯一無二のスタッフなので、僕がちゃんと管理し、備品不足と判断したらオーナーやマネージャーに頼めば、備品を順次オーダーしてくれる環境であった。

ここで働く事で、カナダのカジュアル仕事における良いとこと悪い面の両方の部分を垣間見ることができた。
ホテルは電話だけでなくオンラインサイトから予約を受けているのだけれど、管理はフロントスタッフの手作業だった。そのため一部屋の予約なのに複数の部屋が予定されたりすることも頻繁にある反面、逆に急な予約が増えていたり、事前に翌日の仕事量が予測できない日もあった。この点は、前日までにリネンや備品の準備をする癖がついている僕にとって中々辛い点だった。しかしジャムおじさんことホテルのマネージャーも厳しく僕たち清掃スタッフに要求はしないし、気軽に相談できるスタッフ同士な環境だったのでお互い様だと感じるようになった。

2019年7月の繁忙期に入る頃までは、僕に仕事を教えてくれていたファーストネーションのおじさんは消えていた。彼曰く仕事内容が増えてきて、健康的な仕事ができないことが理由だったらしい。意訳すれば、追加で自主的に彼がとっていた休憩時間が減ってきたことが原因なのだろう。

彼が休憩している時間、僕は彼抜きで責任持って翌日の準備を一人でしていることもあったのだが、彼にとってはそれでも休憩時間が不足して辛かったらしい。僕は、彼のように思ったことがなかったので、あまり理解出来なかった。。。。このホテルは、大企業のようなマニュアルもなく管理は少しスタッフ任せな杜撰な部分という緩い感じを受けていたので、そこまで辛くはなかった。

「ホワイトホースのホテル仕事のように低賃金労働で馬車馬にならなくても良い。」これが僕にとって大きかった。自分が許容できる範囲でしか働くことが求められず、プレッシャーや監視もない楽な仕事スタイルだったので、永住権取得までやっていけそうと思った。

僕のような日本・海外を通じてホントのブラック環境と思えるくらい働いた経験のある人と比べて、既に市民権や永住権をもつようなカナダのカジュアルな仕事スタイルが身にしみている人にとっては、Carmacksの仕事ですら厳しいと感じたりするのかもしれない。

このホテルでは、他にも割の良いユーコン準州政府の仕事をみつけて辞める人や夜逃げのように消えいてくスタッフが後を経たなかった。毎週のように清掃スタッフ含めて、レストランやギフトショップへ新しいスタッフが来るのだけど、僕が名前を完璧に覚える前にいなくなったり、とても離職率が高かった。

確かにこのホテルで一生をマネージャーといった管理役職でなく、いちスタッフとして働くとなると、厳しいかもしれない。また福利厚生も薄い。大手のホテル含めた大型チェーン店や企業では、歯医者や眼科などの「医療補助」や「年金積立補助」といった給与以外の付加価値があるのだが、このホテルではそういうものはない。
※ユーコン準州は眼科や歯科、特別な医療を除いた基本的な医療は無料。

そうなると、Carmacks までわざわざ働きにやってくる人は、僕が考える以上に気軽に働ける環境を求めてくる人が多いのだろうと思う。

人不足を補うため、6月の終わりから学生が夏休みにはいるとオーナーの娘や息子、親戚達が一同にCarmacksのホテルで季節労働するようになった。彼らは本当にオーナーと同様に働き者だった。

追加の清掃員は、直ぐにいなくなるので、僕は、14歳位のオーナーの娘である双子の姉妹とホテル清掃をすることが多くなった。彼女らは、本当に中学生なのかと思うくらい、しっかりしていた。真面目にノルマを達成してくれるので時間に余裕が生まれやすく、本当に働きやすかった。僕が彼女らの年齢の頃は野球と釣りしかしてなくて、もっとボンクラだったと思う。

彼女らが学生生活にもどると人不足が再燃し、スタッフの食事も提供するレストランが一部休業したりした。朝食だけホテルと兼営の生活用品店で販売している軽食を無料で提供されたすることもあった。

僕にとってレストランでの出来立てスタッフミールの停止よりもホテル清掃のノルマを達成して時間を持て余した時の就業中のコーヒータイムができなくなることが辛かった 笑。

オーナー家族のヘルプがなくなっても短い秋を楽しむお客さんや鉱山の季節労働者はホテルにやってきた。スタッフ不足が続いて、追加の清掃員がおらず僕一人で清掃が追いつかない日もあった。そうなると屋根の修理や電気系統なんでもメンテナンスするフィリピン系のおじさんがヘルプとして清掃を助けてくれた。彼は、数年前にメンテナンス系の資格を取るまで、このホテルの清掃スタッフとして働いてので何かと頼りになった。僕がここのホテルをやめるまで、僕の休暇中や多忙時にヘルプに入ってくれるので本当に助かった。

秋のオーロラ

夏のユーコン ハイキング

Carmacksの秋


永住権取得

2019年の9月、遂に移民局からメディカルチェックのお達しがやってきた。政府認定のクリニックや病院にて永住権取得のための検査を受診する必要があるらしい。
自由なCarmacksでの生活に慣れてきて、マネージャーにも相談しやすい環境だとわかったので閑散期を見越してバケーションを申請してみた。快くバケーションの申請は受理され、バンクーバーにメディカルチェック受けにいった。

ユーコン準州でもホワイトホースでメディカルチェックが受診できるのだけど、当時検査に2日要するらしく値段もそれなりだった。バンクーバーまで飛行機で遊びに行っても同じくらいの費用だったので、紅葉広がるバンクーバーを楽しみに行くことにした。仕事を解雇されて以来のバケーションであるが、今回のバケーションは1週間の給与や仕事が保証されているので精神的に十分楽しめた。

バケーション後の閑散期をCarmacksでのんびり過ごしつつ、スタッフとのコミュニケーションで英語力が上がっているなと感じてきた頃(2019年の12月末日)、遂に移民局から手紙が届いた。早速、休暇がある日に、Carmacks からアラスカまでポールフラッグを行った。2年目となり雪道での運転も慣れてきたし、片道600kmくらいあるけど、全然疲れなかった。遂にカナダ永住権の取得ができた。

2020年に2月にはなんとか永住権者を証明し、カナダ国外への渡航で携帯が求められているPRカードを取得した。僕にはカナダで他にもやりたいことがあるので、このお世話になったホテルの仕事を退職する方向となった。

振り返ってみて
2019年の4月に永住権の書類が受理されて約10カ月、思ったより順調に永住権のプロセスは進んでくれた。プロセス途中でホワイトホースでの仕事をレイオフされたり、僕にとって新しいコミニティーで仕事、住居を経験したり、いろいろあったけどその度に乗り越えることができた。

予想より面倒な人間関係による離職や車のトラブルで、順調にお金が貯まらなかったりもしたが、それ以上に自分が仕事探しやなどトラブルが起こるたび、ユーコン生活で出会った彼女や友人のサポートを経験できたことが大きな糧であった。

今回2017年の11月にカナダにやって来てから構築した人間関係は本当に貴重な経験だったと思う。
ノミニープログラムというカナダの大手留学・移民エージェントですら詳細に知らない制度であったけれど、経験者の情報を借りつつ順調には永住権を取得することができた。
その間にユーコン準州の自然や田舎暮しとはなにかを体験し、オーロラ、釣り、ハイキング、キャンプを楽しんだ。

英語も、ホワイトホースからCarmacksでの生活がきっかけに徐々にリスニングやスピーキング力が蓄えられた。日本人のほぼいない環境と英語力の乏しい僕に対してもちゃんと対等に話をしてくれる優しいスタッフ達がいた。次第にネイティブなカナダ人とのコミニュケーションでプレッシャーもなくなり、英語を話す上でさらに挑戦的になれた。Carmacksでの生活は、自然とカナダ人達が話すような話題など使える会話を学ぶ環境になり良かった。自分の英語に対する不足した部分が、より明確に見えた。どれくらい英語をブラッシュアップすれば、看護系の学校への入学も可能だろうと思えるくらいの展望がみえてきた。

また、台湾から移民した彼女もできた。
これは、今まで自身がなかった英語力や行動力で起こらなかった出来事だと思う。

一緒にコロナ騒動のなかカルガリー移住ができ、毎日充実した生活が彼女と送れるようになってきたのはカナダ永住権獲得までの大きな副産物なのだろうと思う。

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