マスメディアのない世界

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この世にマスメディアが存在しなかったらどうなっちゃうんだろうか?

「そんなの考えられない!」とか思うけど、世界の歴史をみればちょっと前まで普通にそんなもんなかった。江戸時代はかわら版とかその程度、政府広報は町中に立てられた「高札」ですもんね。

今、マスメディアがかなり歪曲偏向されているとの指摘が多いし、僕もそう思う。ふざけんなってくらい。

思うのは二つで、一つは最近とみにおかしくなっているのか?です。
これはYESでもありNOでもある。
YES的局面は、経営基盤です。なんせテレビの視聴者が減ってきてる。10代、20代の二人に一人はテレビを見てない。新聞は滑走路に着陸態勢にはいっている飛行機のように、ずーっと長期低落。先日、朝日新聞がはじめて赤字転落したとかいう。広告収入もネットにもってかれてしまったし。そうなると経営的にお先真っ暗だから、安定的な収入源が欲しい。そうなると(その2)広告を出してくれる大手企業は今まで以上に大事になるし、また政府からの補助も欲しい(消費税の例外にしてもらうとか、テレビの電波独占を続けてほしいとか)。つまり、力のある者に媚びざるをえなくなる。制約が多くなる。だからおかしくなるという理屈。

NO(昔から変だったから別に最近急に変わったわけではない)という観点から言えば、皆の批判能力が高くなったから、マスコミのアラが目立つようになった。特にネットによる個々人の意見やらなにやら、いわゆる陰謀論も含めて、「あれは大嘘」という意見も普通に出回るので、何にせよ相対的に見えるようになってきている。ちょっと前までは、個々人の意見感想が知り合いでもない第三者の目に触れることなど、新聞の投書欄くらいしかなかったのに、今はSNSその他で誰でも発言できるし、本人の知らない間に拡散したりもする。かくして批判能力が高まったから、ダメな部分が目立つようになったという。

ま、どっちもあると思います。

しかし、ここではそれとは全く違った視点、そもそもマスコミって必要か?です。
この問題は突き詰めていけば、
今、社会全体で何が起きているのかということを、そんなに知らなきゃいけないのか?
もっと言えば
「いま人類はこのあたりにいます」という今ココ大局観を皆して把握すべき必要があるのか?

という問題に還元されるでしょう。

そして、それがYESだとしたら(知ってた方がいいんじゃない?的な)、
その大局的情報をマスコミに頼る必要があるのか?
という次の問題が出てきます。

ぼそっと私見を述べると、「別に知らなくてもいいんじゃない?」という気もしますねー(笑)。
そりゃあ知ってたほうがいいんだろうけど、知るんだったら正確に理解しないと逆効果でしょ?無茶苦茶に歪んだ世界観をインストールされるくらいなら、何も知らないほうがマシですよ。そして、何が正しい全体把握なのか?というと、これが簡単にはわからない。そのときどきの「流行」みたいになにかの問題がクローズアップされるけど、その影で無視されている重大な問題も山程ある。

それに一般庶民レベルにまで広く流布浸透する世界観情報って、だいたい嘘が多いです。さきの戦争もあくまでも「聖戦」であって、アメリカとイギリスは鬼畜米英だというのが公式見解であり、そういう世界観だった。明治維新の頃の黒船開国やら尊皇攘夷もそうです。
ほんでも一夜明けたら、鬼畜だったはずのアメリカは救世主のようにあがめられ、攘夷のはずがいつのまにか全面開国して文明開化のザンギリ頭や鹿鳴館でダンス踊ってるんですから、結局、全部大嘘だったじゃん!ってことでしょ?
だけど、それによって一般国民が混乱したり発狂したりすることもなかった。幕末の一般の田畑の農民が時勢を詳細に知っていたとも思えないし、別に知らなくても日常にそんなに不便はなかったでしょう。江戸幕府が崩壊し、幕藩体制から近代国家独占資本主義体制に、、、とか難しいことは「ご一新」の3文字でクリアしてしまうという。
戦後だって、世界観大崩壊なんだから社会が崩壊してもおかしくないけど、そんな感じでない。
もーね、これだけ天地がひっくり返っても柔軟に状況変化に対応できたら、別に難しいことは知らなくても良いという気もしますね。

次に、そういった世界観を知るにしても、それをマスコミに教えてもらう必要はあるのか?というと、「無い」と思いますね。幕末の時勢論だって、坂本龍馬が勝海舟に会いに行ったように、名だたる人の家に訪ねに行って教えを請うというやり方があり、それが一番よくわかったとも言えます。そしてそれは今でも変わらないと思うぞ。

次にシュミレーションというか頭の体操として、もし、マスコミがなくなった場合、NHKもBBCも新聞もテレビもなくなったら、どうなるか?
を考えてみましょう。そうなったら、皆真っ暗闇に取り残されて、なにがなんだか分からず、パニックになるのか?

これも、ならないと思いますねー、僕は。

その昔も、口コミでけっこう素早く情報は伝達されたといいます。「宮本武蔵が吉岡一門を倒した」とかいうローカル事件もあっという間に全国に広まったらしいし。
まあ、そんなの「噂」「ゴシップ」であって「ニュース」「情報」じゃないかもしれないけど、今のニュースだってゴシップと似たりよったりでしょ?

ここでも繰り返しになりますが、もともと個人が生きていく上において、そんなに何から何まで知らなきゃいけない必要はないんじゃない?自分に関係ある限度でとりえずは知っておけば良い。そしてそれは、一般的なマスコミという形では取り上げられにくい。
例えば印刷業界で就活している人にとって、印刷業界の将来像はどうか?というのを、そんな毎日マスコミでやってはくれないし、ワイドショーでも取り上げてくれない。したがって業界紙や専門誌になるでしょうけど、結局は、その業界でバリバリやってる先輩や知人に話を聞いたほうが早いし、深いし、正確でしょ?

また、世界観ってほどではない社会観においても、だいたい大雑把に知っておれば事足りる。日本列島はこんな形をしており、大きな島が4つあり、東京が首都で~とかいう基礎知識くらいで良いのでは?

実際にはそれすら怪しいでしょ?
その昔「四国ゲーム」というのがあって、四国の4つの県を全部言えるか?位置関係も正確に言えるか?それができたら「東北ゲーム」で、東北の県を北から順番に位置も正確に書いてみろとかいうと、結構な確率で出来ない人がいるとか。
これを世界地図でやると大半は討ち死にするんじゃないの?
あるいは歴史ゲームで、邪馬台国から現代まで歴代政権を正確に並べろっていうと、出来ない人も多いでしょう。要するに基礎レベルですらおぼつかないし、基礎レベルをやりなおすと、「おお、そうか、そうだったのか!」と新しい発見があったりもします。過去のエッセイにも書いたけど、レバノンの国土の広さは日本の岐阜県と同じくらいでしかないとか、オランダの大きさはほぼ九州と同じくらいとか。あ、そんなもんなの?という。

今年は日本で五輪やっちゃいましたけど、僕自身、全然興味ないからどうでもいいです。報道してもらわなくて構わないし、そもそも読みもしない。
日頃全然親しみのない競技で誰がメダルをとったかとか、それって大事なことなの?というと別に大事でもない。
子煩悩な人にとっては、どっかの誰かが世界一になることよりも、自分の子供が運動会のかけっこで力走していることの方がずっと重要でしょう。例えそれが客観的な情報価値としてはゼロだとしても、自分の主観価値としてはデカい。

それにいくらマスコミが頑張って全てを緻密に公平に報道したとしても、興味がなかったら視聴しないから結局同じことでしょ。今世界の金融は、中国発のバブル潰しの津波がどこまで波及するか、そしてアメリカのFRBのQE終了とテーパリングの進展、コロナによる物流障害とインフレの亢進で、パーフェクトストーム的にハラハラドキドキ展開なんだけど、前提知識がないとなんのこっちゃ?だから、興味のない人も結構いるでしょう。

逆に、よく考えたら自分にとってあんまり関係ないことを、毎日のように報道されるから詳しくなってしまい、それがあたかも重大なことのように錯覚してしまい、結果的に貴重な時間を潰す(ブームが去ったらそれまで)くらいなら、知らないほうがマシだとも言える。知ったところで、ワイドショー的な偏狭な正義感、嫉妬心や偏見を正義の形に変換してぶちまけるという、やればやるほど馬鹿になるというアホな現象もある。

マスコミがなくなれば、各政府機関が定例発表するのがひとつの情報源になります。今は記者会見とか記者クラブでやってるけど、そうじゃなくて誰でも視聴できるオンライン発表にするとかになるでしょう。そうなった方がいいし、それを直に見たほうが良いとも言える。国会やら県議会、各種審議会、全ての委員会の質疑は、オンラインで24時間流せばいいじゃん。公共電波を使うわけじゃないから、無限に出来るでしょうに。

また株式市況なり、スポーツの結果などは、好きな人だったらマスコミに流れる以前に専門チャネルで情報はゲットできますし、しているでしょう。今はどうか知らないけど、昔登山やってる人は、山の中で気象情報を聴いて、自分で天気図を描いて予想したとか。

てかさ、もともとそういう散在する情報を集めてきて、「はい、今日はこれを知っておくべきですよ」と余計なお世話で選別して流してくれるのがマスコミであるわけで、別にそんなことしてくれなくても、興味がある人や詳しい人は、自分で原情報をあたるでしょうから、そんな「今日の詰め合わせセット」みたいなものは要らないです。

だって過去の詰め合わせの目玉商品を思い出しても、別に大したことなかったなーというのが多いでしょ?いっとき、酒鬼薔薇事件の頃だったかな、「17歳は恐い」みたいな意味不明な煽りがあったり、少年は全員バタフライナイフを持ってるかのような、女子学生は全員援交やってるかのような、あれってなんだったんですかね。それをやるなら、その昔のエンコー少女も今は40代とか50代になってるでしょうから、おばちゃん集めて匿名座談会でもやってほしいですね。単に黒歴史的処理になるのか、いやいい思い出ですよになってるのか、いやあれで男を見る目は確実に養えたになるのか。

それはさておき、マスコミというニュースの選別整理役がなくなったらどうなるか?ですけど、ニュースのキュレーターみたいな人や機関が出てくるでしょう。今もすでに出てきてますけど。
それぞれに情報を集めて「こうなってるみたいだ」と言うようなことが、情報のメインになってくるかもしれない。陰謀論サイトやネトウヨ速報なんかもそうですけど、実は特に新しい話ではないです。
昔から、株とか経済(業界の詳しい情報)は、個人でやってる人が多いと言いますもんね。なんたら経済研究所とかいって(総会屋である場合も多いが)。
それは、あたかも競馬場で情報売ってる(予想屋)みたいな感じで。「第○レース」といって500円玉渡すと、予想を書いた紙片を渡してくれるという。

もっと本当にヤバいインサイダー情報とかになると、価格も桁違いに高くなるし、価格ではなく「貸し借り勘定」で精算するシステムになってたり、そもそもルートを持ってないとゲットできないですけど。

つまり必要だと思ったら、皆工夫して必要な情報をゲットするでしょうし、ネットなんか影も形もなかった昔から、それは既に行われている。だからマスコミがなかったらなかったで、なんなりと工夫するのが人間であり、その方がむしろ効率的かもしれないし、実際にそうなりつつあると。

ならば、マスメディアっていったい何をやってるの?なんとなく今こういう状況だというのを知るため?知ってどうするの?意味あんの?そもそもそれが誤りの始まりって気もする(天動説のような間違った世の中の見方を教え込まれて、自分の地の感覚を忘れてしまう)。

ということで、偏向云々以前に、そもそも要らないんじゃない?という気もしたりしますね。それは、アメリカのCNNが去年の不正選挙騒ぎで片棒担いだとか、偏向してるとか言われてたんだけど、偏向以前に、愛想を尽かされて視聴率が激減し、人件費のかかる花形キャスターなど全員クビにし、地味なニュース配信局という原点に戻るとかいってるのと同じことかもしれないです。

これはテレビについても同じで、テレビの報道の問題性とかやってるうちに、テレビそのものが消滅していく。すでに若い世代は見てない人が過半数だというし、中国での調査でも、テレビ買わないって人が増えてるらしい。

ということは、こんなこと書いてること自体、時代おくれになりつつあるのかもしれません。もうしばらくしたら、「テレビって昔はみんな見てたんですか?」とか真剣に聴かれちゃったり、「『マスコミ』ってよく聴くけど、何なんですか?」「マスコミとかさー、いちいち古いんだよな、「令和の親父」は」とか、言われるようになるかもです。

(以上、オンラインサロンの「エッセイのネタの部屋」で2021/07/31に投稿したものを多少付け加えて書きました 冒頭のテレビの写真は、著作権フリーの画像から探してきました)

 

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