2024年帰省記(2)南砂町「みなみん」オフ

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朝3時起床~睡眠的人生戦略

ポケットWifiが再配送になり、届くのが明日の「午前」という漠然とした括りで、延々待ち続けました。7時間以上待ってた。まずはそのへんの話。

なんせ朝の3時くらいに起きちゃったもんで。前日12時前くらいに寝て、大して寝てないのだけど、昼間の飛行機で結構寝たらしく、眠くならない。

だいたいいつも「眠くなったら寝て、起きたくなったら起きる」という自然サイクルでやってます。自然に任せておくと1日に3-4回くらい分割して寝るようになりました。これがナチュラルなバイオリズムなのかわからんけど、「寝るのは一日に1度だけ、たっぷり8時間以上」とかいうのは、却って不自然な気もしますね。犬猫だって、野生動物だって、寝たいときに寝てるっぽいし。1日1度8時間が「規則正しい」生活とかいうけど、本当に規則(大自然の法則)に正しいのか?というと疑問アリです。

何度もエッセイなどに書いてますけど、僕の人生の価値観=基本戦略=目標は、「寝たいときに寝る」でした。寝たいときに寝れるようになるためには、夜も寝ないで勉強しても構わんという、いきなり破綻してるような感じで思ってた。
理由は高校時代。もうやたら眠かったんですよね。あの年代って夜ふかしするんで、朝7時に起きるのがメチャクチャ苦痛。さらに長い通学電車バスの旅に出て、つまらん授業を無理矢理にでも起きて受けて、「起きたら地獄が待っている」という毎日。それがわかってるから中々寝たくなく、夜更かしはさらに深まり、朝はさらに辛くなる。そんなこんなでとにかく眠い、かったるい。ようやく目が覚めてきた頃にはもう授業も終わって、それから部活で一汗流したり、友達とダベったり。
いずれ就職してサラリーマンになったらこれが一生続くのか、退職解放されたときにはもう死ぬ直前みたいな、それでええんか?良くない!何がなんでも逃げなきゃ、そうだ自営業だ、なにがいいんだ?で必死に探して司法試験を見つけたわけです。司法試験の受験時代は、そりゃやってることはハードだけど、個人作業なので時間に拘束されることは少なく、意外としんどくなかったのです。90%以上自分でスケジューリングできたし。弁護士時代も、激務ではあるけど自分で決められるのでまだ良かった。オーストラリア時代もAPLACは完全自由です。ま、100%ということはなく、例えば空港にお出迎えにいくのは厳しく時間に制約されますが、毎日って話でもないしい、時間に拘束される意味が明白(自分がいかないと空港で不安で泣いてる子がいる)なので、そういう場合は苦にならない。苦になるのは、なんの意味があるのかさっぱりわからんまま、ただ慣習とかキマリだからといって馬鹿な時間拘束をされるときです。そういうの超イヤだし、今でもそれをされると高校時代に戻って、「午後の授業かったりーし、フケちまおうぜ」って気分になる。

それと適当に小睡眠を入れるのは昔からやってましたね。授業中寝てるのもそうだけど、肉体労働のバイトでも昼休みで弁当食ったあとは、廃棄予定の段ボール箱切って、展開して簡易ベッドにして寝転がって寝てました(僕だけではなく、他の連中も)。10分でも寝たら全然違う。でもって寝転がって寝るときのリフレッシュ率は非常に高い。それは身体でわかる。司法試験の受験の研究室でも、皆、それぞれに突っ伏して寝てましたね。誰もない廊下のベンチで仰向けになって寝たり。当時の受験は苦節10年当たり前の世界だったので、受験生もプロといってもいいレベル、いわばアスリートの世界に似てて、やみくもに根性だけ量だけって馬鹿な勉強をしてる人はいなかったです。人間が集中できるのは2-3時間が限度でそれを超えると極端に学習効率が落ちるというのは、言われなくても経験的に知っていた。でも10分でも深い睡眠を入れると一気にリセットされる。弁護士時代も、空いてる会議室で「ちょっと寝る」といって突っ伏して寝てました。これはもうポリシーとか主義とかではなく、必要だから、身体がそれを求めるからです。カタチだけやってればOKじゃなくて、結果がすべてで結果出さなきゃゼロ同然という世界におったら、いきおい真剣になりますもん。

話長くなって悪いけど、今のUberも自分で全部決められるのが気に入ってます。稼ぐという意味でいえば全然ダメなんだけど、100%自分で決められるのがいい。てかやってる最中でも、アクビしたり、赤信号でイライラしてきたら、もう打ち切って家帰って寝ろってくらいでやってます。
その前の配送バイトは割がよくて、良いときは週に15万円くらい稼げたけど、そのかわり、深夜1時始まりとかが多く、そのための体調管理に全日使わないといけない。それまでにしっかり睡眠を取らないとヤバい(実際事故って死にかけたから、怖さはわかる)。だから拘束されるという意味では、働いてない時間も働いているのと同じなのよね。同じように出社時間が決まってて、通勤時間が1時間以上だったら、結局24時間拘束されているのと変わらず、時給換算も24時間で割った方が正しいです。だから高収入とか全然興味ないし、あれって高収入詐欺だなーとか思うもんね。年収一千万だと、どれだけ私生活(と健康)削られるかは自分の経験でもわかるし、なまじ稼ぐとお国さんから待ってましたと言わんばかりに税金だの保険料だのでぼったくられる。養鶏場のニワトリみたいなもんで、卵産んでも持っていかれてしまう。そのままだとニワトリがグレるので、やれ「エリート」だの、「選ばれた人たち」だの、「社会のリーダー」とかおべんちゃら並べて騙してるだけっしょ?

要は可処分所得だけでなく、可処分時間(さらに可処分エネルギー)も含めてトータルで最適化するだけのことでしょう。僕が医者やカウンセラーだったら、だいたいの相談受けても、「その仕事やめろ」って言うだろうなー、根本構造がそれだったら何やっても無駄って。で、やめる気になってる人の受け皿としてAPLaCで待ってますという構造ですね。

以上余談でしたが、そんなわけで、寝たいときに寝る=眠くならないときは寝ないなので、朝の3時に起きてしまい、身体が求めてなかったら起きてるしかない。

しっかし、Wifiないから暇つぶしもできないし、昨日の午前から通信途絶だからなにか重要な案件でも入ってないかとヤキモキもします。前日、マリさんの携帯でWebMailだけは見せてもらったけど。

一日千秋
やあ大分経ったな、すっかり明るくなったな、そろそろかなと思ってみたら、まだ5時。5時?!

7時半になったらYoshiさんが来るとか言ってたから、それからは楽しいな、早くこないかなと一日千秋の思いで待ってました。またWiFiもなんかの手違いで朝の5時に配送してくれないかなーと夢みたいなことを考えたり。
「果報は寝て待て」というから、二度寝しようかなと寝たんだけど、寝足りてるから全然ダメで、しまいには寝てるのが苦痛になってきて、結局起きてしまう。

折からしとしと雨のなか、7時15分くらいから傘さして待ち合わせの江東図書館までドキドキ期待して行って、ガッカリしてすごすごと帰ってきて。そんなことを何度も(6回くらいかな)繰り返しても、Yoshiさん、いない、来ない。
どうしたんだ!?とか思うけど、WiFiないから確認もできない。あとからわかったんだけど、イマミホさんから借りたガラケーが、なぜかそのときだけ不調になっててつながらくなってた。Yoshiさん何度も電話くれてたんだけど、通じず。YoshiさんはYoshiさんで、遅れたのは遅れたのだけど、9時頃(だったかな)にはもう着いてて、南砂町界隈を図書館前にいっては空振り、イオンで暇つぶしをするとか。こういうときは徹底的に間が悪いもので、どっかで出会えたらよかったけど、常にすれ違いだったわけね。
こちらもあまり図書館前にいたら、肝心のWiFiの宅配をミスってしまうから、チラッとみてすぐに戻って待機。
そんなこんなで延々、3時に起きてから実に7時間くらい経って、10時15分くらいに宅配が来ました。もうキタ~!って感じで、速攻で繋いで、Yoshiさんに連絡とって無事合流。このままWiFiが来ないで11時の別の待ち合わせまでずれ込んだらどうしようという感じだっただけに、よかったです。

もうYoshiさんと合流した時点で1日が終わったような感じでしたけど、実際にはそこからオフが始まり、12時間続くのですね。

長い序奏でしたが、以下、オフのあれこれ。

11時からの事前講義
今度来られる秋葉さん、増川さんと、リターンマッチでオーストラリア再上陸を目論むYoshiさんとで、オーストラリアのお話。細かな話もそうだし、大きな哲学的な話とか。哲学的というと大げさだけど、価値観の根本が気持ちよく変わるので、それが面白いよと。too busy to workって初期のエッセイに書いたように、「忙しくて仕事なんかしてる暇ねーよ」って自然にいえるように。

今まで書いたようなネタばっかです。例えば、仕事は徹底的にサボるくせに、サプライズパーティには異様な努力と能力を発揮するヨーロピアンの語録とか。「金はいくらでもある、世間に満ちている、ただ俺が持ってないだけだ」「でも、必要なときに必要な限度でATMのように”おろしに”いけばいいだけのこと、ATMで下ろす手間がちょっと複雑(仕事)なだけ」。

あるいはオーストラリアにきて最初に感じたことの一つは、とにかく「老人が幸せそう」だということ。もうイケイケで遊んでる。iPadが出てきたときに、一番最初に取り入れたのは高齢者層。カフェで孫の写真を見せ合いっこして笑ってる。新しい技術はちょっとねーという尻込みがない、「もうトシだから」という情けない泣き言は全く無い。もう面白そうだったらガンガンいく。真っ赤なポルシェのオープンカーに乗ってるのが、いい歳をしたじーさんだったり、年季入りまくりのボロボロのサーフボードとウェットスーツでビーチを闊歩してる80代くらいの爺さまとか。その理由の根本は、生きる意味=遊ぶことという根本価値観だと思う。ハッピーリタイアメントというけど、退職してからが人生本番、夏休みの始まりみたいなもので、気合い入れて遊ぶ。遊ぶのための軍資金稼ぎとして仕事をしてるだけのことだと、みんな普通に思ってる。みんな普通にそう思ってるから、結果として労働者の権利は守られる、遊ぶのに頑張るから金も使うし、景気を下支えするから経済も良い。
大体、僕が来た頃のオーストラリアはなんでも日本の半分。物価も給料も半分。それが今では何でも日本の2倍。この先もっと開くだろう。20-30年で実質4倍になっている。あんなおちゃらけたような生き方してて4倍。眉間にシワを寄せてる日本は何も進まず。何かが根本的に間違っている気がするし、根本的に間違っていたら、根本的に直せばいいだけのこと。

なあんて話をいろいろしてて、気がついた2時間くらいやってました。

そのあと、下調べのネパール・韓国料理という不思議な店でランチ。分席になったけど、女性陣はネパール、男性陣は韓国料理になりました。示し合わせたわけでもないけど。

僕は、海鮮ちゃーめんというのが気になって試してみました。海鮮いっぱい入ってて、なるほどって感じでよかったです。そんなに辛くなかったし(おすそ分けしたYoshi さんは辛かったらしいが)。

続々集結~砂町銀座再び

ここからは人が集まり始め、多極的に物事が展開していったので、僕も全部を把握しきれてません。nothing happenの最初の7時間とは打って変わって大忙しです。

徳ちゃんを迎えに行き、同じ頃に青木くんが来て合流し、山口くんと連絡を取り合って、先に砂町銀座に行くことに。

正しい日本の訪問スタイルを披露するモロッコ帰りの青木先生。

リアルにはこんなしゃちこばった感じではなかったんだけど、なにげの一瞬のスナップだけ見てると、こういうキャプションをつけたくなるのが面白い。

砂町銀座到着。前回に比べてこころなしか閑散としてました。店もけっこう閉まってたし。前回は土曜日だったこともあり(今回は金曜日)、賑わってたのになー。天候がイマイチだったせいもあるかな。
もっとも、朝から降り続いた雨は、午後からあがってきたので砂町銀座に行けたのですよね。降ってるままだったら、けっこう距離があるし、手近なイオン買い物で済ませていたと思います。

イマミホさんは、途中で「誰かくるかもしれないから」ということで先にお帰りに。僕らはのんびり歩いてました。

掲示板に書いたように、あるのかどうか疑問だった青空(人工芝)休憩所ですが、2つありました。これは1つ目。

とりあえず端までいって、また戻って来る。戻って来る過程で、個々人がそれぞれに買い物をする。

僕が最初に買ったのがここで、あの三角のアジフライとメンチカツが懐かしくて。ちなみにメンチは関西にいくとミンチになります。大阪でメンチというと「メンチ切った」(ガン飛ばした)になるので注意。オーストラリアにいくと(本来の英語でいえば)ミンス。mince(ひき肉)です。

だんだん皆の買う気モード、買い食い快感中枢が刺激されていきます。

いちご大福がやたら美味しそうな団子屋さんがあってゲット。
巨大大福、一個380円だけど3個1000円なので、Yoshiさんと佐藤さんと談合して3個購入。こしあん、つぶあん、チョコレートだっけな。
もうたまらんということで、2つ目の青空休憩所で皆で食べました。徳ちゃんはあとの皆の分ということでお団子もたくさん。

これメチャクチャ美味しかったですね。大福餅の柔らかさ加減といい、アンコといい。
ここで、集合写真。ジャケット写真みたいな感じで

そこに戻ってきた秋葉さんも含めて、

うーん、一気に雰囲気変わるな。大学の軽音サークルみたい。やっぱヤローばっかじゃむさ苦しいわね。

だんだん人通りも増え、店も開いてきて活気が戻ってきました。こっちも多少は買い物ハイになってる。

お目当ての竹沢商店の焼き鳥。最初に買ってしまうと冷えてしまうので最後に取っておいた。

自分の分だけ買おうねとか言いつつ、あとからくる他の人の分も買っちゃうんだよね。結果すごい量になってしまって。

この日徳ちゃんが一番出してくれて、あとで精算しました。

宴の始まり

戻ってきたら手分け作業。二階に会場作って、買ってきたものを更に並べて、、という部隊と、近所のイオンに飲み物調達部隊と。

とりあえず出来上がったところで。

えーとこの時点で、佐藤さん、徳ちゃん、イマミホさん、澤田さん、Yoshiさん、谷端くん、秋葉さん、増川さん、青木くん、山口くん、それと写真撮ってる僕で、11人。
このあと、Saekoさん、Takaさん、マリさんで、14人。

青木くんと山口くん。
来た時期は3年くらい違うんだけど、実年齢はほぼ同じということ、さらに家が湘南で近いということが判明。
青木くんはナマで合うのは16年ぶり?山口くんも10年以上ぶりだけど、あんま変わってないのがいいです。見た目は大人になってるんだけど、存在感の個性はまんま同じ。話しているうちに、喋り方のクセとかも同じで、ああ、覚えてるわと。

青木くんはモロッコ海外青年協力隊体験談のライティングと編集推敲作業を年頭の年賀メールと一緒にここ数年やってます。それがイチマチだった反省リポート、さらに今はオンラインサロンで反省リポートの反省リポートと定期的にやってるから、年がら年中会ってるような錯覚があるけど、16年ぶりかあ。
図書館前で会ったときに、シドニー空港で初めて会ったときの感覚が戻ったと書いておられたけど、僕も遠くからみて一発で、あ、青木くんだとわかりました。
今回の席で、協力隊体験者である澤田さん、イマミホさんと話ができてよかったようです。
あとでTAKAさんが来たあと、この二人は時期にも似てて、同じ語学学校の同じクラスだったそうです。これは僕も知らなくて、へーそうなんだー、なんか面白いね、今こうして会えているのが不思議というか。

でも、十数年前のワーホリ体験をリアルに共有できる場があるというのはいいことですよね。

山口淳也くんは、2-3年ずれて同姓の山口裕也くんがいて、どっちもハンサムで雰囲気似てるから、僕の脳内でごっちゃになったりするのだけど、会ったらもちろん一発で記憶賦活です。
公認会計士狙ってるとか言ってて、でもそれだけはなんかつまんなそうでとか相談してたのを覚えているけど、その後地道に勉強してみごと公認会計士になって、会計事務所に勤めて、コネとか経験を積んで、中国にいたときもあって、独立して自分で海外から日本に入ってくるビジネスのコンサルティングをやってるそうです。ああ、面白そー。日本人がよく思いがちな狭い発想と実際は違う。海外の企業が日本をビジネスの対象にするといっても、単に日本市場を狙うとか、日本侵略とかいう話ではない。A国からB国に売る一連の過程で、日本を入れるといい(中継地点や、在庫置き場とか)とかそういう話です。その水先案内人で、インバウンドとかいうけど、観光業ではない。多分、日本にいる日本人には全然見えてない部分だと思うけど。でも日本企業が海外に進出するときも同じことやるでしょ。オーストラリアやNZに進出するけど、同時に先々インドも考えているから、エリアの拠点はシンガポールに置くとかさ。コールセンターは人件費の安いフィリピンにするとか。
しかし、公認会計士やってて、そのエリアでコンサルやってるやつっていないんじゃない?まず思いつかないんじゃない?って言ったら、僕くらいでしょうねーと言ってた。よかったじゃん、ワーホリの頃言ったようになって。公認会計士というステップは踏んだほうがいいけど、それで終わるつもりはないという。

今回はいつもよりも時間があったんで、近くの人といろいろ話せて面白かったです。
佐藤さんとは、ギターの話で、最近ザック・ワイルドを弾いてるんですよ、リモートで仕事しながら、いいね、ザック・ワイルド、プロレスラーみたいに大雑把で荒っぽい印象なんだけどツボにハマったフレーズ弾くよねー、そうなんですよ、ほんとよく聞くと完璧に几帳面に弾いているんだけど、そうは見えないところがいい、完璧ゆえに冷たさみたいなものがないと、そうそう、ほんとワイルドで野性的で、でも自分が弾くとそうならなくて、簡単なフレーズなくせにあの感じにならない、、、とかなんとか花が咲きました。

あ、あと、YouTubeで今度松山で会う森くんが自分のギターを披露してるよって話。すごいですよね、あれだけいろんな曲トライしてて、それに僕もやろうと思うけどなかなか乗せる勇気がない、だってすぐくだらないいちゃもん付けてくるやつがいるでしょ、言うんだったら自分でお手本見せてみろって言いたいですけどねーって話で思い出したけど、昔の学生運動(もっとも初期の頃の)を描いた高橋和巳の憂鬱なる党派という小説があって、そこに「何もしなかった奴だけが、何に対してでも批判できる」って一節があって、ほんとそうだなーと思った。

あとで谷端くんに子育て論をぶつけて、どう育てたらいいのか真剣に考え込んでしまうんですよと言ってて、佐藤くん子供いないのに何をそこまで真剣に?どっかに婚外子でも?(笑)

谷端タニーくん。谷端だからタニーというセンスもなにもない命名はTakaさんです。あだ名つけ大王みたいな吉田さんと双璧だよね。ほんと一番昔から(18歳の頃からだから40年以上)久しぶりだけど、「改めて会うと、あんま別に話すことないよね」「そだね」「あれからどうなってとか40年もあるからねー」とか言ってました。でも、思うに、意味のあることを話すのがビジネス取引だとしたら、「意味のない話」をするのが友達だと思うよ。くだんねー話。こないだ卵買ったら割れててさーとか、どうでもいい話。

前回は二人だけで再会したあと、よかったらおいでよ、え、俺、行ってもいいの?とおっかなびっくりだったけど、今回は二回目で慣れてて楽しんでくれたみたいです。万障繰り合わせてって言葉があるけど、そのくらいやって時間作って参加してくれてありがとー。あとで、澤田さんやイマミホさんから聴いたら、「前回よりも溌剌としていた」「ちょっと若返ったんじゃない?」とかTAKAさんあたりからいじられていたそうな。目に浮かぶわ。

徳ちゃん、今日は頑張ってくれたよね。せっせと買い出し率先してやってくれて、今回の写真見たら徳ちゃんが一番働いてて、俺なんか写真撮ってるだけだもんなー。
宮崎からの人生相談の続き論やってて、まだ語り足りない感じだったけど。3ヶ月ほど水戸に仕事で滞在するらしいですけど、美味しい納豆ライフをお過ごしください。
翌日の羽田にもお見送りとか直前にメッセージくれたけど、こっちがギリになってしまったんで、断念。また次回に。See you soonです。

ほかにも多々あるけど切りが無いので割愛。
しかし、掲示板にも書いたけど神奈川勢が多いのですよね。多摩川わたってはるばるようこそ。先にも書いたが、青木くんと山口くんは湘南組。TAKAさん、佐藤さんが小田急沿線組。Yoshiさんも線は違うけど似たようなエリアですよね。神奈川のまんなかあたり。Saekoさん、横浜だったっけ、、、だんだん記憶が怪しくなるので、このくらいにしておこう。

写真のつづき。
TAKAさんが来てから、また一枚。だけどこの時点で女性陣二人はお帰りに。

マリさん、サプライズ登場。電話かけて呼び出したとか聞こえたけど、誰が呼んだのかな。駆けつけ三杯の図。お茶だけど。

10時近くまでやって、終電の関係でおひらきに。マリさんのクルマで南砂町まで送ってもらったそうです。車庫だし運転要員として谷端氏が駆り出され、皆で乗り込み。
そして誰もいなくなった、という次第。
翌日、イマミホさんに聞いたら、車内8人、短い距離だけどなんか皆で楽しくなって、これからどっかいこうかとか言ってたそうな。まあ、わかるわ、ワイワイ車内は楽しいもんね。

宴の後

ついでに翌日分も書きます。長くて悪いけど、ちょっとだけだし。

翌朝、イマミホさんが後片付けとお掃除に。
最後に家の前で一枚。

この写真、優しいお母さんのいる実家、って感じで、好きです。

皆から徴収した会場代500円は、隣近所の皆さんにお詫びと挨拶の菓子折りになったそうです。僕ら気楽にやってるけど、いろいろすんませんでした。WiFiの受取からなにから。深謝多謝です。
お詫びの意味をこめて、次回もよろしくです。

さて、3時発のフライトだからって余裕ぶっこいてたら、結構ギリギリになってしまった。また葛西からバスでいけばいいさと思ってたけど、よく見ると乗り換えに5分しかない。これヤバくない?葛西での降り場は調べたけど、乗り場は真剣に調べてない。多分向かいだと思うけど、確証はない。てか、葛西駅で出口を間違えたらもう乗り遅れるかもしれない。乗り遅れたら、また15分以上待つことになる(もっと長いかもしれないけど調べてる時間がない)。
リスキーすぎるってことで、普通に日本橋経由で都営線、京急相互乗り入れで行きました。しかし、日本橋での乗り換えが長い、長い、長すぎる。特急とか銘打ってるわりには、やたら停車駅は多いし。今度から乗り場と時刻も調べておこう。

羽田伊丹のフライトはぎっしり満席。まあ、1時間くらいだから別にいいけど。それよりも楽しみにしてた富士山が雲海で見えなかったのが残念。

京都駅について、近鉄電車のホーム。もう日差しが傾いてますねー。

十条駅。やれやれ、やっと着いた。

その後、弟に予約してもらってた歯医者に行ったのでした。

 

 

 

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