小田知明くん始動~ワーホリ10年後の開戦

ワーホリから10年、再度オーストラリアに参戦。今度は奥さんと三人のお子さんのための露払いの先遣隊の孤軍奮闘。帰国後に積み上げたメカニック10年キャリアをひっさげて、シドニー、アデレード、メルボルン現地の工場にガンガンと飛び込み視察をすること合計137件!

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↑トビラの写真は10年前ワーホリ時期、ラウンド途中の写真

奥さんと子供三人をがっしり肩にのせ、いよいよ小田くん、永住権十年戦争への参戦です。

彼が最初に来たのは2007年でしたねー。同じ週に粂田(くめだ)君という男性も来て、次の週に今オーストリア住んでる紗代さんが来て。そのちょっとあとの週に、今の小田くんの奥さんであり、三児の母である酒本佳子(よしこ)さんが来て。

体験談は、まだこの頃は直筆スキャンの時代で、インデックスの203-206ページが小田くんで、207-210ページが酒本さんです。
これ、今読むとなかなか面白いんですよね。学校時代はただの顔見知りだったのが、ラウンド先で再開して以後行動をともにして(10年後の今も、この先も共にしてて)、途中で四駆買うんだけど、二人の”証言”をつきあわせると、提案したのは佳子さんの方だったり。小田くんは”He is a machine”とファームで噂されるくらいガチ働いて2万7000ドル稼いで、当時の賃金水準(日本と違ってこっちは上がっている)を考えれば今の4-5万ドルくらい、二人合せて4万ドル(今でいえば6-7万)稼いだことになるんだけど、でも体験談読んでみると、遊んだ話ばっかなんですよね。ほんと全編「こんなとこ行って楽しかった~」とかそんなことばっか。だからいかに稼ぐかではなく、いかに使って遊ぶかって話です。

思うに、タフなエンジン部門は主として小田くんが担当し、それをベースにいかに楽しくやっていくかというアイデア部分を佳子さんが大きな働きをしているって役割分担なのかなって気もします。これがその後の夫婦生活の基礎になっていったのかもしれませんし、今回の永住チャレンジの原型もそうかもしれない。なるほど「よき配偶(めぐり合わせ、噛みあわせ)」なのかも。

ところで、一般に女性の方が現実的で、男が何やらロマンらしきことを口走ると、「そんなお金がどこにあるのよ!」とハエたたきのようにびしゃっと叩き潰すのが奥さん(女性)だったりするというイメージがありますが、ここはそうではない。佳子さんも、金の大事さ、生活のシビアさは身にしみて知っているだろうけど(そりゃワーホリあがりだし、リアル主婦&三児の母やってんだし)、それでもなお、「楽しくなかったら人生じゃない」ってところはブレてない感じで、そこがイイですよね。
去年、僕が日本に帰ったときに、田尻くんの農場に遊びに行く際、佳子さんも同行されて、神戸からの高速バスでお話してたんですけど、田舎暮らしを検討していろいろ見て回ったそうです。だからもっと楽しく、人間らしくならないかってのは常に模索されていたのでしょうね。でもそれが原点だよな。そこを諦めてしまったら、もう惰性で生きてるみたいになっちゃうし。

さて、話戻って、十年前に小田くんが最初来た時、彼、ぜーんぜん英語出来なかったですねー。まあ普通にみんな出来ないんだけど、でもサンキューレベルで既にやばいってくらい出来なくて、それでもガンガンシェア探しに突撃してましたねー。

これ無駄に思い出話をしてるんじゃなくて、今回、再上陸ってなった初日に作戦会議のようにお話したんですけど、なんか既視感バリバリで、「ああ、十年前もこんなだったなあ」って。「え、マジにやるんですか?」「いや、やらなきゃですよね」、って言って、ビビりながらも、すーっと息を吸い込んで自分に言い聞かせていく感じなんか、ほんと既視感(てか事実、既視なんだが)でした。

来る前にも色々メールで相談したり、去年帰省したときに会ったりもしたのですけど、最初はアデレードで探すとかいう話でした。今回、初日に会ったときもそこから始まって、「なんでアデレードなの?」という。
確かにSA州は過疎化がやばくて永住権的にも優遇されたりしてます(NTも)。あと、なんか手頃に小さくて手頃に都会で、そんな行ったことないからいいかなーという、ラウンドでの次の目的地の設定くらいの感じだったそうです。

そこは好みなんだけど、なんでも体験すれば成功であるラウンドと違って、今回は奥さん子供抱えているし、戦略的にも戦術的にももうちょい詰めた方がいいかもってことで話していました。
そもそも移民局が優遇するってことは、あんまり経済的にパッとしてないってことで、そこでそんなにスポンサービザが取れるのか、外人の手も借りたいってくらい商売繁盛してるのか?です。州政府のノミネーションもあるけど、これが超ブラックボックスで、申請したはいいけど、途中経過は一切わからず、梨の礫で何年も待たないとならないのが辛すぎる。

ま、だからアデレードで見るのはいいけど、その前に、修理工場(小田くんは帰国してからメカニックを始めて十年キャリアがある)にいってスポンサーの話とかしてみて、実際にどれだけ食いつきがいいか、話が通るかを見てみるしかない。先達の神木さん(塗装)の話では、アデレード方面にメールしてもビザとかに詳しくないみたいで話が進まなかった、だからシドニーにしたとか言ってたし、そのあたりのリアルな比較が出来たほうがいい。
また、労働ビザが取れたあとお子さんの学校の費用が免除になる州とならない州があって、シドニー(NSW)は半額免除でしかないけど、メルボルン(VIC)は全額免除(SAも)。だから学校通う年齢のお子さんがいるなら、労働ビザ段階ではシドニーは現実問題選択肢にはなりにくい。でも、だったらメルボルンだっていいじゃん、仕事やチャンスはアデレードよりもメルボルンの方があるだろうし。

てなことを話ながら(事前にメールでもやってたけど)、シドニーでとにかく当たって砕けろ的にガンガン修理工場を「こんちわー」で入っていき、どこまで話が通りそうかの感触を得る。サンプル採取したいわけですね。サンプルは多いほどいいから、シドニーで数限りなくやってみて、どんな感じかってのを体得する。
それをベースにして、アデレードに行ってきて、同じことをやってみて、同じなのか違うのかを感じてみる。さらに同じことをメルボルンでもやってみる。そういったリアルタイムの現場感覚、皮膚感覚が一番信頼できるから、それをやろうと。

で、初日のこのときは、シドニーの地図を広げて(Google Mapで検索表示して)、このあたりに修理工場が密集してるよとか、簡単な最初の英会話のやりとりとか、そのあたりをやって、以前APLaCのあったArtarmonからLane Coveの間のエリアに修理工場がたくさんあるのでそこにいくことに。そのときに「いよいよかあ」「やるっきゃないし」で、すーっと息をのんで、静かに決意を固めてました。そこが既視感。人生同じことの繰り返し、てか、一つ上にあがろうと思えば、あのシェア探し初日の感じでやるしかないっすよ。だから大事なのですよ、そこでの成功体験というのは。

小田くん、頑張りました。1日で34軒廻ってきて、帰ってきたときは晴れやかな顔。結構、いい感触だったみたいで、さすがシドニーってことで、ビザの話もわりと通るし、前にも何度か出してるよ、スポンサーになったことあるよって店も結構あって、今すぐトライアルやってみる?とかいう話もあったしで、前途に希望が。

後日、予定通りアデレードに突撃したのですが、こっちはやっぱり全然違ってたらしい。またメルボルンは感触が良くて、、と予想どおりっていえばそうなんだけど。このあたり僕が書くよりも、ご本人のメッセンジャーでの報告をそのままコピペした方がニュアンスが正確だと思います。

予定通りアデレードに行きましたが、いろいろと思っていた以上に渋いというかパッとしないというか、なので今朝ほどメルボルン入りをしてしまいました。
結局アデレードでは50~60件ほどしか見ていませんがどこの整備工場も非常に暇だと言ってました。そして圧倒的に数が少なく、全然数が稼げず歩くばっかりでした。 正直決断するには早かったのかもしれませんが、やはりもう少し大きな街で選択肢の多い方で再度やってみることにしました。
今日は10件ほど行けましたがまあまあ好反応のところもありましたし、いけるんじゃないかなと思ってます。(笑) 今回はじっくり時間をかけて探すためにサバーブごとに区切ってとりこぼしの無いようにしっかりやろうと思ってます。

(続報)アデレードがぱっとしなかったためメルボルンに来たところからです。シドニー、アデレードと同様に履歴書配りをしてトライアルをしてくれるところをゲットして今4日目が終わりました。数えてみたら三都市の合計で137件アタックしてました。まだ仕事が決定してはいませんがもしダメでもやり方は覚えましたのでなんとかなると思いますか。いや、なんとかします。(笑) 今の職場は先ほど思ってたよりかは忙しい感じとお伝えしましたが、五時にはみんな帰るので家族と暮らすのにはとても良い環境だと思います。来週から始まる新しいトライアルの事も今のボスに話してみようかと思っています。正直家族と離れてちょうど1ヶ月が経ち、かなり寂しくなってきてますがまだまだこれからなので学校、仕事ゲットと頑張っていきます。

あと、最近の話ですが、NSW州では日本のメカニックの資格がそのままコンバートできなくなって、こっちでまた取得しないといけないそうです。メルボルンとかはまだ良いのですけど。なんでもそうですけど、後になればなるほどどんどん門は狭くなるよね。

ということで小田くん、メルボルンに腰を据えて、語学学校も決まって、すでに通学が始まってます。さんざんGTE添削で「書き直し~」とかやってたんだけど、結果的に今異様に学生ビザが下りやすく(2分で出た人もいた)、速攻でビザが下りたので肩透かしですね。よくわからないけど、意味なく厳しいときと、ザルのようなときととがありますよね。年度末の数こなしやっつけ仕事とか、政権交代予想の選挙時期とか、配偶者ビザの改正前の駆け込み申請に人を取られているとか、いろんな事情もあるんでしょうけど。選挙は水物、ビザも水物ですね。

というわけで、初動態勢は整いましたよね。
なにはともあれ、シドニー、アデレード、メルボルンと駆け抜けて、137軒飛び込みで聞いて回ったという、ガシガシ突進力は健在でした。いやあ、すごいわ。マシンだわ。

予定で行けば、とりあえず学生ビザで就労条件を満たして、トライアルでもなんでも良さげな職場で働いて、今回の学生ビザの期限である半年プラスアルファの間に、次のステップ(労働ビザを出してもらう)ところまでこぎつけるかどうか、です。
普通そこまで数年かかるんだけど、すでにワーホリやってるし、メカニックキャリアは十分だし、英語もかなり日本で勉強してたようだし(10年前とは大違い)、一気に半年でリーチかけたいところです。
この最初の学生ビザ期間も話してました。いや、半年は短いかなーと。でも、家族と離れ離れも半年くらいが限界だろうし、半年でいけるかどうかはともかく、かなり視界は開けているだろうから、それを前提に次のステップを構築すればいいし、いい区切りになるかなとか。仮に半年で労働ビザまでいかなかったとしても、次は家族で来て、佳子さんの方で学生ビザ取ってそれに小田くんがのっかって働くという形式(前の吉田さん形式)もあるし。そのためにも、最初の半年どこまでいけるかが勝負であり、さらにそのためには一番最初の初動設定(都市決めと、仕事探し訪問に慣れて、コツを体得する)が大事でした。それらはクリア、と。

でも思ったんですけど、今回の挑戦って、全部、10年前のワーホリ時代に原型が出来ているのですよね。佳子さんとお二人の関係力学みたいな部分とか、思い切って最初の一歩を踏み出すときの恐さ、息しないでバタ足!みたいに無我夢中で進んでいくところとか、要所要所で全体をみわたして大きな構図を作っていくところか、全~部やってきたことですよね。

最後にいくつか写真を
10年前のラウンド途中で立ち寄ってくれたときのもの 愛車の四駆と(冒頭のとはまた別のカット)

同じ日に撮ったと思うのですが、あとの二人は加藤夫妻ですね。

加藤さんご夫妻ももワーホリで来て、面白いのは、先にダンナさんだけ先行で来たことです。奥さんはアメリカに長いこと(10年以上だっけな)暮らしてたので英語も仕事もOK,でも外国をよく知ってるからこそ、「最初に知らない環境で四苦八苦するのがすごい大事だから敢えて一人で行ってこい」と送り出されたそうです。ユニークな点のその2は、飼ってた猫(めんち君だったよね)も苦労して連れてきたこと。検疫のために一ヶ月収容されるところがあるんだけど、そこまで一緒に行きましたよね、面会で。奥さん来てからのシェア探しも、猫OKのシェア探しという難易度が高くなったんだけど、CammerayだったかCremorneだったかにいいい所を見つけてましたね。ユニークその3は、途中で帰国されるんだけど、一つは猫がもう病気で(寿命も近いと)最後はやっぱり知ったところでということと、奥様が懐妊されたことで。長いことお会いしてないけど、ご健勝であらせられんことを。

初日の打ち合わせのとき

なんと10年前にシェア探しで使った地図を持参 ぼっろぼろで貫禄バリバリな

ちょいブレてるけど、いざ出陣的な感じがいいので

ちょうどそのころ一括パックで来ていた下村くんとご飯(以下の二枚は下村くんの回でも掲載しましたよね)

なぜか一緒にシェア移動までついてきた小田くん、いやあ懐かしいなって

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