オルタナ・オーストラリア留学(その1)~究極の一滴

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このシリーズは、2025オーストラリア学生ビザの混乱(1-3)の続編というか、おまけ編として書きます。
「オルタナ」というのは、altanativeの和製略語で「オルタナロック」とかいいますが、「他の選択肢」くらいの意味です。オーストラリアで学生ビザを取る以外の選択肢はあるのか?という意味です。

オーストラリアの学生ビザが申請料1600ドルに爆上げされるわ(次の予算でまた上がるかも)、観光ビザから国内申請ができなくなるわ、審査期間も合否も不透明化が進む現状を書いてきました。
多分に一時的な現象ではあると思うし、しばらくしたら潮流も変わるでしょう。過去の移民政策を見ても、水門を開けすぎたり、締めすぎたりの繰り返しですからね。

地政学的な大きな変化

だけど変わらない大きな趨勢もあります。それは潜在市場の拡大=世界人口の圧倒的大多数を占める発展途上国の底上げ=ほっておいてもお客が増えまくることです。これはほおっておいても潜在顧客層と商機が増えていくというビジネス的には超特大のチャンスになります。
日本の未来はお先真っ暗だとか言う人いるけど、ことショーバイに関して言えば、未来は明るい。もう明るすぎて、閃光を放っていて、直視したら目がやられるくらいです。だって単純に顧客人口と市場でいえば、あと50年くらいかけて地球がもう2個出現するようなものですから。これまで貧しすぎてお客になりえなかった膨大な人々が日本製品(機械部品からアニメから寿司から)を買えるようになるわけで、日本の高度成長時代のアレが数十倍の規模で出現するわけです。というか既に出現してます。

もっともチャンスを的確に掴めなかったら無いも同じだし、せいぜい身近に感じるものとしてはインバウンド外国人がこれまで以上に増えまくって、うるさくて迷惑するとかそんなレベルじゃないですかね?ぼけっと受け身でやってると何でもそうだけど、全てが不愉快に感じられたりするもんです。夏になったら、夏ならではの快楽をエンジョイすればいいのに、ひたすら暑い暑いとぼやいているだけ。寒くなったら寒い寒いとボヤくだけ。ぼやき続けて80年、そして一生が終わる。

ちなみにオーバーツアリズムへの敵対感情は世界の先進国でみられます。特に去年のスペインのものが有名。2024 anti-tourism protests で検索するとでてきますし(Wikiにもある、日本語版はないけど)、画像検索するとわかりやすいでしょう。

もっとも、スペインのこれらの問題は、まだコロナ開けの禁欲反動のリベンジ旅行者が増えただけのことで、まだまだ序の口だとは思います。

しかし良いことばかりではなく、それは同時にライバルの激増も意味するわけで、昭和末期の頃から言われていたメガ・コンペティション、世界的大競争の時代がいよいよ本格的に始まってくることでもあります。オーストラリアの永住権も、はるか昔の申請すればすぐ貰えた牧歌的な時代から、一貫して厳しくなってます。にも関わらず長期的にみれば移民数は増えている。どんどん偏差値が上がっているくせに、どんどん合格者が増えているという不思議な現象は、受験者数がそれを上回る勢いで増えているからでしょう。そしてこの傾向は今後当分続くでしょう。

多分傍証になると思うのが、ワーホリビザの規定で、イギリス国籍(+香港も)が異様なまでにエコヒイキされていることです。それもごく最近にそうなりました。なにしろ彼らだけWH35歳までだわ(2023から)、特別労働しなくても2-3年目WHビザが取れるわ(2024から)、こんなの憲法上の平等原則に反するんじゃないかってくらいの優遇ぶりです。でもなんで厚遇するのか?宗主国とのつながりといっても、今は名ばかりだし、エリザベス存命中はまだしもチャールズになってから親近感も薄らいでます。推測を逞しくするに、このままいったら「その2」で書いたようにオーストラリアはインドになってしまう(+南米、中東、アフリカ)ので、対抗上オーストラリアの伝統的な価値観と人種構成を増やしたいのかもしれないです。それか凋落が激しい宗主国の若者救済なのか。いずれにせよ地球規模で大きな変動があるのは確かだと思います。

まあ実際、こちらではスーパー行こうが、ガススタ行こうが、インド人店員だらけです。先日韓国料理屋にいったら、店員の半分はインド系スタッフで、またこれがテキパキやってて優秀なんだわね、そりゃ雇われるわ。

学生ビザ→永住は本来の王道ではない
ところで学生ビザの難化と永住権の困難化で「もうダメだあ」だとか思いがちですけど、それ、固定観念ですよ。02深堀りで書いたように、そもそも留学→永住のルートは、オーストラリア政府が大学補助金を減らす補填策として作っただけのもので、歴史的にいえばオーストラリア永住の王道ではないです。

ではなにが王道だったのかといえば、典型的には宗主国イギリスからの移民であり、たまたまオーストラリア観光にきたイギリス人が、抜けるような蒼い空とのんびりムードにガビーン!ときて、「曇天とストレスだけのロンドンなんかもうイヤだ、人間らしく生きるんだあ!」となってやってきたというものです。いわば最近流行りの「田舎暮らし」をしたくて、(イギリスからみれば)世界のド辺境にやってきましたというものです。なんせ「ダウン・アンダー」なんて呼ばれてるくらいですからね(地球の下の方で、皆逆さまになって暮らしているありえない異世界エリア、という意味)。そこでは留学してどうのというルートではなく、イギリス(本国)時代の職歴キャリアで永住権申請をしてます。

つまり、本国その他でしっかり実績(職歴)を作ってからの永住です。これが本道であることは今も変わらないです。受験でいえばちゃんと入試に受かることです。今語っている学生ビザからどうのは、OA入試とか、推薦入学とか、附属高校からの進学とか、裏口入学とかその種のルートであって本道ではない。

究極の一滴
ほんでももっと大局的にみれば、なんでそれをしたいの?です。

今の状況は、田舎暮らしをしようとしたら、人気の地方自治体では人が増えすぎて困ってて、人数制限や資格制限をするので移住そのものが困難化しているようなものです。今は支援する自治体が多いですけど、だんだん人気のある移住先は制限するかもで、制限されると益々人気になったりして。

人間心理の不思議で、なまじ難易度が高まると、ゲームとして面白くなっちゃうのですね。
スイス時計のようにやたら高額になったり、レアものになったりすると人気が沸騰する。全く同じ時計がドンキで千円で売られていたら、たぶん誰も見向きもしない。世界チャンピオンにせよ、未踏峰初登頂にせよ、最近値打ちが下がったノーベル賞にせよ、文学賞にせよ、なんにせよ難しい=価値がある=面白いのです。難度の高いゲームの方が人気がある。達成したときの達成感が半端ないですからね。

オーストラリアの永住権も難しいからこそ価値がでてきて、その戦略・戦術に一喜一憂したくなるんですけど、でも本質は「そこ」じゃないでしょ?

なんで田舎(海外)に住みたいの?
なんで居住、人生環境を変えたいの?
さらに言えばなぜ変えたいの?

その究極の理由は、個々人によって違うのでしょうが、その本質を自分で押さえておくのはすごく役に立つと思いますよ。めちゃくちゃ重要だから、この回はこれだけ力説するつもりです。

「なぜ俺は」と考えて、考えて、ギリギリまで自問自答して「究極の一滴」を探し当てることをオススメします。探し当てなくても、探すだけでも意味あります。

なぜなら本質を小さく絞り込めれば、それに反比例して選択肢はめちゃくちゃ広がるからです。

究極的に◯◯が欲しいなら、◯◯さえゲットすれば良いのであり、◯◯ゲットの方法は無限にあるはずです。オーストラリア永住も数ある手段の一つに過ぎないし、いわんや留学やらビザなど枝葉の選択肢の一つにすぎない。

究極まで削ぎ落とさないで、あれもこれも、それもどれもと言ってたら、すべてを満たすものなどこの世にはないですから、無限に難しくなります。受験鉄則で、「回答するのが異様に難しいときは、問題文を読み間違えている」といのありますが、よく考えたらどうでもいい条件を付加することで、自分で愚かにも問題文を膨らませ、難しくしている可能性はあります

しかし、「究極の一滴」にまで到達する思考発想は、なまじ全てが整備された成熟環境に生まれ育つと逆に失われる傾向はあります。成熟社会では、なんでも売っている(かのように錯覚させられる)し、人生のルートも売っている(かのように)思い込まされてしまう。「選択肢は他人が作るもの」というか、全部他人が考えたものの中から選ぶという習性で、要は自分では大して考えてない。世の中のこと全て、トレンドやら、余暇時間の過ごし方、何を食べるか、何を問題視し、何に対して怒るかまで全部メディアが教えてくれる。なんも考えなくてもそこそこ生きていけるという意味では良い時代ではあります。オーストラリア留学と永住だって、それをやってる人がいるとかネットで読んで知って、それが選択肢だと思い込んでないですか?

しかしですね、これは考えたほうがいいと思うのは、なぜ選択肢が用意されているのか?なんで他人が作ってくれるのか?です。それは、どっかの誰かが得をするからでしょう。多くの場合は、マーケ戦略。モノを売ろうと思ったらまず顧客の思考をコントロールしろと。ということは、目のつくところに置いてある選択肢は、大体において「商品」であり、ゆえをそれをゲットするにはお金がかかります。それに慣れてしまうと、二次災害として、お金がないと何も出来ない、幸せになれないという大いなる錯覚に陥ります。なんでもお金基準に物事考えてたら、お前はもう死んでいるですね。古いけど。これは過去のエッセイでも書いたな。まあ錯覚に陥ってほしいからこそ、天文学的費用を投じて広告宣伝をし、その中間業者の電通が巨大な権力を得て、昨今ではSNS管理のためにあの手この手で頑張ってるわけですよね。

最近ではその種のプロパガンダ戦略への批判が高まり、そういう批判的視点も普遍化してますが、批判的・懐疑的になる以上に、ゼロから自分で作ったほうが早いですし、間違いが少ないです。詐欺の業界では、懐疑的な人の方が騙しやすいらしいですからね(わかるような気もするけど)。

ゆえにゼロから自前で考えた方がいいんじゃないの?と。
現代の生活環境でこれをやるのは中々難しいけど、頑張ってやってください。
これが終戦直後の焼け野原にひとりでほっぽり出されるとか、なにもかもがカオスな状況(それが本来の姿なのだが)に置かれたら、一から十まで全部自分で考えないといけないから、自律的思考と決断力は鍛えられます。無人島漂着サバイバルと同じで、直近数時間以内に飲料可能な水をゲットしないと生死に関わる状況だったら、ネット見てウダウダ悩んでるヒマはない。水がゲットできたら次は、、とやることは山積みで、それをこなすだけで精一杯でしょう。

そういう意味で、完璧は無理だとしても、常日頃から「なんで?」「結局なによ?」というのは常に考えておくといいです。ネットも雑誌も閉じて、ゼロから自分で。
自律的思考ができない、究極の一滴が分からないのであれば、それが出発点であり、まずそれを考えられる、発見しやすい環境を構築するのが第一歩になるかもしれません。無人島漂着事例でいえば、水や食糧ゲット、野獣や部族など外敵対策として最低限の武器制作、安全な場所探しなどをやるために、まず「靴を作る」というのが優先課題になるようなものです。裸足で歩いてると痛くて能率悪いし歩き回れないし、生傷作ってそこから感染してえらいことになるとかを防ぐためにも、まず木の皮と蔦で草鞋みたいなものを作ろう、全てに共通する基礎を作るとかです。

自分の場合
僕の場合は、前々から書いているように、自由になりたいというのが基本でした。そしてなぜ自由かといえば「面白くなりたい」からです。この面白さこそが僕の究極の一滴だったと思います。これはもう最初からはっきりしてて、面白かったらそれでいいんです。

なぜかそう思ったか。
司法試験受かって弁護士になって、収入やステイタスは上がるけど、もう仕事で雁字搦めになる。もともと自由業で独立独歩で出来るとはいいながらも業界全体、社会的立ち位置みたいなもので四面楚歌で包囲され、どんどん鋳型に嵌めていかれる恐怖もありました。それがイヤでさんざん当時珍しい(100人に一人も知らない)パソコン通信(インターネットの10年以上前の先行原型)で異業種交流を激しくやって、仲間とマンション借りたり、会社作ったりもしたんだけど、それでも足りない。そんな片手間でやってても満たされんなーと思ってたからです。それに睡眠時間削って夜の11時から飲みに行ってたりしたから、身体もやばくなってきてたし、全くもってサステナブルではない。ストレスで飲みすぎてガンマGTP値とかヤバかったし(オーストラリアに来てからはオフ以外ではまず飲みません、必要を感じないから)。

とにかくこの状況を根本的に破壊しないとあかんなと、このまま流されていったら、やがて年とともに起爆力も創造力も落ちていって、「まあ人生こんなもんか」とクソ納得しつも「なんだかなー」と思いつつ死んでいく忸怩たる未来が見えたような気もしました。
だから、とりあえずは「破壊」。創造的破壊なんだけど、何を創造するのかもわからんかったから、何はともあれ現状破壊。ここで中途半端に転職しても、もと弁護士の肩書は一生ついてまわるから、もう「一生」そのものを断絶する。当時の(今も)日本では「海外」なんて「死後の世界」で、そっちに行ってしまったら「死んだも同じ」だから、こりゃあいいやと。「第一部完」って感じの。

でも、なんで破壊するの?せっかく必死こいてゲットしたのに?ってことですが、それは簡単で、弁護士やってても、司法試験受験中ほど自由で面白くなかったからですよ。

あれは実にいい経験で、一般には受験中が地獄で合格後は天国、僕もそう思ってたけど、いざやってみたら真逆ではないか。受験中こそが天国だったのではないか。必死こいて断崖絶壁をよじ登っていた頃の方が面白かったじゃないか。そりゃ受かればお金は十倍百倍に増えたし、ステイタスはあがったけど、そういうことじゃないなー。結果という果実は意外と美味しくなくて、それを取りに行く過程が面白い。

突き詰めていけば、要は「必死になってる」ことそれ自体が面白いんだわねー、なるほどねーと。究極まで絞り込んでいけば、要は何でもいいんだよねー。ムキになれたらそれでハッピーなんだと。

極論をいえばハッピーになりたかったら、何も考えず今この場で全力疾走すればいいです。息が苦しくなって、足がしんどくなって、それでもヒーハーやってると、なぜか不思議で圧倒的な達成感があって、脳内麻薬が出るのですよね。そういえば子供の頃に意味なく造成地の壁面を登ったりしてたけど(ボルダリングみたいな)、あの感覚です。

この認識は今なおずっと続いていて、APLaCやってて日本市場が痩せてくるから、バイトもしなきゃなーと思ったときに、カッコいい仕事を探そうとは微塵も思わなかったですね。マックジョブだろうが、shit jobだろうが、最底辺だろうがなんだろうが、なんでもええわと。なぜなら、どんな仕事でも、終わったときの開放感と達成感は格別なものがあり、それが得られたら精神的にペイするのがわかってたからです。実際そうだったし。むしろカッコいい仕事の方が、開放感や達成感が乏しいのですよね。肉体労働のように、スパッと今日の仕事はこれで終わり!ってなる方がいい。

ところで、「オーストラリアについて3日で帰りたくなくなった」と書きましたけど、当時はネットも情報もないから、まさに無人島漂着状態で、超面白かったんですよ。超しんどかったけど、だから結局、しんどい=面白いなんですよね。スーパーで物買っただけで、「おっしゃあ、食糧ゲットおおお」と達成感ドーパミン出まくりで。
家でも、シェアなんか夢にも知らなかったから馬鹿正直に不動産屋巡るんだけど、そもそも「オーストラリアに不動産業はあるのか?」というレベルで曖昧だったのですよ。また異国の町のどの店が不動産屋なのかがわからない、「こ、これじゃないかな?」とか見当つけたり、ウィンドウに貼ってある物件広告の文字がもう暗号でわからんし。そういうのを一歩一歩進めていくのが面白かった。子供の頃の基地を作ってたワクワク感を拡大した感じ。こんな面白い遊びがこの世にまだあったのかと。

幸福測定値はない

思うに、世の中いろんな数値や基準があります。カロリーとか、ヘクトパスカルとか。だけど、いちばん大事な数値が無い。それは快楽や幸福を感じる度数です。いわゆる脳内快楽物質であるドーパミンやら、エンドルフィン、セロトニンが今どれだけ出ているのかなんでしょうけど、調べると、ドーパミンは脳のある部分に放射性医薬品とやらをを注射して、発生している放射線を特殊のカメラで撮影するとかいうドパミントランスポーターSPECT検査があるそうです(出典)。とても個人で出来る感じではないですね。それにそういった化学物質だけが人間の幸福感の全てなのかというと、他にもなんかありそうな気もするし。

それはともかく、これ、Apple Watchとかウェアラブルのデバイスで、誰でも手軽に計量できるようなものってないのですかねー?あったら世界的にバカ売れすると思うけどなー。いろんな状況で(仕事してたり、デートしてたり、温泉いったり、名画をみたり)どう変化するかを見てると、どうなると自分は嬉しく、ハッピーになるかがわかりますから、究極の一滴も調べやすい。もっともその数値に引っ張られ過ぎるものも問題ですけど。WHでラウンドをおすすめするのも、これです。いろんな状況に自分の身をおいて、どう感じるかを試せるからです。すると、「ああ、夕日がキレイだったら、それだけでいいんだ、俺は」と達観し、究極にたどり着けるかもしれないでしょ。

でも、そんな機器が出来たら、世界の支配層が必死に弾圧するかもしれないですね。なんせ人々に本当の幸せに気付かれてしまったら、マーケもプロパガンダも全部無駄になりますから、根本的に支配ツールを失うわけで。

そういえばコロナ後の風刺漫画で、世界の大企業の首脳陣が会議やってて、コロナのロックダウンとリモート仕事の影響を深刻な顔して話合ってるものです。「一番のミステイクは、人々に「本当の幸福」を気づかせてしまったことだ」と言っているという。気づいてしまったら、もう社畜になってくれないから問題だと。「わはは、そうかも」と笑ったもんですけど、でも実際、コロナが終わっても、リモートがいいというのが大多数の声だったんだけど、会社は必死に従業員をオフィスに呼び戻してましたもんね。

実際のオーストラリアのロックダウンも、現場にいるとわかるんですけど、皆さん幸せそうでしたよ。なんせ国が給与分全部出す(給与を出す会社に補填)で、リモートで仕事さえすれば、あとは好きな時間に公園で子どもと遊んでればいいんですから。オーストラリアならではで、ロックダウンといいながら「エクササイズ」は例外になってたから、公園に皆出てきて楽しんでるわけですよ。昼間っから。それに住環境が違うから家で仕事というのもしやすい(日本の狭い家屋で粗大ゴミ扱いされているのとは違う)。

というわけで、これからいろいろな代替案を考えますけど、そういった客観模索もさることながら、まず自分を知ることもそれ以上に重要だと思います。そのことは先に(そしてこの先何度も)強調しておきます。

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