オーストラリアという選択肢は今もアリか?

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いや~、僕も1994年に初めてオーストラリアに語学留学して、今年で30周年です。上の写真は94年に来た頃のものです。4月17日についたと記憶してるから、4/17はパーソナルなオーラリアン・デーなのですね。祝日にはなってないけど(当たり前だけど)。

だけどねー、30年も住んでて思うのは、ぶっちゃけ僕が永住権をとった頃が一番良くて、あとは落ちる一方というか(笑)。キーティングがAPECで旗振ってる頃がギラギラしてて輝いてたんだけど、そのあとのハワード長期凡庸灰色政権で輝きが失せて、どんどん魅力なくなってますよね、はい。

まずは長期的な傾向

最初は「なんでも安い」のがオーストラリアの魅力だったのですよね。最初に借りたのがGlebeの2BR(2LDK)が週220ドルだもんね。月6万で都心まで歩ける距離に2LDK。今Glebeで同じ物件だったら800ドルでも厳しいよね。4倍くらい上がってる。

当時住んでたフラット。最上階で部屋からシティの摩天楼が一望できた。朝焼けが綺麗でよく早起きして見てました。

それにメシも美味くて、安かった。今も素材の質はいいんだけど、高いし、ポーション(一人分の量)が少ない。今でも覚えてるのが(エッセイに何度か書いたが)、Glebeの「イル・クロスティーノ」というイタリア料理。それまでバブルの頃に二人で5万円也!というイタリア料理が一番美味しいと思ってたけど、それ以上に旨くて、一人3000円もしなかった。こりゃあ住むっきゃないぜって感じで。

でも今は昔でそんなことはない。この店は数年してなくなってしまったけど、バルメインのタイ料理の「インサノン」とか、パディントンの「スープキッチン」(ここの自家製レモネードは絶品だった)とか、いいなーと思う店はほとんどなくなってしまった。よく皆を連れていったPetershamのポルトガル料理の店(Costa De Sol)もこないだ見たら地上げなんだかしらんが建物そのものが取り壊されていた。

しかし、レストランは頑張ってる方だと思いますよ。金利は上がる、生鮮品の値段もあがる、レント(家賃)はもっと上がるでよくやってるなと思います。料理の値段は、あがったといっても2倍くらいかな?安いところで一食7-8ドルだったのが、15ドルくらいだからほぼ2倍。だけどレントは4倍くらいにあがってるだろうから、そりゃ厳しいよね。

加えて日本の賃金が上がらない(てか実質下がってる)から日豪のギャップが厳しい。94年頃はオーストラリアは日本の半分(給料も物価も)だったのが、2000年くらいにトントンになり、あとは格差が開く一方です。

日本で1ヶ月稼いだらオーストラリアに2ヶ月滞在できる(数字はテキトーだけど)のが、日本で2ヶ月稼いでオーストラリアに一ヶ月滞在出来るくらいになってきたら、予算面で厳しい。学生ビザの代金だって、その昔は200ドル代だったのが、いまや700ドルだもんね。

将来的に日本市場が痩せてくるから、この仕事も長いことないなーというのは見えてたので、ぼちぼちバイト副業を探したり、安いレントのところに移動したりしてました。90年代は、日本がまだリッチだったから、日本人観光客も年間80万人近くいて、現地在住の日本人の仕事は日本人相手の観光業が多かった。日本人客が多かったから、日本語学習ニーズもあり、日本語教師の需要もあった。今は昔です。今どんだけ日本から来てるの?と調べたら、あまりよく分からず、コロナ前の2019年で45万だから最盛期のほぼ半分強、コロナ後の回復で23年9月段階で70%回復とありましたから30万人くらい?その分、オーストラリアから日本に行くオーストラリア人観光客は増える一方で、もう完全に日本人数を追い越しています(コロナ前の統計で60万人)。以上の出典はココココです。

永住権も、大昔は「申請したらすぐくれた」という夢のような時代もあったそうだけど、僕の頃ですでに厳しくはあったけど、その後に比べたらまだまだ楽でした。ポイントテストもシンプルだったし予想がついた。10年前はかなり厳しくなったけど、今よりはましでした。どんどん厳しくなってる。てか、政権が変わる度に見た目だけの政策を朝令暮改で打ち出すから、今の永住権システムは、増改築を重ねまくったスラム街の違法建築建物みたいで、ようわからん。それにズルいのは肝心カナメの部分をブラックボックスにしてるから(ノミネートされる「こともある」という具合に)確定性がない。

つまり大変な割にはリターンが少なく、コスパが悪くなっているんだわ。

昨今から将来の傾向

それに加えて、西側先進国の急速な凋落と、グローバルサウスの台頭があります。

オーストラリアなんかうまく立ち回れば、BRICS加盟国の連中がゴロゴロいるんだから(南アフリカの大富豪系は=アパルトヘイト終焉で逃げてきて=昔からいるし、中国、インド、ブラジル系は学生ビザや永住者が山程いるし、レバノンなどの中東系もパレスチナ難民引受以来たくさんいるし、少ないのはロシア系くらいかな)、なんぼでもパイプはあるし、ウハウハになれるんですよ。でも、オーストラリアの本家の英国とアメリカが断末魔みたいにトチ狂ってるから抱き合い心中させられそうで(ファイブ・アイズとか)、そのせめぎあい。つい先週、WikiLeaks創設して怒りを買って延々身柄拘束されているジュリアン・アサンジ(オーラリア人なのだ)の帰国を英米に要請するオーストラリア議会の議決をしてますので、本音では離れたいんだろうなーという気もします(まだやってなかったんかい?という気もするが)。これらは鏡対照で、日本も韓国も同じでしょう。離れたいけど離してくれない、もう尼崎事件みたいに一家まるごと乗っ取られて、弱み握られて奴隷にされて、骨までしゃぶられて、すっからかんにさせられるという恐怖はある。

このあたりは推測が多く、それだけに妙に面白いから尽きないんだけど、まあ床屋政談ですわね(笑)。
とりあえず今日明日の具体的な処方箋まではいかない。ただし、長期的な展望でいえば、どっち転がってもいいように考えておく必要はあると思います。

例えばつい先日(24日)、ECOWASがニジェール、ブルキナファソ、マリに対して、これまでの強硬姿勢を一転、折れて融和姿勢を示しましたけど、そのあたりの流れとかは押さえておくべきかと。これ解説してると長くなるから割愛しますが、要はなんでこれまで第三世界が貧しいままなのかといえば、歴然とした植民地支配があり、プラス傀儡政権を樹立するためにアメリカなどに国内を引っ掻き回されていたからでしょ。この西アフリカの3カ国は、それに反旗を翻した。ニジェールだったかな、金もウランも資源は世界有数レベルに持ってるのになんで俺らが何十年も(そして未来永劫に)貧しいままなのか?それは金でも200円で世界に売れる分だけ掘削してきても、全部宗主国のフランスが利権をもってて、地元に支払われるのはわずか5円だからだ。5円で得た金を200円で売ってるんだからフランス(欧州)ボロ儲け。いい加減にしろとフランスに反旗を翻し、追い出した。フランスも昔だったら力づくで抑えただろうけど、今はバックにロシア軍がいるから手が出せない(だからこそ反旗を翻した)。いまだに傀儡政権のままなのがナイジェリアなどの周囲のECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)で、欧米の意のままにこれら3カ国に制裁を加えていた。しかし、もう欧米についても意味がないということかどうかわからんけど、折れてきた、という流れです。

欧米主導が現実にも生きてたころ(G7が「爺7」とか馬鹿にされる前の輝いてた頃)なら、世界を考えるにしても欧米中心に考えればよかった。範囲が狭かった。でもこれからは、頭に世界地図を広げて、どこにどんな国があって、どういう情勢で、、、とかいうのを考えないといけない。その分大変なんだけど、欧米主導の頃の複雑怪奇な駆け引きとかが少ないのでわかりやすい。ただ日本に居て、普通にメディア見てるだけだったら全然わからんと思うから、「自習」は大事ですよね。もの凄い勢いで非欧米世界はシステムを構築してますから。

初動が二倍くらい難しくなったかな

実際、ワーホリや留学で来られる人に言えば、その昔(10年前くらい)に比べて、ざっと2倍くらい難しくなってるとは思いますよ。まず物価が高い。学校の費用も高いし、シェア代が高い。絶対値の比較でも上がっているけど、日本の場合、賃金上がらず国家搾取率(国民負担率)があがっているから、百万貯めるにはこのくらいの苦労をするという「このくらい」が増えている。ゆえにゴールは遠のき、貯蓄スピードは下がるのでダブルでキツイはずです。

シェアもシェア代だけではなく、物件そのものが少ない。以前に書いたように、無意味な金利上昇→住宅ローン返済上昇→不動産投資の旨味が消える→不動産の回転率が下がる→賃貸やシェアの出物が激減する→品薄になって家賃があがるサイクルになってるから、シェア物件そのものが少ない。少ないから探す範囲を広げ、結果的に遠くなる。Strathfieldよりも都心寄りの物件なんか、東京の山手線の内側的に難しくなっている。とはいっても、直近の皆さんを見てると結構いい感じで探しているので、探せばあります。別に不可能ではない。ただ探す過程が難しくなってる。
バイトも、コロナ明けの超人手不足が大量流入で解消されて、かつ不況にもなり、人あまりになってるから、そうそう見つからない。これも別に不可能なのではなく、頑張ればいけます。実際いけてるし。ただそれまでの過程が昔よりもタフになっている。いい経験になるから、無駄ではない。てか、そういう修行をこそしにきたのだろうから願ったりかなったりなんだろうけど、渦中におると中々そうも達観できないわね。

おまけに豪ドルとの交換レートも、過去30年のざっくりした平均75-85円(信じられないかもしれないが一瞬55円くらいになったこともある)に比べて、ここ数年は97円とかすごいレートになってる。

豪ドルの以外な歴史的推移

ここで余談ですけど、豪ドルって昔は450円って時代もあったんですよね。現地在住の先輩に聴いたら、ドル440円時代に語学留学したから滞在費がハンパなく(ハンバーガー一個2000円とか)、とてつもなく金がかかってるから死ぬ気で勉強しましたよーって言ってた。

調べてみたらこのサイトに豪ドルのかなり過去からの推移が載っていて、グラフもありますのでお借りすると

たしかに1973-75年あたりに450円いってます。75年ってどんな年?というと、第二次ベビーブームの頃で、山陽新幹線が開通し、歌では「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「シクラメンのかほり」が流行ってた頃です。米ドルだって昔は360円とか308円とかの固定相場でしたしね。

ドル50円台まで下がったのは、1995年と、あと2008-9年頃のリーマンショック後です。リーマン後は覚えてますが、あの頃大挙してヨーロピアンや他の国の人が入ってきたんですよね、チャンスだ!と。でも日本人だけはショックだったのか全然やってこず、商売あがったりでした。あー、こうしてビビって、チャンスを逸するんだなあって思ったもんです。

しかし思うに、450円という頃の日本経済は高度経済成長からバブルの間でオイルショックなどはあるけど、そんなに悪くはなかったですよ。少なくとも国際的にみればオーストラリアの経済なんか昔も今もこれといって大したものはないです(結局鉄鉱石とか観光とか第三世界の構造だし)。それなのに450円。わからんもんです。

まあ、相場なんかプロ中のプロの巨額の資本投資してデータ解析して、それでも損してるくらい迷宮ですから、何をいっても虚しいんですけど(笑)、「わからん」のだとすれば、今後また450円になることだってありえます。逆にもっと円高になる可能性もある。だけど、今450円になられたら、もうWH事実上無理でしょ。今のAPLaC水準(かなり予算を減らしてもコスパの高い動きが出来る)だって、最低でも400万持って来いって話になります。余裕を持ちたいなら1000万円貯めてこいです。いわんや大学留学だって、今ですら1000万円くらいかかる感じなのに(3年通って)、4-5000万になる。もうそこそこの新築マンションが買えるくらいの。

「やれるときにやっておけ」という一般命題がありますが、確かにそうかも、です。あるとき病気になって、以下ずっと病院食レベルで我慢しろとか、きつい外出制限とか食らう前に、好きなもんは食べておけ、行きたいところには行っておけです。あとで、ああああ、、と思っても後の祭り。

でね、このグラフをみると、85年くらいから急激に円高になっていくのですよ。海外が「安く」なったのもこの頃からなのでしょう。高度成長からバブルにかけて、確かに「南の島でJCB」とかやってて、皆行ってたわ。当時の僕は海外の興味なんかゼロだったからよう知らんけど、それでも周囲ではグアムだサイパンだとか行き始めてた。その85年頃から今にいたるまで、長期グラフをみると、ほとんど豪ドルレートの変化はないといっていい。75円が97円なんて長いスパンでみれば「誤差」レベルであり、一喜一憂するほどのこともないです。問題はこれからどうなるか、ですよね。

過去30年、賃金上がらず、税金上がり、物価上がりでしんどいけど、こと海外に関して言えば、行きやすくなってます。かつて100円だったものが30円くらいになってる感じ?僕が語学留学してた頃のクラスメートの女の子は、大学生だったのかな、JAL便で往復37万円払ったとか言ってたもんね。LCCとか出てきたのもその後だし。

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閑話休題。
話を戻して、ワーホリの初動が難しくなったという話でした。

そうはいっても

ほんでもねー、考えようによっては余裕で許容範囲ではあるのですよね。だって本来のレベルはもっともっと高いもん。つまりラウンドで無一文の「板子一枚下は地獄」的な状況を「さばける」だけではなく、「楽しめる」だけの精神面も含めたタフな生存能力や、将来的にオーストラリアの一般ローカル労働市場に入り込み、就労ビザから永住権までいくまでの道筋の困難さを考えたら、WHや留学の初動が難しくなったといっても、まだまだ幼稚園レベルではあるのですよ。小学校低学年のカリキュラムが幼稚園の年長組に降りてきたくらいの感じ?

それでもオーストラリアの場合、「初動のとっつきやすさ」が初心者には魅力的だったのですよね。思い切って一歩を踏み出したら、皆優しいし、良く見ればチャンスはゴロゴロあるしって感じだったのが、思い切って一歩踏み出しても状況はなんも変わらんと、メゲそうになる、それでもメゲずにやっていくとだんだんと、、という感じです。
もともと、楽ちんな頃であってすら、全体の殆どがそこで心が折れていたので(すぐ日本語情報に走るとか→だからこそ一括パックを開発したのだが)、最近では尚更とっつきにくいかな、と。

ここでまた余談(ばっかで申し訳ないけど)、面白い考察課題としてですね、高度成長の頃の日本は全体に上り潮だったので、流れに乗ってりゃ大体うまくいった。どんなアホでも必死にやってりゃ給料もあがるし、家も買えた。その分当時はハラスメントの嵐であり、荒っぽくもあった。ということは、ボコボコにやられる→それでも頑張る(事実上それ以外の選択肢がなかった)→誰でも大体成功するということで、「ハード体験→成功体験」という大きな流れ、太平洋の黒潮のようなぶっとい流れがあったとも言えます。実際に成功するから嬉しくなって、気が良くなって、ハード体験にストレス耐性がついた。

でも、僕が不在の30年間の日本は、その真逆であり、ぶっとい逆流になってるから、ハードな体験が成功に結びつきにくい。単に辛い思いをして、それだけだったら、辛いだけ損だよね。僕でもイヤだわ。これじゃストレス耐性どころか、トラウマになる。誰もが成功したのが、誰もが失敗するくらいになってるから、必然的に日和見思考の保守的になり、事なかれになる。何をするにも保証を求めるようになるけど、しかし千人のドン・キホーテの死骸の向こうに新しい道が開けるんだから、誰もが怯んでいたら全体の停滞凋落を加速することになるし、実際にそうなっている。

かくしてハード体験神話が今なお普通に通用するオーストラリアの初動において、接点部分で着地に失敗するのも無理ないですよ。成功体験が乏しいんだから。

またネットとかスマホ全盛時代、調べて出てこない→無理、不可能、とか思っちゃうもんね。
でもさ、現実世界における成功とは、「犬も歩けば棒に当たる」の原理に尽きます。些細な、取るに足らない、小さな出会いがあるかどうかです。個人の人生においてはそれが全てといっても過言ではない。

でもそんなもん調べても載ってるわけがない。誰かが生涯の伴侶に出会えたという、その人にとっての重大事件は、僕の個人的なオーストラリアン・デーと同じく、ニュースにもネタにもならない。だからいくら調べても成功の仕方は載ってない。あってもどっかの誰かのパーソナルな「おはなし」でしかない。だからこれは自分でやって体得するしかない。「なるほど、こんな感じか」と。自転車乗れるようになるのと同じで、自分がやってみる以外の方法論はない。

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以上もろもろ書きましたが(まだまだいくらでも書けるが)、昔に比べて、「オーストラリア、いいぜー」とは能天気に言えなくなってるのは確かです。

なので、まあ、そこまでシャカリキにオススメせんでもいいかってな感じで、せっせとUberとかやって日銭を稼いでいるわけです(それだけで贅沢いわなきゃ全然食えるしね)。

しっかし、改まって考えてみると、じゃあどの国がいいの?どうしたらいいの?というと微妙なのよね。
日本は日本で問題ありありだし(国が学級崩壊状態で乱れてくるからチャンスとも言えるんだけど、それは上級者向けだし)。今は時代の大きな変遷期(いつもそうだけど)、端境期で、30年先を考えたらアフリカでしょうし、気が効いてる奴らはとっくの昔にいってるでしょう。こないだ島根オフであった千絵ちゃん(インド在住歴長い)も、「アフリカ一択」って即答だったし。

一般に、先見の明や先物買いってのは、周囲から狂人扱いされるくらいでないと意味がないです、「皆は~」とか周囲を見回してる人には無理。でもそんな人(狂人扱いされる人)は非常に少ない。

しっかし(その2)、そうはいっても、オーストラリアの人の良さとか、自然の良さは全然変わらんです。Uber Eatsで配送やってても、時折休憩で公園とか水辺でぼけーと見てると、「しかし、まあ、綺麗な国だわ」って改めて思いますもんね。30年おっても尚も感動する。特別なところにいかなくても、そこらへんが普通にキレイなのがいいです。人もいいしね。Uberでゴハン届けると、「やったー!」と満面の笑顔で迎えてくれる人が過半数です(だから無愛想な奴が出てくると腹立つんだけど)。

Hunters Hillのあたりの公園

ともすればギスギス日常で擦り切れがちな部分の治療。「人間っていいな」「自然はすごいな」「生きるってこういうことなんだわね」などの、すっごいベーシックなところで「根幹治療」みたいなことが、オーストラリアでは出来る、という部分はまったく変わってないです。

先々どう生きるとか、生存戦略~とか小賢しく理屈を並べても、「人間としての体幹」みたいなところが弱かったら、結局なにをやっても上手くいくわけもない。どの道を進んでもどっかで必ず難所はあるので、そこを乗り越えられるかどうか。だから体幹を治すのが先だろう、という見方はありうる。

そういう意味では、「いいぜー」って言えます。これは、もう、はい。

あと、貧すれば鈍するなのかしらんけど、年々引きこもり傾向が強くなってる日本(パスポート保持率が15%って本当か)においては、どの国がどうのとかいう以前に、「海外」とか一括りにしてる時点ですでにヤバいし、良きにつけ悪しきにつけ「海外神話」(海外では◯◯で~とかいうやつ)がはびこってるので、どっかの時点で完全にこういった「迷信」を叩き壊しておくことは、人生レベルの選択を広げる意味でも重要かと。

結局、「海外」なんかねーよ、というか、どこにいっても自分と同じような人がおって、同じように頑張ったり、サボったり、素晴らしかったり、セコかったりしてるだけで、なんだ全然変わらんじゃんと思えることです。国や民族よりも人間の普遍法則で大体話が済んでしまう(いい人もいればイヤな奴もいるとか、言い方が悪いとスネるとか、いう当たり前の人間法則)。

過去にWH・留学に行った人に言うのですけど、行って何が得られたか?といえば、「海外」と聴いて恐怖心や緊張するのではなく、逆にリラックスした選択肢、「いいなー、また行きたいな」という認識になったということは、大きな大きなメリットになってるはずです。

地球の陸地というのは地球の3割しかない(あとの7割は海)のですが、その陸地ですら日本列島の380倍も大きいわけですよ。1.5億平方キロ:38万平方キロですから。この380倍のエリアを「海外」と一括りにしているわけですけど、これらが恐怖の対象になるか=海外赴任辞令を死刑宣告と受け取るか、あるいは「おっしゃあ!来た来たあ!」でワクワクするかの差は、特にこれから大きくなるように思います。だって若い人なら人生の可能性が380倍増えるかどうかなんだもん、決して小さくはないよ。

多極化の意味

これからBRICSを筆頭に百数十カ国のグローバルサウスが台頭していくのは、ほぼ確実なんだろうけど、そのことの意味です。一つは絶対格差が減ってくること。これまではあまりの貧富の差にとっつきにくいエリアも多く、380倍とかいっても使えるのはごく一部だったりした。だけど、これから全体に徐々に向上していくと、それも変わるだろう。とっつきやすくなるだろう。中産階級が増えてくれば社会は軌道に乗って、インフラ、生活環境は良くなる。治安もよくなる。またとりあえず観光客の争奪戦バトルロイヤルになるから、観光客目当ての環境整備もする。つまり行きやすくはなるでしょう。英語が喋れる人もふえるだろうしね。

実際、数年前にUAEに行ったとき、ドバイは観光見物ばっかだったけど、滞在してたアブダビは首都ということもあり、落ち着いていて良い感じでした。基本アラビア文字だけど、英語ができればほぼ困らない。誰に話しかけても英語は通じる。英語表示は、日本のなんちゃってレベルとは隔絶して超徹底してて、スーパーのレシートの細かい部分まで全部英訳が載ってる。好奇心と必要性で近所のスーパー(えらく巨大)に行ったんだけど、オーストラリアとあんまり変わらんかったです。棚の配置とかレジとかショッピングカートとか。

てかショッピングセンターそのものがほぼ同じ。ネスプレッソはあるわ、(オーストラリアの)グロリア・ジーンはあるわ。スーパーは時間があれば何日かかけて探検したいくらいでした。日本やオーストラリアと同じく「お惣菜」とかも売ってるんだけど、これがローカル色があって面白いのよね。

UAEは今年の1月からBRICS正式メンバーになったけど、あそこは金持ち国で、ほかがどうかはまた別の話です。でも、これまでダメダメだったのがだんだん上昇していくとするなら、その過程は、日本で現実に自分自身が体験済ですし、おおかた予想はつきます。つまり行きやすく、暮らしやすく、働きやすくなる。とはいってもオーストラリアに長いこといるからこそ、そう思うのかもしれず、どっかで一つ体験しておくのは、あとあとの資産にはなると思います。

人類の本当のポテンシャル

もう一つは、これもちょっと余談に流れますが、人類のポテンシャルがいよいよ発揮されるという気宇壮大な話です。芸術、文化、アートでもなんでも、ある程度経済的に豊かにならないと世界に発信できないです。本当はビートルズやマイケル・ジャクソンクラスの傑出したパーフォーマーがいたり、シェークスピアみたいな文豪もいるんだろうけど、母国が内戦に明け暮れていたら、才能を発揮する前、あるいは才能を知る前に死んじゃう。仮に才能に気づいてもそれを育てる環境がない。仮に作品を作ってもそれを世界に発信する術がないから、知られないまま終わり。スポーツもアートも余裕あってこその話ですから、経済力に比例する。これまで人類の7割くらいが、戦乱やらその日暮らしに追われて沈黙していた。知られないままだった。そして、これから底上げ的に良くなるのであれば、いろんな面白いアート、作品、商品、料理が出てくるってことで、それは楽しみです。

日本だって、戦後平和になって経済的に豊かになったからこそ、でしょう。戦後だけとっても、手塚治虫や漫画の世界、アニメ、映画、ドラマ、小説文芸、王長嶋などのスポーツ文化、、、自分の脳内フェバリットのリストをみれば国産アートの占める割合は馬鹿にならないくらい大きい。でもこれが戦後ほかの世界のように戦乱、飢餓、搾取で食うや食わずだったら、その手のプロが成立する余裕がないわけで、これら一切の国産アートの記憶がないことになります。とんでもない損失だよ。アジアの、たかが一国だけでこれだけのコンテンツが作れるんだったら、百カ国以上になったらどうなるんだー?とワクワクしますね。

実際西側主導のこれまでの世界って、「80億人もおってこんなもんか」って気がしてたんだけど、それは頭打ち停滞してる西側の話であって、全地球規模で考えたら、こんなもんじゃないだろうとは思ってます。

あと英語です。多極社会は、覇権・支配を否定する社会で、実際言葉もバラバラ。BRICS原メンバーは中国語、ロシア語、ヒンドゥー語、英語(南アフリカ)、ポルトガル語(ブラジル)で全然接点がない。これに新規加入の中東諸国のアラビア語が入るし、さらにこれからアジア系言語などどんどん言語数は増える。ここで中国がいきなり覇権主義を唱えて皆中国語を喋れといっても、それは無理だし、誰も従わないでしょう。どこがやってもトップは張れない。だからこそ良いんだってことでしょう。とすれば、当面の間はまだ英語が共通語になるのかなーという気はします。英語ネィティブ国は凋落したとしても言葉は残ると。不思議なようで不思議ではない。かつて世界を二分割したスペイン・ポルトガルも、本国が早々に凋落しても(思えば日本で「ポルトガル人宣教師」「種子島」とかやってる頃がポルトガルの華の時代だったのね)、今もなお、南米は全部スペイン語かポルトガル語ですからねー。

ま、いろんな意味で、オーストラリアは登竜門としての価値はまだあるかなー。まだAPLaCやっててもいいのかな?とは思ってます。

オマケ
最後にオマケで30年前の写真を。まだデジカメが出てくる前にの話で全部フィルム撮影。プリントアウトしてスキャンしてって。

30年前の自分。若いよねー。まだ34歳だったし。撮影場所はGlebe

よく入り浸っていたフィッシュマーケット。この頃のフィッシュマーケットは「マニアの行く所」で髪の毛黒い人(魚喰い民族のアジア系と南欧系)が多かった。

フラットからの坂が急で、毎朝ヒーハー言いながら学校に行ってた。

今のANZAC Bridgeを作ってるところ。当時はGlebe Island Bridgeと言ってた。

シティで、今のWorld Squareが建築途中。てかバブル崩壊で(オーストラリアも)この段階でほったらかしにされ、以後数年地下駐車場としてのみ稼働してた。完成したのは2000年のシドニーオリンピック直前くらいだったかな。

「アジア人は出てけ」てか。ポリコレ厳しい今ならありえない落書きで、おおらかだった頃。だけど今回写真を見直すまですっかり忘れてました。だって差別的なことをされた経験が全然なかったんだもん。それにこのくらいでビビるような根性で最初から来てないですもん。

アジア人が一瞬居心地悪くなったのは、永住権取った年、95年以降でポーリンハンソンとか出てきた頃です。ま、でも普通に生活する分には全然関係なかったけど。あと911のあとはイスラム系の人がちょい可哀想な感じもしましたねー。後日のクロヌラ暴動にもつながっていくんだけど。今はもうそういうのほとんどないなー。

当時のサーキュラーキー。今からするとシンプルな。

最近の風景(23年)こうして比べてみて、あああのビルが建て直してこうなったのかと初めてわかった。

(以上は、オンラインサロンで過日書いたものです)

 

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