何度か紹介している堀池くん、現在はジャパレスで事実上の店長として頑張っておられます。将来の伴侶の方も見つかって(一度お連れいただいて、お会いしたこともあります)。
いいじゃん、順風満帆じゃんって思うかもしれないけど、さにあらず。
お店で労働ビザ出してあげるよと言われながらも、IELTSの5点が取れない。しっかりやれば取れるのだろうけど、勉強なんかしているヒマがない。
来月から半年ほどフィリピンで英語漬けになるそうです。あ”ー、実はフィリピンはウチも始めたので言ってくれたら安くしてあげたのに~とかいっても後の祭り(そういうことはよくあるよな)。でも英語やるならこっち居たほうがずっと環境は良いのだけど、でもこっちにいると働いてしまう。あっちは働きたくても働けないから。
でも問題は、フィリピンじゃないです。英語が出来て、それでどうする?です。こっち戻って就労ビザ出して貰えばいいじゃないかってことなんだろうけど、それでいいの?というのがお悩みのところで、じゃそもそもフィリピン必要ないじゃんってことなんだけど、「いや、そうなんですよね、でももう申し込んじゃって」って。
てなわけで、あれこれ話してました。
彼は真面目がゆえに背負い込んでしまうタイプ。でも下には優しい良きリーダー属性があるのだけど、それがまた自分の首を締めるタイプ。よき日本人のお手本のような人ですが、だが、しかし、結果的に、朝起きたら、深夜の2時まで仕事。家に帰っても考えることは発注やら仕込みやらスタッフのシフトやら。まあ、僕の実家もはるか昔の一時期トンカツ屋をやってたのでリアルにわかりますが、飲食店業ってそんなものです。長時間立ちっぱなしだし、うつむいて調理する姿勢がまた職業病を生んでるそうだし。休憩とればいいって言われているんだけど、休んだ分だけ仕込みが遅れて、結局自分に跳ね返ってくるからそういうわけにもいかず。
将来のチャートとしては、フィリピン→英語できる→就労ビザ→雇用者指名→もうちょいゆとりある生活、というのがあります。素敵なようで「今と同じじゃん」でもあります。まあ、永住権取ったらスパッとやめて他の仕事をするのも手ですが(そういう人は多いね)、それまで身体がもつのか?結婚を控えてそれでいいの?という問題がある。
他方、帰国して日本で彼女と暮らすというのもありますが、しかし、現在から将来にかけての日本の労働環境や金銭収支勘定(税金とか)がオーストラリアよりも良くなることは、まあ、期待しにくいでしょう。
さて、どうしたもんか?です。
堀池くんは、基本他人の笑顔を見るのが好きな人で、人を大事にする。だから人から頼まれたら一生懸命誠実のこなそうとして、それで常にいっぱいいっぱいになっている。それは悪いことじゃない。むしろ賞賛されるべき。でも、なんでこんないいヤツが、こんなに頑張ってるのに報われないんだよって疑問は激しくある。おかしくないか。「世の中そんなもんだよ」という言葉があるんだけど、これは「そんなもん」で解決してはいけないと思ふ。そんなクソ達観してたら死んでしまうぞ。
これが世界シェフ修行に出てる沢山くんのように、料理に人生かけてる人だったら望むところの環境かもしれない。だから多忙な日々=充実の日々になるだろう。しかし、堀池くんの場合、日本で十年厨房に居たけど、楽しいと思ったことがないと言ってたのを覚えてる。それがこっちきて、お店で皆の笑顔に触れられるようになって、はじめて良かったなと思えるようになったと。だからこの人は、料理が好きなんじゃなくて、笑顔が好きなだけで、別にシェフやらなくてもいいし、シェフやってたら浄化作用カタルシスが発生するわけでもない。
そのあたりも含めて、ともあれ来月からフィリピン(のかなり僻地らしい)に行くので、あっちで瞑想してきたら?と。ま、目を閉じなくてもいいけど、ちょっとゆっくり考えてみる。英語は、それはやれば多少は伸びるだろうけど、そーんなに飛躍的に伸びるってもんでもないし、そんなガリ勉できるくらいだったら最初から苦労してないし、また伸びたところで根本的な解決にはならんし。
考えるのは、いっぱいいっぱいにしてしまう誠実さというか、余力があったら全部投入とかいう無計画な人の良さというか、他人のことは言えないんだけど、意地でも80-90%くらいでとめておいて隙間を作ること。100%でぴっちぴちに詰め込んでしまうと、身動きも取れないし、そもそも長期展望を考える余裕すらなくなる。それをむしろ人生の課題にした方がいいかもって。
ガシガシ働いて、しっかり稼いで、それで幸せな生活を~とか思うのは正しいけど、正しくないよ、今の時代。そう思ったら「あいつら(誰かはしらんけど)」の思う壺じゃないかな。一番搾取されやすいというか。日本も今年から値上げ元年のようにあれこれ上がるし、一方では裁量労働とか実質残業代ゼロの搾取態勢が着々と整ってますから、ガシガシは働けるだろうが、しっかり稼いでという部分が疑問。しっかり稼ぐかもしれないが、もっとしっかり持っていかれるかも。
今はもう世界的にブラック化してるから、堀池くんのようなナイス・ガイがこのパターンでいくと、やりがい搾取されるかしらん。だったら、いーかげんに働いて、稼ぎもぼちぼちだけど、でも結果的には幸福量は多いという方法論にした方がいい。少なくとも部分的には違う方法論を取り入れてハイブリッドにした方がいい。本質的に意味があるのは、いくら金もってるかではなく、どんだけハッピーかですからね。金があっても不幸な奴って沢山いるし。
でもって、次にまたオーストラリアか、日本か、あるいは第三国かそこはわからないけど、どこであれ「夕方6時には家に帰ってるライフスタイル」を堀池憲法第一条にしちゃえば?って。でないと、彼女さんも大変だし、いずれ子供も生まれるだろうから、このまま午前様生活だったら、結婚する意味すらなくなる。疲れ切って帰ってきて、明日まであと4時間しかないから、しっかり寝ておこうと思ってる時に、夜泣きでもされたら、ブチ切れても不思議ないけど、切れられる側もたまったもんじゃないし。それでいくら金があってもしゃーないでしょう。100円稼ぐのに120円分不幸になってたら、やらないほうがマシです。純粋経済的にいえばね。
だもんで6時に帰ってくるというのを最優先のプライオリティにして、それから全部組み立て直したらどうか。そのためのフィリピン僻地瞑想にしたら?と。半年もあったらなんか「解脱」するんじゃないのか。
例えば–
先程書いたように、別にシェフじゃなくてもいいし、なんでもいい。例えば和光市のご実家(赤羽の航平くんちに近いから帰ったら会ってきなよ)で、ご両親と一緒に暮らして(いずれは介護もあるんだし)、住居費を浮かした分、労働時間を短くする。
あるいは日本でシェアでもいいし、いっそ自分で家借りてシェアハウスやってもいい。
知り合いとかネットワーク通じて空き家を安く借りてシェアハウスをしてもいい。
そういうのをビジネスにしちゃってもいい。
それを外国人用にして「まかない付き」で貸して、そこで厨房に立つという手もあるだろ。
「外人相手の日本食」ならお手の物でしょ?
あるいは子供食堂的なNPOのような取り組みをやってみるとか。
はたまた北海道とか沖縄のリゾート系施設の住み込みシェフって手もあるだろう。
やり方なんかいくらでもあるし、その種のアイディア出しだったらいくらでも手伝いますよ。とりあえず、今の堀池くんのなすべきは「憲法改正」ですね。いや、ほんと、働き方改革ですよ、方向は真逆だけど。ま、なんでもそうだが、国(力の強いやつの言うこと)の逆張りをしてたら大体うまくいくよね。
ともすれば決まりきったパターンに嵌って、他に選択肢はないように思えてしまうのだけど、そういうときって最初の一歩から間違ってる場合が多いです。「思い込み」です。もう最初にそのドアを開けてしまったら出口はないよって感じ。「仕事して稼がなきゃ」って無条件の前提があるんだけど、それが思い込みだって。
仕事してないけど稼いでる人、仕事はしてるけど稼いでない人はいくらでもいる。政治家、芸術家、ボランティアは稼ぐためにやってるわけではない。少なくとも建前はそう。また投資家などは稼ぐためにやってるけど「仕事」って金払うだけですからね。金を払うことが仕事になってる。さらに稼いでいないんだけどお金が入ってくる人、お金は入ってこないんだけど、でも食えてしまう人もいる。どんな世界でもカリスマや教祖になってしまえば、ほっといても金は向こうから入ってくる(それがゆえに悩みもあろうが)。
ここまでくると「稼ぐ」「仕事」というコトバの問題になるんだけど。実際、そのスタンダードって100人いたら60人くらいじゃないかな。あとの40人は違うパターンで生きてますよ。だって、子供、専業主婦、寝たきり、皇族貴族、囚人、ヒモ、宗教家、パテント保持者、、いくらでも違うパターンがある。そもそも仕事=金と直結できるのか?という時点で既に疑問があるしね。それって、「この世の人類のイトナミは全て金儲け」と言ってるのと同じことで、ヘンでしょ。てか、仕事とお金を結びつけてる時点で、もう固定観念にはまってるし、そこを起点にしたら出口はきついですよ。
一般の「仕事」概念に囚られているのが一番損でしょうねー。なぜなら、所得が全部補足されるから誰よりも沢山ふんだくられる。第二に就職する以外に生計手段がないから、常に足元みられて不利な条件押し付けられる。「何やって食ってるんだかわからない人」になるのが第一歩でしょー(笑)。
まあ、真面目な堀池氏にそこまでドラスティックなことは求めません。100%自由になれとは言わん。でも、もう少し、あと10-20%くらい考えを柔軟にされたらいいかと思います。
いずれにせよ、金も仕事も、自然状態では存在しない。ネアンデルタール人はそんなもんやってなかったぞ。自然の初期設定としてあるのは、「一定のカロリーを取らないと死ぬ」とか「意に反したことをやってると不幸な気持ちになる」とかそういうことだけでしょ。
それら初期設定を効率的に解決する手段として金なり仕事なりがあるわけで、それは数あるドア(手段)の一つでしかない。他の手段も開ければいいし、いろいろな手段を併用して、全体にバランスを取ればいい。恋人がいる、子供がいるというのも、立派な「幸福になるためのドア」の一つでしょ?健康であることとか、いくらでもあるよね。まずは他のドア(生き方)をいろいろ学んでみたらいいです。
といわけで、がんばれ、堀池くん。フィリピンで解脱してきてください(笑)。