New Face : 勝又星太くん

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勝又星太(せいた)くんは、弱冠19歳の大学2年生。
「勝又さんからの紹介」と言われて、香穂里さんかな?と思うとそうではなくて、誰だろ?と思ってたら、勝又勝郎さんのご紹介でした。あー、思い出した。2019年の箱根・小田原オフのときに参加してくれた方で、そのときはダブル勝又ということもあり、勝郎というお名前だけで呼んでたのでついぞ失念してました。
そのときの記録は、ここここにあります。

勝郎さんは良く覚えてます。海洋物理学者で南極行ったり、自転車野郎で長野の山を一人で黙々と走ってたり、楽しい一夜でありました。
今回は甥御さんの星太くんをご紹介いただきました。空港で初めてお会いしたとき、なんとなく雰囲気が似てるように感じました。面差しというよりも、大らかな空気感を持ってて、そこが似てるような気がした。

星太くんの出身&現在地は、埼玉県の秩父に近い奥の方(飯能市だったかな)。東京に出れば世界が広がるかなと思って、東京の大学へ。それも世界の人達と混ざりたいということで国際関係の学部(法政の国際文化学部)。自宅から超遠距離通学をして頑張っていたんですけど、「うーん、なんか違うかも」と。

何が違うの?というと、説明が難しいのですが(てか、僕自身ちゃんと把握してるのか心もとないんだけど)。彼は、ワーホリが終わったあとの進路をどうする問題で、「やりたいこと」でいえば世界一周をしてみたいと。ああ、なるほど、いろんな人と混ざりたいのかなー。彼が高校生の頃、馬鹿みたいなコロナ騒動が吹き荒れて、教室の席もアクリルで囲われて、なんか高校生活を満喫してない感があるそうです。

一方、彼はずっと野球やってて(10年以上)、埼玉県の県大会でベスト8までいったそうです。それも補欠とかではなく、彼自身がピッチャーで中心人物で。ベスト8って半端ないですよ。僕がやってた柔道でも都大会のベスト8ともなると国士舘付属とか拓殖とかそんな見るからに恐ろしげな連中だったし。だから部活は良かったんだろうけど、でも、不完全燃焼感がある。

大学で一気に取り戻そうと思ったものの、世界中の人がうじゃうじゃいるかと思いきや、半分以上だったかな、日本人で。ただし、帰国子女とか、インター(ナショナルスクール)出身とかで、日本語よりも英語のほうが慣れているとかいう連中。だけど将来は日本の外資系に就職して~というのが多いらしい。親がその系統の人が多く、そういうもんだと。でも、勝又くんの親御さんは美容師で経営してて、そういった系統は肌合いが違うし、あんまり考えてなかった。今でもそんなに興味はない(のかな?)。

なるほど、その悩みは分かる気がする。もっと子供みたいな無邪気な好奇心で世界~とか思ってただけで、「エリートへの1ステップ」を踏んでいるという意識はなかったのでしょうね。このままいけば、そういう人生もアリなんだろうし、それはそれでいいんだろうけど、でもそれでいいの、面白いの?といわれると考えてしまう。

そんな折にワーホリを思いついて、思いついたら矢も盾もたまらずやってきたということらしいです。最初はバイト必死にやって金貯めて7月以降とか言ってたんだけど、予定してたリゾートバイトがキャンセルされちゃって、急遽親御さん資金を貸してくれることになって、いきなり来月行きます、という。

まあ結果論でいえばいいのかもね。このくらい時間がないと、あれこれ悩んでるヒマもないので、バタバタバタと準備しまくって、一番安いエアアジアのクアラルンプール半日待ちのやつでやってこられました。最近はオンラインがあるから、2回くらい直前集中相談であれこれやって。

一括パックの1週間についてみれば、わりと順調にいった感じです。
相変わらずシェアは品薄で出物が少ないんだけど、それでもガンガンSMSして、毎日コンスタントに数をこなして、せっせと歩いて。初日にいきなりWilloughbyだったかな、いい所に出会って、でもとりあえずもっと見ようとやってたら、Banksiaの短期ではあるのだけどいい感じの人に出会ってここにしようと。だけど、Croydonの物件も捨てがたく、結局、BankisiaはブッチしてCroydonに手付払って。Banksiaの相手さんには悪いことしたので、誠意を尽くした英文を書いてごらん、これ以上の実戦的な英語の勉強はないし、いくらか迷惑料キャンセル料を払うのもアリだしと。

そういえば相談受けてて思い出したのが、今度の帰国で訪ねにいく松山の森くんのときもそうだったなーと。あのときはたしかBurwoodの物件だったかな、手付(デポジット)に300ドル払って、でも結局キャンセルしたので没収かという状況。当時としてはデポジット300は少し高い気がするから、行って交渉してきたら?と。結局、100ドル没収でいいよってことで、200ドル返ってきたんじゃなかったかな。昔の記憶で曖昧だけど。

今はインドに長く居る千絵ちゃんは、シェア巡りで意気投合し、それでも結局そこには行かなかったところ3軒と、その後パーティにお呼ばれしたとか。シェアは物件探しのようで、実は出会い系なのだと。また、入ったはいいけど1日で出たという人もいます。足立さんだったかな、部屋が表通りに面してて、しかもT字路の真正面で深夜まで車の往来が激しくてうるさいわ、ヘッドライトの明かりが部屋の中に差し込んで眩しいわ。昼間見たときはそう感じなかったけど、深夜になるとたまらんと。これもできるだけ早く正直に言えばいいよ、ダメ元で言ってみはなれと。早い方が良いのは、相手さんもまだシェア広告の効果が残ってて継続しやすいからです(「もう決まっちゃった」と断ってた問い合わせにも、1日程度だったら「やっぱりいけるようになりました」と言える)。結局、気持ちよく受けてくれて、お金も全部返してくれて、さらに”We are still friends, OK?”と言って握手したそうです。

でもね、こういうお金というシビアな事柄をめぐりつつ、でも本人さんの感情や人間関係を大事にして、正直に言ってみる、スジは通す、義理人情は大事にするって姿勢と経験こそが、「世界に出る」ってことの内実だと思うわけですよ。単に外の景色が変わるだけではなく、その土地に生きている人達と対等に交わって、なにかを感じて、得ていくこと。このあたりはキャンパスにおったら、わからない感覚だと思いますから、来た甲斐はあったのではないかな。

さて、勝又くんは昨日からバイト探し。最短最速でやるのは、どんだけ集中豪雨のように手数を出してアポを取るかが勝負ということで、昨日はジャパレス50件電話して7つアポを取ったらしいです。彼は馬力ありますよね。茫洋として物腰と表情なんだけど、動くことに躊躇いがないし、ちょっとやったらすぐバテるということがない。さすがベスト8。

では、写真です。
初日。着いてすぐAPLaCの事務所で携帯電話の開通を。

以下2日目で、まずセントラル駅
彼は、まだ緊張しているのもあるんだろうけど、写真を取るぞというポーズになると、最近の若い子には珍しく、なんかぎこちないのですよね。

むしろ写真を撮るよと言わない普段スナップの方がいい。
これは学校見学のときのもの。

タウンホールでのポーズ。やっぱなんかぎこちないよね。好感は持てるんだけど。

QVBの交差点でバスキングをやってる人を撮影している勝又くん

Chatswoodにて

Burwoodでバスに乗り換え

ポーズものはこんな感じなので、、、

普通にしてるときに撮ったほうが全然表情がいいんですよね

バスは終着地Hurstville
最近ここで発見した美味しい中華屋さんに行くのが定番で。

これは福建炒飯。好物で、普通の炒飯の上に、中華飯のようにあんかけ炒めが乗っているので二重に美味しい。ちょっと高いけど満足度は高い。

これは食材(牛とか鳥とか)✕ソースで選ぶ定番もので、牛肉にBlack Bean Sauce(豆豉醤=トウチジャン)。Black Papper Sauceなどいろいろあるけど、豆豉の方がコクがあって美味しいです。

昼下がりのHurstville駅(のエスカレーターから)

これにシェア移動の写真があるといいんだけど、今回は荷物も軽いということで一人で移動。

以下、勝又くんがシェア巡りの間に撮った数枚を。

「内見のついでに行ったマッコリー大学観光で撮った写真。」だそうです。
ほー、これは何かなと調べたら、1967年のリファレンダム(国民投票)のときのもののようです。アボリジニの人にも国民と同等の権利を与えるべきかどうかの国民投票で90%以上の支持でYESになった。

「ついに50ドルを超えたのか無料になった写真」
Opal Cardの週キャップ(上限)が50ドルで、それを超えるとその週はいくら乗っても無料になります。 なんで日本はこういうのやらないのだ?

「土地勘を覚えるのと図とか絵とか描くの好きなので電車の中で描いたシドニー」

「バッパーで仲良くなった韓国人のお兄さんが20ドルもするラーメンを奢ってくれた」「

「湯たんぽ、買った。大家のスティーブさんは湯たんぽ買ったと言ったらめちゃくちゃ笑ってた。」 そうです。
オージー(てかコーカサス人種、白人系)は寒冷地民族だから寒さに強い(ついでに太陽光線が弱いから脱色して金髪碧眼になる)。真冬でもTシャツ一枚で歩いている人がざらにいる。でも、昨日、一昨日とPolar Blast(南極おろし)でクソ寒く、僕も湯たんぽ使いました。一気に冬。

 

 

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