奥村くんの第二章 Part03 ユーコン州攻略編

バンクーバーアイランド観光での時間調整し、いよいよ本格的な職探しシーズンを迎えたユーコン州へ。彼の地では、同地先住のAPLaC同志の吉池、荒井さんが水先案内をしてくれた。

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Vancouver再び
2018年4月中旬、初めてBanffに来たときと逆を辿るように長距離バスに乗り、冬以来二度目となる春のVancouverに舞い戻った。

初めてカナダに到着した時に目の当たりした冬のドンヨリとした空気の町並みがなくなり、とてもすがすがしい場所に様変わりしていた。僕の中で次の行き先でプランが、すでに決まっていたこと、それが景色になって現れているようだった。

4月中旬のユーコンは、気象予報を見る限り、春といえどもまだ寒そうだった。夏のハイシーズンに向けてユーコン各地の公共施設がオープンするのは5月かららしい。求人もそのあたりから一気に増えるだろうと思われた。敢えて急ぐ旅路でないなら、5月までの数週間、バンクーバーの春を楽しむことにした。

Vacouver IslandとVictoria

折角まとまった時間があるのだ。バンクーバーに都心にだけ滞在するだけだと味気ないなと思い、海峡を挟んだ反対側にあるバンクーバーアイランドを旅することにした。

※バンクーバーアイランド(バンクーバー島)
九州や台湾ほどの広さの島。バンクーバーと同じくBC州(ブリティッシュ・コロンビア州)に属し、州都ヴィクトリアが島内南部に位置する。代表的な町は、ヴィクトリア以外にNanaimo(ナナイモ)がある。これらの町にはフェリーターミナルや空港があり、バンクーバーとダイレクトにつながっている。

ただ活動資金は、潤沢にあるわけでない。
先述の通り別に急ぎ旅でもないし、交通費の中で最も金銭的に嵩む飛行機は乗らない方向で考えた。3日ほどバンクーバーをウロウロしながら、手軽に島まで渡る交通手段を調べてみた。初春のBC州は、一年の中でとても過ごしやすい観光シーズンであり、ビジターセンターでネット検索するのがもったいないくらい温暖な日々が続いた。

バンクーバーの町からバスや電車を乗り継ぎいで郊外にあるフェリーターミナルまで行き、そこからバンクーバー島まで定期運行しているフェリーに乗ることにした。このフェリーは島のヴィクトリア(BC州の州都でもある)の近くまで行ける。そこから先のバンクーバー島での旅計画は、島に着いてから考えることにした。

Victoria

ヴィクトリアの中心部は、花の都のようだ。花壇には色とりどり花が植えられ観光地化された町を彩った。観光客は、街中を歩くだけで手軽にヴィクトリア建築や海を挟んだアメリカの山々が見える長閑な海岸へアクセスできた。オーストラリアやNZのように遊歩道も海岸線に設けられており、歩くだけでも十分楽しめるところがあった。街中にシェア自転車(有料)が設置されており、滞在した数日間は街中をシェア自転車でまわることができた。

根付いているリサイクルカルチャー
ヴィクトリアに着いてから思ったのは、Thrift Shopや古着屋がダウンタウン内でもあちこちにあることだった。
Thrift shopとは、人々の寄付によって、成り立つセカンドハンドのお店である。バンクーバーでは空港から中心部ばかりで滞在していためかわからないが、Thrift shopを一切見かけなかった(後で調べてみると、バンクーバーにもSlavation Army運営によるThrift Shopもいくつか出店されているようで、単に僕が出くわしてなかっただけのようだ)。

一般にこの種の営みは、もっぱら教会系のチャリティ団体などが運営していて、オーストラリアではSt Vincent De Paul(店はVinnes)、Salvation Army(日本では「救世軍」の名で知られる)などが有名。だが、ヴィクトリアで見かけたいくつかのThrift shopはそのあたりがわからず、コミニュティー経営しているようなものもあった。

大規模な店舗になるとホームセンターの倉庫のような場所で、生活用品、家具、衣服あらゆる中古品が格安で販売されていた。連日時間を見つけて回ったのだが、どこもお客さんがいっぱいだった。Thrift shopの需要供給が地域でマッチしていると感じられた。

Thrift shopの商品構成を日本で例えるとリサイクルセンター(不用品を買取している店)にあたるだろう。これらがビクトリアでは全てドネーションで成り立っているのだ。※仕入れ値ゼロ、そして人件費はボランティアの所もある。

そのため店での商品の販売価格は、日本のリサイクルセンターよりもかなり抑えられている(カナダの物価から考えると二束三文のような値段。)

商品数や販売価格が素晴らしいだけでなく、リサイクル品を使う文化がカナダでは根付いていると感じた。実に多くの人が買いに訪れる。(僕がいた時期は、薄手のアウターや子ども服が人気のようだった。) 寄付⇔購入の循環がしっかり根付いているのだ。生まれた利益や売れ残りの品(衣料品)は、あらゆる団体に寄付されているらしい。完全にモノが壊れるまで、多くの人を流通するシステムがしっかり構築され、人々の間に根付いていることに感動した。

※ちなみにThrift Shopでの購入は、基本的に免税対象で消費税がかからない。
※後に移動するユーコンでもFBのコミニティーページを介した物品販売や交換が頻繁に行われている。

生活費が高いといわれるBC州であるが、こういう場所を利用すれば低収入の僕でさえ、節約生活ができ大丈夫じゃないかなと感じた(将来自分も最低賃金で働くのでなく、もう少し稼げる生活になればありがたいけれど、それまでは運や時間が必要だ)。

海外でよく聞く話だが、カナダもまた日用品は品質の割に値段が高い。日本の質を知っていると、自分はなかなか新品に手が出せない。賃貸物件に住むにしても、シェアハウスと違ってベッドやキャビネットなどは持ち込みが普通である。今後、永住権がとれた時こういうお財布に優しい場所が充実している州、地域で住みたいと思った。

※ちなみに僕は、Thrift shopでMacBookのための専用延長コードを$5で購入した。5年目となる電源供給がないとバッテリーがもたない。延長コードがあればプラグから遠い場所でも繋ぐことができるので大いに助かった。

Ucluelet

ヴィクトリアで楽しい春の日々を過ごしいる間、バンクーバー島内を高速バスが定期運行していることを知った。折角なら日本観光ブックに載らないような地域まで、このバスで行ってみようと思った。たまたま地図に出てきたUcluelet(カタカナ読みは不明)というバンクーバー島の中西部にある半島を訪れた。

この町は、今回の滞在期間でとりわけ心地いい場所だった。近くにあるTofino(トフィーノ)というサーフィンなどで有名なリゾート地に比べて、のどかな漁村と灯台があるシンプルな場所だった。けれど僕は好きだった。

少し歩けば海沿いを見渡せるトレイルコースがあって毎日そこを歩いた。歩いているとシカやキツネが街中で普通に生息していたり、湾には魚を探したトドが泳いでいたり、または筏の上で寝ていたりと町は天然の動物園だった。

街の雰囲気を反映したようなバッパーのオーナーは、とても穏やかな人だった。1週間ほどバッパーを中心として生活をしたのだが、なにも気にすることなくゆったりと時間を過ごし快適だった。僕はユーコンへ行くまで残された日程の大半を気づけばここで過ごした。永住権をとって機会があれば、ココに住んでみたいと思った。車で3時間あればNanaimoという大きな町まで通える距離で、この田舎暮らしはいいなと思った。

最後の数日間は、バスで先述したNanaimoまで戻り、バッパーで暮らした。オーストラリアからやってきたおじさんと同部屋だった。彼はカナダの女性と結婚した息子の式に出席するためにやってきたとのことだった。バンクーバーへ戻るフェリーまで日程が同じだったので、船内でも話しを楽しんだ。

ユーコン州へ
Whitehorse(ホワイトホース)

2018年5月初め、飛行機から見渡す大地には、まだまだ至るところに雪が残っていた。花もまだ咲いておらず、土の色があちこちで見られた。「川の流れが白馬のよう」という由来で町の名はWhitehorseらしい。冬の残り香による張り詰めた空気、都会にはないような大きな木々、雰囲気は北米の北海道だった。

後にYukonには、ドイツ人の移民や観光客が多いことを知った。北米の北海道ユーコンは、ドイツ人の琴線に触れるものがあるのだろう。夏だけ限定で、ドイツのフランクフルトから大型飛行機による直行便もホワイトホースまで飛んでいる。

また町にはドイツ人経営のサワードゥが売りのパン屋さんや犬ゾリが売りのロッジやカヤック、オーロラなどアウトドアアクティビティが売りのツアー会社があった。移民といえばアジア系、町の中もアジアの雰囲気が多いような御時世だが、ドイツっぽい部分がホワイトホースで垣間見られた。ホワイトホースの日本食レストランは、中国人経営で日本のファミレスクオリティーだけれど、ドイツのパンはドイツオーナーの店だけあり本格的だった。僕は日本と異なる固いパンが、別に苦手でもないので時々食べた。

ユーコンは、永住権につながるノミニープログラムがあるので、ワーホリ提携してない国(フィリピンやインド、中国)からの移民もそれなりに多かった。ただ中華街のような誰が見てもわかるような移民コミュニティーは、ユーコンで僕が知る限り見られない。カナダの北部の田舎だけれど、移民が多いのでカナダ人も僕たちが話す拙い英語にも寛容だった。

ホワイトホースの空港に到着して、ダウンタウンまで歩いて行くべきか、有料のシャトルバスに乗るか迷った。地図をみると空港は崖上、ダウンタウンは崖下に位置していた。真っ昼間に着いたこともあり、夜になるまで時間に余裕があった。空港の建物から外に出て歩いて考えようと道路脇を歩いていると、たまたま空港周囲を囲む散歩道を見つけた。運良くその道を犬と共に歩いている人を見つけ、彼らに付いて行くと予想通り崖を下りる階段をみつけた。そこからホワイトホース唯一のバッパーへ向かった。

吉池くんとバッパーで初顔合わせ
吉池くんは同じAPLaC卒業生で、既にワーホリでホワイトホースに来ていた。彼とはバッパーで合流した。冬をこのバッパーで過ごしていたそうだ。

新しいバッパーのマネージャー“サラ”が春から働きはじめるまで、バッパーはしばらくクローズしていた時期があったのだが、吉池君は、特別に鍵をもらってバッパーで留守番していたらしく、そのくらいオーナーからも信頼されていた。彼は、バッパーの宿泊客とも常にフレンドリーで、いつも輪の中心にいるようだった。

彼とはカナダに着いてからmailで頻繁に交流していたので、僕のことを事前にサラへ紹介してくれていた。到着後にホワイトホースについて色々と教えてもらった。ユーコンでのインターネット事情は決して良くなく、バッパー内では自由にインターネットが使えなかった(法人用でなく一般利用者のインターネット契約の場合、容量制限があり費用も高価である。バッパーでは動画などストリーミング再生は禁止だった。)

吉池くんもブログを頻繁に更新していたのでインターネットが必要であり、無料でインターネットが気兼ねなく使える場所を教えてもらった。以後、彼が南米に行くまで彼と同じ部屋になった。

前述のバッパーのマネージャー“サラ”は、春前に新しく来たとのことだった。とてもフレンドリーでゲストの世話をしっかりされる人だった。バッパーは、大きな一軒家をゲストハウスにリフォームしていて、アットホームで居心地も良かった。

サラは住み込みで働いており、彼女の犬をバッパー内で飼っていた。僕も暇があれば、彼女の犬と共有リビングで一緒にゴロゴロした。基本的に僕は、バッパー内の誰よりもバッパーにいる機会が多かったので、タイミングが合えば庭まで犬のトイレの誘導をした。(彼女の犬は、病気による目が見えない状態で、扉を開閉や階段を降りる際のサポートが必要だった。)新しいシェアハウスへ引っ越しするまでの3週間は、このバッパーで過ごした。

この期間、マネージャーだけでなくバッパーオーナーも交えて、春に向けてバッパー内の庭園を整えるというので、彼女らの手伝いをした。土を掘ったり石を動かしたり、新しく土を盛ったり健康的な毎日だった。ユーコンの人は、春になると短い季節を楽しむためにガーデニングに精を出すそうだ。僕は一生懸命ガーデニングを手伝ったので、幸いにもマネージャーによって夕食やバッパーの滞在費用(数日分)を労働で相殺してくれた。

家探し
ユーコンでは家探しも重要だ。吉池くんがバッパーで住み続けたのも仕事があるダウンタウン内で物件を見つけることが簡単でないのも理由のひとつである。年々、物件需要が高まり、レントも上昇していた。カナダのクラシファイド“Kijiji”にもユーコンでの物件情報は乏しく、FBのコミニティーページや人づてを駆使して見つけるような状態だった。シドニーやバンクーバーのように選べるほど部屋のインスペクションもできない。自分の予算や条件通りの物件を見つけたらかなりラッキーといえるだろう。
※現在も、ほぼ人づての情報でユーコン内の居住先を僕は見つけている。

仕事探し
ホワイトホースに着いてから荒井潔子さんと何度か対面で話をする機会があった。彼女とはオーストラリア時代に何度かお会いしたことがある。
初対面ではなかったのだが、ダウンタウン内で待ち合わせし出会ったときは、カナダで再会したことに人生の面白さを感じた。

吉池くんもそうだが、潔子さんも話しやすい方である。Aplac繋がりという共通項をもった人生を奮闘する同士となり、気兼ねなく話せるのは本当にありがたい。

彼女のカナダでの奮闘記を拝見していたので、色々と近況報告を交えながら改めて具体的にホワイトホースでのインフラやコミニュティーや仕事についてなど話を訊かせてもらった。

夏のハイシーズンに向けて求人は増えるけれど、すべての企業でYNPをしているわけでないとのことだった。いくつか彼女が知るYNPのサポート実績がある求人に関するアドバイスを貰った。僕は、雇用者からYNPのサポートの確率が高いのであれば、職種にこだわりがなかった。

Yuwinというユーコンの求人サイトを使って仕事内容を検索し、英語ビギナーでも働ける職種を調べた。同時に求人情報サイト経由でレジュメを20件ほど送ってみた。また個人的にGoogleの地図で位置を確認しながら、YNPのサポートしてそうな企業(年中営業しているホテルやギフトショップやレストラン)に当たりをつけてレジュメを直接配り歩いた。

ホワイトホースは人口3万人弱の小さな町である。ダウンタウンもそんなに広くなく1−2時間あれば全体を歩き回れるくらいだ。はっきりいって大きな街のようにレジュメが配り無くなるほど無資格で英語ビギナーが働ける場所や職業機会があるわけでない。地図で見つけれなかった場所でも、歩いている時に見つけたらレジュメを配った。これも20−30件ほど配った気がする。徒歩で町中を散策しながらレジュメ配りと同時、図書館のインターネットを使って人事部宛にEmailでレジュメを送った。これも20−30件は送っただろう。(特にEmailは、ホワイトホースから遠隔地であるDawson cityやWatson lake中心に行った。)

1週間ほどノンビリと時間をかけて仕事探しをしたのだが、ホワイトホースにあるホテルのルームアテンダントの仕事がついにみつかった。
潔子さんが教えてくれた求人場所の一つだった。ここは、慢性的に人手不足でYNPのサポートをしながら何とかやりくりしている場所だった。しっかりアピールすればマネージャーなどの上司からYNPで有望視されそうだった。
※2020年2月現在、このホテルの人事部のマネージャーなどの多くの管理職が離職しており、YNPサポートをマネージできる人がいなくなっているらしい。

採用される前の仕事面接では、カナダでは当たり前となるリファレンスレターと推薦人が必要とのことだった。既に僕は推薦人の目処が立っていたので問題はなかった。Banffのギフトショップと、ホワイトホースでお世話になっているバッパーのマネージャーのサラになっていただいた。緊急連絡先は、潔子さんになっていただいた。

ホテルマネージャー達との面接では、緊張もありカナダの英語が聞きとれなくてコミュニケーションがギコチナクなった。不採用になるかなと感じたけれどなんとか面接を乗り切ることができた。「不審なモノや危険物を見つけた時、あなたは取り扱いをどうしますか?」と訊かれた際に、実際に出くわしたら即その場を僕は離れると思ってしまった。この答えは、対応として杜撰だなと思い、違う内容を考えた。緊張に輪をかけてうまく言おうと英文を考えすぎて、答えにつまずいた。しかし、既に僕の英語レベルが高くないと判断されていたので、採用側から答えに関する例題やヒントが貰えて、それにYES、NOで答えることができた。採用側としては、基本的に雇いたい状況なのだろう。面接途中からある程度英語が聞き取れて、内容を理解していたら問題がない雰囲気だった。

採用者は、即日で推薦人とコンタクトを取り、問題なく僕の採用が決まった。バッパーに戻って、バッパーのマネージャーに採用結果を報告すると祝福してくれた。

それだけでなく、サラはシェアハウスについて気にかけてくれており、バッパーのオーナーが管理する部屋に空きが生まれたことを教えてくれた。倉庫をリフォームした部屋だったので、価格も相場より安く$450/月でスタートだった。

彼女は、仕事だけでなく僕の家探しまで、本当にバッパーのゲストに対するサポートが手厚かった。未だに僕は、何かあればサラのもとへ報告したり、犬と戯れたりと交流がつづいた。

※残念ながら彼女の愛犬は昨年秋に他界してしまった。彼女は本当に家族として犬と過ごすのが好きらしい。新しい犬を保健所のような場所から昨年末に引き取って飼っていた。カナダの家庭では、ペットショップでなく動物の引き取り所から雑種の犬をもらってくる人が多い。ユーコンで見かける犬は大体雑種のようだった。

働き詰めていた間に花や木々も生い茂り、ユーコンに短い夏がやってきていた。
夏の間は白夜があるユーコンで、仕事が終わったらシェアハウスの住人や仲間と休み関係なく散歩やら日帰りキャンプや釣りに行った。ずっと明るいので仕事終わりから11pm まで遊んだ。

ユーコンと大自然の日々
ユーコンは、カナダ国内からでなくアメリカからも多くの人がやって来るくらいアウトドアや憩いの場所である。特に夏はキャンピングカーやバスがハイウェイを往来し、多くのキャンプ場やRVパークがいっぱいになる。

僕も田舎暮しや冬のカナダ(ユーコン)に対して生活できるのか不安があったけれど、思ったより楽しく過ごすことができた。

都会のようなお金を消費した生活はないけれど、ハイキングや釣りは至るところで可能だし、オーロラなど特別なイベントも多く存在してい自分の生活スタイルに合っていた。毎日カフェに通い、ショッピングモールを練り歩き服などを買う生活はとうの昔の日本で置いてきたので、今の暮らしは丁度良かったのかもしれない。ユーコンが一生住む場所かと言われればわからないけれど、永住権がとれるまで住むことが苦でないなと感じた。

永住する同世代の日本人同士も面白い人が多く、時間があればアウトドアを共に楽しむことができた。バンフと違って人と交流しても気兼ねなく過ごせる環境があった。

キャンプが日常
ハイウェイ沿いにキャンプサイトの標識が数十km毎にある。カナダパークス(行政)が管理する場所であり、オフロードのパーキングスペースと薪やファイヤーピッドが設置されている。カナダのハイウェイは、日本と違いアスファルト舗装だけの単線の道だ。時間帯が良ければ森林の奥まで行かなくても、多くの野生動物とハイウェイ沿いで出くわすチャンスが有る。リス、ヤマアラシ、コヨーテ、キツネやエルク(馬や牛のような大型のシカ)や小さめの鹿(宮島や奈良公園にいるような日本でよく見かけるサイズの鹿)やら、グリズリーや黒く熊がユーコンに生息している。

道にある標識もただ道脇に「2km先に○○」「キャンプサイトマーク」が立っているだけだ。キャンプサイトの場所によっては、壮大な自然に視点がもっていかれたり、ボッーっとしているとハイウェイ沿いから標識を見過ごすことさえある 笑。

キャンプサイトは有料であるが、いつも誰かしらシーズンパスを持っているので問題なく夜まで過ごすことができるのが、ユーコンの生活だなと感じた。(関西の人なら多くの家庭で、たこ焼きを持っているような感じだろうか。)

日本にいるときは、BBQやキャンプの準備と後片付けの量から拒否感があった。オーストラリアやNZのビーチや公園にあるグリルに出会ってから、BBQは手軽に楽しめて思ったより簡単でいいなと感じていた。

ユーコン来てから、キャンプやBBQするにしても日本ほど道具はいらないし、拘りもない。家の料理や滞在の延長を外でしている感じだった。参加者の誰かは、必要な道具を持っているので各自で分担すれば負担もなかった。

ユーコンの良いところは、前述の通り自然が満喫できるキャンプ場が街の近くにある。残念ながらユーコンは、気軽に行けて、美味しいと言えるレストランはあまりなく、キャンプでの手料理が一番のご馳走だった。各々が自宅で準備したのを庭に出すような感じで、前菜やメインディッシュを持ち寄った。いつもメンバーが適当に集まっている感じで気兼ねなく参加できた。
※本格的にやりたい人は、ユーコンの山の中でバックパックにフル準備をして、やっているのかもしれない。

野生動物と釣り
ユーコンは野生動物の楽園だ。ユーコンにいるとバンクーバーのような都会と違い、人間が動物たちの暮らす自然の中に住まわせて頂いていると感じる。

もしカナダでキャンプをするなら、楽しむだけでなく、動物が食べ物を探しに来ないようにすることが大切だった。特に熊がやってきたら大変だ。こっちも無駄な殺生はしたくないし、人も致命傷を受けたくない。町に下りで来る熊は、残念ながら日本と同様に行政によって殺処分される事が多い。勝手なことだがユーコンにいる人にとって、人と動物の間の距離感が大事なのだ。

ユーコンの釣りは、隣のアメリカ、アラスカ州に出かけない限り主に淡水魚がターゲットとなる。日本のような人工の管理釣り場はないので、川、湖、沢など自然がメインのフィールドとなる。そしてユーコンは至る水場にトラウト(マス) ノーザンパイク 底魚など固有種があらゆる水域で生息している。釣りをするにはユーコン準州内で有効なライセンスの購入が必要だが、釣れればすぐに元が取れる値段だ。

※人がよく出入りする釣り場では、レンジャーがライセンスチェックなどのために森の巡回をしている。ライセンス不保持は約$100の罰金だ。友人も車から持参するのを忘れて泣く泣く払っていたことがある。
※ルールブックを確認しながらフック(バーブレス:かえしなし)の種類を決め、ハードルアーもしくは毛針やスプーンを使うことが多い。(エサ釣りは基本的に禁止されているため。)

釣りを始めた頃は、日本でのブラックバス釣りの感覚で色々とやってみたが、なかなか喰いが渋くて釣れなかった。しかし、ユーコンの釣り仲間のアドバイスのもと、カナダで買えるルアーでも釣れるパターンを徐々につかんでいった。

野生の魚を釣るので、どこの釣り場にいっても周りの風景は絶景だった。自然の僅かな変化で季節感も感じられるし素晴らしい環境だった。全然釣れなくて悲しいときでも気分転換によかった。自然の中で釣りをするので、いつも野生動物の声に関して聞き耳は立てていた。もちろん時より出くわすことのあるクマ対策として、ベアスプレーの持参は必須だった。

※カナダは、アメリカ経由でやってくる釣り具(ルアー)ばかりで価格も質の割に高い。カナダでも日本のルアーを使えば釣果がでると思ったので、いくつかオンラインで購入してみた。魚の琴線に影響する繊細な動きを表現できるのは、日本のルアーだけだ。僕はNZの時と同様に針やリールなどメインの道具をいくつか日本から持参していた。サーモンくらいしかカナダのイメージがなかったので、トラウトフィッシングに絞った準備が全くできていなかった。あれだけ日本から経つ前にパッキンしたが、事前調査不足で悔いに残った。わかっていたらルアーなど嵩張らないので、バッグのスペースいっぱいに持ち込んだだろう。アマゾン経由で取り寄せた日本でも安くて評価が良いルアーは、カナダの魚でも反応がいつもより良かった。

夏の間は釣り好き同士で、ほぼ毎日釣りに行くので、釣り仲間内で魚を食べ飽きるくらい釣った。
※カナダでもシーフードが高い、さらに新鮮な魚は本当に安くない。釣れたら夕飯の良いおかずだ。下手に最低賃金の場所で働いて日銭稼ぐよりも、精神的にも経済的にも良いかもしれない。

オーロラ

夏の白夜の期間以外は観察のチャンスがある。太陽の動きや気温やら発生要因はいろいろあるが、大きなオーロラが出る夜は、ダウンタウンの明かりにも負けず、空一面で観察ができた。もちろん町から離れて闇夜に映るオーロラは格別だ。緑、オレンジ、ピンクといろいろな光の帯がゆらゆらしている。

この僅かな動きを捉えるために、コンパクトカメラやスマホの写真生活から一眼レフカメラの虜になった。三脚をネット購入して、よくオーロラが光りそうな夜は、仲間を連れてオーロラハンティングにでかけた。

オーロラ撮影は簡単だ。ただ明るいレンズ(F3.5以上)とIS02000以内とシャッタースピード(1−10秒)を調整すればいい。オーロラの規模や明るさによって設定をイジるので的確な数値は言えないけれど、できる限りオーロラのカーテンの揺れる様を撮影したいので、シャッタースピードは早くしたかった(目標は1秒以内)。

シャッタースピードが遅くなれなるほど、のっぺりとした帯状のオーロラ写真となる。

フォーカスはオート無限大でもいいけれど、時間があれば、撮影日の昼間の明るいうちに空の雲などにフォーカスをマニュアルで合わせてレンズをテープで固定していた。そうすることで、オーロラを撮る場所が暗所で、リアルタイムでフォーカスを合わせる対象がなくても、大体クリアにオーロラを撮ることができた。(オーロラ自体でピントを合わせれるくらい明るければ良いのだが、都合よく肉眼でオーロラをフォーカスできる日は多くない。)

ユーコンの秋と車購入
秋になりユーコン中を動くために便利な中古車を買ってみた。
カナダで車を買うのは初めてだったが、いろいろと模索しながら保険やナンバープレートなど取得した。冬に壊れて完全に動かなくなるまでは、この車で釣りに行ったり、動物を探しにドライブしたり、後に彼女となる同僚も含め色々な場所にでかけた。

一歩町から離れたユーコンの自然は本当に絶景であり、写真で表現できないくらいキレイだった。

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