2024年日本帰省記(13) 蛍池長田スタジオオフ

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去年と同じ、阪急宝塚線・蛍池(ほたるがいけ、蛍ケ池と書いてないけど読みに「が」が入る)にある長田くんの事務所、◯リンク(えん=縁=リンクと読むそうな)でのオフ。伊丹空港のすぐ近くね。

去年は翼さんの娘さん(紬ちゃん)と、長田くんの娘さん(月凛ちゃん)がいて、ファミリーオフっぽかったけど、今回は大人ばっかりでした。

阪急蛍池駅。
ウチが近鉄とJRに近いので、長田オフがないと阪急に乗る機会がないのですよね。

駅前

松山の続きでしげしげと見てると、ここも結構昭和が残ってるなー、と。
例えばですね、この「牛乳屋さん」って存在が懐かしいですね。「あったなーそういうの」って、昔は朝になると新聞が宅配され、牛乳も宅配されてました。家の前に木製の牛乳箱があったりしてね、ウチにもあったな。

あるいは、ちょっとわかりにくいけど、国道沿いにあるスナックなんかも昭和っぽいです。そもそも「スナック」という単語そのものが懐かしいです。あんまり入ったことないけど。一定の年齢以下だったら、スナック=お菓子じゃないかな。また、いわゆる「下駄履き」と呼ばれる建築様式。一階がテナントで上層階が居住階であるというパターンそのものは現在もあるし、将来もあるでしょう。ただそれを「下駄履き」というのだというのは、もう知らない人の方が多いんじゃないかな。
言葉でいえば、「喫茶店」という単語も、死語にはなってないだろうけど、養老院にいるくらいの感じですね。「カフェ」に統一されていくのかな。「サテン」は棺桶に片足(両足?)ですね。2050年の若者になったら、もう「喫茶店」と時代劇に出てくる「茶店」の区別がつかなくなり、さらに「お茶屋」も(多義的な言葉だが、京都のお茶屋は、ここで芸妓さんと舞妓さんを呼び、かつ仕出屋から料理を宅配してもらってお座敷を整えるもので、サービス付きレンタルスペース業)。

だけど最近ぽい店もあって、インドネシアのハラルフードの店があった。シドニーにある日系食材店みたいなものですね。
インドネシアは国民の90%がイスラム教徒だから、ハラルフードは当然でしょう。こんなのがあるのだから、この近辺にはインドネシア系の皆さんが住んでいるのかな。シドニーでは、どのサバーブに何系が多いとか(Petershamがポルトガル系とか)ありますけど、多分、東京にも大阪にもそういうエリアマップが作れると思います。こういうのって地元民が一番知らないですよね。

そいえばロシアだったかどこだったか、BRICS内部での交流が盛んになることを見越して、大学のカリキュラムにハラル・リテラシーを入れるとか読んだことがあります。なんせムスリム人口は仏教徒の3倍、キリスト教徒についで二番目ですけど、2060年にはほぼ同じになると言われてますから、明日の地球において無視できない。ハラルといえばフードなんだけど、別に食べ物に限ったものでもなく、思想や行動の基準となるものなので、リテラシーが要るということでしょう。「リテラシー」は、識字、読み書き(ニューメラシー=算数に対置するものとしての国語)って意味もあるけど、より広く、ある特定の分野に対する深い理解=造詣って意味で使う場合が多いです。

そいえば中国だったかどこだったか忘れたけど、ヒンドゥー語をカリキュラムに入れる(小学生からやるんだったか、入試の選択科目に入れるんだったか覚えとらんが)、というのもチラと読んだ気がします。曖昧な話で悪いけど、おー、世界は着々と次世代に向けて構築中なのねって思った。日本がそうなるのはあとどのくらいかかるのかな。なんせ戦後は英語教育が盛んだけど(その割には喋れないけど)、戦前・中は敵性語で全面禁止してた国ですからね。コーヒーは「炒り豆のだし汁」、野球のストライクは「よし(一本)」とか強制的に言わされていた。それ自体滑稽なんだけど、問題はそんなことをして戦(いくさ)に勝てると思っている指導層の阿呆っぷりだし、誰もツッコまなかったのか?と(多分そうした人は沢山いたと思うけど粛清されたんだろうな)。真剣に勝とうと思ってたのか、あるいは勝つというのはどういうプロセスを経てそういう現象をもたらすのかわかってたのかなー?と疑問です。戦略とはまず敵を知ること、それも徹底的に知ることで、好きだの嫌いだのの感情なんかどうでもいい。なにかの試験で真剣に合格しようと思ったら、まず出題傾向を調べ、ボーダーラインを調べ、過去問をやるでしょうに。個人レベルでは合理的に動くくせに、国家レベルになると知能指数が30くらい下がるのは中々興味深い現象です。おもしろいよねー。面白がってる場合ではないんだけど。

さて、意外と早く着いてしまった。15時くらいに行きますとか書いておきながら、着いたら14時半くらい。ベルを押しても反応ないから、まだ長田くんも来てないのだなーと思って、玄関先に座り込んで、手巻きタバコをシコシコ作成しておりました。
実は長田くんは二階にいてベルが聞こえなかっただけらしく、ほどなくしてドアが空きました。

既に見慣れていますけど、なんか去年よりも年季が入った気がする。いろいろなものの「おさまりがいい」というか。気のせいという気もするけど、ビシッと整列の「ビシッ」という音が聞こえてくるかのような。

皆がくるまで二人でやってましょうとかやってたら、はじめましての中村さんがやってきて、さらにご近所さんの田中さん(この方も初対面)がこられ初対面率の高いワクワクの始まりになりました。

とりあえずこの段階で一枚。
気合のはいったお澄ましモード

リラックスモード

田中さんはご近所なんだけど、長田くんが定期的にやっている護身術会の参加者で、この定例会は水貝くんほか、かつて奥村くん(現在カナダ)、堀池くん(シドニー)、JUNJUN(名古屋)、徳原くん(今東京で茨城出向中)も参加してたものです。ここに限らずAPLaC界隈では、ちょっと目を離すといつの間にかどっか行っちゃう落ち着きのない子が多いですよね。田中さんは「後ろ回し蹴りが出来るようになりたい」という野望を抱いて長田塾の門を叩いたそうです(まだ出来てないそうだけど)。

ピュアな少年のような風情の中村さんも、プチご近所で(茨木だっけ)で、大学時代は長野にいたそうです。山小屋でバイトとかしてたらしく、ラフ耐性はありそうな。今度オーストラリアに行こうかなーと思っていると。

そうこうしてたら水貝くんも来て、皆さん律儀にお土産持参。

えらいなー。僕なんか何もナシで、事前に掲示板になんか買っていこうか?と聞いて、用意があるから不要ですと長田くんに答えてもらったことを免罪符にして、なーんも持ってこなかったです。すまん。
みたらし団子がかぶってて、みたらし人気が忍ばれます。十三に有名な店があるとかで、そこの一品も(全然知らんかった)。

そうこうしているうちに(こればっか)渡邉匠くんが来て、津オフ以来だよね、2週間ぶりだよね、この2週間でまた2つ内定取ったそうです。
そして、加東市から田尻くんが来られました。長田くんの契約駐車場を使ってもらう手はずだけど、場所がわかりにくいから、案内をするということで。
場所を説明する長田くんと田尻くん。

あらかた揃ったところで一枚。
ちょっと緊張してるのか表情が固いね。もっとくだけて~、笑って~
ぶはは、写真整理してて笑ってしまった。いや一応それっぽく写ってるんだけど、なんかこう弾けるような感じがないね。
結構な枚数撮ったんだけど、見てて気づいたけど、長田くん顔が疲れてますよ。会ったときはそうでもない印象だったけど、写真で見ると。直近の雨で現場がヤバいことになってとか、社長は心労が耐えないよねーって、他人事じゃないんだけどさ。

ゆっくり喋れる二階の「お座敷」に河岸を変えて、ここからじっくり各自話し始めました。
やっとリラックスしてきた感じ。

喋りだしたらどんどん盛り上がって、途中、お腹が空いた組(水貝くんと田尻くん)が買い出し組になって、雨中に出陣し、唐揚げとかタコ焼きを買ってきてくれました。

丁度絶賛田植え、農繁期の極致にあった田尻くんも、ほぼ99%の進捗率とのことで参加してもらって良かったです。
お父さんのあとを継いで、加東市東条で酒米作り(山田錦の)。お父さんもまだまだ現役で頑張ってらっしゃるようで何よりです。オフ掲示板にも書いたけど、紹介ビデオがYouTubeにいくつか転がっていて、お父さんももともと農家ではなく、農協の職員だったそうです。田尻くんの話だと結構上の方までいってたんだけど、さらに上と反りが合わずに辞めて、同時にせっかく山田錦ブランドがあるのだからもっと作ろうと呼びかけていたところ、自分でやるわと。農家=保守的というステレオタイプがあるけど、お父さんはけっこうトンガッてるのですよね。カッコいいじゃん。
でも一般的にはステレオタイプどおりのところもあって、田尻くんも苦労しているそうです。いまどき家業の農家を継ごうというのは、あのブランド地においてすら、田尻くんくらいで、あとが出てこない。かといって、貴重な次世代として皆に大切にされているかというと、別にそうでもない。なにか新しいことをやろうとしても若造あつかいされて潰されるとか。
最初はムキになって反発してたけど結果に結びつかないと意味がないと悟って、諦めるわけではないけど、暫定的に折れるべきところは折れるという感じで、大変そうです。
例えば、たくさんある田んぼを見回って適正な水量を常に維持するんだけど、場所も違えば土壌も微妙に違うから全部違う。そのなかで水が足りないなーという田んぼには水を増量するのだけど、「どうやんの?」ときくと、用水路の堰を開いたりするのだけど、そのためには水源の人に挨拶して承諾を得ないといけない。そこで意地悪されたら、それでもう終わってしまう。だから全体の人間関係を良くしておくことは必須であって、喧嘩ばっかりしてたらダメだと。

「出る杭」になるのは大変だけど、諦める気はない。ただここまでだったら叩かれないという見切りを極め、かつ隙があったらちょっと出る、、、って感じなのでしょうか。仕事自体がスーパーハードであるのと同時に、そのあたりの気配りも大事で、企業経営と変わらないですよね。

どんなところが進化できるの?というと、特に結果に関係ないけど見栄えがいいとかいうことでやってる仕事も沢山あるので、そこは省力化出来るはずなんだけど、そういうのを高齢層は嫌がると。まあ気持ちはわかるけど、省力化と手抜きは違うんだということがわかってもらえない。もう世代が変わるのを待つしかないですねー、と。

大体農産物の値段が安すぎると言ってましたね。あんだけ長いこと苦労して、労働力注ぎ込んで、これだけ?という。日本の農家の労働を、時給換算したら時給10円だという話を聞いたことがあるけど、もともとの話をすれば、資本主義と農業というのは合わないんじゃないかな。だからどこの国もそのミスマッチを埋め合わせるために補助金を入れる。アメリカでもオーストラリアでもそうです。もうガンガン注ぎ込んでる。資本主義は産業革命と二人三脚のように出てきたから、本来工業に相性がいいし、金儲けにも相性がいい。だけどメシを作って食うシステムではないんでしょう。

日本の場合、高齢化でどんどん耕作放棄地が増えると、もうその土地は田んぼにならなくなると言うけど、本当なの?と聞くと、本当だと。「バガボンド」で読んだけど、地面に水を浸しても、普通そのまま吸い込んでしまって乾いてしまい、水田にならない。特殊な土壌でないと水がいい感じで貯まらない。あれは、最初に深く掘って、粘土質の土を入れて「底」にしないといけない。ものすごく膨大な労力がかかる。毎年作ってメンテしてれば、そのまま作り続けられるけど、一旦中断するともう変わっちゃって、それを復活させようとしたら、またやり直しで、重機(パワーショベルとか)を持ってこないと無理だと。しかし山間の田んぼなどは重機持ってくることが自体が無理だったり、コストが合わなかったりする。昔から営々と維持してきた国民資産のような田んぼが、どんどん駄目になっている。

そこへもってきて有機栽培でやろうというのだがら、超ブラックな話になってくる。しかし、有機で高い農産物を買うためには消費者が豊かでないとダメで、こう実質賃金が下がっていたら、それも苦しい。

話してて思ったのは、これは昔から感じてたことでもあるのですが、農業にせよ、教育にせよ、そこにある問題を抜本的に解決しようと思ったら、もう農業とか教育の分野を越えてしまうのですよね。
生産者的には地獄の有機栽培をやって報われるためには、それをやると月収100万とか200万とか余裕で稼げるくらいでないとやる人が増えない。そのために一般国民の所得が増えて、多少高くても買えるようにならなければならない。高卒だろうが中卒だろうが誰でも初任給で50万、そこそこやってりゃ年収一千万は余裕ってレベルの国にしないといけない。ならば皆でがっぽり稼げるための狩り場を見つけ、攻略し、育てるように何十年スパンで戦略をたてないといけない。あるいは資本主義の原理そのものをアップグレードするかです。それが本当の経済=経国済民=賢い国家マネジメントによって民衆を救う(救済)することで、こんなの誰でも知ってるんだけど、でもそうならない。

教育でも子どもの問題でも同じことですよね。弁護士から政治家やNPO立ち上げる人は多いけど、最初はたまたま受任した事件がそうだったというだけじゃないかな。それをやってるうちに問題の根深さと事件をこなすために特殊な知識と技術がいることがわかって仲間内で勉強会や研究会やって、ある程度まとまったら広く知らしめるためにシンポジウムなどイベントをやって、、という、その延長線です。僕もなりゆきで医療過誤方面にいってしまって、現場の看護師さんとの研究会で院内感染の話とかしたこともあります。一連の流れですね。
そこにあるのは末端現場でチマチマやってても「埒が明かない」という思いであり、その思いはすべての現場の共通感情だと思われます。末端では解決できない。毎日シワ寄せのシワが波のように押し寄せてきて、それに追われているうちに人生終わってしまうという。もっと根本からなんとかしないと、という。

さてこんなこと書き出したら延々書けるんだけど、これはエッセイではなく、オフのレポートであるという本題に立ち返りましょう。

といってももう書くこともあんまりなく、和気あいあいと談笑が続きましたってだけのことです。客観的にオフはどれも同じです、くっちゃべってるだけです。ただ主観的にはそれぞれに何かを感じたり、学んだり、まあ単純に面白いだけですけどね。でも「面白い」と感じられたら、最も多くなにかを得ているのでしょう。

また最後に撮って。今度はかなり表情がリラックスしてますよね。

また京都まで片道1時間以上かけるうんざり感があって(松山からの8時間に比べれば、あるいはシドニーからの9時間半に比べればマシだけど)、9時ころにお開きにしました。

長田くんにお礼をいって辞去し(ほんとにありがとねー、またやろうね)、ご近所の田中さんは徒歩でお帰りになり、残った人々は蛍池から阪急に乗り、皆さん阪急組なので十三乗り換えでサヨナラをして、梅田についたのは僕ひとりでした。

阪急梅田駅

ひさしぶりにみると、梅田駅でかいですねー。改札なんかいくつあるんだ?って感じで。改札部分の広がりでいえば、JR大阪駅、京都駅の比じゃないくらい大きい。

何十年も前に通ったルートだけど意外と変わってなくて(てか去年も蛍池オフのあと通ってるハズなんだけど)

高架下の信号わたってJR大阪駅へ。
この信号、昔あと何秒とか表示が出て、さすがせっかちな大阪人だわーと全国的に有名だったと思ったけど、まだ秒数でるのかな(しっかり見てないけど、なかったような)

ちなみに、シドニーにも秒数が出る信号があって、Chatswoodがそうですね。ただし、歩行者用信号があと◯秒で終わるから急いでねという秒数です。かつての大阪は、あと◯秒で赤信号が終わるから辛抱やでって意味だった記憶です。
ま、どうでもいい話ですけどね(笑)。

このあとJRのホームで、ふと気がつくと網干行き新快速のホームで待ってた。反対方向じゃん。いつも京都駅から乗るときには(山科にタバコを買いにいったり、津オフにでも出ないかぎり)大阪方面で、網干行きとか姫路行き新快速に乗るので、名前の馴染で「あ、こっちか」とか思ってた。ヤバいですよね、ボケが始まってるよね、、、って、似たようなミスを30代でやってるんですよね。二日酔いということもあるけど、阪急の淡路経由で千里中央で行く北上ラインと、十三経由で豊中(蛍池も)いく北上ラインがこんがらがって、千里に行くつもりが、電車乗った後に「あれ?千里いかないじゃん、どうして?」と大ボケかましてたのを思い出した。あのときも、ヤバいなもうトシかなとか思ってたけど、30年以上前の話です。そんなに言うほど経年劣化してないかもしれないし、終始一貫アホだった(しかも進歩がない)という悲しい結論も導けますよね。ああ、だったらアホは老けないのかもしれないなー(てか老けても区別がつかない)。

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