2025年帰省ツアー(5)名古屋オフ

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名古屋オフのこの日は名古屋駅10時集合。
家から京都駅までのんびり、誰もいない土曜の早朝を歩く。毎年京都駅まで近鉄使ってたけど、なんか今年は歩いてるな。なんでだろ?捻挫をひきずってるから、むしろ逆になるはずなんだけど、「だからこそ」というか、強化リハビリというか、どんだけダメか(治ったか)知りたいというか。他にも色々要素はある気がするけど、本題から離れるのでここまで。

京都から名古屋までだったらJR普通(新快速)一択。新幹線だと2倍の値段になるし、バスだとかなり前に予約しないと安くならんし。7:45分発新快速で、米原、大垣で乗り換えて、09:59分名古屋着予定。

米原駅乗り換え。結構小綺麗になっていたけど、周囲の感じは相変わらず。今度ヒロコさんが来るんだけど、中間地点の米原でもいいねとか言ってたけど、やっぱちょっと寒々しいかな。

米原~大垣の間がこのルートではもっともワイルド(濃厚な日本の風景を味わえる)し、車内も閑散としてて余裕で座れる筈だったのだが、、、なぜかこの日に限って満席。車両の先頭で小学生男子(韓国からきたのかな?)がかぶりつきで盛り上がってて(写真中央最奥)、海外鉄っちゃんなのかな。なんか微笑ましい。あの年だったら大冒険だろうなー。

関ケ原の駅にいつの間にか、こんな掲示が多分地形からいってこのあたりが古戦場では?

大垣からは無事に座れた。京都=名古屋新快速の「新快速」の部分は、実は大垣=名古屋間ですね。結構駅をすっ飛ばして尾張一宮しかとまらないし。あとの区間はほぼドンコーと同じね。

名古屋駅についてからが迷った。相変わらずわかりにくい駅で、金時計が中央コンコースにあると調べていっても、その中央コンコースがどこにあるのかがわからない。こちらという表示もない。似たような幅の似たような通路が多いし、やたら角で視界が遮られてスカッと見渡せないし。あれ、おかしいな?で結構迷ったです。

それでも10時からのJUNJUN、成田真以子さん(今は渡辺さん)カップルと巡り会えた。

去年はラブラブひきこもりでオフ不参加で、他からもJUNJUNどうしてんの?とか聞かれるのですが、はい、JUNJUN、健在です。幸せそうな。

真以子さんは、帰国後、よせばいいのに(敢えてそう言う)、ワーホリ行く前に煮詰まっていた会社員生活を、またぞろやってしまって、また煮詰まってという。もーね、日本は恐いところで、有能で真面目な人は捕食(人生搾取)対象になるからねー。有能だったらバランス的にちょっとは「不良」にならねば。
真以子さんはもともとブランキー大好き系なんだから耐性ありそうなんだけど、不良度が足りないというか(笑)。この日は清志郎の曲で盛り上がってました。知られていない支離滅裂な名曲「おれは有名」とかね。フリージャズのアバンギャルド丸出しの演奏をバックに「おれは有名!」と全開で自慢しまくり、「誰もがペコペコする、有名だからな」と吹きまくり、バンドのスタッフに対しても「片山?ああ、あのデブだろ?」とコキおろし、「黙って聞いてりゃいい気になりやがって馬鹿野郎が」とスタッフからツッコミが入り、最後は「ざまあみろ!」を延々と絶叫しつづけて終わるという。唖然とするくらい無茶苦茶なんだけど、爆笑して、聞き終わるとサッパリするという。
「毒気を抜かれる」という日本語表現があり、最近では単に呆然とする意味の解説が出回っているけど、違うでしょ。本来は文字通りデトックスの意味だと思いますけどね。想定外の衝撃にあって、心の中のもやもやネガティブなことが霧散すること。

JUNJUNはいまIT系、、というか、つまりところは得意の教師系になるのかな、ソフトやシステムの使い方を教えるという。でもなんも整備されてなくて、そのあたりから自分でやらなくてはならないという。
でも夫婦そろってワーホリ体験して、価値観が共通してるのはいいですよね。メルボルンの小田くんのところや、新潟の山崎夫妻もそうだけど、そのあたりが一致しているカップルは強いよ。オーストラリアに移住してきた日本人家族でも、旦那だけが燃えてて、奥さん子供はイヤイヤつきあわされたってパターンも多く、そういうところは大変よね。

まあ、この二人もいずれは人生ラウンドであっちゃこっちゃ行って、あんなことしたり、こんなことしてると思います。またどっかで何かをトライしはじめたら教えてくれい。宮崎のときのようにそこまで訪ねていってオフやるから。

この日は変則トリプルヘッダーで、まず10時からJUNJUN夫妻、12時からは焼津市から出てきてくれた内田くんと。
ちなみに焼津といえばマグロが有名だけど、焼津の人はマグロよく食べるの?と聞いたら、普通に3日に一度くらい食べるとか。それ、すごいな、羨ましいわ。

変則にしたのはいきなり多人数オフよりもじっくり話せる時間がほしいということで。まあやってしまえば多人数であってもサシで話せる時間はあるんだけどね。

内田くんはWH2年(AUSとNZ)のあと、再びオーストラリアにやってきて英語学校→専門学校→卒業ビザで丸6年いました。蒲田で会ったユッキーと同じで、オーストラリアであれこれ永住目指して頑張ったけど~ってパターンです。アフターケアじゃないけど、ユッキーくん共々、その後どうする話をしたくて。

大体海外アウェイで何年もチャレンジして、その間の学費も生活費も全部自分で稼ぎ出してきた経験が無駄になるわけはないのだ。ウッチーも今は海外から在宅の仕事取ってきてやってるらしいんだけど、そんなガチ英語世界で動くってことは、行く前には考えられなかったでしょうに。得るものはちゃんと得てるのだ。

また外国で就職、永住狙いって、これ以上に難しいことってそうそう無いよ。これから何をやるにしても「あれに比べれば」と思える筈。それに滞在してる間のフィジカル&メンタル健康は、あのまま日本にいたよりも増進してる筈だし。

健康でいえば、ウッチーはオーストラリア行く前から持病みたいな不眠やら頭痛やらがときどきあるとか言ってたから、それが気になるなら「この際医者になっちゃえば?」と僕はけしかけてました。今度会う予定の柴ちゃんも、大企業理系をいきなりやめて、大学入り直して心理療法士だったかなになるとか。東京のさくらさんもそうじゃなかったかな。別に珍しい話ではない。

それに年取ってくると、「いかに成功するか」という上昇志向の視界から、「いかにヒマを潰すか」に変わるから。人生長いぞ、うんざりするほど。だから50歳がスタートラインだいう持論になるのだけど、10年がかりで攻略するくらい、一番大きなジグソーパズルみたいな大作に取り掛かったほうがいいですよ。「俺なんかに出来るわけがない」ってくらいの。そのくらいのことやらないとヒマは潰れない。ヒマだとヤバイよ。一生この繰り返しかあと思うと、人間(特に男)は面白くないと死んじゃう生き物だから。

昔は誰もが普通に子供を作ってたから、子供という毎日変化する対象があったので、ヒマとか言ってられないから良かったんだけど、今はそうでもない。でも人間は子育て用にデフォルト設定されてるから、対象がないとエネルギーが空振りしてしんどいのかもしれないし。

よく「◯歳から始めてももう遅い」とかいう言説があるけど、それは人生全部上昇志向という大人になりきれてないガキンチョの言うことであって、別に成功なんかせんでいいのだ。チャレンジすることが面白いかどうか。

あと、大きな資格とかキャリアになるほど年取ったほうが有利。これは後に田中くんに言ったけど、弁護士なりたての頃、何を言っても若僧扱いされるから、弁護士は50過ぎてからやるもんだなーと同期の皆と言っていたもんです。仲間内でどうすれば老けて見えるかとか、ピカピカの弁護士バッジだとカッコ悪いし舐められるから、小銭入れに入れるとか、フライパンで炒めるとかして剥げさせるとか苦労するんだよ。

先日ウルトラセブンのアンヌ隊員と仮面ライダーアマゾンの山本大介役の人が、76歳と77才で結婚して皆から祝福を浴びてましたけど、いっそそのくらいで結婚するほうが適齢期なのかもしれないよ。少なくとも年取ってもやることは沢山あるので、終わってる場合ではないのだ。

なのでウッチーも身体が気になるんだったら、いっそのことプロになってしまえばいいじゃん。別に医者やらんでもいいから、知識とスキルを身に着けておけば不安にはならんだろ。僕だって、他人からあれこれ指図されるのが大嫌いで、指図の最たるものが法律だから、自衛防衛スキルとして法律のプロになろうと思ったわけで、その目的は十分に達せられている。

なんて話をしながら、去年と全く同じ店へ。
いや、名古屋駅始点で、イオンノリタケ終点だったら、どうしてもそのルートになるし、そのルートを皆で歩きながら、これはという店を探していると結局一番いいのはここじゃんと。
去年のまんま完コピなんだけど、去年は行き当たりばったりでやってたようで、かなり良いチョイスをしていたんだなと思います。去年この店を提案してくれたのは、今アジア周遊中の木崎さんだったかな?ありがとうございます。

というわけで名古屋めしの総合デパートのようなお店。

今回気付いたけど、ここ「みそかつといえばここ」みたいな専門店が集まっていて、原理はフードコートなんだろうけど、注文取りや会計はまとめてやるという珍しいパターンの店なのね。

きしめんだろうが、ひつまぶしだろうが、味噌カツだろうがなんでもアリ。だけど、味噌煮込みうどんがないのが解せない。味噌煮込みきしめんはあるんだけど、きしめん専門店が入っているので、うどんが漏れてしまったのかな。

それぞれ悩みつつ注文。

僕は味噌カツは去年食べたので、今年は唐揚げ(名古屋コーチンだと思うが)、

真以子さんは味噌カツで、

あとの二人はチーズチキン丼。

この二人、一緒に写り慣れているというか、すっと寄り添ってポーズを取るのが上手いね。ご馳走さまだぜ。

さて、ゆるゆると雨の中ノリタケを過ぎてイオンへ。いつか止むかなーと期待しつつ、結局雨がやまなかったです。残念。

歩いてる途中でみかけた看板広告。

なんだこれは、選挙にでも出るつもりなのか。探偵事務所ってこんな派手な広告打たないでしょ。顔を覚えられたら尾行その他でまずいので、できるだけ平凡な人相風体が好ましいと言われる業界だと聞くぞ。それに広告打つにせよ本人の肖像が必要なのか?さわやかで親近感のあるイラストの方が良くはないか?ツッコミどころが湧いてきて、??と思ったのでした。

そのままイオンまで歩いていくと去年と同じくNoritakeの森があって、きれいなので自然とここを突っ切ることに。

去年と違うのは誰かの個展をやっていて見てきたことです。

茂手木 登子さんというアーチストの個展だったのですが、あとで調べてみるとここにこの個展の解説がありました。館内に掲示されていた経歴には書かれてなかったのですが、この方、若い頃から美術系(中学の美術講師やアトリエで美術教室)なのですが、「私は若い頃、名古屋を離れて東京で一人暮らしをして大学に通うのが夢でした。そんな青春時代の夢を叶えるチャンスが64歳で訪れ、憧れだった武蔵野美術大学に入学しました」というくだりで、へえ、そうなんだ、やるじゃん!と思ったのでした。上の方に皆をけしかけて「今からでも遅くはないよ」「てか今からでしょう」と書いたのですが、やっぱ60過ぎてからがいいのかな?とか思い直したりして(笑)。
誰かに言った記憶があるけど、90歳過ぎてトライアスロン完走した人がいるとか。今調べてみると大阪の稲田さんという人で、60歳から始めて、70歳で初出場、79歳で世界選手権完走、92歳でも完走しギネスブックに。うーん、俺も捻挫なんかしてる場合じゃないね。
ついでに名古屋つながりでいうと、APLaCの初期の頃に、名古屋の二部上場の社長さんが来たことがあります。リタイアしてこれから~という。「そういうことなら」で社長だろうがお構いなく(切符を自分で買うなんて30年ぶりとか言ってた)ビシバシ鍛えて、その後味をしめて世界行脚しヒマラヤまでいったという。その人が「知的巨人たちの晩年」という本をくれたのですが、晩年になっても(なってから)ガンガン活動している巨人たちは山程おって、日本地図を作った伊能忠敬は50歳で隠居して55歳から日本全国歩き回った。その社長さん曰くは巨人たちは「とにかくメチャクチャ歩いてる」そうです。彼はこの本にインスパイアされて、これからが本番じゃあと思ったそうです。

さて話戻して、雨が全然降り止まないままイオンに到着。現地集合の小西くん、水貝くんが集まってきて立ち話。田中くんはちょい遅れると。
本来ならこのオープンテラスで、、とか思ったのだが(やっぱこの場所サイコーだわ)、それも叶わず。隣のコメダ珈琲も満席なので名前だけ書いて順番待ち。「7人というのは難しいので、他のお客さんを先に案内してもいいですか?」と聞かれて、全然OKですと。中入っても狭いし、立ってようが、座ってようが話さえできればいいし、むしろあっさり入れて長っ尻して居づらくなるくらいなら、適当に立ち話してたほうがいいやと。
この日は土曜日で、フードコートもどこも並んでて(ミスドが異様に長蛇の列だったのが印象的、てかそこまでしてまで食べたいか?という気もするが)。
やっと順番がきて、無理やり座って。

小西くんと水貝くん。
真以子さんが掲示板に書いてくれていたけど、水貝くんが「ふてぶてしい」といっていじってました。だってふてぶてしいんだもん(笑)。

ほどなくして、津から来た田中くんも登場。
「もっと笑って」といわれて不器用に笑みを浮かべる水貝くん。


写真見てて思ったけど、これ喫茶店じゃないよね。もう居酒屋の雰囲気だわ。なんでなんかな?特に変なこともしてないんだけど、皆のオーラが「居酒屋」なんだよね。
例によって、初対面もお久しぶりも関係なく、それぞれに会話が弾む。

小西くんとは2001年からの付き合いで、Hornsbyのホームステイまで送っていったのかな。車中でロックギタリスト同士のギター談義が楽しかった記憶があります。24年後の今日また会えるのがうれしい。今では二児のパパだけど、でも雰囲気全然変わってないよ。パパ業が充実している感じで、でもそれだけに悩みも多くて、この日もその種の話題で。これはしかし、よく聞きます。

ふてぶてしい水貝くんは(まだ言ってる)、京都から名古屋に越してきて1年くらい?自営の仕事仲間の関係らしい。その仕事ももう数年になるはずで、これだけ続いていたら軌道に乗ってるってことだよね。大したもんです。ちなみにJUJUN真以子さんの家と実は非常に近いところに住んでいるのがこの日発覚。
ウッチーがNZにワーホリに行ってる頃、ビジネスビザでNZにいたJUNJUNと水貝くんとも会ってるらしく、三人揃うのはそれ以来?そのときウッチー君はドツボで、ちょうどバイト首になってとか。わはは、そうかー、クビになったかー。いやー、仲間がクビになったという話をきくと、どうしてこうも朗(ほが)らかな笑いが出るんだろうね。いつぞや中野オフのときだっけな、誰かが「昨日会社を辞めてきました」と宣言したら、満場の拍手だったな。変な集団なんだけど、わかる気もするね。なぜか?を書いてるとエッセイ一本分くらいの質量があるので、ここでは割愛。

田中くんは畳屋業でなかなか煮詰まってて。需要がしょぼいということもそうだけど、営業にいってもなかなか成果がでないと。ここで前に話につながるんだけど、彼まだ26歳で若いし、見た目はもっと若いからね。ビジネスって、ある程度老けてるくらいの方が有利だしね。
それでも畳小物のコースター、きれいな畳縁をあしらったものを神社かどっかで売ってみたら意外と売れたといういい話も。外人さんには受けると思うよ。コースターって日本人そんなに使わんし。それに海外土産の条件として、御当地っぽいもの、見てくれが良くて、嵩張らないものがあるけど条件満たすし。
他にも測量やってる方から話があったりとか、コミケの話とかしてました。これは過去に10回くらい書いてるけど、若いときはあんま計画的にならなくていいから、とにかくやってみる、経験してみるといいです。自分が走り回ったエリアがそっくりそのまま一生の財産になりますからね。過去の経験が直接ではないけど、エッセンスが役に立つし、点と点がつながってきますからね。でも絶対量が少ないと描ける絵も限られてくるから、なんでもやってみるべしです。

オープンテラスの先に屋根で雨が防げるスペースがあって、最初は誰かが本を読んでて、そこにドカドカ隣のテーブルにおしかけるのも悪いかなで遠慮してたけど、何度か見てるうちに立ち去ったようで、誰も居ない空間になった。
そちらに早速移動。居酒屋席狭いしね。席が固定してると話せる人が限られるし。

早速そちらに移動。

真以子さんに撮ってもらったもの
そこでまたひとしきり喋ってるうちに、ウッチーの帰りの新幹線の時間が迫ってきて、おひらき。2時間くらいは話してたかなー。

最後にJRの改札で見送ってくれたときのもの
17時ちょうどの新快速で帰ったので、10時からカウントすると7時間。丸一日遊んだわけで、楽しかったです。おつきあいいただいてありがとうございました。またやりましょー。この完コピでも別にいいし。

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