2016年にワーホリでオーストラリアに来たのを皮切りに、世界シェフ修行中の沢山くん。オーストラリアのあとはノルウェーワーホリだったのかな。断られ続けてもメゲずにアタックしつづけ5年目にOKが出た有名店で稼働し、サッカーの本田選手(高校時代のつながりらしい)の専属シェフとしてメキシコに稼働して、、と文字通り世界行脚だったのが、コロナで故郷金沢に帰ってきていたところで能登地震。地震直後の状況は、今年の1月に頂いた写真などをご紹介しました。(沢山くんの能登現地情報)、続編)
この5末~6末に僕が帰省する際に、沢山くんを訪ねて陣中見舞いでも、、と思って連絡したところ、丁寧なお返事ととも能登と沢山くんの近況をお知らせくださいました。以下、許可を得ましたので転載します。
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田村さんお久しぶりです! ご連絡ありがとうございます!
どんな事でもそうですが、人は日々時間が経つと、どうしても目の前の日々に集中していたり、報道がなくなっていくなか良くも悪くも記憶から少しずつ忘れていってしまうのですが、こうやって田村さんのようにお声をかけて頂ける事に感謝ですし、優しさが沁みます。
今はボランティアの受け入れも広がり、県外からも多くの方が引き続き来て頂いていると伺っています。
奥能登は建物や地面の崩壊がひどく、復興は数年かけてをみているようです。人も離れていくので厳しい状況ですが、僕自身好きな場所がなくなる事をこのまま何もせずみているわけにはいかないので、できる事をするために動いていきます。
これから他の県でも強い地震はおきる可能性はあるので、今回支援頂いた事に感謝し、この経験を糧にして、今後災害がない事を願いますがもし災害が起きた時に少しでもお返しさせて頂けたらと思っています。
僕自身は、その後、屋根の修理や水の復旧作業、炊き出し、子供達にお菓子作りなど2か月させて頂いていたのですが、去年から担当しているフランスのサッカー選手達の事も心配でフランスに戻って仕事をしています。
仲間達とNPOを立ち上げたので海外にいても必要のある所に違う形で支援できるように活動しています。
僕も田村さんにずっとお会いしたいと思っていまして、シーズンが終わった5月中旬に一度日本に帰国する予定ですが、帰国時に能登の中学校のサッカー部の復興に向けてオファーを頂いていてその打ち合わせや、5月下旬から夏のシーズンをノルウェーで働くためヨーロッパに戻らなくてはいけなく、正確な日程がまだわからない状態です。
2019年にシドニーで田村さんと直接お話しをさせて頂いたのが最後なので、この5年お互いどう過ごしてきたかまたお話ししたいので、お会いできるタイミングがあったら凄く嬉しいなと思っています。
今シドニーにいる兄貴分の堀池さんには話していたのですが、来年オーストラリアに海外での最後の修行に行こうと思っています。今回お会いできなくてもその際是非伺わせてください。
2016年にシドニーで田村さんに出会いどこにいても繋がれている事に感謝しています。
始まりの地であるオーストラリアで最後にこの10年間学んできた事を思いっきりぶつけたいです。そして、能登での自分のお店の開業を目標にしているので、オーストラリアから帰国後は、まず金沢で小さいお店になると思いますがスタートできるよう今をしっかりと生きていきます。
送っていただいた写真や動画
「集合写真は後ろの左端の薄いグリーンが自分(沢山くん)です」
子どもたちへのお菓子作り
たくさん送ってもらって、また子供たちの表情がめっちゃくちゃ良いんですけど、許可を得ないと掲載できなので、これならいいかと指定された顔のでてないやつ
でも全体の雰囲気だけでも伝えたくて、ぼかしをきつくいれたもの。何がなんだかわからないかもだけど、まあ、雰囲気だけでも感じてください。
今回の能登地震関係で見た映(画)像のなかで、この子らの屈託のない笑顔が一番刺さりました。立場的には被災者なんだろうし、被災者から「元気をもらう」というのも話が逆なんだけど、でも見たら元気になったわ。子供すげー、笑顔すげー、人間強えって感じで。
屋根の修理の動画
給水
再返信での説明は、「お風呂は当時水が止まっていたので雨水や山水を沸かして限られた水でかけ湯だったのを、水を貯める仕組みを作って、趣味の車中泊で使っていたモーターシャワーで久しぶりにシャワーが出たので感動した時の動画です笑」
自衛隊の方達が施設で提供してくれるお風呂は、寒い中並んで待たなくてはいけないので、できる人達は自分達でやれば他の人が並ぶ時間は短縮されますし、余震も続いていてゆっくりお風呂も入れない中、こちらの方が地震がきた時にすぐ外にでれました。
元々自然が好きでしたが極限状態で山に入って山水の流れる音や自然を感じると水も生きてるんだなと感じました。
さらに再返信での付記分
今のフランスの仕事は、これまで本田選手のようにサッカー選手の食事サポートですかという問いに、「はい、日本人2人みてます!」とのこと
フランス語できるの?
「フランス語は食材くらいしかわからないですが、家契約したりビザやったりはオーストラリアで基礎を学んだので、言葉ができなくてもどこの国にいてもなんとかなる精神でやってます笑」
是非シドニーでお会いしたいですし、今の僕の料理を食べて頂きたいです!
能登とともに進んでいけるよう精一杯日々を過ごしていきます!
子供達のお菓子作りのきっかけはシドニーで田村さんと直接お話したいですね。いっぱい田村さんのお話も伺いたいですし話したい事もたくさんあります。
2019年から味覚や料理のスタイル、価値観も大分変わってきてましたが今回の震災の時期を経て更に変わり、自分が進むべき道がみえてきた気がします。
料理を知っていけばいくほどシンプルで美味しいって難しいしそこに辿り着くまでに相当な道があります。 まだまだ道半ばですが来年シドニーでこの言葉を少しでも表現できたら嬉しいですし叶えれるよう進んでいきます
ということで、今回は会えなさそうだけど、将来の楽しみが増えました。
来年のシドニーでしょ、金沢で店出したら食べに行きます。そして、いつか能登で会いましょう。いやあ、楽しみだわ。
ついでの過去写真。彼が3回やったディナー会はブログやFBでお知らせしたけど、また別なもの。
2016年6月 ワーホリ開始直後
学校行きつつ、いいな、学べるなと思うレストランを毎日突撃を繰り返してスーシェフをゲットしたChatswoodのお店の前で。海外シェフ修行の第一歩。
堀池くんと。その年の10月。シドニー現地でのシェフつながりだったかな。
翌年の1月。当時来ていたヘジンさん(右)と田尻くん(左)と。田尻くんもシェフつながりで一回目のディナー会を共催してました。