短期帰国の最後は長田くんになりました。彼の直近の仕事がえらく立て込んで、ようやく取れた全日オフで、自然のきれいなところに遠出しましょーというオファー。長田くんのオススメだったら何でも従いますよーと、帰国前日なのでリスケをし、出かけていった待ち合わせ駅が「園部」。市町村でいえば南丹市。
どこ?関西在住でも知らない人が多いと思うけど(僕もうろ覚え)、山陰本線に乗っていくところ、嵐山・嵯峨野の桂川を上流にいき保津峡を越えると亀岡(以前ひとりでトロッコ列車に乗った)、そこからさらに数駅です。「丹波篠山」エリアといった方がわかりやすいかな。
なんで?というと、長田くん的には中間地点だからだそうです。え、そうなの?と思ったけど、確かに京都駅からだったら電車で30分。長田くんの蛍池(豊中)から京都に行こうとすると電車では一回大阪まで出てV字で行かねばならず面倒。車だと高速使えばいけるけど料金高いし、下の171号線はいつも混んでる。そこへいくと北方の山方面は快適ドライブだと。なるほど。
長田くんとは付き合い長いですけど、なりゆきでAPLaC関西支部というか師範代というか、彼の門を叩いた卒業生が多い。カナダの奥村くんや、JUNJUN、水貝くん、堀池くん、徳ちゃんもそうだよね。みなの兄貴分になってくれててありがたやです。
付き合い長いだけでに京阪神で美味しい店につれてってもらったことも多いです。京都木屋町も、烏丸あたりでも、神戸でも。でも今日はなんで自然系?というと、最近自然系がいいなーと思うようになったと。なるほど、分かる気もする。
園部駅着。なんか若い学生さんぽい人達の集合場所になって、マイクロバスが迎えにきてました。
駅前。いやー上越と言われても、松江と言われても、宮崎と言われても、津と言われても納得してしまう日本の風景。
結構立派な神社もある。長田くん待ってる間に撮ったもの。なかなか立派な屋根。その向こうに日本の象徴のような竹藪。こういう竹林はオーストラリアには全くないので、見ると盛り上がりますねー。
長田くん登場で、ちょっとドライブしてお目当てのリゾートセンターへ。
ほお、結構立派な建物じゃないの。
日吉温泉・キャンプフィールドと。ほお。
川にかかる橋を渡ると、遠くにダムが。あれが日吉ダムか。下の川は桂川。ここまで来てるのね。左側に見える白いタマネギみたいなのがキャンプ用のキャビンらしい。
へえ、こんなもんあったんだー、全然知らんかった。
「へえ、全然知らんかった」というのは、長田くんもそうだったそうで、たまたま仕事で近場を走ってて偶然発見したそうです。こんなもんがあるのかと。行ってみたら結構遊べる。家族連れなら尚GOODという。翼さんともこの話で盛り上がったそうですが、先日翼さんと会ったときも話に出て、彼女もキャンプしてきたらしい。全部揃ってるから超簡単とか。
去年の京都競馬場のファミリーフレンドリー化にせよ、なかなか日本もいい感じに進化しているではないか。メディアだけ見ると鬱になりそうだけど、進んでいるところは着実に進んでいるのね。バランスと取れて良かったです。
もう秋の紅葉がはじまりつつあります。まだこの日は暑かったけどね。
鮎解禁とか書いてあって、鮎も釣れるのか。
渓流の癒やしの風景。
あの先のダムの上まで登れますよ。手前の円形の遊歩道も行けるし、行きますか?
ちょっと歩きながら考えようと言ってて、数十メートル歩いた時点で「やめ」と。
あかん、これは歩けば歩くほど遠ざかるやつだ、風景がデカいからなんとなく近くに見えるんだけど、実際歩くとしんどいパターンだと思って。2枚の写真は同じ場所から撮ったものだけど、上が望遠で撮ったもの。やる気になってるときはこう近くに見える。しかし、現実にかえると実際にはこのくらいあるというのが分かるという。
昔は遠くに見えて難しそうだと、挑戦されたかのように思って、意地になってやってたもんだけど、最近はもうそういう意地はないもんね。
それよりなんもーない大空間の緑が気持ちいいです。写真中央にわかりにくいけど犬を散歩してる人がいて、羨ましかった。こんなだだっ広いところを、平日の昼間っから犬と散歩してたら、そりゃ気分いいだろうなー。
じゃあ戻って飯でも、と。
さすがに色々施設が整っていて、レストランも手頃なお値段である。
真剣にメニューを見る長田先生。
生ビールの「小」というのを初めて見た。300円也。いいねこれ。ビールって最初の2-3口だけが美味しいのだからこれで十分。実際十分だった。
メニューは僕が95%くらいの時間独占して見てて、長田くんは慣れてるからか5%くらいで即決。長田くんの頼んだもの、炙り寿司は追加オプション。
僕が悩んでたのは、トップページにあったこれ。ダムカレー。日吉ダムを「リアルに再現しました」と言われても、リアルなのか?というツッコミがまず思いつくけど、これだけ異様に突出してるんだもん。あとは長田くんの一品のように和風テイストのものばっか。それらも惹かれたのだけど、一品だけで組み合わせるとどうかとか、そのあたりで悩む。その種の和風ものはどこでも食べられるしなー、でもこの昔のデパートの食堂のような純粋に液体だけみたいな日本カレーも久しぶりだしなー、しかもダムカレーはここでしか食えんしなーとか悩んでた次第。
結局、ダムカレーにしました。
でも、これがめちゃくちゃ美味しかったよ。液体だけのように見えてしっかり牛肉入ってたし、ルーの味がかなり美味しい。ゴハンもこういう盛り付けだと少なく見えるけど、食べたら結構な量あったし。おすすめ、、って誰がここに来るのよ。
でももっとびっくりしたのは、
ダムカレーというジャンルがあることです。しかも全国各地にある。これによると全国で109箇所で、それぞれに趣向を凝らしたダムカレーがある。日本ダムカレー協会なんてのがあるのか。
ダムってこんなにあったっけ?と思って、今調べたら、ダムの定義にもよるけど全国で1500-3000箇所もダムがあるそうです。すごいインフラ。これ、予算不足と人手不足でメンテできなくなったらヤバくない?
ダムカレーだけど、カレーが水を、ゴハンがダムを表しているみたいね。黒部ダムの頃から原型はあったのだけど、「ダムマニアの1人である宮島咲が制作する「ダムカレー」も2007年からテレビ、新聞、雑誌などで取り上げ」とかWikiに書かれてて、全然知らなんだ。インフラツーリズムとかね、あかんわー、俺、全然物を知らなすぎるわー。いいチャンスになった。
話はそれたけど、長田くん、カメラシャイ(撮られるのを恥ずかしがっていやがる人)なんで、あんま写真ないです。
ここらへんまでは、この施設のことをメインにおしゃべりしてました。でも、こんなの近くにあったら入り浸りそうだわ。
このあと急遽話が変わって、園部から長駆100キロドライブで西神のカミさんに会いに行きました。彼女ちょうどいま日本にいるんだけど、僕が帰っているときは生憎出張が入って完全入れ違い。日をずらせばいいんだけど、そうすると航空券が高くなる。今回は無理かなと思いつつ、よく考えるとこの日が唯一のチャンス。しかし、長田くんのあと京都駅まで戻って、そこから新快速で三宮までいって、地下鉄で西神中央までとか思うとうんざりして、どうしたもんかと。長田くんに話したら、じゃあ行きましょう、西神なら奥さんの実家でもあるから知ってますよと。
お言葉に甘えて、楽ちんな思いをしながら、西神までいき、カミさんと3人で、お茶飲んで、さらに三宮まで送ってもらいました。このあたりは写真撮ってないのですけど、道中の二枚だけ。
六甲の裏手の山道をいく。
大分街中にでてきた感じ。
途中田尻くんの家の近くを通るので、こんなことなら最初から連絡しておけばよかったと思いつつも、後の祭り。こういう展開になるとは思ってもいなかったし。
ただ、長田くんが、出先で田尻くんの作った果物やお菓子(だったかな)が出ているのを発見して写真に撮ったたのを見せてもらってました。おー、彼もいろいろ頑張ってるんだー。
この道中が第二部みたいなもので、今の日本のことや自分のことや、色々お話しました。
長田くんの仕事ですけど、忙しいのは結構なのだけど、どういう仕事が多いの?というと、リフォームとか修理系で、サラから新築というのはもう少ないと。だいたい近場がメインで、車だと渋滞するし、駐車場みつけるまでが難儀だしで、チャリ移動がメインだそうです。一番正確に時間どおりに動けるし。
でもそろそろまた違ったこともやりたいなーと獏っと思ってるそうです。何をするの?といって確たるアイディアがあるわけでもないのだけど、なんかないかなーと。それ日本中の人が(てか世界中の人が)思ってると思うよ。
長田くんも老けないんだけど、やっぱ自営でストレス少ないのが大きいんじゃないの?と。僕もそっち系ですけど、ストレスは万病の元だし。自営は自営で安定性や資金繰りで大変で、すごいストレスがあるんだけど、そこはやりようによる。少なくとも嫌でもなんでも問答無用でやらなきゃいけない、ということが比較的少ない。僕個人としては、修習時代に松戸から湯島まで合計8ヶ月通勤したのだけど、常磐線と千代田線(乗り入れ一本だが)で、朝の決まった時間に起きて、ネクタイ締めて、満員電車に乗るという作業自体がすごいストレスだった。絶対イヤと思った。高校の時の通学電車で絶対イヤと思って司法試験を志したのだけど、その選択は間違ってなかったと改めて思った。これをあと30年もやれと言われたら死んだほうがマシだと。さらに遡れば小学生の頃から学校いくのがイヤだったですね。学校がどうのとかいう以前に、朝早くに起きて、どっか行かねばならない、自分でない誰かに起きる時間から行く場所まで全部決められているというのが耐え難く不愉快でしたね。今でもそうだけど。
自営だとねー、今日はかったるいから午後から休みにしよとか、誰の遠慮もいらずにできるしね。まあ、諸般の事情でそうもいかないけど、それでもそういう自由があるというだけでストレスが激減します。その分金は儲からないだろうけど、金欠ストレスは小学校の小遣いからずっと慣れっこだし、なんとでもなる。長田くんも仕事忙しそうだけど、だけどスケジュールを入れたのは自分だし、誰かに命令されてるわけではないからまだ楽じゃないのかな。
あ、そだ、あと大学って意味あんのか?話をしてましたね。実のところいうほど学歴社会ではないのだけど、学術知識がどうのというよりも、実務で役に立つことはあるかもしれないなと話しながら思いました。なにかというと「適当に、もっともらしく誤魔化す力」で、大学の試験とかレポートでそれは養われる。問題文がギッシリ書かれてていて、カッコを埋めればいいような高校までの試験と違って、大学の試験って「中止犯について論ぜよ」という一行問題が多い。「表現の自由について論ぜよ」くらいだったらまだ書けても、聴いたこともない概念だとお手上げです。「連帯債務の絶対効について述べよ」とかね。
全然わからないんだけど、もっともらしいことを書いて字数を稼いで仕上げる、という力は、確かに実務に必要だわね。取引先や上司から訳の分からん難癖をつけられて、とにもかくにも適当に答えないといけないって場面はよくあるでしょう。そこをどう言って誤魔化すか。
例えば「◯◯について論ぜよ」と言われたら、
「◯◯については、その体系上の位置づけ、現代的意義、実際の取り扱いにおける諸問題など、論点は実に多岐にわたり、諸説入り乱れているのが実情である。これらの諸点について微細に検討し、所見を述べている紙幅はないのであるが、私としては、そもそも◯◯がなぜ今日に至るまで論議され、あまつさえ本問で出題もされているのか、その点について述べたい。◯◯論の起源について思うに、最初は素朴な疑問だったのではないか。壮麗な理論体系の帰結として、あるいは不可避的に生じる純粋理論的な産物というよりも、血の通った生身の感情に裏打ちされた概念であると私は考える。さればこそ◯◯に関するあらゆる論点、あらゆる局面において、論者の生の感情が微妙に励起され、◯説のごときは到底承服しがたいという感情的反発を伴う否定論が出てくるのであろう。そしてそれは悪いことではないし、忌避すべきことでもない。なぜなら、あらゆる学問事象は、生身の感情をもつ生身の人間が営む諸現象に対する考究であるのだから、そこに生きて血の通った議論になることは何の不思議もない。むしろ論者個々人の魂の深奥より発せられた議論であるというべきであろう。」
とかなんとか、こんなん幾らでも書けますよね。◯◯には「表現の自由」でも、「死刑制度」でも、あるいは「ラーメン」でもなんでもお好きなものを入れたらいいです。もっともらしいけど、なーんの意味もない文章をつらつらとテクニックだけで作る能力は、社会人文科学系の能力とも言えると思います。理系には理解しがたいところでしょうけど(笑)。
なんで無意味なことが重宝されるかといえば、人類のやってることなんか、見方を変えたらほとんど意味なんかないですからねー。「我社の命運を賭けた」とか悲壮な顔をしてぶち上げても、別にそんな会社、潰れようがどうなろうが人類全体として見れば痛くも痒くもないですもん。本質的に意味のないもの(お金とかね)を、あたかも意味あるように装うところから社会というのが発生するのですから、この種の意味ありげのレトリック技術は社会においては使い勝手があります。
だけど、高校出たばっかじゃこうは書けない。「くっそー、全然わからん」と白紙の答案用紙の前で半泣きで呻吟し続ける時間のなか、なんとかかんとか絞り出し、ひねり出していくうちに、テーマがなんであれ違和感なく収まるフレーズ集とかいうのを自然に見つけるのだと思います。その意味で、大学(の試験)もまんざら無駄ではないなーとか。しかし、それだけかよ?といういう気もしますね。
あ、読書感想文の話もしたな。最近読んだもので、読書感想文を書かせるのをやめさせろという意見があって面白かった。なぜなら、感想文くらい書きにくく、高度な文章力が必要なものはなく、あんなもん普通の生徒には無理で、だから国語嫌いを量産してるだけだと。あるいは、「こう書くと受ける」という優等生答案を模索して、他人に媚びる、権力に現合するという卑しい処世術を子供に教えるだけで有害であるとか。
思うに、もっと正直な感想文を最初に例文として示したらいいのにね。およそ優等生答案ではないもの。例えば「走れメロス」の感想文だったら、「これはタイトル詐欺だと思います。走れとか書いてあるから、てっきりマラソンのことを書いてあるもんだと思ってたら全然違って、がっかりしました」「太宰治って、「生まれてきてすみません」とか書いてた痛い陰キャの人だと思ってたんだけど、こういうポップなものも書いてたのですね。これって売れ線狙いのポップ路線なのでしょうか、これで原稿料っていくらだったのか知りたいです」とかね。あ、そんなんでいいんだーとか思ってもらうという。
なんて話を道中あれこれとしてました。
いや、もっと真面目な話もしてたんですけど(そうかな)、なんぼでも話すことありますよね。続きは次回で。
長田くんには、いろいろ気を使ってオファーしてくれて、また長距離ドライブまでしてくれて、本当にお疲れさまでした。