2024年日本帰省記(11) 松山行(05)締めの夜宴と帰路

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松山行(04)から承前

フェリー港の高浜駅からの帰路は、時間の関係もあるのか、往路ほどガラガラではありませんでした。むしろ学校帰りの学生さんとかでそこそこ混んでました。

中心部に近づくにつれ車窓の風景が変わるのですが、昔ながらの瓦葺きから、庭付き一戸建てになり(どれも家がでかいのでちょっとびっくりした)、まだ稼働してるけど古い大工場があり、瀟洒な新築マンションになりって、よくある変化なのですけど、首都圏や関西圏では2時間くらいかけて変化するものが、2-30分で変化するので、早送りで見ているみたいで面白かったです。

さて、松山市駅に戻ってきました。

もう何度も通ったのでお馴染みです。「帰ってきた~」という感じ。

では夜の部をどこで飲むかという物色に入るんだけど、まだ5時前後ということもあり、手近なスタバでくつろいでました。森くんは、ミュージシャンでは誰が一番好きなの?と、また飽きもせずロック話。彼は、レッチリのギタリストが一番好きだと言ってました。もうこの種の話は無限にできそう。

さて、6時前後になったので物色開始です。

昨晩行こうとして不発に終わったアダルトエリアの高いけど美味しそうなところにいくか、手近なところで間に合わせるか話し合ったのですが、今度は森くんがお腹が全然減ってないというので、ビールと冷奴でチンタラやってられる大衆的なところにしましょうってことになりました。

で、いくつか見て回ったんだけど、やっぱり昨日(着いてすぐの放浪)で目をつけておいた店が一番手頃かなと思って入ります。

まずは先に瓶ビール

すぐに枝豆と生中がきた

とりあえず刺し身だよねーと、これ食べてる途中に思いついて撮ったので減ってますけど、瀬戸内らしく白身魚が多い印象。美味しかったですよ。

まあ、これでいいじゃん、お腹減ってないんでしょ?って思ってたら、酒を飲んだらスィッチが入った森くん、めちゃくちゃ腹が減ってきて、、、と、ガンガン注文します。

これが当店名物の藁焼きですね。タタキですけど、最初に炙るときに藁を使うのが本来の調理法で、だから藁焼きなのかな。深くは追求しなかったけど、でも、このタタキ、美味かったです。カツオですけど(おすすめのカンパチではなく)。

飲み物もわりとリーズナブル

日本では、僕がいた頃からあった「チューハイ」と、僕が居ない間に広まったハイボール(大昔にあったものが復活)、あとサワーがあります。でもね、レモンチューハイと、レモンハイボールと、レモンサワーの違いを飲んだだけでわかるか?というと、僕はわからないですね。酒薄いし。結局、氷をいれた冷たい水にちょっとアルコール分が入ってて、あとはレモン味がするだけで、飲み味は同じような気もするですよね。実際に飲む時の用法はその味がほしいからというよりは、そこでおしゃべりするための「席料」として、あるいは喉が渇くから潤わすために飲むような感じ。

へえ吟醸にしては安いねと思ってひとつ頼んでみました。
枡酒でくるのはうれしかったですね。作法通りあふれさせて枡で受ける。ひさしぶりだわ。

もっとも味そのものは、別に~という感じでしたけど(笑)。
空腹中枢を刺激されている森くん、まだまだいきます。

だんだん周囲もやかましくなります。見るとどの部屋も革靴ばかり置かれていて、なるほど、ここはサラリーマン御用達の店みたいですねー。
それはそれで懐かしいけど。
(電話ボックスに毛が生えたくらいの狭い)喫煙ブースもあって、そこに入ってるサラリーマンの皆さんが見えたのですけど、最近では版で押したように電子タバコ吸ってはりますねー。そいえば今年、コンビニでタバコ買おうとして、「セブンスター」といったら、店員さんが悲しそうな顔をして、「すいません番号でいってください」って知らなかったもんなー。見たら電子タバコの銘柄ばっかり棚に並んでて。1年前にはこうじゃなかったですよ。すごいな、猫も杓子もって感じ。

最後の締めは、ひっさしぶりのカラオケ(20年ぶりくらいじゃないかな)で、しかもロック曲しか歌っちゃダメという「ロック縛り」にしようとか、事前に冗談で言ってたんだけど、そのまんま規定事項になってしまいました。

他人の年齢に興味ないので覚えられないのですが、それでも僕と森くんとでは20年以上の開きはあるでしょう。普通これだけ違ったら流行ってる時期が違うのでカラオケはキツいから言い出さないのですが、ここにロックとかギターという要素が入ると話は違うのですよね。古い曲でも古典化して生き続けるので共通項が多く、世代差がそんなにない。森くんもジミヘンが好きとか言ってたし。

案の定やってみたら、そんなに違和感なくやってました。世代を超えて愛されているジャンル友達はあんまり世代差はないのでしょう。ジャズとかクラシックなんかもそうですよね(もっともカラオケは希少だろうが)。その意味でいえば雅楽ファンの集いとか最強じゃないかな、なんせ千年前の曲だもんね(ますますカラオケはないだろうが)。

昔パソコン通信時代の仲間とやってた「夜の旅団」という冗談でつくったカラオケ方式があって、それでいこうと。ルールがいくつかあって、例えば「誰かが歌ってたら他の者は全力で唱和しなくてはならないルール」。自分が歌う曲探しとかやってるとビールぶっかけられる。だって、一人だけ歌って、あとの連中が曲本やマシンとにらめっこなんて白けるじゃん。結果として全員がずっと歌いっぱなしだから、だいたい喉が枯れるね。それをまた6時間とか9時間とかぶっとーしでやる体育会系カラオケなので、一回やると2キロくらい痩せる。もうスポーツ。
あと時間が限られてるときは「1分ルール」とかいって、1分だけ歌ったら強制終了。なりゆき&手続みたいに2番や3番やってても時間の無駄だし、1分あったらとりあえず美味しい部分は歌えるから、とっとと次の曲やったほうがいい。これだと1時間で60曲歌える。
セミプロクラスのバンド経験がある仲間とやるときは「マイク無しの地声カラオケ」でやったこともあります。カラオケ程度の音量で地声で通る声量がなかったらライブなんかできないし。
儀式のように「京都慕情」ではじまり「津軽海峡冬景色」で締めるというのがありましたね。前者は童謡みたいなわかりやすいメロディ(ベンチャーズの曲だし)で、喉を温めるのにちょうど良い。後者(津軽海峡)はこれって実は結構ロックなので、ノレるんですよね。また真剣にやると異様に難しいので頑張りがいがある。後奏のサックス部分まで歌ってたり。

この日も京都慕情をひさしぶりにやり、あとは森くんとのこれまでの会話で、これは好きだろうと思って、ブルハを入れて、歌ってもらいました。

1.5時間くらいでしたけど(バス時刻の20分前くらい)、結構歌いましたねー。途中で「飽きた」「つまんね」でバシバシ切った曲も多いし。安定のB’zは当然、松本氏のギターはヘビメタのギターですから。ブランキーもやったな(ガソリンの揺れ方とか)。

でも他の部屋はガラガラでした。こんなにやたらカラオケ屋があるから連日盛況かと思いきやそうでもない。時間帯が違うのかなー。そういえば学割メインで書いてたから、中高大学生対象でもっと早い時間帯がメインなのかもね。

とかやってるうちにバスの発車時刻が迫ってきて、最後に森くんの一枚。

いやーまる2日間お付き合いいただいて、本当にありがとうございました。しかも朝も早くから、夜も遅くまで、山登ったり、海わたったり、歌うたったり盛り沢山で。
今度京都に来ることあったら同じようにフルアテンドして差し上げます。また飛行機利用だったら東京方面の方がむしろ安いし、時間も似たようなもんだし。

帰路の風景
これで終わってもいいんだけど、いい写真が撮れたのでちょっとだけ。
バスも二度目ともなると慣れたもんで、のんびり帰りました。

淡路島を離れて本州に渡る明石海峡大橋の手前のサービスエリア

タバコ吸いに一番端っこまで歩いていくと、既に空が明るくなっている。それも朝焼けっぽい。さらに進むと眺めも良い感じなので、歩いていくと、視界が開けて、

おお、位置的にいってあれは明石海峡大橋ではないか?まさかこんなものが見られるとは、早起きは三文の得。バスの出発時刻を気にしながら(ここで置き去りにされたら大笑いだわ)、何枚か。

バスに乗ってその明石海峡大橋に行く途中

僅かな間にどんどん日が昇っていく。

明石海峡大橋をわたってる最中 左に見えるのがたぶん淡路島

だんだん本州に近づく。刻々と色も変わる。

渡り終えれば神戸まではもう目と鼻の先

元町商店街まで戻ってきた 早朝(朝の5時過ぎ)なので道路はガラガラ

いわゆる「ガード下」を過ぎて、神戸三宮の降車場所へ

三宮。なんかすごい工事やってた。

阪神電車の三宮駅(ほかにJRと阪急と地下鉄がある) 阪神三宮って一回も使ったことないかも。

南下して湾岸高速へ

六甲の山をみながら東進

ユニバーサルスタジオを経て、大阪降車(乗車)場所へ

あ、ここ(スカイタワー)だったのね?というのは、往路でもここに停まってトイレいったんだけど、そのときは夜だし、暗いし、雨降ってるしでよく見えなかった。変なところに停まるなーとは思っていたけど、ここか。このスカイタワー、バブルのときに鳴り物入りで建築して、開業する頃にはバブルが弾けて、超閑古鳥で可哀想なビルだった。当時は周囲になーんもないし、長い地下道通ってここまで行こうという人も少なく、テナントも入らず。バブルの仇花モニュメントとして長いあいだ晒し者にされていた可哀想なビル。ようやく駅北の再開発が進み、駅までの暗黒大陸みたいなエリアも明るくなり、日の目を見るようになったのね。

あとは一路京都へ。途中、おお、あれは、、、
先日オフをやった京都競馬場じゃないか。これまで何の気なしに見てた風景だけど、一回自分が行くと違うもんですねー。

日も大分のぼってきた。意外と農地が多いのですよ。水田を見ると田尻くんを思い出し、次の蛍池オフの頃には田植え終わってるかなー。

京都について降車。もう僕ともうひとりくらいしか居なかった感じ(みんな途中で降りた)

京都駅八条口。やれやれやっと帰ってきた。ここからもう歩いて帰りました。

しかし、帰ってしばらくして、タブレットを席に置き忘れてきたことが判明。あちゃー、呑気に座席の写真なんか撮ってないで確認しろよって話です。

さっそくネットで忘れ物F&Qを調べ、ボット相手に問い合わせ先を調べると、京都営業所があるらしい。しかし、綴喜郡大字、、とかいうえらいところにあって、片道1時間くらいかかる。まあ、でもそれも一興(また知らないところに行ける)とか思って、翌朝電話をかけてみると、これがパーフェクトな対応で(レヴューでも書かれていたが)、テキパキと調べてくれて、着払いで郵送してくれることになりました。手慣れたもんだねって感じで。

翌日にはもう着いた。

けっこうしっかり包装してくれて。

着払い910円で済んだ。これは行く場合の片道の交通費くらいで、手間暇的にも大変お得な。

以上が3泊4日の松山行でした。早朝に着くとか、夜遅くに出るとか、往復16時間のバスとか、いろいろハードな旅だったけど、それが逆に見聞機会をぐーんと拡大してくれた。災い転じて福となすってやつです。
だってこれが理想的に午前10時くらいに松山に着いてたら、2時間にも及ぶ早朝放浪見学はなかったはずで、松山理解度はかなり下がったと思う。雨だし暇だしだったからこそです。帰路も午後3時位の出発だったら夜宴もカラオケは無論のこと、松山城とフェリーのどちらか一つは諦めねばならなかったでしょう。そういう意味では、この無駄な時間が逆に良かったと思うし、5回分割にしなきゃいけないくらい濃密なものになりましたー。

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