2025年帰省ツアー(3)京急蒲田オフ

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(承前)
宇賀神さん宅を後にして、上野東京ラインは一路南下、品川駅で乗り換えてオフの待つ京急蒲田駅へ。
往路の苦行に比べれば、楽ちんな旅なんだけど、もうすぐ東京駅ってところ、尾久駅あたりで信号待ちでしばし待たされた。ああ、品川での予定の乗り換えが、、、またかよーと思ったものの大過なく済んだ。

ところでこの尾久駅、宇賀神さんのところに行くようになってから初めて知った。こんな駅あったっけ?って。僕は中高時代下町で、家は江東区(門仲)と中央区(佃)、高校は墨田区で比較的馴染のエリアに近いんだけど、それでも初耳。降って湧いたように突如出現した駅!みたいな違和感があったので、いつか調べてみようと思ったのでした。で、今調べた。
なるほどそういうことかでわかったのは、尾久駅の位置は上野の北、西日暮里と王子の間くらい。上野駅から11時の方向。ただし、この駅を通るのは宇都宮線と高崎線だけなので、これらの路線を利用しないと出くわさない。ただし歴史は古い(昭和4年)。でも利用客は少ない(少ない駅第三位らしい)。ホームはひとつしかなく、出口も北にひとつだけ。ゆえに下手したらホームを200メール歩くことになる。駅の横には膨大な電車の車庫のような敷地(30万平米)がある。
ああなるほど、なんとなくわかってきた。シドニーでいえば、セントラル駅とレッドファーン駅の周囲に膨大な車両基地がある。これは世界どこでもそうで、大体大都会のメイン駅に近づくと見渡す限り線路ばっかという広大なエリアがあるけど、中央駅始発のための車両を停めておく場所が必要だからですね。
そして尾久駅は、シドニーで言えば、誰も知らない、行ったことがない、現地についてもどこからホームにあがればいいのかわからない秘境駅である、マクドナルドタウン駅みたいなものね。

以上長い余談でした。
品川駅での乗り換え。
日曜の昼前だと言うのに、もう人多すぎ。
以前ドバイ・スイス旅行から帰ってきたときも、深夜の終電付近の品川駅が満杯でげんなりした記憶がありますが、記憶が記憶を呼んで、高校時代、東西線門前仲町駅でラッシュ時乗車率260%の車両に乗ってた(2本に一本は乗れなかったが)頃、「なんでこんなに人がいるんだ?!」「人のいないところに行きたい!」と強く思ったものでした。そういえばよくホームでサラリーマン同士で押した押さないで殴り合いの喧嘩やってましたね。今だったら皆でスマホで撮影してるだろうけど、当時は普通に荒っぽかったから、ありふれた光景でしたよ。なんせ「火事と喧嘩は江戸の華」ってカルチャーがまだ色濃く残ってたし。
この満員トラウマが、後日、絶対満員電車に乗らなくていい職につくんだ→そうだ自由業だ、弁護士だになり、さらに人の少ないオーストラリアに行くんだ!になった。
日本の人口が減ってるけど、当時の感覚でいえば、もう10分の1くらいに減ってほしいくらいです。まあ減る過程で地獄のような経済になるけど、それはさておき、日本の22倍の面積のあるオーストラリアが日本と同じ人口密度だったらオーストラリアの人口は22億人になるんですよ。それが2600万かそこらなんだから、いかに少ないかです。人口密度で100倍違う。逆に日本がオーストラリア並の人口密度になったら、日本の人口は120-30万人になる。

ところでこの品川駅ですが、ホームの発着時刻パネルの横に大きな広告があって、これはゴルフクラブの広告かな。

でもその横にはこんな広告が。 なにこれ、なんでこんなのがあるの?こんな広告打つ費用があるの(宗教法人だったら、まああるだろうけど)、広告出して意味あんの?(あるんだろうな)。
ちらと調べたところ、似たような名前の宗教がたくさんあってこんがらがってしまってイヤになりました(笑)。神明が神命になってたり、天照皇大神宮教だったり、神明大神宮だったり。大田区のこれは多分、これ(ホームページ)だと思われます。巫女さんがお辞儀してるGIF動画とかあしらって20年前のHPの作りなのが好感を呼ぶのですが、いや大田区にある本宮の写真とかみると、もう金が余って余って使い道がないってくらいゴージャスです。なんであんなに儲かるんだろ。あと、判例で一つありました。判例全文はここで、警察がこの団体を視察対象にしていたから、その一件記録を開示せよという当の団体からの請求に対し、それはダメよと不開示にした行政処分の取り消しを求めた裁判。
まあ、昭和51年くらいから始まってるぽいから(HPの由来ページから)、まあ普通に新興宗教でしょうね。アマテラスなんて日本で一番ポピュラーな神様だから、いたるところにあるでしょう。てか日本の神道は全部そうだと言えなくない。

長々横道に逸れました。いやー見てて不思議なものいっぱいあるし、今はネットである程度までは調べられるしで、面白いです。これは年を取るごとにそうで、40代くらいのモノを知らないクソガキ時分には意味がわからず見過ごしていたことも、だんだん分かるようになるから、何を見ても面白く感じる。

さて、5分遅れで京急蒲田駅ホームに到着し、待ち合わせ場所についたら、既に全員集合であったという。なんてパンクチュアル(時間厳守)なんだみんな。掲示板でも書いたけど、年中やってるシドニーオフでは、もうダレッダレで、同じように5分くらい遅れて僕がいっても、まだ誰もおらず、今のうちに席取りをとか思ってテーブルに陣取って頑張っていても誰も来ず、だんだん不安になってきて、あれ日にち間違えたかな?もしかして誰もこないのかな?とか。

真ん中が今回幹事で頑張ってくださった東城さん、左に小林さん、右にユッキー金岡くん。

野澤さんと佐藤さん。

徳ちゃんとカンジくん

初対面同士が結構多かったにもかかわらず、待ち合わせ場所で既におしゃべりの花が咲き、予約時間までの30分を持て余すこともなかったです。

そして店に直行。
既に人が並んでいるのですが、東城さんのおかげで予約できているこちらは、居並ぶ人々を横目に外の階段でvip入場。

着席して、まずは飲み物。

ぷはー!という徳ちゃんの図

それから延々3時間半、ずーっと飲み続け、食べ続けてました。1時間くらいで食事は終わって、あとは時間を持て余すかな、どうするかなとか事前に思ってたんだけど、まさかずっと飲み続け、食べ続けようとは。
みんなして猛烈に喋ってるから常に適度に疲れて、喉が渇くせいか、絶えず何かないと口寂しい感じ。

以下食べ物の羅列。
トップバッターはエビチリ。

喋ってないで食えよって感じなんだけど、初対面でなんでそんなに喋ることがあるの?って不思議に思うかもしれないけど、あるんですよねー。

これは回鍋肉ですねー。オーストラリアに行ってからメニューの英語読みが”double cooked pork”になってたことから、一回煮てそれから炒めるということを知った。

冷製の盛り合わせ

途中で集合写真。これは徳ちゃんに撮ってもらったもの。よく撮れてるよ。

今日一番美味しかったのは、やっぱり餃子。これは水餃子で、これが一番美味かったかな。皮の茹でトロ加減も、具の味付けも、タレの美味しさも。

これが名物羽つき餃子。フライパンの底に小麦を溶いたのを流し込むとこうなる。二人前を無造作に乗せてある。

形状的、オブジェ的に面白いね。

これが酢豚かな。肉ゴロゴロで。

これが麻婆茄子

これはカンジくんのオススメで、ニンニクの胡瓜和え。美味しいですよーと言ってたけど、ほんとに美味しかった。

デザートも

最終段階で、このあたりになるとさすがに食べ疲れてきて、弛緩したムードになります。

しかし、まあよく喋った。小林さんの提案でひとりづつ自己紹介とかやってたんだけど、一人が話すとそのネタでまたひとしきり会話が盛り上がり、関係ない話に発展してまた盛り上がり、、、とかやってるから、結局、小林さんまででタイムアップしてしまい、肝心の東城さんの出番がなかったという。

そろそろ出なきゃで、お勘定サイン。

途中、僕とカンジ君と野澤さんのスモーカー3人で外の階段の中ほどに置かれている灰皿のところでスモーキングタイムしてました。3回くらいやったかな。

この店、店員さんが中国人なのかな、舌足らずの日本語でした。その音を聞いていると、ああ、なるほどと思ったのは、昔からよく漫画などでインチキ中国語表現で「~アルよ」とか表現されてますが、原点はこれかと。実際に「~あるよ」と喋っている中国の人を見かけたことは絶無ですけど、「そう聞こえる」「そう書くと~ぽく感じられる」のでしょうね。

ところで、チン・チョン・チャイナマン、あるいはチン・チャン・チョン(ching chang chong)という言葉をご存知か?これは西洋社会で中国人(アジア人全体)を差別嘲笑する言葉で、これももともとは「そう聞こえる」でしょう。発想は「あるね」と同じなんだけど、こちらの方がもっと邪悪というか、西洋社会で凄まじい迫害を受けてたそうです。てかこの言葉をめぐって今でも批判されたりしてますから。オーストラリアでもゴールドラッシュ時代(日本の幕末の頃)に迫害があったのですが、中国人などアジア人は一般に勤勉だから金を沢山掘り当てるから、嫉妬されたという。この種の排斥迫害はいつの時代もあるけど、大体オーストラリアに先立ってアメリカでゴールドラッシュが生じたときはオーストラリア人も沢山アメリカに行っている。労働人口が急減したのでオーストラリア政府がオーストラリアで金を~とやりはじめて皆帰ってきてるわけで、儲かる方に行くのは人間の習性でしょう。

なあんてちょっと掘ったらいろいろ出てきて面白いよね。

ということで最後に集合写真。

一人ひとり書いてたら終わりそうもないのでカットしましたけど、また近いところでお目にかかりましょう。シドニーにもくるべし。

このあと羽田空港へ。
空港カウンターで荷物の預け入れをするのだけど、国際線乗り継ぎの人は、カウンターの一番遠いところまで行かなきゃならない。そんなことやってるうちに時間が切迫してて、慌ただしくお別れ。
ちなみに保安検査を過ぎたら、またいま来た方向を延々歩かされ、さらにうんざりするほど歩かされ、着いた頃にはもう搭乗が始まっていたという。

機中は、往路のシドニー便よりもでかい機体なくせに、超がつくくらいの満席で、いつものように車窓の写真を撮ることもできなかったです(3ヶ月前の予約の時点で既にダメ)。インバウンドが~とか思いきや、ほとんど日本人でしたよ。

伊丹についたら長田くんのお出迎え。
以前、宮崎からの帰りかな、蛍池の事務所がすぐすこだから、お迎えにいきますよとか言いつつ、仕事で行けなかったということがあり、律儀な長田くんはそれを覚えてて(僕は忘れていた)。リベンジ義理果たし。


別にリムジンバス乗るだけだからいいですよってメールの返信を書きかけて、でも、と思い直してお願いしました。というのは会えるチャンスがあったら会っておけと思ったからです。どうせ後でとか先延ばしにしてると、実際には予定が変わったりするもんだし、チャンスがあればとりあえずゲットと。時間は有限、チャンスも有限。

京都の自宅らへんで最寄りのイオン京都に。今度名古屋からヒロコさんらが来るので、そのときの店の下見を。前に親に連れてってもらった回転すしが美味かったのだが、いまもそうかどうか確認しようと。せめてそのくらいはご馳走しないと高速代ガス代の足しにもならんけど、気が収まらないし。

日頃、カメラシャイ(Camera Shy、照れて写真を拒む意味の英語)の取られたがらない長田くんですが、頑張ってもらって(笑)
しかし、彼も老けないですねー。年を聞いたら57とか?え、そんなに?と。彼と出会ったのは、僕が弁護士一年目、彼はインチキ予備校を訴える被害者(高校出たばっかの浪人生)で、どっちも初々しかったけど、でもあの当時ではもっと年齢差があるように感じたけど、今となってはちょい下くらいですね。こういう感覚、面白いです。
長田くんとの本格オフは、29日の蛍池オフで。

ところで肝心の寿司ですが、がっかりでした。記憶が美化されていたのか、あれ、こんなだったかなー?と。まあ不味くないんだけど、この値段でこれかーと思うと、ちょっとねー。せっかくなのに、長田くんには噛ませ犬的な実験台にしてしまって、ごめんなさい。今度は僕の義理リベンジです。

明日、翼さんにまた実験台になってもらう予定です(笑)。

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