New Face :金子梨恵さん

New Face :金子梨恵さん
金子さんとは、去年の東京のオフ会でお会いしてます。日本で会ったときとこちらとでは微妙に印象が違ったのですが、たださらにその先があるだろうなと。おっとりコーティングと荒ぶる心

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金子さんとは、去年の東京のオフ会でお会いしてます。
その際は、「東京で働いているOLさん」って印象を受けたのですが(なんか「一分の隙もない」的な)、今回お会いしたときは、ほんわり&おっとりした印象を受けました。
「すてきな奥さん」系というか(未婚なのだが既に)、「いいお嬢さんね」って彼ママ受けしそうな。
なんせ空港でお出迎えしたときに、ゆったりしたスカートをはいてらして。普通、ワーホリ初上陸ってときは、皆さん、登山者ルックというか、特攻隊というか、アドベンチャー的なイデタチになってたりしますが、彼女の場合、大学のサークルに顔出しに来ました的なおっとり感。

こちらの「ほんわか」系が地なのかな?とも思ったのですが、話を聞いてると、もっとポテンシャルは広そうで、それは(1)アカデミック系と(2)アート系。
アカデミック系は、卒業してそのまま大学に残って教授のサポートの職をやっておられた点。国際研究などで世界各地を随伴してアカデミックな視点で現地見聞するという、それは面白そうな。フランス語や韓国語もたしなんでおられるし、コツコツ勉強して知識を増やし、知的好奇心を満足させるという方向がお好きなのかなって思いました。とかく語学って地味なコツ勉しかないので、よほどのモチベーションがないと続きませんしね。
さらに、アカデミックがもつ推理小説的な「知的スリリングさ」が好きなのか、それとも海外など「見知らぬ世界の広がり」に心を惹かれる方向なのか、そこでまた分かれるのでしょうが、そこまではわかりません。多分後者かな~。

一方アート系は、教えていただいたレジンのアート・クラフトにハマっておられたり、ケーキ作るのが好きだったり、海外のビンテージ古着が好きだったり。

さて金子さんの将来はどうなのかなーと、別の僕が心配する筋合いでもないのですが(笑)、よくわかりません。わからないのは、金子さんがもっておられる「おっとり感」が強くて、内面にもってられるだろう「荒ぶる部分」をほんわかコーティングさせているからです。
それは多分に、金子さんのもってられる抜群のバランス感覚なのでしょう。破綻なく全体を調和させてしまう。このバランス感覚が弱い人の方が、逆に個性はわかりやすい。その昔の、エキセントリックなミュージシャンとかアーチストのように社会不適合者的に暴れてくれると非常にわかりやすい。人格円満な常識人になるほど、よくわからない。

金子さんは、世間一般の社会人として問題なくやっていけるだけの技量・人格はお持ちですから、それでも良いのでしょうが、多分それでは本人が物足りないのでしょうね。そうでなければ海外にまで出てこないでしょう。

金子さんに限らず一般論でいうと、オーストラリアに来るとか、なにかの行動に出る人(口先だけではなく行動が伴う人)の場合、やっぱ「なんか」あるのでしょう。心の中に「荒ぶる部分」を持っておられる。それをモチベーションと呼んでもいいんだけど、そこまで理知的に整理されたものではなく、もっと生理的な感覚。正座してて足がしびれたとか、暑くなってきたので上着を脱ぎたいとか、そんな生理欲求に近い。

ただ日本で生まれ育つと、そういう内面の荒ぶる部分を殺すことが、ともすれば大人の作法だったり、社会的礼節だったりするので(それはそうなのだが)、次第に殺し慣れてしまう。荒ぶる部分があるんだかないんだか、掛け布団の下で鳴っている目覚まし時計のように、ミュートされたくぐもった音でしか聞こえない。だから本人も気づかない、気づいてもよくわからないってなりがち。

日本人がワーホリなり留学をする隠れたメリットというのは、実は鳴っている目覚まし時計に自覚的になること(なってるからこそ来てるのだろうし)、さらにそれを開放して、よく聞こえるようにして、わたしは何がしたいの?どうなると自分はうれしいの?を感じ、考え、それを先々の礎にすることだと僕は思ってます。こっちでは、What’s your dream?って聞かれますからね。そこで「えっと、大企業に就職して給料たくさんもらって、老後のために貯金して」とかボケた答をしてると、I ‘m not asking how to make your living, I’m asking your dream, I’m asking what makes you happy.って言われますし。

さて、話はもどって、おっとりコーティング金子さんですが、佇まいがおっとりしてるから、どんなハードなことをしてても大変そうに見えないという損なのか得なのか分からん特性があります。シェア探しでも、せっせと&淡々と数をこなし、順調に見分を広げ、さらに曲がり角の中盤においても、「なんの展望もなくても、動き回ることで視野を広げ、活路を見出せ」というアドバイスのとおり動いて、そこで何事かを得て、最後には、Coogeeのシェア先に落ち着きました。ここは、以前、望月さんが行ったところ。奇しくも同じ部屋になりました。

シェア探しの一連のプロセスは、人生ゲーム的な要素とドラマが入ってます。不可能そうだったことが意外と簡単に出来てしまうこととか、楽になりたいと甘え心や依存心を抑えてさらに進むと、新たな地平線が見えてくること、決めるということは(他のすべてを)捨てるということなど、盛りだくさんの人生教材で、これ1週間やるだけで日本で5年社会人やるよりも成長しますよ。別にそう仕組んでいるわけではなく、世界の実相(リアルなルール)がそうであるから、それが個別のシェア探しにおいても反映されているだけのことです。非常に見えやすい。日本だと、「世界のリアル」を緩和する要素が多すぎて、見えにくい。それだけの差だと思います。

で、また話は戻って、アカデミックかアートか、その先は?って話ですけど、それはまたワーホリの終わりの頃に話をしましょうね。たぶん「まだ見ぬもの」が好きなんかなーって思うのですが。海外、グローバルでも、グローバリズムと言っても、巷間言われる「国際銭ゲバ主義」のそれではなく、「グロバール=ローカルの集合体」という意味で。ここを話し出すとまた一章割いて書かねばならなくなるので、割愛しますが。

この週はちょい変則的で、初日から、僕が車を整備に出しにいくのに同行したり(それだけ早くバス電車に慣れるし)

Wynyard駅の上の公園

同じくWynyardの駅のスーパー

ここはストラスフィールド

定番になってるポルトガルチキン

ポルトガル人の街Petershamの駅で。お!と思って、構図に凝ってみました。世界の車窓から的な。

中間時のミーティングでのカフェ

いよいよシェア先移動 クージーの坂で(坂っぽく写ってないけど)

望月さんのときに会ったオーナーのおばちゃんと。向こうも僕のこと覚えてた。

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