「ビジネス」英語の虚構性

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最近メールでカウンセリングしたものですが、一般に通じるからシェアします。

お問い合わせの趣旨は、
「これから英語環境のビジネス現場で稼働するのでしっかりしたビジネス英語を身につけたい。現在の自分の文法力や語彙力は不十分な個所が多く、ビジネス路線で通用する英語を勉強していきたい。そのためには普通の語学学校(のビジネス英語)がいいか、ビジネス学校に進学した方がいいか」

僕の回答は(HPでも書いてるけど)、語学学校の、それも普通の一般英語コースで十分でしょう、いやそれがベストではないかということです。

以前、どこかの英語学校の教師が名言を吐いてたけど、「「ビジネス」という行為はないし」「「ビジネス英語」という英語はない」と。

そこで想定されているものを、より仔細にみれば、それは、
電気製品販売会社の入出金処理だったり、
建築会社の営業であったり、
デパートの外商であったり
千差万別の職業や行動を「ビジネス」という言葉でくくってるだけのこと。

本当にそう思うのですよ。
そこでの最大公約数を括りだすと「きちんとしたそつのない言葉遣い」ということになるだけの話でしょう。

それをもう少し分解すると、
友達ノリの甘えた部分を排除する
誰が読んでも一発でわかる透明で明晰な言語論理
に尽きると思います。

そして個々の現場においては
業界独特の偏った慣行や特殊な言葉遣い(符牒とか)
がかぶさってくる。

つまり
(A)プレーンで明快な言語
(B)特殊な業界(会社)用語
の二重構造になっているのが、いわゆる「ビジネス」と呼ばれる現場の実際だと思います。

(A)をやるなら、一般的な英語力そのものになります。
(B)をやるなら、自分が進む業界の特殊な論理則、慣習、用語を学ぶべきです。でもそこまで特化して絞り込んで「業界言語」を教えるビジネス学校は、そのコースがどれだけ絞り込まれているかに比例します。例えばTAFEでパン屋経営(雇用、仕入れ売り上げ帳簿処理、納税、テナント賃借など)をやるなら、「オーストラリアでパン屋を経営する」という一点において意味があると言えます。しかしビジネスと漠然と広げていくと、どんどん無内容になっていく。

(A)は、つきつめれば、一般英語力、言語論理力に還元されます。

例えば、どの国の弁護士も母国語が非常に上手く、「言葉の魔術師」と呼ばれますが、それは法律が言語論理形式でなされている以上当然です。そして、そういう言語力は、弁護士だから上手いというよりは、もともとそういうのが上手い奴が弁護士になるといった方が正しいです。言語力が弱かったらどの国であれ最初から司法試験には合格しないでしょう。

言語力が高いから、文章書かせても、喋らせても、臨機応変にユニークな表現や、くだけたわかりやすい表現、一転して格調高い表現が出てくるわけですが、それら言語の訓練は法学部でも司法研修所でもやりません。それ以前の段階で、子供時代そして中高時代にどれだけ本を読んだかによって決まってくるんだと思います。つまり言語力の背景となる一般雑学や教養が強いんです。

英語でも同じことだと思います。

単に「通じればいいだけ」「その会社の文書として通用するもの」を書けばいいだけなら、実際に勤めてる会社の先例を調べて、「こういうときはこう書く」というパターンをパクるしかないです。
同じ業界の標準的な表現を使ってもダメで、「我が社ではこう書くことになっている」という会社オンリーの表現に直されてしまいます。つまり非常に特殊な用法だけが正解になるという。それ一択です。
余談ですが、ずっと前のオーストラリアの新聞の就職コラムに書かれて大笑いしましたが、「なんで私の会社はこんな奇妙なEnglishを使うのだ?」というのは最初は誰もが思うのだと。そしてよりマトモなEnglishを起案するとスーパーバイザーに修正されてしまう。会社別に、中小企業だったら社長別に「会社語」「社長語」があり、結局はそれに従わねばならず、それが「ビジネス英語」なのだと。なんだ日本と同じじゃんって思ったことがあります。

これも流行り廃りがあって、最近よく見かけるのは、
We trust this finds you well.
系のメールの出だしです。つい先日、不動産屋からもらったビジネスメールからですが、「変な英語」なんですよねー。”This”ってなによ?なにがfindするのよ?て。でもこのタイプの言い回し(会社によって表現は違うが)多いですね。最近増えてきた。
これって、要するに、
「時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます」
というのと同じ意味でしょう。「今回のメールのやりとりの機会を通じて、あなたが元気でおられることがわかることを、信じている」とかいう意味でしょうね。変なの。
日本語の「ご清祥」も、会社によって「ご健勝」になったり、「ご活躍」になったり、相手が肉体を持たない法人であるときは「ご発展」であったり、「ご隆昌」であったり、そして「ご」とひらがなで書くか、「御」にするか。
こんなの「趣味」です、誰の趣味か?といえば会社(雇用主)の趣味であり、ひいてはその会社の「権力者」の趣味です。

でね、これって言語力なの?って
ビジネス英語(日本語)ってそうなの?って。

だんだんわかってきたと思いますが、
めっちゃ一般的な基礎教養的な裾野と、
めっちゃ特殊な針でつついたような一点の現場実務、
その両者しかない。

更に続けて、一般教養的なゼネラルな英語力について敷衍しますと、これって今これをやったからといって翌日すぐに役に立つことはない。直には役に立たない。回り回って役に立つと。

一般に、英語に限らずどんな技芸や職業でもそうですが、上級レベルになればなるほど、その能力と、仕込みの時期とでタイムラグがあります。十数年くらいあるかもしれない。因果関係もみえにくい。

でも、だからこその上級レベルなんですよね。
上級のワザを使えることではなく、上級のワザが自然と出てきてしまうような「人」になれ、ってことです。小手先でどうなるレベルではないです。

例えば、英語の表現で、leave no stone unturnedって表現があります。「すべての石をひっくり返して(調べた)」って意味で、「ありとあらゆる手を尽くした」「最大限の努力をした」という意味です。こういうのが政府筋やらの記者会見などでぼそっと言われたりするわけです。僕もオーストラリアのテレビのニュース番組で聞いたことがあります(僕は全然聞き取れなかったが、エクスチェンジをしていたオージーが教えてくれた)。

これを日本語でいえば、例えば「シラミつぶしに調べた」とかいいますが、本当にシラミなんか潰してるわけではなくて、そのくらい細かい作業をやりぬいたって意味ですよね。
「最後まで気を抜かずに頑張ろう」と平易な言葉を格調高く「九仞の功を一簣に欠く愚を犯すべからず」とも書けます。
でもそれってどこで学ぶの?といえば、日常ですよね。

「続貂(ぞくちょう)の栄にあずかりました○と申します」というのは新任社長などが挨拶でよく言う表現ですが、これも(A)的には教養がなかったらわからない。それか(B)的に過去の挨拶草稿集をめくってパクるか。ちなみにこの表現は「課長島耕作」という漫画に出てきますよ。

英語も同じことで、いろいろな英文、いろいろな評論、文芸、それを常日頃読んでいて、自然と涵養されてくるものだと思います。その意味でいえば、直に役に立ちそうもないことをやるのがいいんです。興味の赴くまま、古典読んだり、小説よんだり、評論よんだり、、、それが幅広い蓄積になります。

そうではなく、学校行ってまでやるとしたら、基本的な「てにをは」を直せとか、その種の基礎文法や一般表現の確実な習得でしょう。それが一番役に立ちます。難しいことは出来なくていいけど、基本的な「てにをは」が間違っているのは致命的ですから。

ネィティブから見て、そのあたりの基礎が出来てない表現って、噴飯ものというか、爆笑ものというか、「僕が出る出る母学校」とか言われているようなものです。本当は「母が出た(卒業した)学校を僕も出ました」。そのくらいは直せよ、と。
時制もよく間違えて、「来週行ってきたところです」「去年行くつもりです」とか言っちゃうんだよねー。はあ?という顔されますから。

英語でいえば、前置詞の使い方とか未だに迷いますからね。to 不定詞をとるのかINGにするのかとか。あれ?どっちだっけなってのは今でも困りますよね。inとonなんかも、日にちはonで(on Monday)月はin (in April)とか、町はin でストリートはon とか、そういうの外してると結構恥ずかしいです。

ということで、「ビジネスっぽい気分に浸る」のではなく、真剣に役に立つって意味でいうならば、地味に基礎をやってなさいってことになると思います。一般英語でもレベル5(アッパーインター)以上になると、多彩な表現をやるようになりますから(コンプレインレターかかされたり、ディベートやらされたり、小説(物語風な言い方)書かされたり)。

 

 

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