志保さんのラウンド通信(その2)

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2つ前に紹介したMakiさんと同じ日にオーストラリアに上陸した志保さん。今年の3月に掲載した「志保さんのラウンド通信」は、主としてタスマニアの各地を転戦していった様子でした。今回は第二弾になりますが、パース周辺、ブルーム、ダーウィンなどWA州の話になります。

志保さんが、また手間がかからない人で、頂いたメールも適所に写真まで埋め込まれていて、もう完成されすぎていて、編集など僕がやるべきことは何もなにもないです。単にコピペすれば良いという楽チンな。

あれこれ聞きたいこともあるんですけど、来月(8月)の中旬にはラウンド最後の挨拶にお越しになるそうで、その際に聞きたいと思います。今回は、旅気分で、昔のWHさんは自分の旅を思い出しながら、どうぞお読みください。

以下志保さんのメールです。
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田村さん
お久しぶりです、現在ラウンド中の坂内です。
日本から帰られてお忙しい日々と思いますがいかがお過ごしでしょうか?
日本帰国中の帰省記、楽しく読ませてもらっていました。

わたしは現在QueenslandのNoosaの近くにあるPomonaという街でHelpXをしています。朝夜は冷えるものの昼間は穏やかで暖かくて、軽井沢(2年住んでいたことがあります)の5月ごろの一番過ごしやすい時期のようです。

今回は以前送ったメールの続きの経過報告と、自分の帰国直前にお会い出来たらうれしいなと思い連絡いたしました。

まずは後者なのですが、8月19日の昼の便で日本へ帰国することになりました。その前の数日をSydneyで過ごそうと思っているので、もし田村さんのご都合が良い日時があればお会いしたいです。まだ一か月の間があるので、日程確認が難しければ直前にまた連絡いたします。

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前回はTasmaniaでHelpXやWwoofをしながら転々としていた様子をお伝えしましたが、その後もHelpXを中心としながら知り合った方のおうちにお邪魔させていただいたりバッパーに泊まったりしながら主にWestern Australiaを旅していました。

Tasmaniaを離れてPerthに飛行機で移動した後はすぐに南西部のAugustaへ移動して1か月半ほどHelpXをしました。その後、Augustaで知り合った方のツテでPerth郊外のJoondalup、鉱山の町Newmanとバスで移動して、Broome北部のDampier PeninsulaでまたHelpXをします。このHelpXが終わった後にBroomeの市内へ戻り、バスを乗り継ぎながらDarwin→Townsvilleとバッパーに泊まりつつ7月頭にPomonaにたどり着きました。(数字はHelpXで滞在した場所のカウントです。Tasmaniaで5件なので6件目から。)

Augasta

Western Australia南西部のAugustaでは灯台のガイドを仕事にしている旦那さんと、元ナースで社交力溢れる奥さんの家にお邪魔になりました。途中で寄ったPerthで買ったバイオリンをとても珍しがってくれて、このご一家の紹介でいろいろな場所で演奏をしました。病院やCountry Woman’s Assosiationという団体のイベント、ホームパーティーやバスキング、ラジオでも演奏して、バイオリンを通じてたくさんの知り合いができました。

これは病院のナースの方が作ってくれたチラシです。

街中の人口が1000人ほどの小さな街でしたが驚くほどたくさんの地域イベントがあって、とにかく外へ出て活動したい奥さんに連れられていろいろな体験をさせてもらいました。
一方の旦那さんは灯台の仕事とIGAのNight shiftを掛け持ちしつつ泳ぐこととBush Walkingができれば幸せ、といったタイプの面白い人でした。
とても英語の訛りの強い方で、初めて会った日の夜に2人でNight Bush Walkingに行った際は、言っていることも分からずいきなり夜の散歩で戸惑い…だったのですが、本当に自然とオーストラリアを愛する歴史好きのおじいちゃんで、最後には別れ難いほどとても大好きになりました。Augustaでの日々はおうちのPaintingをしつつ英語の勉強をしたりバイオリンを弾いたりして、時々旦那さんに近場の海や川へ連れて行ってもらって泳いだりカヤックをして、夜にはほぼ毎日Bush Walkingをして心身ともに健康でした。

Augustaに来たのはカヤックがしたかったからで、HelpXで「Kayaking」と検索して手当たり次第にメッセージを送りつつ、返信をくれたこのおうちにお邪魔になることになったのでした。わたしの一番好きな作家で梨木香歩さんという方がいるのですが、その方がカヤックについて書いたエッセイを読んで以来ずっと気になっており、この機会にできないかな~と思っていたのです。旦那さんの趣味の一つがカヤックで、彼に連れられて一週間に何度もBlack Wood Riverという海へ繋がる大きな川でカヤックができたのは素晴らしい経験でした。

わたしは今までカヤックどころかボートに乗る経験もあまりなく、たいして泳げるわけでもないので、はじめはその不安定さや風や波にいとも簡単に左右されてしまうことに心もとなさを感じつつのスタートでした。
パドルを扱うことに慣れてからは、水面との近さや水や風の動きを感じる楽しさをどんどん覚えていきました。
カヤックという機体の中に自分ひとり、もちろんすぐ近くに旦那さんのカヤックがあるのですが、まるで世界の中にひとりでポツンと存在しているような気分で、世界や自然と自分との境界を感じつつも、大きな自然の手の中に抱かれているようにも感じます。
完璧とも言える晴天の中、鏡のような水面を海からやってきたイルカと一緒に滑っていく日もあれば、繁みの深いCreekを探索する日(これは旦那さんの好きなちょっとした冒険で、たいてい行き止まりに着いて“何もないね~”と笑って引き返します)も、雷雨の中を必死こいて漕ぐ日もありました(この日は奥さんに“天気予報を見なさい”と、二人してしこたま怒られました)。
何を目指して漕ぐでもなく、カヤックに乗って水面に浮いていること自体が楽しい、そんな心持ちと身体のリズムを感じられたことはわたしにとって大きなたからものだったなと思います。

カヤックと同じくAugustaで始めたものの一つにBuskingがあります。これはAPLaCの先輩たちの体験記を読んで気になっていたものでした。バイオリンを買ったのもBuskingがしたかったからです。街にひとつだけあるスーパーマーケットのIGAの店員さんに許可をもらって週に1度1時間ほどバイオリンを弾きました。

BuskingはこのあとAugustaを出た後もいろいろな所でやって金銭的にもかなり助けられたのですが、まずこの地で感じたのは“カヤック漕ぎの人間版みたいだ!
”ということでした。自然の中で風や水と対話して微調整しながら進むのがカヤックだとすると、Buskingはその日その時間の街や通る人たちの雰囲気を感じながら調和するように音を紡いでいく行為に感じられました。Buskingをする中でいろいろな方に声を掛けてもらって話をしたのも一つ一つが大事な思い出です。

この地では本当に色々なことがあり、オーストラリアに来た両親も一緒にHelpex先に泊めてもらったり、小学校の日本語クラスでアシスタントボランティアをする機会もいただいて、出会いと偶然に驚きと感謝を感じる毎日でした。

これはAugustaの小学校の写真です。図書館兼日本語クラスの教室になっていて、4年生の15名ほどと5,6年生合同クラスの25名ほどと交流する機会がありました。人口1000人の街(ウィキペディア情報です)といっても街の外にたくさん家があってスクールバスや自家用車やはたまたフェリーを使って通学してくるのだそうです。

Newman

そんな楽しいAugusta滞在も終えて、IELTSの試験を受けるためにPerthに移動しました。
Augustaで知り合った方のさらに知り合いの方のおうちに有難くも泊めていただけることになり、さらにその方の娘さんが住んでいるNewmanへもお邪魔することになります。
Newmanは今まで行ったどこの町とも違ってすべてが真っ赤、街にもたくさんのAboriginalの方たちがいらして一番カルチャーショックを感じた場所でした。オーストラリアに慣れて忘れていた異国にいる感覚や知らない文化への怖れ、手探り感を思い出しました。

お世話になった母娘の亡き旦那さんが鉱山で働いていたこともあって、Mining
Tourに娘さんと一緒に参加します。その規模にも驚きましたが、一番は娘さんも奥さんも鉱山に誇りを持っていてわたしにその素晴らしさを伝えようとしてくれていることに感銘を受けました。

そもそもNewmanは鉱山の町として発達してきたのですが、近年になって“1週間働いて1週間休み”のような変形的な長期休みがある労働形態が取られるようになってから、Perthやより遠くのWA南西部に家を持って飛行機を使って働きにくる人が増え、Newmanの町は相対的に衰えつつあるそうです。このご家族の息子さんもカーメカニックとしてそのような労働形態でPerthに住みつつNewmanで働いていて、娘さんはNewmanの飛行場で働きにきた人たちに車を貸す仕事をしていました。

わたしの親戚に鉄を扱う会社で働いている人がいるのですが、Newmanには日本資本も入っているとか。こうして世界のいろいろな場所で働くいろいろな人が繋がっている面白さも感じました。

Broom (Dampier)

Newmanのあとはラウンドを始める前からずっと行ってみたかったBroomeにバスで移動することになります。といっても見つけたHelpX先がBroome中心街からアウトバックな道を2時間走った先にあるDampier Peninsulaにあり、これでもかというほどIsolatedな場所でした。

ロバが歩く藪の中を抜けてたどり着くArrow Pearling Baseという宿泊施設にお世話になります。
以前はここにPearl Divingの拠点がありたくさんの人が働いていたそうなのですが、今はその跡地を使ってAirbnbをしているのだそうです。

ここにはHelpXとしてやってきた人たちだけでなくホストの友達がキャラバンを携えてやってきては過ごしており、わたしは彼らと主にClearningの仕事をしていました。ここでの仕事はあまりの暑さと人間関係の難しさ、Sandflyに刺された痒さからくる睡眠不足としんどいことの連続で、すぐにでも離れたいと思いつつ、不在だったホストの奥さんに会うまではと3週間ほど滞在しました。

ちょうどその頃、近い時期にオーストラリアへ来た同期とも呼べる友達たちが帰国を決めたこともあり、“わたしはこれ以上したいことがあるのか?”と精神的にもどんどん参っていきます。行きたい場所もしたいことも漠然とも浮かんでこず何ともいえない不全感と共に、“でもここまで来たからにはBroomeのTown Beach で Moon Staircaseが見たい”と中心街へ戻ることになりました。

Broome内のバッパーに泊まりつつ疲れ果てていたわたしは、昼前に起床→Coles前でBusking→ビーチで夕日を見る、だけのライフサイクルで一週間弱を過ごします。(無事Moon Staircaseも見れました)結果的にこの一週間で気持ちはぐんと持ち直しました。

まず久しぶりに再開したBuskingが最高に楽しくて、ココナッツウォーターを差し入れてくれた店員さん、“感動したからどうしても10ドル渡したい”と涙を流しながら小銭をかき集めてくれたマダム、Buskingのあとで一緒に夕日を見に行った西サハラ出身のお兄さんとたくさんの人と出会いました。ある方はやけにバイオリンケースの奥にお金を押し込むなぁと思っていたらあとで確認すると50ドルだったりして、でもその方とは会話も何もなく…いろいろな人の色んな種類の優しさや面白さに触れたのでした。

もう一つ心がぐんっとなったのはSunsetです。

Moon Staircaseと同じくらいこの地で見てみたかったのは、ミーハーながら夕日をバックに歩くラクダです。

毎日Buskingと夕日を見るくらいしかすることのなかったわたしは、毎日、ビール片手に往復10ドルのバス代を払ってCable BeachへSunsetを見に行きました。とにかく毎日少しずつ違いつつも毎日が素晴らしい夕日・夕焼けで、“あーーー来てよかった!!”と心から思いました。

文字通り心をまるっと洗われるような毎日で、世界ってほんとうに美しいんだと、それってすごいことなんだと感じました。何故かブラームスの交響曲1番の4楽章の有名なフレーズがこの光景にぴったりくるような気がしてyoutubeで聴きながら夕日を見て、人間って自分ってちっぽけで弱くて、でもそれが愛らしいことなんだなぁと何とはなしに考えたりなどしました。

そんなこんなで身体は相変わらずボロボロだったBroome滞在は、なんだかんだで最高の思い出のひとつです。

BroomからNoosaまでの一週間のバス旅

BroomeのあとはNorthern  TerritoryでHelpXをしたりウルルを見に行ったりしたいな~と漠然と考えていたのですが、あまりの疲れでやりたいことが分からない状態になっていた際、色んな人からQueenslandのNoosaがきれいで穏やかな所だよと聞いていたこともあり、無理せずいこうと当初の計画を頓挫させることにします。

Sunshine Coast中心にHelpXを探し、ホスト先が見つかったは良いものの、BroomeからNoosaへはバスを4本の乗継ぎでバス待ち期間も含めて1週間掛かることに。
結果的にいろんな町でBuskingが出来たり、バスの小休憩地点の小さな町でそこで暮らす人たちと少しおしゃべりできたりして、楽しいバス旅となりました。

これはNorthern TerritoryのDaly Watersという町にあった、映画にでも出てきそうな小さなPub兼ガスステーション兼バス停と、馬鹿でかいケンタッキーの看板のコントラストが面白くて撮った写真です(笑)見渡す限りほかに建物はないのにPubでたくさんの人がお酒を飲んでいて、どこからやってきたのだろう~と思いました。

バス内でも面白いことが多々ありました。ひとつ興味深かったのは乗客層の変化で、特にWestern AustraliaではAboriginalの方が一家総出で乗っている姿がとても目立ちました。Aboriginalの方のほうが多数派でその他の旅行者が3人だけ…ということも。Darwin以降は外国人旅行者の数がやや増えていきでも年齢層は高め、QueenslandのTownsvilleに着いてからはぐっと若者だらけになりました。

バス内での出会いもいろいろあって、アボリジナルと英国とフィリピンのミックスだというおじさんとお隣になって、国のこと戦争のこと音楽のことと話をできたのが面白かったです。彼はQueenslandの森の奥で暮らしながらCattle Stationで働いているようなのですが、興味があってSosial Workの大学院へ通っていたこともあるようでした。Airlie Beachでたくさん乗ってきた若者たちを見ながら、“この国の美しさは切り売りされている、でもこの国は本当に美しいから沢山の人がきて沢山見ていけばいいと思う”と話していました。

そうしてたどり着いたNoosaでは、森を抱えた敷地の中でホストと植樹をしたり、最古の現存するSilent Movie TheatreだというMajestic Theatreで映画を見たり、山に登ったりして過ごしています。
だいぶ心身ともに元気になったのでもう一旅しようと思っているところです。

Sydneyで暮らしていた4か月が遠い昔のようで、最後に出発の地に戻ってどんな心持ちになるか楽しみです。
Sydneyは寒いとのこと、田村さんもお身体ご自愛くださいね。 それでは。

 

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