2023年初夏の日本帰省記(15) 私的ノート(3) 事件記録と思うこと

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スキャンとシュレッダーの日々
今回もまたスキャンの鬼になっていました。
前回は、実家においてた書籍類で、もっぱら専門書が多かったです。こんな感じで(もっとプライベートなスキャンもあるけど、そこは割愛)。

細かくて見えないかもですけど、別に見えなくてもいいです。「こんな感じ」というだけで。
ただ昔司法試験やってた人には懐かしい本もちらほら入ってると思います。
下の方の心理学やら文芸書は中高時代に買ったものが多いです。中学の頃にまさに中二病的に心理学にはまってたこともあって。ただ先に読んでおくと、メカニカルに自分の心を把握する視座がついたので、それは良かった(のかな?)。
PDFファイルにして持ってますので、読みたい人はお貸ししますよ。

しかし、スキャンは大変だけど「あれ?こんなもん?」という気もしますね。これまで連綿と他人にあげたり、捨てたりしてきたのかなー。「遺言作成の実務」とかあった筈だし、法律書は軽くこの2倍以上あったと思うけど。もしかして押入れの奥にまだあったりして、、、

それはさておき、今回は事件記録です。もう終わった気になってたら、実はまだあるのが判明。は~と大嘆息。そうだった個人事件の記録があったわ。イソ弁でやってた事務所の事件(これが数百件ある)は、事務所に残してきたからいいけど、個人として受任した事件(ウチは寛容で許された、ダメな事務所もある)。これが少ないようで結構ある。

それより何より大変な点が2つ。一つはバラバラな書類なので、スキャンしにくいこと。書籍は均一に製本されてるから、カッターでバラせばいいけど、雑書類はサイズもバラバラ(名刺から巨大な地図まで)、さらに細かくホチキスでとめているから、ホチキスを外すという作業が加わる。
下の写真に昔の鉄道の車掌さんが持ってた鋏(って知らんか)のようなものは、途中で買ったホチキス外し器。そんなミラクルな効用があるわけでもないけど、役には立ちました。

前回、中古で9980円で買ったスキャナー。昔持ってて使い潰した機種の後継機種で、中古ながらもよく動いた(今回でそろそろガタが来た感じ=部品交換しないと駄目かも)。
横に積み上げられた書類の山。これで全体の6分の1くらいかな。

そして、そのままポイ捨て出来ないから、シュレッダーをかけなきゃいけないこと。なんせ個人情報のカタマリみたいなもので、戸籍、住民票、登記、銀行の通帳やら、振込票やら、各種契約書やら一切合切。30年以上昔のものだし、仮に外に漏れてもそれでどうなることもないんだけど(やろうと思っても出来ない)、でも他人様のものだし。
そこで、シュレッダー買いました。アマゾンで5000円を切る廉価版。送料節約のためにPrimeに一ヶ月だけ入って(ちなみに、そのPrime得点でここを先途を動画を見まくったぞ)。

こんなに激しくシュレッダー三昧の日々を過ごしたのは生まれて初めてです(笑)。ただシュレッダーて連続してやってると、すぐにモーターが過熱、オーバーヒートで止まっちゃうのね。こんなに連続してやったこと無かったので、知らなんだ。一回そうなったら30分おやすみとか。なっかなか進まないのよね。
それに、シュレッダーにすることで中に空気が入るのか、容積がめちゃくちゃ膨らむ。えらい量になるのだ。
書類の一部にはシュレッダー必要のない部分もあるので、それはせっせと一般雑紙として出すにしても、どんどん増えるね。力いっぱい握って空気出して(これで大分圧縮される。握力特訓みたい)、また上からギューギューに押しまくってやるけど、限界あります。
月二回のマンションの古紙回収日に出すにせよ、これは顰蹙ではないかって気もする。ちなみにシュレッダーを紙(リサイクル)として出すか、一般の燃えるゴミとして出すかは、ところによって違うみたい。何度か調べたけど、ウチではいけるっぽいのでそれで出したけど、量が多いので、ちびちび一般可燃ごみとしても出しました。こんなところで苦労しようとは。でも、いざ当日になってみたら、他の人もガンガンに出してたので、そんな悪目立ちするこはなくてほっとした。

てなわけで、ホチキス外し→スキャン→シュレッダー→ゴミ圧縮と工程が増えて、けっこう大変でした。弟なんかは、聞くだけで気が遠くなるという表情で、そんなの出来るの?とか言ってたけど、単純作業を積み上げるだけなら、絶対に可能でしょう。

地味な積み重ねの確信
そうでなければ、Lane Coveの家を出るときに大断捨離で1700冊スキャンなんかできなかったし。それに、こういう地味な反復作業というのは、意外と得意なのだ。
そういえば中学の終わりか高校のはじめの頃、親父に連れられて適性検査を受けたことがあった。適合する職業一覧のなかに文筆業などと並んで、「農業」が入ってたのよね。意外な気がしたけど、地味な単純作業に強いというのがあるのかも。弁護士も適性に入ってたような気がするけど、まさか自分がやるとはその頃は思ってなかった。そもそも弁護士って何をやる仕事なのかよく知らんかったし。

日向市のJUNJUN宅で「草刈りトランス」になってましたが、ああいうのが得意。それは多分、子供の頃から「地味な積み重ねによる成功体験」が多かったからだと思います。くそ詰まらないことでも、毎日やっていけばいつかはトンネルが開通するってやつ。

それは今でもそうで、例えば、今ここで、「電話帳一冊全部手書きで書き写せ」と言われたら、結構やっちゃうような気もしますね。気が遠くなるような作業だけど、気が遠くならないね。やってりゃそのうちゴールする量的な問題というのは、もう解決したのも同然だから簡単。ただ詰まんないだけ。難しいのは質的飛躍が求められるものです(作曲とか)。これは百年頑張っても出来ないものは出来ないから怖いです。

でも、なにか専門スキルを持ってる人は、大体において地味な反復が得意でしょ?スポーツ選手なんか典型だけど、何万、何十万回という反復練習の上に技術は成り立つし、持って生まれた身体能力もあるけど、それ以上にハードで地味な練習をしている。僕の経験でいっても、柔道もそうだし、ギターにせよ、法律にせよ、英語にせよ、地味な繰り返し以外に道はなかった。だから地味な反復が「得意」というよりも、過去の成功体験があるから、確信が持てる。確信が持てるから、「つまらない」とは感じないのでしょう。

電話帳一冊とかいうけど、そこに電話帳があるなら、それを編集して校正している人は必ずいるわけですよ。PCやDTPが出てくる前は、あれを全部写植さんが活字を一つひとつ拾って版を組んでいるわけでしょ。そのご苦労を思えば、書き写せば良いだけなんか楽でしょうが。電話帳どころか、辞書編纂とかいったら、もうピラミッド作るくらいの労力いるでしょう(辞書編纂の執念にも似た努力を描いた「舟を編む」という作品があり、オススメです。って僕は漫画しかしらないけど)。

過去の事件に思うこと~自己破産申立
しかし過去の事件記録を見てると、結構覚えているものですし、また今更ながら読み直して、新たな感慨を抱くものもあります。

バブルが弾けて自己破産が増えてきた頃、よくやりました。

これは本物の裁判記録の一部を切り抜いたものです。「自己破産・同時廃止決定」と呼ばれるものですが、この二行に至るまでにどれだけの人間ドラマがあるか。
(「廃止」というのは、破産したあと管財手続=財産を処分して債権者に分配すること=になるのだけど、あまりも財産がなく、管財手続をする必要がないことが明白の場合、破産宣告と同時に破産廃止決定をします)。業界では「ドーハイ(同時廃止)」と呼ばれるもの。

いくつかある中で、もっとも普遍的なもの。市井の実直なサラリーマンが、ひたすら真面目に働いていただけなのに、それでも自己破産してしまうという、身も蓋もない現実。あまりにも普遍的、あまりにもありふれていて個人の特定は不可能ですから概要を述べます。

ご本人にももちろん会ってますが、実直を絵に描いたような方で、ギャンブルはおろかおよそ浪費はしない。ひたすら頑張って、子供二人を育ててるだけなんだけど、破綻してしまったのは、背景には自腹を切ってでも営業しなければならない日本のサラリーマンの現実、そして年々高騰する子供の学費(大学)。

それまで給料でやっていけたのに、借り入れを始めたのは営業の自腹費用(つきあいってやつ)です。また何の必要もないときに銀行がカードを勧めて借りやすくしているという遠因もあります。それでも借りては返しを繰り返しているので、破綻はしてないのですが、ドカンと来るのは学費ですね。それでバランスが傾いた。
なるほど、子供の費用を懸念して少子化が始まりだしたのも無理ないです。出生率1.57ショックというのが発表されて世論を賑わせたのは1990年(平成2年)。バブル崩壊はその翌年だから、バブル期においても少子化は進行していたことになります。それはやっぱ学費が高すぎるのも一因でしょう(それが今の奨学金返済地獄にも繋がってる)。

直接的な破綻は、バブル崩壊後の不景気です。バブル期でも昇給がなかったので、中小企業にとってはバブルなんて関係ないことがわかりますが、崩壊後はもっと直接にくる。まず勤務先が潰れる。退職金もない。必死で次の勤務先を確保するけど、これもまた潰れる。さらに次に就職先を見つけて働く。奥さんもパートを増やして一家大車輪で頑張る。労働金庫の低利な借り換えもする。さらに貸金業協会に長期分割の相談にも行っているが、ここで断れて、引導を渡されるようになる。

結果論でものをいうのは愚かなのですが、振り返ってみても、「あそこでこうしていれば」というのがあんまり無いのですよ。ひとつ言えばサラリーマンがよくやるサイドビジネスですけど、これも定番通り失敗(まず成功しないよね)。でもこれは大勢には影響してない。
結局のところ、もっと早い段階で破産申請しておけば、ここまで苦しまなくて良かったというくらいです。そのくらい構造的な問題だと言えます。

借入先は大手のサラ金ばっかで、危ない筋はないです。街金とか闇金はない。そこに手を出してないだけでもマトモなんだけど、それでも破綻するのは、もとが無理だからとしか言いようがない。だいたいサラ金破産は借り入れて大体2年くらいでどうしようもなくなります。最初に15万借りて、借りて返しの自転車操業をやり始めて2年で3000万に膨れ上がったという別の破産管財案件をやったことがありますが、複利複利だから蟻地獄。もう最後は凄まじいことになる。この人はよくぞこんなに持ったくらいです。真面目だから頑張って、切り詰めて、返し続けている(だから総額も3000万なんてことはなく、ずっと少ない)。

サラリーマンが借りるから「サラ金」という語源のとおり、銀行がわざわざカードを用意し、「借り癖」をつけさせ、あとは途方もない高利で儲ける。もともとがそんなに簡単に完済できないようになっている。それでもやってたんだから大したもんです。しかし一つ大きな出費があるともう駄目。いっとき「貸し手の責任」論が議論になりましたが、借金というのは、攻撃的な起業投資ではない防衛的な生活借金の場合は、一種のモルヒネみたいな劇薬で、本当に必要なときだけスポットでのみやるべき。それをホイホイ貸してたら普通の人は習慣性になる。プロなんだからそうなるのは見えてるでしょうに、それでもやるのは麻薬を売ってるのに等しいと。

これだけ長いこと返済を続けているんだから、細かく計算し直せば、金利だけでも相当な額だし、実際、貸してる側は十分に元を取ってるんじゃないか。ここで過払い金返還(当時は一般的ではなかったが)やればお釣りがくるくらいかもしれない。でも20箇所以上あるのを一々交渉や訴訟なんかかけてられないし、その費用も馬鹿にならないから現実的ではない。一気に破産かけたほうが早い。

惜しむらくはもっと早い段階で、これは無理だと思った時点で任意整理なり、破産をすればよかったのでしょうが、実際問題、それは難しい。不可能だといってもいい。なぜならそれを阻むものが日本社会の「世間体」だからです。世間体が悪い=死刑同然という観念が根強くあるから、取り繕えるうちは取り繕う。頑張れるうちは頑張ってしまう。根が真面目だからなおさらです。そして傷口を広げるだけ広げて、最大に膨れ上がったところでコケる。そのあたりのメカニズムは昔エッセイで「自己破産のススメ」を書きましたから、このくらいにします。繰り返しになりますが、でもヤバいスジ手を出してないから良かったです。もしこれで手を出してたら、自分や家族の生命身体が危なくなっていたでしょう。この段階で、友達のつてで、僕のところに来てくれて良かったくらいです。

また、中小企業は一番割を食う。景気が良いときは忙しくなるだけで実入りがそんな増えるわけでもない。だけど、景気が冷えたらバンバン切られて倒産する。

こういう現実を眼の前で見ていると、なるほど日本の庶民が皮膚感覚的な処世術として、「入社するなら大手がいい」「金がないから子供をつくれない」と感じるのは、むべなるかな、という気がします。もっとも必ずしもそうとも言えないのだけど、ここだけ見てるとそう見えるのは確かですよね。
日本の昭和~平成史を典型的に表現したもの、いっそフィクションで創作してもこうなるんじゃないかって思われるくらいのものです。

親権者変更
もう一件、これも記憶に強烈なんですけど、親権者変更の調停と審判を申し立てて勝った事件がありました。


この審判を得るためにだいたい1年くらいかかったかな。
春先に相談があって、すぐに家裁に申し立てて、家裁の調査官と面談があったのが4月。調停期日がいくつかあって、最終的に審判(家事事件では判決ではなく審判とよぶ)が降りたのが翌年のはじめ。

この審判が出てから、もうすぐに僕はオーストラリアに行っちゃったので、もし審判が延期とか、万が一にも負けてたら渡豪計画も延期してたことになります(そんなのが多かったけど)。

親権者の変更とは、離婚時に父母どちらかを一方を親権者として定めるのですが、その後、その親権者を相手方に変えることです。家事事件は調停前置主義があるから、調停(話し合い)を先行させますが、これはおよそ話し合いにならないだろうから審判請求も同時にしてます。また、相手方が面会を強要するなり、人身保護請求などする可能性もあるから、それを防ぐための「調停前の仮の措置」という申立も家裁にします、、、って、専門的なレシピーをここに書いてもあんまり意味ないかな。

この事案はひとことでいってDV。DV、家庭内暴力、ドメスティック・バイオレンスという言葉が日本に定着するのは、本件よりもっと後の話ですけど、かなり典型的な。空手二段の旦那が暴君で、暴君の常で気まぐれで。もう耐えられなくなって別れて欲しいというと、了解するけど子供の親権はこっちだと言われて、逆らえない。もうこの時点で親権決定の話合いが強迫に基づくものなので無効と言ってもいいくらいなのですが、それだけではなく、離婚の慰謝料のかわりに借金を肩代わりしろ、メシを作りに来い、週末は泊まって夜の相手をしろと、どこが離婚なのかわからないくらいのものです。でも逆らったらボコボコにやられる。実家に逃げても追いかけてきて、実家が女所帯(姉妹と実母だけ)なのをいいことに、お前ら家族を一生苦しめてやると脅迫するから逃げ場もない。でも、家にいけば子ども達(兄妹)にも会えるから行く。

今にして思えばかなり鬱が進行してたのだと思いますが(鬱という概念はそれほど一般的ではなかった)、もう耐えられない、希望がないで、飛び出して、最後にきれいな海をみて死のうと千キロ以上離れたところにいって入水をはかる。が、死にきれず。放心状態で地方の町を歩いてて、そこで親切な町の人たちの世話になり、仕事も住まいもゲットする。詳細は僕は知らないけど、昭和の人情ドラマみたいな、そのまま言っても創作だろって思われるような経緯があったようです。捨てる神あれば拾う神ありです。ひと心地ついたところで、子供が心配で、また周囲の示唆もあり、また戻って、旦那がいない間に子供二人を連れて帰る。子供達も気分屋のお父さんに怯えきっていて、お母さんと一緒にいく、と。この先どうするってところで、僕に相談があり(知人経由)、これは親権者をこちらに変更してしまうしかない。このままだったらこちらが違法行為をしてることになるし、相手が正攻法で来たらひとたまりもない。

家裁に調停前の仮の措置を申立てたのは、この意味もあります。(千キロ離れた)現住所を相手に教えないでほしい、記録にも載せないで欲しいと。なぜなら相手方には一件記録の閲覧や謄写(コピー)をする権利があるので、そこで知られてしまっては、また乗り込んでこられて修羅場になる。逃げなければならなくなり、元の木阿弥だからです。同じ理由で住民票も移せない。移せないけど、子供達の学校へはこういう事情だから落着するまで待って欲しいと伝えます(夜逃げ同然の破産なんかでも同じこと)。案外と学校も受け入れてくれます。まあ、学校に押しかけてこられても困るでしょうしね。また、そういう場合、「すでに事件(裁判所預かりになってる)」ということ、また必要があれば弁護士が正式に書面にして事情説明と申し入れをするとかいうのも、相手方(学校など)の事務処理に役に立ちます。つまり単に逃げてるだけではなく、きちんと事件にしておいた方が、いろいろな点でスムースにいくということです。

家裁に申し立てた後は、家裁の調査官との面談があります。こういうデリケートな案件では(家事や少年事件の)、発達心理学など研修を受けた調査官が実態調査をします。弁護士がついてる場合は、客観的に理路整然と喋れる弁護士が重宝がられて、まず弁護士と面談。事案の特殊性や問題点を話会い、こちらとしては、この点を調べてほしいなど意見を言います。

本件が難しいのは、女手一つで二人の子供を育てられるか?単に可能かどうかではなく、相手方に比べて、経済力や安定があるのか?という部分です。家事事件、特に子供がからんだ場合、裁判所は第一に子供の福利(利害)をみます。どっちが悪いとか、ヒドイとか、愛憎とかどーでもよくて、どうすれば子供にとってベストな状況になるか?です。

そのためには、こちらも実績を作らないといけない。子供を育てられるのだ、不安はないのだという実態を泥縄でもなんでも作る。そこで本人と話あって、また本人は助力してくれる町の人たちと相談し、地元の病院に勤務できるようになり、また医療関係の資格がとる勉強も始めます。同時に、子どもたちは現地の学校にいくわけですが、そこでの成績や行状はどうかと(勤務評定や、給与明細、さらに通信簿を証拠として出したり)。

後日家裁の調査官は、その千キロ離れたところまで現地調査に行き、本人や子供たちとの面談は当然としても、勤務先の雇用主(病院長とか同僚上司)と面談し、子供の学校の担任教師とも面談し、新生活がやっていけるものかどうかを調査し、それをレポートとして家裁の審判官(裁判官)として上げます。なかなか面白そうな仕事ではあります。大変だろうけど。
はっきりいって、結果の帰趨は、裁判官よりも調査官がかなり部分を決めるとも言える。そして相手もプロだから妙な誤魔化しはきかない。堂々と新生活を築き上げるしか無いのですよ。そのあたりを本人さんと何度も打ち合わせ(電話で)してました。なんせ本人にお金がないので、僕も経費で出張というわけにもいかないのですね(笑)。

最後の方の調査官の意見はけっこう厳しくて、たしかにお気の毒ではあるのだけど、こういう事態になった責任の一端はある。暴力夫に対しても一歩も引かずに対抗する人もいれば、うまく捌く人もいる。それが出来ないことは別に悪いことではないし、非難するわけではないのだけど、しかし、子供を守るという一点において、その弱さ、その不器用さで、これから先の社会の荒波を渡っていけるのか、この人にまかせて子供は大丈夫なのか?という一点で、なおも心配は残ると。

うーん、まずいなーとか思いつつも、しかし、だからといって旦那のもとに子供を返せという結論にしてうまくいくわけがないのは明らかだから、変更はするだろうなーとは思いつつも、なおも固めるためにこちらに有利な証拠(状況)を作っていくしか無いねと。

結果的に勝ちましたから良かったんだけど、他にもエピソードはたくさんあります。旦那が「子供の口から直に聞きたい」と言われて、怯えきってた長男のボクに「イヤだったらやめてもいい、怖いのもよくわかる、誰でも怖い。だけど、大事な人を守るためには、男の子は人生に何度か戦わなきゃならない。こんなに早い時期にそれが来たのは君には気の毒なんだけど、どうする?」と二人で話あったこととか。
あと、本人(奥さん)の前婚の息子さんが小頭症の障害児で施設まで一緒に見舞いにいったこと(最初の頃の受任時に)。水頭症など初めて見たけど、額より上の部分が顔一個分くらい膨張してて、まるで七福神の福禄寿みたい。SFXというか、昔の人が見たら確かに妖怪などのイメージになるわなと思った。でも、お母さんはそんな我が子を実に優しい目をして見つめてて、可愛くて仕方がないって感じだったのが印象的でした。小頭症はもともと存命期間が短く、ほどなくして逝去された(それが天寿であるかのように)のですが、最後に会えて良かったと。

これ幾らもらったのか覚えてないです。まったくゼロということはなかったけど、経費分もでるかなー?というくらいだったような記憶が。最後に勝った後に、実家の方と一緒に挨拶に来てくれて、おずおずとお金を差し出されたのだけど、3万くらいだったかな、なんかもらっちゃ悪いなと思ったですね。もういらんし、とっとき。親子三人水入らずで祝勝会やって、美味しいものでも食べたらええやん。そりゃ僕もお金はほしいしけど、今日、これから飲みにいくのよ。多分もらった分そこで馬鹿みたいにパーッと使ってしまうのは目に見えとるんよ。僕が馬鹿な飲み会に使うのと、あなた方家族が美味しいものを食べるのと、どっちがお金の使い方として価値があるのかといえば、残念ながらあなたがたの勝ちですわ。これからもっと元気に頑張って、儲けてください。それで、あとでその十倍もらいますからね、今恩に着せておいて、あとで十倍儲ける算段ですわ、みたいなことを言ったのを覚えてます。実際、お金はほしいけど、そのくらいもらっても大差ないし、それよりも爪の先を灯すように頑張ってる家族が鍋でも食べてる方が心は安らぐ。

でも、オーストラリアに行く直前だったけど、思ったですね。弁護士って趣味でやるもんだなーと(笑)。これでいちいち経費計算して生計たてたら、最初の段階でまず着手金30万もってこい、最後の段階で成功報酬でまた30万くれって(1年やってるんだし、勝ってるんだから穏当なところだと思うぞ)言えないといけない。弁護士業務でお金を取る部分が一番難しいとは皆言うし、僕も実感してて。他の弁護士はそれでやってるんだから、えらいなーと思うのだけど、どうも自分には向いとらんなと。やれば出来るんだろうけど、そんなこと考えながらやっていく人生も楽しくなさそうなだとも思いましたね。今でもそう思ってるけど。

なお、これで終わればいいんだけど、悲しいことがあります。それから数年、元気に暮らしていたらしいんですけど(毎年律儀に賀状をくれて)、いつだったか、小さい方の子供(妹)が交通事故で死んでしまったいう知らせが届きました。
こんときばかりは、この世には神も仏もないものかと思いました。あんなに苦労して家族一緒に幸せを築いたのに、これかよって。もう慰める言葉もないって感じだったけど、昔どっかで読んだ言葉があって、それを伝えました。自分でもそう思ってないとやってられないと思ったし。それは、「神は理不尽で、せっかちだ。もっとも愛する者を早く自分のそばに置こうとする」というもので、西欧かどっかで子供が死んだときに言うのかどうか知らんけど。なぜか子供が早くに死んでしまったとき、それは神様の呼び出しがあったからだ、それだけ神様に愛されていたからだ、今は神様の隣で幸せにしているのだということです。ご都合主義なんだけど、でも、そうでも思わないとやってられない感じはしましたよ。せっかく相手から親権を取り戻したのに、最後は神様にトンビに油揚げみたいに持っていかれてしまったという落ちで、笑えないよ、これは。

その後の音信はないのですが、どうされているかなー。あのボクも今はいいおっさんだろうしね。

ということでスキャンやらシュレッダーをしながら、そんなことを回顧してたら、仕事が進まないのよね。遠い目になっちゃって(笑)。

冒頭の写真は(もっかい載せます)、破産管財人をやってたときの予納郵券(ようのゆうけん)です。いろんな裁判を申し立てるときに、その種類に応じて、郵便切手のセットも裁判所に提出する実務慣行になってます。この系統の事件はいくら、◯円切手◯枚と◯円切手が、、ときまってる。それは裁判所が、相手方に特別送達という郵便を送ったり、平均的な審理の期間にこのくらい必要だからという事実に基づきます。裁判所の中には郵便局の分室もあり、そこで買えます=もうセットになって売っている。
大概の場合、事件が終了した時点で余るんだけど、これも余ったから手元に戻ってきたものです。しかし、あれから郵便料金も変わってるし、切手貰っても使い道もないし。かといって捨てるのもなんだしで、まだ持ってます。郵便局に交換を頼んでも、1枚あたり10円(100枚以上、99枚以下は5円)の手数料がかかる。1円切手を10円払って1円に交換する馬鹿はいないから、これ、なんとかならんの?という気もしますね。

ところで秋田犬の2円切手はいいよね。って、今調べてみたら、今の2円切手はウサギになってるのね。じゃあ秋田犬はプレミアがついているのか?といえば、ヤオフクなどで見てもほとんどついてないですねー。もうシールとして使おうかしら、可愛いし。

 

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