New Face Taka.Kさん

コロナ明け第一号生のTakaさん
ゲートが開いた途端に突っ込んでくいるムスタング(野生馬)のような。
これからも、かくあれかれし。

Pocket

(注) 2022年04月18日から、オーストラリア入国にあたっての陰性証明(=出発前にPCR/RAT検査を受け陰性でないと空港でチェックインできない)という規制が撤廃されました。この記事は規制撤廃前のものですのでご注意を。なお、到着後のRAT検査はなおも求められています。

このNew Faceも、20年9月28日の内藤さやさんから、1年半ぶり。
内藤さんはすでにオーストラリアに滞在していたのですが、いわゆる一括パックの王道ヴァージョン=日本から産地直送で僕が空港まで迎えにいくという=は、19年の9月の前田くん以来です。もう2年以上ご無沙汰。例年、晩秋から冬時期は少なく、3-4月の卒業入学シーズンに多くなり、20年3月以降7-8人の方が渡豪を待ってたわけですが、その直前にコロナで国境閉鎖になり、以後延々と大いなる時間の浪費が世界的に続いてました。

Takaさんの場合も、渡豪を目前にしての延期。今か今かと2年間待ちながら、21年12月に国境開放(日本人には)となり、ようやくやってこれたという。
オーストラリアは22年2月21日から一般国境開放になりますが、それでもなおも規制が多く、考えなければならない問題は多々あります。また、国内的に2年の業界「大飢饉」で多くのことが様変わりしています。もう冬眠明けのクマみたいなもので、全部模索してやりなおしになってますが、それはTakaさんの紹介とはテーマがずれるので、またそれで一本まとめます。

さて、Takaさんは30代前半の男性ですが、関西外大スペイン語専門、卒業後英語の先生になり、東京近辺や北海道など幾つかの公・私の学校で正規の教員として教えておられました。キャリアも着実に増えて、中堅どころとして活躍が期待されるような感じだったのですが、「だーっ!」で退職。

この「だーっ!」ですが、細かく言語化すれば、例えば学校での特殊空間内部の鬱陶しさであるとか、日本における自分の将来像に納得がいかないとか、いろいろあるでしょうけど、この記事を読んでる人(既に海外経験済 or これから君)だったら、そして年齢的にギリホリ(30歳前後)かそれ以上で職をやめて徒手空拳で海外を考えている人だったら、「だーっ!」だけでわかると思います。なんか、もう「総とっかえ」したくなる気分。なので、そのあたりは分かりすぎるので、あんまり細かく聞いてません(笑)。

Takaさんの人となりですが、まず英語の力がすごくあります。なんせ語学学校に入った時点で、既にアドバンストクラス。コロナ明けで人数が少なく、荒いクラス分けになるとはいえ、着いていきなりアドバンストというのは凄いですよ。英語の先生といっても、日本で教えている限りでは、まあ中級上(インターミディエイトか、アッパーか)が多いですけど、アドバンストというのは珍しいです。TOEICも900近くありますし、日本の学校で教えるだけならそこまで要らない(他に受験的な知識がいるでしょうけど)。それを持ってるということは、やっぱ日々研鑽を怠らなかったということでしょう。そこは単純に凄いです。なかなかできることではない。

ちなみに今回は「あわよくば永住権」コースというか、できれば将来的にも住みたいなー、だけどこれといった道は見えない(現地就職、労働ビザや永住権につながるスキルが特にない)、でも希望としてはあるという場合、「手なりで勝負」「なりゆきで買い」みたいな展開になります。これが最初からメカニックであるとか、現場系スキル10数年とか就職・労ビザ・雇用者(州)指名永住その他が見えてる人の場合、わりと青写真がはっきりしてるからまだ見えやすい。でも、彼のように最大のスキルが「英語」というのは、皮肉なことに英語圏の国にくるとノースキルになってしまう。それは日本の就活で「特技・日本語」とか書けないのと同じです。全員できることはスキルとは言わない。

ただし、青写真があろうがなかろうが、最初の1-2年はやることは同じです。まず現地生活に慣れることであり、それも最初から仰角(上向き)に設定しておくことです。彼にも言ったのですが、「小成に安んずる」という気分が最大の敵で、小さく成功した時点で保守的になったらそこで終わってしまう。日々安楽になりかけた時点で、それを叩き壊して、より上を目指す。最近の日本ではありえないくらいギラギラした上昇志向が必要です。具体的にいえば、バイト・職でも、最初はその日のうちに仕事が決まるくらいのジャパレスとかそのあたりから始める。最初の段階ではできることを着実にやる。そこで現地のホスピタリティのイロハを学び、やりつつローカルジョブ、特にカフェとかレストランを探す。それが出来たら、さらに永住権やビザが取れそうな職種にどんどん移る。このように出世魚的に階段をあがっていかないと、目指すレベルにはいかない。

そのくらいの自分に鍛えられたら(チャンスがあったらピラニアのように噛み千切るくらいの感じ)、あとは永住権とれなくても、日本でも他の国でもいくらでもやっていけると思います。仮に日本に戻っても、動き方や考え方が全く違っているでしょう。ただし、帰国してそこそこ就職できた時点で、「小成に安んずる」ことをすると元の木阿弥なんだけど(笑)。

彼の場合は英語ができるので、多くのワーホリ・留学生1-2年分のアドバンテージはありますが、そうかといって、仕事を見つけ、慣れ、さらにチェンジし、さらに変えて、、ってそういう常に変化をしていく心構えとライフスタイルを身につけるだけで1年から2年はかかります。一方、滞在のためのビザ取り学校もありますが、そんなに永遠に延長更新できないし、ビジネス学校に移るのは後に残しておきたい。なので、アドバンストでも安い夜間コースを選んだりして、長期に通い、1年半くらいのビザをまず取る。それが切れる頃までに、次の戦略を練って、それが実行できるくらいの力を得ること、それが初期の課題でしょう。

しょっぱなからアドバンストで、1年半もやることあるんか?ですけど、ありますよ。英語学校のアドバンストなんか登竜門に過ぎないですから。実際に英語環境で仕事を探そうとなったら、いくらでも改善の余地があります。てか、僕なんか30年近く居ますけど、しかも最初の半年でIELTS6点取りましたけど、未だに英語は苦手ですもんね。彼の場合は、1年半でできりゃIELTS8点とか、ケンブリッジのアドバンストとか、日本人でそこまでいけるのは非常に珍しいってレベルまでいってほしいです。そこまでいくと見え方変わるでしょうしね。

さて、Takaさんの話に戻りますが、彼の人となり「その2」は、実行力があります。コロナ関係で渡豪するだけでも大変なんですけど、その面倒くさいものの考え方や実行をTakaさんはしっかりこなしてましたし、着いた後のシェア探しでもなんでも、着実に実行されてます。これは僕の側からしたら楽ちんこの上なくて、言ったら大体やってくれるもん。

コロナでも別項で書きますが、NSW州の場合、条件緩和で出発24時間以内にRAT検査陰性とかいうのだけど、これが曲者で、単に自分でやればいいだけではなく、医者や看護師の立ち会い署名がいるし、あれとこれと、、など条件を書き込まないと駄目というクソお役所仕事満載です。着いてからのRATでも、まずキットがないわ、オーストラリア政府認可製品なんかオーストラリアでないと手にはらないわ、もうダメダメ過ぎて泣きそうなんですよ。しかも、宿も予約できない。バッパー4人部屋予約してても、着いてから陽性が出たら自宅待機、自宅なんかないからホテル暮らしになるんだけど、そうするとバッパー直前キャンセルだわ、いきなりホテル探しだわで、全然救済にも規制緩和にもなってないのですよ。だから、Takaさんと一緒にフローチャートで、こうなった場合はこう、こうなったらこうと。決め打ちできないから着いた初日に全部やらないといけない。実務的に難しいんです。それを難なくこなしてましたからね、彼は。凄いですよ。

そもそも、それ以前に、国境が開いてから第一号としてやってこられた点が凄いです。もう、競走馬のように、ロデオ大会のムスタング(野生馬)のように、ゲートが開いた途端にドーンと突っ込んでくる勢いがイイです。願わくば、この野生馬のような勢いを維持して欲しいものです。

語学学校に2月7日からスタートだったのですが、この学校でも対面授業が再開したのが1月31日で、その時点で全校生徒わずか9名とかそんなくらい。もともと生徒数4-500名いる学校なので、これから徐々に増えてくるのですが、この黎明期に入ってくる連中は誰もがムスタングでしょう。長く滞在しながら、ビザを変えて英語学校って人はいない(もっと安いビザ取りにいく)から、在校生はゲートが開いたらドーン系なので、イキのいい連中ばっかで楽しそうですしね。

Takaさん「その3」は、二人で話してる時、この点が一番長かったんですけど、「考えすぎ」問題です。これはいまの日本の人の一般的傾向だし、過去の一括パック卒業生の共通課題でもあったんですけど、「これでいいのか」「自分はイケてるのか」的な自分GPS的な思考が多い。だいたい5行動したら5考えるくらいがバランスで、1行動して9考えてたら、自己中毒というか、鬱になりますよ。自分でも消化しきれないくらい新たな現実が次から次と押し寄せるくらいの方が精神的にはむしろ楽です。

Takaさんもご多分に漏れず、そういう傾向があって、まず考えてるヒマがないくらい現実を増やせと。そして考え込むなと。いまの自分の立ち位置が偏差値30だろうが80だろうが、やるべきことは「ベストを尽くす」の一択なんだから考えるだけ無駄です。あと、そんだけ英語が出来て(=地道に自己研鑽ができる素質があり)、且つムスタングのような激しい実行力があれば、それでもう十分であって、あとはふてぶてしく、傲慢であるくらいで丁度いいです。未知のオーストラリア社会にひとりぼっちで対峙して、心細さ120%になったとしても、「さあ、かかってきなさい」と言うくらいの感じ。もう、今日から、自分のことを自分で「俺様」と呼べって言いたいですね。なんも行動しないでそう思ってる奴は駄目だと思うけど、やることやってるんだったら、常に自分を鼓舞した方がいいです。

これはエッセイでも書いたけど、自分に対して、世界で一番辛辣な批評家は自分自身であり、世界で一番理解者であり応援団は自分なんだから、どっちもやるしかないですもん。一人二役は当然のデフォルト設定で。自分の駄目なところなんか無限にあるし、それは自分が一番よく知ってるはず。そして、それは改善ポイントであり伸びしろなんだから貴重な資源であり、おろそかにすべきではない。凹んでる場合ではない。だけどそればっかだと気が病むから、自分の大応援団を結成して、常に太鼓をどんどん叩くべき。出来りゃ、「○○健児ここにあり~」的な応援歌も作詞作曲するくらい(笑)。

Takaさん付帯情報ですけど、なんか笑えるエピソードって無いの?ときいたら、学生時代、山手線一周全部歩いたそうです。40数キロとか。すごいな、それ。いや、それだけ出来たら何でもできるよ。それと柔道、弓道部でもあったこと。あと鳥が好きで、2年待機期間、よくZOOMでお話してたんだけど、一回、手乗りインコだかなんだか肩に止まらせてましたね。つまりは心優しいナイスガイです。ただ現代社会の矛盾は、心優しくてナイスであると、それがゆえに煮詰まってしまうということであり、それを打破するには、ここぞというときは俺様ムスタングで疾駆することでしょう。

以下写真を。時系列に並べておきます。
シドニー空港。国境が開いたとはいえ、まだガッラガラな。

到着後、RATテストをやり、携帯電話のSIMの開通を済ませたところで、近所に在住の先輩であるカメラマン前田くん(2年前に渡豪、まだ居る(笑))の部屋(兼写真スタジオ)の部屋で(直前にオンラインオフでお引き合わせしたし)
その後、三人でベトナム料理食べました。

結局、RAT陰性だったので、バッパーへ。
定宿になってたYHA Glebeは閉鎖(YAHから脱退)、隣のVillageが経営してるけど、そこに住んでた前田くんの話だと最近ではバッパーと言うよりいうよりは、ホームレスシェルター的な使われ方をしてるので、初心者には厳しいということで、セントラル駅横のYHA Railway SQ (Central YHAではない)にする。
下の写真は彼の室内からガラス越しに。ほんと駅の隣。

学校見学&移動の練習(交通機関の乗り慣れ練習)

Strathfieldへ
ここで韓国料理を

これはBondi Junction 
いよいよシェア移動 Strathfield駅そばのところへ
写真撮る時、「はい、もっと堂々として~」「もっとエラそうに」とか注文をつけて撮ったもの。でもこのくらいでちょうどいいよね。

Pocket