「刺さる標語写真」と知られざる戦後の新生活運動

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ここんとこオンラインサロンでばっかり書いていて、ふと気づくと本家の方はかなりご無沙汰でありました。
まあ別にそれでもいいんだけど、あまりに沈黙が続くと「大丈夫ですか」とか心配してくださる方もいて(ありがたや)、存在証明方々、サロンの昔の投稿から蔵出ししておきます。去年の8月の投稿ですから半年前のものですが。

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ちょっとスレの趣旨(忘れ得ぬ風景=記憶に残る風景)とは違うかもしれないんだけど、Xを見てたら「ほお」という風景写真があったので書いておきます。。

まずはこの写真ををごらんください。

地方の町の風景ですが、標語の看板が写ってます。
「もう少し地味にしましょうお祝いは」
というものです。

最初見つけたのは
https://x.com/g_stand/status/1958746708747202819
(サロンで投稿した)数日前にUPされたもので、撮影した方が「これほど記憶に残る標語をこれまで見たことがなかった。通り過ぎてから、わざわざ引き返したほどだ。」と書かれてました。

なるほど。お祝いは華美に流れず、もう少し地味でいいんじゃない?という生活提案なのでしょう。
うーむ、確かにと。そうよねー、こんな厳しいご時世なんだし、見栄を張って無理しないで、気は心なんだから地味でいいのよねー。でも自分から「地味」にしてしまうと、単にケチってるだけと思われそうで(事実そうなのだが)、そうは中々言えないけど、こういう形で公に言ってもらえると助かるわよねーって感じ?
ぼーっとしてたら、脇の下をチョンと突かれたみたいで、でもその突きが結構効くというか、気持ちよくて、「やられたーっ」て感じ?

「あはは」で終わって、このネタは「くだんねー話」のスレでいいやと思ってたんだけど、ちょい検索してみると意外と根が深いのが判明しました。あながち「くだんねー」わけでもないな、と。

Witnewsという小ネタニュース系ブログ(朝日新聞社系でちゃんと記者が取材している)の2022/12/15の記事。
https://withnews.jp/article/f0221215000qq000000000000000W08u10101qq000025319A
「もう少し地味にしましょうお祝いは」謎看板の裏に隠れた意外な歴史
というタイトルで書かれてました。

この標語は、越前町と同町壮年連絡協議会が出したもので、X(ツィッター)でちょっと話題になったらしいので、そこを取材調査した記事です。読んでみたら、かなり掘り下げて調べていて読み応えあります。全文引用するのは長すぎるのでやめにして、上のリンクをたどって読んでみてください。

軽く要約すると、まず越前町役場の担当者に実際に聞いてみた。
すると、過去にテレビで取り上げられて以来、問い合わせが増えているのだけど、詳しいことはわからないと答えているそう。では公式見解ではなく、同じ町出身の職員さんになんか知ってることないですか?と聞くと、「地元には数十年前、小さい子供に対しても、(比較的高額な)1万円のお年玉をあげる習慣があったと聞いています。お祝い事うんぬんというより、それを控えようという意図もあったのではないでしょうか」という推測のお答えが。

ネットでもいろいろ語られていて、そのなかで繰り返しでてくるのが「新生活運動」という単語。
全国的にあるようで、埼玉県入間市では華美に流れそうな冠婚葬祭での虚礼廃止を進める運動だとし、「香典返しはご辞退します」というPDFデーターをサイトに載せ、印刷して香典袋に貼りましょうという活動をしている。

群馬県高崎市は「新生活運動を「市民が自らの創意と良識により、物心両面にわたって日常生活をより民主的、合理的、文化的に高める」と定義、千葉県松戸市などは、正月用の「門松カード」の画像を作り、門松は高いからこれを印刷して貼っておくといいよと。

この新生活運動ってなんなの?と昭和女子大人間文化学部の松田忍准教授(日本近現代史)を取材したら(このあたりはプロの記者らしく調べる力がありますよね)、新生活運動が盛り上がったのは、ずっと古くて「戦後間もない頃」からあるらしい。
敗戦後、民主国家に生まれ変わるため「日本人」のアイデンティティーを再構築する第一歩として、家庭や共同体の生活を改善する意義が説かれたらしい。それは道徳や道義といった意味を伴い、特に1950年代以前は、どんなポリシーを持ち生きていくべきか考える文脈でも使われました。国家の再建のためには、個々人の暮らしを伝統的なものからアップデートしていくと。

もっとも、封建的な習俗を見直す取り組みは、戦前から各地で芽吹いていて、これを側面支援する目的で、1955年に全国組織「新生活運動協会(現・あしたの日本を創る協会)」が誕生するなど、運動はますます盛んになっていった。

かなり突っ込んだラディカルな運動だったらしく、職場で家族計画、避妊の方法を教えるとか、実際に実行したのかを報告させるとか(今からはありえないが)、「蚊とハエをなくす運動」、冠婚葬祭の簡素化、家計の合理化など、そのバリエーションは実に多種多様でした。そして一連の試みが、「話し合い運動」という共通の軸で貫かれていた。

話し合い=民主化であり、当時の地方社会は青年団や婦人会というグルーピングされた階層内部でしかやってないのを、全員参加の意見交換をして因循打破をすると。
この越前町の看板も、壮年団という家父長の団体、いわば地方の家庭内権力者の集合体でこういう動きがあったということは、一部の若者などが先鋭化してたのではなく、地方の人間関係の民主化が進んでいたことを推測させる。
こういった運動は高度成長になるにつれ下火になったのだが、今もなお、なんらかの形で続いている。

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以上が要約(にしては長すぎたが、端折りようもないので)です。

追加で調べてみると、この新生活運動、けっこう色々な研究がなされているようです。
なんでかしらんけど、北関東、特に栃木県と群馬県が異様に「覚醒」していたようです。「戦後広がった葬式での「新生活運動」 北関東で根付くが全国的には、、」というJタウンネットの記事です。URLは
https://j-town.net/2017/09/22248834.html

同記事のスクショから、運動の広がりを示す全国地図がありました。もう群馬栃木がダントツ最強です。「頭文字D」の世界か。

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以下、私見をちょっと。

読んで再び「ほう」と思いましたねー。
そうか最近経済情勢が厳しいからとかいうわけではなく、戦前戦後まで遡るのね。敗戦のあと当時の日本人がどう考えていたかが偲ばれます。

僕は当時まだ生まれてなかったので推測するしかないのですが、なんであんなに国をあげて鬼畜米英で、家父長制絶対、天皇絶対のガチガチファシズム社会が、戦後いきなりアメリカ大好き民主主義サイコー!になったのか。「馬鹿だから」というのは簡単ですし、洗脳Aから洗脳Bに変わっただけだと言えなくもないです。でもそれだけなのかな。

リアルにリアルに考えてみれば、そんなに馬鹿だとも思えないのですよ。
だって素材は今と同じ人間なんだし地頭の良さは同じでしょうに。だから、多分、自分らのなかでも「ここはヤバいよね、古すぎるよね、変えたほうがいいよね」ってのはたくさんあったと思います。今だって、同調圧力やら、いじめ社会とか自分らの宿痾のようにあるのだけど、でもそれを「良い」とは思ってないでしょ。

むしろ抑圧されてたのが敗戦で弾けた部分もあって、戦後のアプレゲール、フランス語で「戦後」を意味する単語だが、世界的にあったといわれてます。
日本の場合は、旧来の道徳をむしろ破壊するくらいの勢いで、地味な国民服やモンペからリーゼントにグラサンとアロハシャツ、水玉ワンピースなどを着て遊び回っていたり。これらは、80年代に出てきたパンクの先祖や原型みたいなものなんでしょう。
そこでは時代の勢いもあって、伝統の修正どころではない「破壊こそ正義」みたいなノリもあり、日本では石原慎太郎の太陽族(都知事時代なんかよりもあの頃が一番輝いてたよね、あの人は)につながり、やがてベトナム戦争のグダグダに反発したアメリカの若者の反戦ムーブメントになり、ヒッピーカルチャーになり、ウッドストックになり、「いちご白書」の大学闘争になり、日本でも学生運動が盛んになった。

なんつーか、ことの良し悪しはともかく、「熱い」時代ですよね。
雑草は踏まれてもすぐに息を吹き返して、前よりも激しく繁茂するように、戦争で打ちひしがれていたはずなんだけど、ちょっと目を離すと獰猛なまでの再生力でどんどん時代を作っていったとも言えます。

そういう派手な動きの一方で、地味ではあるんだけど新生活運動というのがあって、パンキッシュな彼ら若者からすれば、昔のまんまの「故郷の大人たち」もそれなりに考えていたし、実行していたということでしょう。そんな旧態依然のまんまだったわけでもないのだ、と。

面白いなーと思うのですよ。
こういう人間の雑草的な流れは、クソ利権からみの政治の力ではないだけに希望が持てるのですよね。

今の日本はなんでかしらんけど「保守」が正しいことであるかのように語られてますが、あーあと思いますよね。僕らの世代はお兄ちゃん達の熱い時代はリアルでは知らないけど、余熱は残ってて、保守=馬鹿くらいにしか思ってないんだけど、今は、「真の保守」は俺達だとか、保守であることが正義の源泉みたいなこと言ってて「なげかわしい」です。大体安倍が出てきたくらいから世の中そうなってて、もう皆で忖度、皆で小市民みたいな感じ。
政治家批判だったら普通に呼び捨てにして構わんのに、「さん」づけで呼んだり、なにかっちゃ◯の伏せ字で書こうとしたり(殺したとかかないで「◯した」と書くとか、名前も◯村と書くとか)、もう腰が引けてる、イモ引いてる。

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閑話休題、話をもとに戻して、街角の標語ですが、面白いのかXでもいろいろあります。

その中に宝塚市の標語がありました。
ライオンズクラブのサポートで、標語を一新しましたという投稿があり
https://x.com/kenzaburou5908/status/1517291224025075713

これは標語自体はそんなに面白くないです。
「みんなでめざそう~想像力を育む、文化芸術の薫り高い宝塚~」
「みんなで支える子どもの読書」
という、あんまりピンとこない、つか意味もよくわからないです。

でも、そこで昔のボロ看板がこんなにきれいになりましたーって話で昔の看板が出てくるのですが、そこに昔のボロ看板が写っていて
「つなごうよ、手と手と手と手 友達だ」
「◯◯くるみの文化の芽、明日の世界に花ひらく」
というもので、昔の方が標語としては良く出来ていたと思います。

が、写真が不鮮明で「◯◯くるみ」の「◯◯」の漢字が読めない。

この写真は比較のために僕が作ったものです。4枚の画像を合わせてます。

右端が本来の写真で、読みやすくするためにコントラストを変えたのをその左に、さらに「〇〇くるみ」に焦点を合わせて拡大したものをその左横に、さらに斜めになってて読みにくいので縦横比率を変形させて読みやすくしたものを左端につけておきました。

それでも解読できない。なんて書いてあるんだろう?なんか気になって、クロスワードパズルの最後の2文字がわからん状態で気持ち悪い。

最初「くるみの芽」から、宝塚あたりには、なんたらクルミという特別な植物でも自生してるんか?と思ったり(無かった)、
あるいは、地元出身の有名な歌人やアーチスト、教育者で「◯◯くるみ」という名前の人がいるのかとか(「◯◯くるみ氏が根付かせた文化の芽」というので話が通じる)。宝塚歌劇団でそういう人がいるのかとか(莉奈くるみって人がいるけど世代的に若すぎるので古い看板で書かれるには辻褄が合わない)

で、よくみると「くるみ」ではなく点々で濁った「ぐるみ」に読めないこともない。「家族ぐるみ」「会社ぐるみ」のような言い方ではないか?皆揃ってせーのでやるって意味です。

で、この漢字2文字ですけど、意味文脈と形から推測して「地域ぐるみ」じゃないのかなー?

ただ、この写真、「地域」って字なのかなー?そうも言えるし、言えないし。
字の形だけ純粋に見てるとかなり複雑で、それをそのまま漢字化すると、「迪蕪」と書いてあるように見える。でもそんな単語はない。一文字目は「地」の左の土偏はいいとしても、右のつくりが、「地」にしてはごちゃごちゃしてる気がする。2文字目はさらに難解で、「藤」や「鶏」「蔵」みたいに読めなくもないけど、しかし「地鶏ぐるみ」では意味不明だし。やっぱ「地域」なのかなー。

まあどーでもいいんですけど、どーでもいいことって、逆になんか気になるのですよね。

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