田中(邦)くんの近況 チャイナタウンとバトミントン

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ちょい前に掲載した田中聖人くんではなく、その3ヶ月前に来られた邦明くんの方です。紹介文はここ。

4月にWHで来られて早くも3ヶ月経過で、メシでもいきませんか?ってお誘いを受け、多忙ゆえすぐには動けなかったのだけど、「忙中閑あり」で時間ができたので、「お、今だ!」と盗塁チャンスみたいな感じで連絡して、セントラルで落ち合って。

ガチに腹減ってる?じゃあマジメシいこか~で、チャイナタウンをぶらぶらしました。チャイナタウンは幾つかフードコートがあるよね、知ってる?とか歩きながら、この際一番ディープで一番安いところに行く?ってことで。

二人であれこれ見て回って、手分けしてオーダーしてシェアして。

魚まるまる一尾のやつと、肉ゴロゴロのアジア風カレー(どっちも10-12ドルくらい)

 

最近どうしてんの~?

というと、最初はシェアはすごくよかったんだけど、そろそろ違う風景がみたくなって、もうちょいワイワイぽいシェアに移動(Ashfieldだったかな。コロンビア人のシェアメイトとかいい感じらしい。

バドミントンとエンジョイ正義の対等観
特筆すべきは、ずっとやってたバドミントン。
最初のシェア探しの終わりの頃に、「これ(シェア探し)が出来たらあとは何でもできるよ」「バドミントンでも適当に調べて当たりつけて、あとはこんちわーって行けばいいよ」というのを律儀に実践。

地元のオージー達と一緒になってパコパコやってるらしいです。
総じてみんなそんなに上手じゃないので(すごい上手い人もいるけど)、気後れすることもなく。

ここで、ちょっと横道に逸れます。
これは事あるごとに言ってますし、言うべきだと思うのだが、こっちの場合、日本と違って、上手い下手とかそんなに気にしない。もともと楽しみたいからスポーツ(or anything)をやってるのだから、やるにあたって最大にして唯一のフォーカスポイントは「楽しむかどうか」です。まあ、当たり前の話だわね。

だから技術的な巧拙とか、勝った負けたなどは、そう思うことでもっと楽しくなるなら、その限度で盛り上がっていればよく、巧拙や勝負を意識しすぎるが余りに楽しくなくなったら、それは本末転倒で、アホの子やと思う。

ところが日本の場合、なんか知らんけど、もの凄く過剰に意味付けをしますね。これは仕事なんかでもそうなんだけど、本来の原点の10倍くらいに膨らませる。セコい天丼の海老天みたいに、鉛筆のような細いエビに丼サイズのコロモをつけるくらいに意味が膨張している。

例えば、スポーツサークルでもなんでも、先輩絶対の年功序列のほかにも、やたら「名誉」「栄光」をひっつける風潮があります。母校の名誉とか郷土のなんとか、日の丸背負ってとか。
でもさ、たかだか「好きでやってる」だけのことだよ?その意味ではパチンコとかナンパと同じことだよ。それになんで栄光とかリンクさせるの?しかも他人がやってることだべ?そんなに名誉や栄光が好きなら、自分でおやんなさいな、他人の褌で相撲をとるのもいかがなものかって思う。

そのコロモ(過剰な意味づけ)の中にもうひとつ、「上手いやつがエラい」という変なヒエラルキーがあるじゃん?
ヘタなやつは馬鹿にされるし、ひどいときは「ヘタに人権ナシ」みたいなノリがあるでしょ。

あれもクソだよなーって思う。
こっちにきてそう思うようになったのではなく、日本にいるころ、遡れば子供の頃からなんか違和感ありました。「なにムキになってんだよ?」って。
しかもクソヒエラルキーに人格的序列までつけられて、下っ端だと人格的にも下扱いだし、しまいには本人すらもそういうアイデンティティになってしまうという。何なの、この不毛な人間関係は?

その点、オーストラリアはマトモでほっとします。プロクラスに超上手いヤツのすぐ隣でド素人の下手クソがやってても基本対等。「楽しみたい」って意味では同格なんだから当たり前。全然タメ口(てか、もともと英語ってタメ口が標準なんだけど)。

ということで、そんなマトモな環境で、田中くんはのびのびバドミントンを楽しんでおられるそうです。今では一番楽しい時間になってるらしい。

ええこっちゃ。エンジョイすることは人生の本業であり、正義だもんね。

他にも色々書いたんですけど、長くなってしまったし、だんだん田中くん本人から離陸していってしまったので、別途またエッセイかブログに書きます。

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