今回の松山行の発端は、過去のブログ記事「森雅彦くんのオンライン塾」にあります。2007年にオーストラリアで(NZも)ワーホリをやった森くんから近況報告(オンライン塾)を受けたことを記事にしたものですが、去年の5月のものです。彼の体験談などのリンクはこの記事に書いてあるので、ここでは割愛します。去年の時点では宮崎にいくことが決まってたので、ついでいけるかも、、、と思いつつ、「ついで」にいける距離ではなく、また飛行機もけっこう高いことから、「楽しい課題」に残しておいて、いつか実現しようと思ってました。
「いつか」とかいいながら、すぐに実現してしまったのですが、ポイントは夜行バスの安いのを発見したからです。またホテルが安い。泊まってみたら思った以上の快適さで、5000円以下。10階でビューも良い。喫煙OK。東京の半値か3分の1です。なるほど1泊2日、車中泊いれたら3泊4日になるのですが、これで1.3万だったらいけるわと。なんせ一ヶ月も仕事休んで日本滞在になると、逸失利益(本来稼げた30万が稼げない)もふくめて7-80万くらいの話になるので、いつも7-8回やってるオフごとに大盤振る舞いしてたら破産しますからね。
さて今回得たもの、面白かったことを先に書き出しておくと、
・夜行バスのリアル(意外と良かった)
・松山の実際(地方経済とか特性とか)
・お城のある街
・鄙びているけど寂れてはいない感覚
・マイクロフェリーの旅、離島感覚の面白さ
・夜の繁華街の考察
・「友達の家にいって遊ぶ」懐かしい感覚
などなどです。
時系列に沿いつつ、順次いきます。
松山までの往路行=夜行バスのリアル
京都駅夜9時30分発だったので、晩飯食って、妙に手持ち無沙汰な時間を潰して、出陣。折から雨が降り出していて、なんという幸先だという(翌日昼からあがるのはわかってたから気にはしてなかったし、大した降りでもなかった)。
ただ、思いのほか寒くて、パーカーを着込みました。荷物減らしたくて持っていこうか悩んだけど、持ってきてよかった。
京都駅八条口のバス乗り場の風景
予想外に女性客が多かったです。復路もあわせて8割以上が女性。なんでなの?と考えるに、ひとつはこの便、後半半分は女性専用車なので安心できるから人気があるのかな(安いし)。
あと、昨今の貧困化(特に女性)から安いバスを使うしかないのかなと思ったけど、これは撤回。なぜなら海外からの観光客も入っているだろうこと。それに昔っから旅行好きは女性が多いこと。80年代初頭だったか、アンアン、ノンノブームで萩や津和野が再発見されてましたが、もう女性向けばっか。そういえば旅行本(「るるぶ」とか)、ポスターも女性客がモデルですよね。男二人で萩へ小旅行~とかやってるイメージはないし、あったらLGBT的な感じだし。
この写真に写ってる皆さんはこのバスに乗りませんでした。次のバス待ちかな。おー結構混んでるじゃんと思いきや、京都から乗ったのはわずかに3人(僕をいれて)でした。
ガラッガラ。このあと多少乗り込んできたけど、それでも半分もいってないですね。3分の1くらいかな。
乗り心地は悪くはなく、若干幅が狭いかなという程度。座席に間仕切りがあって、また折りたたみ式の天蓋もあるので、寝るための準備はかなり整ってます。ただ仕切りが邪魔で寝転がることが出来ないのは辛い。
問題はFree WiFiがあるといいながらなかったことですね。でも、USBの電源はあったのでさほど不自由はしなかったです。
松山まで8時間10分だったかな?もうオーストラリアへのフライトと似たような時間(9時間半)なので、気が遠くなるような思いでしたけど、やってみたら意外と楽でした。
それに本気で走ったら多分5-6時間で着くんじゃないかなー。そんなに遠くないよ、松山。始発京都を出てからピックアップポイントが3つ。大阪駅、ユニバーサルスタジオ、そして神戸三宮ですが、高速降りて、信号待ちしてって時間がえらくかかる。三宮過ぎるまでに3時間近くかかりました。だからあとは5時間くらいです。
そして1時間~1.5時間に一回は休憩タイムがあり、休憩がまた25分くらいたっぷりあります。最初の大阪で一回、淡路島で一回、高松近辺で一回、松山の手前、西条過ぎたあたりで一回停まってました。寝たい人は寝てればいいけど、僕はいちいち起きてトイレとタバコ吸いに行ってました。これが結構救いになりました。長い時間座ってると腰が痛くなるし、退屈で死にそうだし、いいブレイクになります。10分も外でぶらぶらしてたら、かなりリフレッシュしますから。
夜のサービスエリアってなかなか面白く、「日本のロジスティクス(流通)」の見学実習みたいな感じで、長距離トラックがずらーと並んでたり。下は帰路の際の風景。
というわけで、トロトロうとうととまどろんで、休憩になると降りてって、小降りの雨のなかフードたてて走って、ぷはーとやって、、を3回繰り返したら、もう松山でした。「あれ、こんなもん?」という感じでした。休憩が良いのですよ。ここで休憩もせずに、大阪神戸もなしにストレートにやってたら、多分深夜の2時くらいに松山に着いてしまって、あとがもっとしんどくなったと思います。できればもっとチンタラ走ってくれた方が良かったってくらい。
雨天早朝の彷徨
このパートが今回の松山行で一番ハードでしたねー。
5時30分着のはずが、実際には5時20分に着いてしまいました。もう「着いてしまった」という感じで、雨がざーざー降ってる中、「こんなところに放り出されても」という感じです。
降車場所である、繁華街(大街道)の三越のライオン像と走り去っていくバス
ホテルのチェックインは3時からだし、アーリーチェックインも難しいぽい(12時からなら1000円プラスで可だが、それ以前は前の晩から部屋を取らないとダメ)。
事前に調べてて、森くんからは、いい感じのスパセンターがありますよってことでアテにしてたんですけど、直前に確認してみるとこの日はメンテかなんかで休業になってました。OMG!
仕方無しに他のスパとか調べてたんだけど、別に風呂でなくてもいいよねと、6時からやってるマクドナルドがすぐ近くにあるので、まあ、それを滑り止めにしようとか、満喫の快活CLUBがあるのも発見しました。
晴れたら、のんびり松山城のお山でも登って、適当に休憩してようかなーと思ったのですが、この雨じゃどうしようもない。
ともあれ濡れたり、傘さしたりが面倒くさいのでどっかにアーケードがあるはずと思ったら、すぐにありました。おし、とりあえずアーケードの中を探検してみよーと。
結局、8時過ぎに森くんと落ち合うまでの2時間半ほどほっつき歩くことになり、この日の1.8万歩の大半を占めます。しかし、この早朝無人街の彷徨が松山に対する興味と理解を深めるキッカケになりました。
車中まどろむ程度の睡眠だからプチ徹夜明けみたいなもので、これで2.5時間もWalkingしていいのか、大丈夫か、俺?的な不安もあったけど、意外と大丈夫でした。もとから断続睡眠のタチであり、あれで存外寝てたようで、別にフラフラにもなってなかったし。それ以上に見てるうちに色々考えてしまって、それが面白かったです。
まずこの大きなアーケード(「大(おお)街道」という目抜き通りであることがあとで分かった)ですが、歩きだしてすぐに思ったのが「カラオケ屋が多い」ことです。2-300メートルくらいに6軒くらいあったぞ。
いちいち全部撮ってないけど、カラオケ屋「だらけ」という印象。なに、松山ではカラオケがこんなに盛況なの?と思ったけど、しかしあるのはこの一角くらいでしたね。でもなぜこんなにカラオケ屋が多いのか?が設問として残りました。
歩き進むとまた別のアーケードに出ました。
しかし誰も歩いてない。客待ちタクシーと、早朝配送業者と、ゴミ収集以外、誰もいない。この時点でまだ5時40分くらいだったので人がいなくても不思議ではないけど、しかし少なすぎる。そんなに寂れているのか?と思いつつも、だけど浮浪者も一人もいない。夜明けの歓楽街って格好の狩り場のはずなんだけど、でも居ない。結局2日間滞在して一人も出会ってない。ふむ、皆食えてるってことか。
さてここから銀天街という別の大通りに行くのですが、こちらの方がさらに閑散としてて、もはやSF的な感じ。
かなり長そうな商店街で、さきほどの大街道アーケードとこの銀天街が松山の二大(ほかにもあるのかもしれないが)目抜き通りなのだろう。それが逆L字型につながっているのかと、だんだん頭の中に地図が出来てきます。
京都で言えば、河原町通りを三条から四条までまっすぐ南下し、四条河原町で90度カクッと曲がって、今度は四条通を西進して四条烏丸に行くような感じですね。
ただ、この銀天街は大街道とは明らかにキャラが違います。
まず古い。森くんは準シャッター街的なことを言ってたけど、いや、この通りはまだ生きてるとは思います。でも古いです。おおよそ80年代以前で止まってる感じ。それは、下の写真右手の「婦人服」という表示(ブティックとか言わない)とか。
あと裏町の充実度。これは大街道でもそうでしたけど、どの小道にも大体なんか店がある。全体でいえば猛烈な密集度ですよ。
また、こんな目抜き通り近くに呉服店があった。あとで他にも発見したけど、呉服店がこれだけ数多く健在なのは何を意味するのだろう?京都は、職業柄着物を使用する人口が多い(祇園など花柳界とか宗教やら各種家元やら)から呉服屋が多いのはわかるけど、ここもそうなのかな。
ぽっかりお城が見えます。あー、この「どこからでもお城が見える街(山城系)」というのは、かつて住んだことのある岐阜市に似てるわ。ここから岐阜と松山の比較というフォーマットが頭に作られました。
にしても銀天街、渋いです。多分、街の発展でいえば、銀天街の方が先で、大街道は後じゃないかな。あるいは大街道がリニューアルして、お子ちゃま系の街(渋谷や原宿みたいな)になったのかな。
銀天街をそのまま進むと、伊予鉄道の松山市駅に行きました。駅との間を結ぶ地下道(まつちか)があるのですが、ここがちょっとB級ホラーというか。
まず先が真っ暗で見えない。こえー。またエスカレーターが狭い。こんな横幅の狭いエスカレーター初めて見たわってくらい狭い。ゴンドラに乗せられて、お化け屋敷を進む遊園地の記憶が蘇った。
下に降りても真っ暗。トイレがすぐあったので、利用しようと思ったけどトイレも真っ暗。携帯電話を懐中電灯にしてましたが、終わった頃に電気がついた。ちょうど6時になったからみたいです。
中の店も渋くて、
この店はコンセプトはスタバだと思うのですよね。中で充電もできるし。だけど佇まいは昭和中期。商品見本が懐かしいし、絶対禁煙カルトにも洗脳されてないし、そもそも「珈琲」という漢字が懐かしいわ。
その隣が
駅前地下街に包丁屋?しかも研ぎまで?
ここで振り返って大街道と銀天街共通して思ったのは、ここは観光客向けのエリアではない、ということです。なぜなら、ご当地名物の店が少なく、逆に全国各地の味を紹介する店がやたら多いことです。
例えば、↓これは九州
これは先程上げたカラオケの写真だけど左隣は大阪伝統の味、串カツ
これは博多からのれん分けした店。
関東風串焼き
全国チェーン店の鎌倉パスタ、左隣は見えにくいけど、「本場帯広の」と書かれている
もちろん地元の味の店もある。愛媛みかんの店
肉うどんって名物なの?とあとで森くんに聞くと「そうなんですかねー?」と。でも地元味とは言ってる。
もちろん地域性などなく大衆性に重きをおいてる店も多いです。
ところで、同時に森くんと飲む店の下見もしていたのですが、
ここの「かんぱちの藁焼き」というのが目に入って、ここが一番美味そうだなーと思った。結果的に翌日の夜はここに入りました。
さて、松山「以外」の食べ物を紹介する店が多い話に戻ります。比率でいえば他の都市よりも多いんじゃないかな?これは何を意味するの?それだけ松山の人が、外の世界に対する好奇心が強いのかしら?ようわからん。
いずれにせよ観光客をターゲットにしていないというのはわかる。だって大阪から松山旅行にきて、大阪名物串揚げを食べたいと思うか?です。観光客はまずご当地名物を食べたいはず。そういえば土産物が一軒もなかった気もする。
あとで判明したけど、それは大街道のもっと北、松山城のロープウェイに向かう坂道です。坂の上の雲ミュージアムとかあるあたりで、名物の鯛めしの店がやたら多かった。
でも観光客向けの範囲は広くはない。
ここで思ったのは、松山経済はインバウンドを当てにして「ない」ってことです。よく地方は過疎で観光などインバウンド頼みだとか書かれてたりしますが、松山に関してはそれはないなって。昔っからの地元経済だけで食えているんじゃないか?と。この仮説はあとでまた書きますね。
さて、おもしれーって思って歩いていると、松山市駅につきました。
雨もまだ降ってるけど、これはほどなくあがる感じですねー。雲が薄いし、この時間でこの程度だったら、日がのぼってきて気温があがるにつれて、上昇気流やら、再び水蒸気化するから、雨もあと小一時間かな。シドニーがもろにそれで、夜中から明け方にかけて時として台風みたいな豪雨になるけど、気温があがるとからっと青空。
どーんと「いよてつ(伊予鉄道電気)」の松山市駅。併設する巨大なビルは高島屋。バスから降りたところには三越のライオンがいたし、大きなデパートが2つもある。デパートは絶滅危惧種、てか既に絶滅済って感じすらするのにねー。全県にデパートがひとつもないゼロ県は今4つ、一つしかないのが18だったかな。なのに松山市には2つも健在。これは何を意味するか?です。
駅の待合室でも座って時間潰そうかなと思ったけど、待合室がなかったので、また歩き出します。ここから先は全部地上になりますが、だんだん足が疲れてきたよね。
駅前には、老舗っぽい、でも庶民的なお店が。なるほど名物はじゃこなのね。
駅前に大きな学校があった。これ大学なのですね。予備校かと思った。
これは花屋さんなのかな?こんな朝早くからやってるのか?と思ったら閉店してました。え、閉店してながら商品出しっぱなしって、盗られる心配してないってことか。実際にも盗られてないんだろうな。治安いいのねー。でもこの佇まいは昭和、、というか、あんまり昔の記憶をあたっても思い当たらないんだけど。
大通り沿いになぜかここだけ密集してる
しかも、これはビリケンさん(通天閣の上にある謎のオブジェ)じゃないか。ソースの二度漬けとかディープに大阪で、なぜここに?という。
松山城というリソース
上の写真、右の建物が農協です
駅前の一等地角地にどーんとあった。
城域内に向かうにつて、キレイな空間が広がってます。
お掘もなかなか立派なもの
↓これはリアルタイムで見たほうがもっと綺麗でしたね。イメージ軽井沢みたいな。
この一等地にNHKが。
隣が市民会館 写真ではいまいちわからないけど、この巨木が良かったです。
このあたりの一角を城山公園というらしいのだけど、やたら贅沢な佇まいでありました。
広大に広がる公園。
松山城は江戸初期からあるけど、この城空間という遺産リソースをよく活かしてますねー。観光で金儲けだけではなく、市民のために広く解放、活用している。
トイレもカッコいいね
ここが地図によると「ふれあい広場」というらしいのだが、イオン建設予定地みたいな感じなのだが、ひたすら広がってます。
なぜここにイオンを作らない?いや作ればいいってもんじゃないけど、これだけの立地、これだけの広さがあったら盛大にお金儲けできそうだから、デベロッパーやらなんやらが背後で膨大なお金を県会議員や松山選出の国会議員に渡し、そこにゼネコンやら地元の土建屋が入り、、、と汚職コングルマリットができそうななのが日本の地方政治の風景だったりするんだけど、 松山はこのなんもなーい空間を死守してますよね。
地図があったので撮りましたけど、この地図でいえば、左下隅を通っただけですけど相当な広さがあります。
ふれあい広場、やすらぎ広場、さくら広場とかあるんだけど、最初に見た気持ちいいグランドは名前すらついてない。
お掘の木々。真ん中の松が斜めに突き出していて、いい味してて、さすが松山、松が綺麗だわー。
下生えとかみてるとかなり丁寧にメンテされている。相当お金かかるよ。
そもそも松山城をメンテするだけでも年間相当(ようしらんけど億単位)でかかるんじゃないの?
国からの補助もあるだろうけど、松山市の人口約50万人だけど、わずか50万にしては贅沢な公共インフラだと思います。
松山お金持ちなの?とまた疑問になったのですが、今調べたら、コロナ対策で一時赤字になるまでは、65年連続で黒字だったそうです。コロナ赤字といってもこれまでの貯金額が減っただけで未だに黒字。もっとも愛媛では新居浜が一番金持ちみたいね(新居浜工業地域があるし、法人税とか入るのかな)。
JR松山駅界隈
お城から出て、JR松山駅へ向かいます。
もうこの時点で雨はあがってました。足もヘロヘロになってきました。
松山はチンチン電車が盛んに走っています。名物的に残しているとかじゃなくてバリバリ現役で元気に走り回っている。旧車両もあれば、ピカピカな新車両もある。両者が行き交う瞬間をとったもの。
JR駅に向かう大通り(駅前大通りがいくつもあるのね)
ここにそびえる愛媛新聞社屋。めちゃ立派。デパートと同じく、地方紙も存亡の危機のはずですよ。もともと新聞メディアがまだ存在すること自体不思議なくらいなんだけど、松山ではまだ健在。なにかと古いものが健在なのね。
こういう地図がいたるところにあった。これも懐かしいですねー。すっかり忘れていたわ。
途中にあった大手前駅。「大手」ってお城の正門(大手門)でしょ。さすが城下町、大手がつく地名が残ってました。駅そのものは可愛いんだけど。
そしてJR松山駅。なんとなく予想してたけど、けっこうさびれてますねー。
出たよって感じで、日本全国津々浦々で駅前でよく見かける地下道。地下道といえば中京圏が多いらしいです。僕の住んでた岐阜でもそうだった。普通の交差点も地下道になってて面倒くさいったらありゃしない。地元の人に聞いたら「土建屋の陰謀やて」と(笑)。大体、歩道橋をつくるか、地下道をつくるかどっちかが多かったですもんね。最近では意味ないってことが浸透したのか、あまり新規に作られてはいないような気がする。
だって、まずバリアフリーじゃない。健常者でも階段が面倒くさい。高齢化でますますしんどくなる。エスカレーターにしたら金がかかるし電気代もかかる。地下道は、防犯カメラが普及する前は痴漢天国でもあったのですよ。はるか昔に岐阜地裁の刑事部で刑裁修習やってたときも、岐阜の地下道でのレイプ事件を見たことがあります。交通事故防止だったら、信号や横断歩道を整備し、違反カメラをこれみよがしに設置すれば足りる。費用も格段に安いはず。この松山駅でも、他の地下道の隣に普通に信号と横断歩道があって、なんのこっちゃです。
また、高度成長からバブル後に至るまで金のなる木で「駅前再開発」が行われてます。でも大体パターンは同じだし、同じ中央官庁が認可印を押すから似たようなものになり、地方色が消えたと批判されてるやつ。大体は、混雑解消で地上駅を高架にして踏切をなくしましょう、二階にあがった改札から地続きで大きな歩道橋をつくりましょうってパターンで、全国どこにいっても似たような風景になった。中島らもがエッセイで書いてたけど。
ところで松山と岐阜の比較フォーマットですが、山城があってどこからでも見える部分は同じです。ただ岐阜の場合、金華山が高く急峻なので、より目立つ反面、山麓部分の公共利用の余地が少なかったです。
あと、JRと私鉄の共存は同じで、岐阜の場合はJR岐阜駅と、名鉄の新岐阜があり、両者はそこそこ離れています。
松山も、JR松山駅からそこそこ離れたところに伊予鉄道の「松山市駅」があります。だいたいにおいてJRがさびれて、私鉄の方がより繁華街に近い。
でも一括パックの講義の余談で話すこともあるけど、だいたいセントラル駅(メイン駅)周辺って世界的にさびれていると思います。大きな都市ほど、昔からある町ほどそうです。だって鉄道が発明・実用化されたのは、日本でいえばせいぜい150年前くらいです。「汽笛一声新橋を~」とか歌まで出来てた頃。でも、町の歴史はもっと古い。数百年の歴史がある。京都やローマのように千年級も珍しくない。だからすでに町は繁華街ができあがってから鉄道が走るという前後関係になる。すでに中心繁華街があるからそこに駅は作れない。必然的に「町外れの原っぱ」に駅を作る。京都でいえば、あのへん(七条と八条の間)に作った。でも繁華街中心(四条河原町や祇園やら)は変わらない。あとから駅前をせっせと開発するけど追いついていない。東京駅も大分賑やかになってるけど、銀座や新宿にはかなわないです。
逆に新しい私鉄沿線は違う。なんもないところに二束三文で用地買収をし、鉄道を通し、駅前商店街を作り、自前の不動産屋で分譲地を作って売る(僕の住んでた百合ヶ丘でも、小田急電鉄と小田急不動産のタッグだった)。よって、駅前が栄えているのは町としては新人クラスで、駅前がさびれているのは歴史のある由緒正しい町だと僕は思う。松山もそうだと。なんでこれを一括パックで余談話としてするかというと、これから世界一周とかするとき、メイン駅の周辺に宿をとると、なんもなーいで苦労するかもだよ、周囲を見回してタクシーで1メーターくらいの距離に本当の繁華街があるかもしれないよ、知らない町を攻略する場合の考え方の一例としてです。
JR松山駅。由緒正しそうですねー。駅の字が旧字なのが「ぼっちゃん」から変わってないぽくて。松山は、いい意味で時間が止まってる町だなーと思ったのですが、そう思うと、タクシーの車種まで昭和時代の車種のような気がする。これ画像加工してセピア風味にして「昭和52年撮影」とかいっても通るかも。
もちろん新しいものもあるんだけど、手広く展開というよりは寄生してるような感じです。
日本の駅前の風景。どこも同じですよね。
JRの駅構内で、ライバル会社の宣伝をしてあげているというのが面白いです。雅量あふれるというか。愛媛の言葉(伊予弁)は日本の方言でもっとも柔らかい言葉だというし、伊予人の気質もそうだといいますけど、モーレツ時代の昭和ならともかく、鬱=国民病みたいな昨今では、「癒やし県」みたいなものかもしれない。
ところでJR松山駅と伊予電松屋市駅とまぎらわしいんだけど、地元民の森くんは後者のことを「市駅」って省略していってました。なるほど、ネィティブはそういうのか。
高架にせずに堂々と踏切。踏切自体が懐かしいわ。近所の近鉄は高架だし、あとは地下鉄だし。
しかし、混雑緩和もクソも、だーれもおらん。時刻はもう7時になろうとしていて、それでこんなに人がおらんもんか?
この店の感じは、まさに昭和中期。ひさしぶりに見たわ、このテイスト。現役でバリバリやってる風だし。
でも意外とワンコイン自販機があったりする。
だけど一部商品を値上げせざるを得ないと丁寧な謝罪文が載っている。読んでみたらかなりしっかりした文章ですよね。「ご丁寧にどうも」という感じ。
求人広告。地方だから結構安いのかなと思いきや、案外そうでもないです。
これはなんか可愛かったんで。
猟友会の事務所なんて初めて見た。ニュースや小説のクマ被害とかで語られるのを見聞きするだけだったんだけど、
そしてこのご時世に堂々たる原子力「本部」。なんの本部なんだかわからないけど、堂々感がすごい。
そろそろ疲れたので、開店していた、感じよさげのスタバに入って、森くんと連絡をとり、待ち合わせ場所の変更(本来バス降り場の三越だったのだけど、より森くんの家に近い場所に移動してきたので連絡)。
8時過ぎには来てくれることに。
ということで森くんが登場しないで1回目が終わってしまうのだけど、単にヒマツブシで歩いていただけなのに収穫多かったですよー。松山がなんとなくわかった、、というと口幅ったいけど、考える切り口は得たような気がします。
昭和で踏みとどまっている
あとでより確信は深まったのですけど、松山は日本がまだしっかりしてた昭和の頃にとどまっていて、劣化転落していった平成にいってない感じがしますね。
その一つの傍証がイオンがない。いやあるんだけど、都心部にはない。ちょい離れたところにある。それ以外のスーパーもない。ビル全体がアパレルとかそういうのもない。バブルから平成になる頃、大規模小売店法の改正やらで日本中が沸き立って、あちこちにダイエー(イオンはまだなかった)が出来たり、それで地場商店街を破壊したりしてましたけど、松山はこの流れに乗ってないですねー。
なぜ?といえば、推測ですけど、従来の産業構造で十分に廻ってたからじゃないかな。大体において、ジリ貧になってから焦って、コンサルの口車に乗って流行りものに手を出して、失敗してもっとジリ貧とかいうパターンが多いのだけど、そうなってないような気がする。
そうでなければ65年連続黒字なんかならんでしょう?
あとで見た夜の風景も、この都市規模にしてはめちゃくちゃ飲食店が多いし、それなりにやっていけてるっぽい。購買力がある。一部の金持が独り占めしてあとは皆餓死寸前という感じではないのよね。
だから、従来の構造であったJA(農協)、NHK、地方新聞、原子力、デパート、路面電車などが強い。
じゃあなんでそうなのか?というと、そこは分からないです。直感でいえば気質でしょうか。のんびりしてるから、アセアセしない、胡散臭い危機煽りに乗せられることもない。だから昭和のまま踏みとどまっているのかもしれないです。もしかしたらバブルの時期もそんなに狂乱になってなかったのかもね。ま、知らんけど(笑)。
着いて2時間でわかることっていえば、この程度ですけど、いい時間つぶしにはなりました。また過去に岐阜に住んでたことが、東京生まれ育ち、あとは京都大阪という大都市住民の僕にとっては、結構大きな財産になってるんだなーと再確認した次第です。若いうちの体験は、ほんと値千金ですよね。若くなくてもそうだと思うけど。