咲也子さん(一時)帰国へ (WH~学生ビザのあと)

求めている「自然」とは、生活環境の論理則に自然の情に反するものが少ないこと、かもしれない

Pocket

WHを終えた後、バイロンベイあたりで学生ビザで延長滞在していた生島(伊崎)咲也子さんが(一時)帰国される前にご挨拶にこられました。

過去回は、
来たばっかの頃 New Face
慣れてきたシドニー時代 生島咲也子さん 来訪
ラウンド中 沙也子さんのラウンド通信~タスマニアで思うこと

などにありますが、ラウンドの後半に感じのいい家族経営のファームにステイし(結果的にまる1年くらい)WWOOFのように滞在し、学生ビザで滞在を延ばしてたんだけど、そろそろ先のことも考えなきゃねーで一旦帰国しようというのが、現在までのあらすじです。

この日は、僕もヘロヘロ(朝2時からやってて9時で終わるハズが、追加が入って眠る暇もないまま約束の3時になってしまい)、咲也子さんはこの日の夜の飛行機で帰国という、お互い「一瞬のすれ違い」みたいな短い邂逅でありました。
加えて言うなら、「NTのビザが易しくなるらしい」という情報から、先日紹介したNT(ダーウィン)在住の木暮さんを咲也子さんにも個人的に紹介し、咲也子さんはNTまでトンボ返りで行って帰ってってところでした。

過去回にも書いたけど、もともとが山登り屋さんの咲也子さんがオーストラリアと相性が合うのは当然の流れで、最初のシェア探しからラウンドからなんら危なげなく(てか本人的には簡単過ぎるくらいに感じてたみたい)、そういう体験をすることが主目的、、では「ない」ようにも思います。
ゆとりと自然あふれる環境で自己奪回、、とかいうのは、山でやってきたことだしね。それはもう知ってることであり、いわば確認作業みたいな。

問題は、それを自分の人生、それも死ぬまで長いこと続くであろう将来の人生に、「どうやって落とし込んでいくか?」ということです。いよいよ問題の総本山にたどり着きました、バスは終着駅「ラスボス前」に着きましたって感じ。

そこで攻めあぐね、考えあぐねている。
ファーム生活もそれなりに良くて、一時は労働ビザサポートもって話もあったようですが、零細事業の常でそれも着いては消える蝋燭の炎みたいな、変数多すぎでちょい難しい。かといって、どういう永住の道があるのか?日本では登山系ギアの会社の営業とかしっかりやってたんだけど、そういうキャリアって世界に出ると微妙ですからね。手に職があるわけでもないので。

眼の前にいくつもの選択肢があります。
そもそもオーストラリアが簡単に感じられるくらい日本でも山に親しんで生活してたんだから、今までのような感じをもうちょい加速すればいいとも言える。
かといって、今の(そして将来の)日本を考えると、あそこでは「女性」をやってるだけで既に損だという大きな地の不利があってわざわざそんなところでやらんでもという気もする。

ちなみに僕が彼女と同年代の女性だったらとっとと離脱しますけどねー、頑張って100点とっても80点しか認められないようなところでやっても無駄だもん。仮に20%の差だとしたら人生全体の20%が無駄な苦労になり、1日平均4.8時間無駄に苦労するような環境でやる気はないっす。大事な自由時間や睡眠時間が平均5時間あるか・ないかは、人生が天国か地獄かくらいのインパクトをもつよ。パチンコや釣りと同じで、最初の場所決めって結構大事。
その意味でいえば目先の就職口があるかないかなんて、吹けば飛ぶような些細な出来事です。人生は長く、それはシルクロードを全部歩いて踏破するようなものだとしたら、目先のどうこうって、家を出たときの最初の信号がたまたま青だったか、赤だったかくらいの意味しかない。

こういう人生単位で損得計算する人って珍しいかもしれないけど、僕は普通にしますよ。80年台の頃(バブルが始まる前)から、年金ダメでしょって見えてて、受給年齢まで50年くらい毎月取られて、その金利差、そして出ないかもしれない丸損部分、一方では永住権さえ取れば基礎年金くらいは無条件に出してくれるオーストラリア(掛け金制度ではないので)とを比べてみて、生涯通算損益で1億円以上は得するよなーと思ったし、それは当ってたような気がするし。

ということで、マジに永住を狙うなら、今からでも手に職をつけるという方向性もありますし、先々のことを考えれば、それも有力な選択肢。

ことあるごとに電気工事とか配管とか基礎建築とか言ってますけど、いや自分でもやりたいなとか思うのですよね。だって、いずれ先進国が(オーストラリアも)どんどん凋落して、日本の場合だったらどっかの廃村みたいなところで住むのが一番合理的になった場合、まず必要なのは生活インフラの自己整備ですから。水がちゃんと出る、電気がちゃんと通る、家の基礎がしっかりする、それらの問題をすばやく発見、速やかに修繕できる技術は生きるための基礎スキルになるかと思うので。同時に似たような問題状況は出てくるだろうからビジネスチャンスにもなるだろうということです。

とはいいつつも、人生は「瓢箪から駒」みたいな思わぬ偶然のいたずらが転機になることを考えれば、あまり決め打ちしすぎないほうが良いとも思われるし。

しかし、この先の方向性を模索しようにも、日本に残してきたパートナーさんとの意思疎通という問題もあり、これが目下のところ最大の懸案事項になっており、話し合いのために帰国、という側面が一番強いです。
ただ、そのお身内の話については、僕の預かり知らぬところだし、口出しすべき話でもないので割愛するとして、また外に出てくるとして、次はどうする?です。

でもねー、彼女まだ若くてワーホリ取れるんですよね。NZもカナダも。
ほんと時は金なりですよね。思い立ったが吉日というか、早く動けばそれだけ安くもなるし、チャンスも広がる。うだうだやってると門はゆっくり閉まっていくので、何をやるにもアゲインストになる。だからこそ、30年先くらいを常にみて先手先手を打っていかないとダメ。

あー、「ダメ」っていうのは、別に不可能とかそういうことじゃないですよ。ただ個人的な判断での話で、僕自身、ものぐさで怠け者だと自分で思ってるわけで、できれば楽したい、寝て暮らしたいです。苦痛を最小限にしたいわけですよ。一往復で済むことをわざわざ二往復する気にはなれないってだけのことです。ダメというのは、無駄に苦労する、楽できないからダメだということで、苦労が好きな人には関係ない話です。夏休みの宿題も一回恐怖の8月31日を経験した小学生低学年から以後、大学まで全部7月中に終わらせてました。それが一番トータルで「楽」だからです。「楽をするためにだったらどんな苦労も厭わない」という(笑)。矛盾してるようで矛盾してないっす。

話はそれましたけど、彼女の場合は、とりあえずはNZかカナダかなーって感じでしょうかね。まだ出来るのだし、年数を重ねるごとに英語もうまくなるし、何よりも社会的な運動神経というか「身のこなし」が洗練されて効率的になります。最初はクソなシェアを出るべきかなんて事柄で延々ウジウジ悩んだりするんだけど、だんだんそんな”小物”にはエネルギー割かなくなるし、左手だけで解決出来るようになるし。
あと2年、あっちゃこっちゃほっつき歩いてたら、それなりに「なんか」あるんじゃないかって気がします。

思うにワーホリの最大の武器は「決めなくても良い」点にあり、学生ビザのように外枠ががっしり決まってしまうのとはそこが違う。人生の転機は、なぜか偶然にしかやってこない、殆どそうとしか考えられない人生の摩訶不思議な機微を考えれば、できるだけタンポポの種子のように浮遊している時間を増やすべき、それが戦略的に最大効率じゃないかと思います。
もちろん浮遊とかいっても、その瞬間瞬間は気合入れて何事かはするのですよ、単にぼけーっとやってるわけじゃないですよ(わかるよね)。全力は尽くすんだけど、型にはめないということです。

それって別に力説せんでも、皆も知っているでしょうが。毎日残業で深夜に帰って、同じような生活ばっかだったら、素敵なパートナーとの「出会いがない」って愚痴ってるじゃないですか。パターン化されればされるほど偶然性が減るのですよね。偶然性というのは、御神籤みたいなもので、それが多いと、御神籤をひく回数も多い。大吉を出したかったら何をすべきかですよね。

しかし、そんなことは咲也子さんには釈迦に説法で、既におわかりでしょう。
結構、マクロ的には岐路にいて、ミクロ的にはハードスケジュールのさなかなんだけど、この余裕ある表情を見てたらわかるでしょう。

最後に、彼女は山屋さんだったので、来る前から「自然」に関する話を振ることが多かったのですが、今回も自然の話になって、話しているうちに僕もなんとなく見えてきたことがあります。
自然な環境が良いというのは、単に緑や植物が多いとか、ビルなどの人工物が少ないとかいうフィジカルなことだけじゃなくて、もっと大事なのは、生活環境の論理則に人工的な(自然の情に反する)ものが多いかどうか、ではないかと。

「生活環境の論理則」って今テキトーに作った言葉だけど、「こういう場合はこうする」というルールが生活にはあるけど、その論理のパターンが、ナチュラルな人間の情をベースにしていて、それから逸脱してるものが少ないほど「自然」だということです。逆に、自然な感情としてはこうなるんだけど、そこをぐっと堪えて敢えて逆に振る舞うとか。涙をこらえて笑顔を作るとかね。それが、不安げな顔をしている子供の気持ちを考えて、敢えてスマイルをつくるなら分かる。しかし、お客様は神様的に、教条的絶対的な感じで、どんな理不尽も飲み込め的な感じになると、人工的で不自然である。

生活環境において、そういう人為的で、自然な感情にそぐわない、またそうする理由もしっくりこないものが多ければ多いほど「不自然」であると。

求めているのは、物理的や景観的な意味での「自然」ではなく、人が人としてナチュラルに暮らせる生活環境、そういう論理則になってるかどうかではないかって話をしてました。だから別に田舎でなくても、都会であってもそれはいい。逆に田舎で物理的な意味での自然は多いんだけど、田舎特有の理不尽で因循な慣行が横行してたらそれは自然ではないということにもなる。

「さあ、どうしましょうねー」という余裕ありありな表情

超忙しいさなかにもお土産を買ってきてくれるという社会的運動神経の図

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です