帰省記(15)より承前
さて前回の東照宮で精神的にお腹いっぱいになったところで、今度はフィジカルにお腹いっぱいになります。今回は食べ物写真が多いのですが、目の保養がてらに。
あらかじめ日光金谷ホテルにランチを予約してくださってて、その金谷ホテルを背景に駐車場にて。
このホテル、僕はそんなに知らんかったのですが、日本最古のリゾートホテルということで明治維新の直後(明治6年)からやってて150年の歴史があるそうです。帝国ホテルなどと並んで日本のクラシックホテル群の一角を占めると。
雰囲気はすごい良かったです。古い建物を丁寧にメンテしてて、派手に流れず、いっそ地味なんだけど空間が贅沢で。
回転ドアを通って、二階が大きな食堂になってて。
テーブル間がゆったり離れていて、全体の空間感が贅沢なのですよ。また和風テイストがいいです。ずっと昔に東京のオークラに泊まったときも(仕事で)、意外に地味だけど和風テイストが気持ちよかったのを覚えてますが、それに似てます。下の写真の障子の桟(さん)の味わいやら、地味なんだけど上の写真の平安時代の寝殿造みたいな廊下の手すりの感じとか、木目を活かしてるところとか。
さてコースメニューなのですが、まずこれ。メニューも撮ったんですけど「Amuse」(お楽しみの意味だが、居酒屋の突き出しみたいなもの)しかなく、口頭で説明を受けているのだけど、忘れてしまった。すまん。
前菜で、「「鴨のフォアグラ」のフランに「焼きトウモロコシ」のエスプーマとコンソメジュレ キャラメルポップコーンをアクセントに」とのことですが、わかんないです(笑)。あとで調べると「フラン」がプリンみたいなもの、エスプーマは泡です。あと口頭で説明を受けたのは、上の緑色は地元栃木のキュウリのピューレーだったかな。右下の黒い物体は、一瞬海苔かと思ったら竹炭のパン。そいえばシドニーのカフェでもいっとき真黒なチャコール・バンが流行っていたな。中の円形の黄色い部分は皿の色ではなく、コンソメをゼラチンで固めたようなもので、周囲の赤い点々が、、なんだっけ?忘れた。
名物のパン。何度もバスケットに入れたのを持ってきてくれて、おかわり自由。翌日の中野オフにもお土産に持っていったけど、ふんわりして美味しい。
ちなみに、「パン」という英語は存在せず、最初オーストラリアにいったときに戸惑った。こういう丸い物体はBun(バン)。日本のパンの語源はポルトガル語らしいですね(カステラと同時期に伝わった)。ただパンが主食の欧米では、パンに相当する上位概念がなく、形態に応じて呼び名が違い、また各国言語が入り乱れて戦国時代になってます。ローフとか、バゲットとか、ロールとか、ブリオッシュとか。それぞれに別物って感じですね。インドでは「カレー」に相当する上位概念がないのと同じようなものでしょう(個別にヴィンダルーとかマサラとかある)。
このあたりで、宇賀神さんがシェフの◯さんはおられますか、ご挨拶だけしたくて(昔の患者さんだったらしい)、、との申し出に応じて、シェフの方がご挨拶にみえられました。ご高齢で威厳ある感じだったけど(これだけのホテルのシェフなんだから、業界が違えば「巨人軍の監督」「棋士のタイトル保持者」くらいの大物に相当すると思う)、途中でマスクを外して笑った時は、若い頃の姿が垣間見えたような気がしました。実直で朴訥で、ずっと励んで来られたんだなー、カッコいいなーと。
メインで、僕は地元のイワナの唐揚げ(大葉風味のベニエ)とあと夏野菜のラタトゥイユ。野菜は、昔、沢山くんがシドニーでやったディナー会、一番最初のモスマンでやったとき、田尻くんが作ってくれたものと同じ感じの。
遊びココロ満載のデザート。明治、昭和、平成の各時代のプリン(歴代シェフのレシピーを再現)
ペラリとめくると解答と解説があるんだけど、正直、明治のレシピーでも今でも全然通用します。どれも美味しく、時代の変遷を感じるというよりは、横並び一線。どれが好きかと言われても甲乙つけがたい。
なるほどねーと思ったのは、料理の世界でもなんでも同じだと思うけど、過去のある時点でどっかの天才が到達した最高水準を、あとの世代が懸命に模倣し、解釈し、維持しつつ、絶えず新しい味を追求し、、という連綿たる系譜です。また良いものはあっという間に世界に広がる。だって極東日本でこのレベルですからね。この膨大な質量をともなう人間のイトナミはなんだろう?誰に命令されたわけでもなく、法律で義務化されているわけでもないのに、どの業界も同じような努力をし続ける。もう人間というものはそういう生き物なのでしょう。ビジネスとか資本とか、そんな底の浅いチャラいレベルではなく、もっともっと深い「業」のようなもの。
僕とみっちゃんはこのプリンを食べましたが、宇賀神さんはまた別の一品を。これはこれで魅力的。
ところで食事中、宇賀神さんの席から見える庭の池にチョウザメが泳いでますね、と。え、チョウザメ?って思ったけど、帰りしなにしげしげと池を見ると本当に泳いでいる。新鮮なキャビアを取るためかな。
食事を済ませてダイニングルームを出る時に、またシェフの方が紙袋のつめたパンのお土産を持ってきてくださって、ご丁寧なことに僕にもいただきました。もうご相伴にあずかりまくりです。翌日の中野オフに持っていきました。
トイレにいきがてら館内ちらりとみると、いろんな写真が飾ってありました。
この左の写真は、終戦直後アイゼンハワー(まだ大統領になる前)がやってきたとき。資料によると、アインシュタインが来たとか、ヘレン・ケラーが泊まったとか、インディラガンジーがとか、錚々たるお歴々。
この赤絨毯の空間が良かったですねー。いくらするのか見当もつかない巨木の一枚板のテーブルとか。
見事に手入れされた日本庭園との対比がいいです。
これなんかもう「絵画」ですよね。
トップの写真にもした宇賀神さんつきカッコいい写真。僕も撮ってもらったけど、被写体がダメすぎてボツにしました(笑)。
ところでなんでもそうですけど、お値段高めのいわゆる高級なところって、「非生産部門」「間接投資」が充実してる気がします。シドニーで家探ししてるとき、何百件も見てるうちに気づいたのですが、古くていい感じの高めのところは、全体にすごくゆったりしてる割には部屋数は多くない。昔住んでたLane Coveの家でも、ランパス(子どもの遊び場くらいの意味)という謎の広い空間があって、廊下にしては広すぎるし、なんなのかなーと思ってたのですが、あれがあるのと無いのとではゆったり感が大違いです。逆に最近建築されたものになるほど、「土一升金一升」と言われるように、隅々まで無駄なくベッドルームにしている。昔のゆったり系だったら1LDK(プラス不明な空間が満載)なのを無理やり3LDKくらいにして高く売るのですよ。でもキツキツな息苦しい感じになる。
ホテルでも同じで、無駄なく合理的な建物はなんか息苦しい。漫喫やカプセルホテルが好例ですけど。この金谷ホテルも、漫喫やバッパーだったらあと10軒くらい建てられるんじゃないかって広大な空間と敷地をそのまま(てか、むしろお金をかけてメンテして)ます。
経営の合理性からすれば、こういう空間は「無駄」でもあり、敷地に二号館を作ったり、ラウンジ潰して客室にして「生産部門」に廻した方がいいんだろうけど、それをしないのが高級たるゆえんでしょう。あの食堂だって、テーブルをもっと近づけてファミレスみたいにすれば平米あたりの単価は上がるんだろうけど、それをしたらブチ壊しなんでしょうね。
物事、合理的に進めないといけないところと、合理的にやってはいけないところとがあり、この分別が難しいところなんですけど、大人になるということは、その見極めが上手になることなのかもしれないです。
話がいきなり飛んで恐縮だし、牽強付会なのかもしれないけど、21世紀になって出てきた新資本主義とやらが、今ひとつ好きになれない、なんかしらガキっぽいのは、合理的にやっちゃいけない部分を浸食して合理的にやってるからだという気がします。コストカッティングの美名に隠れて、従業員のベネフィットを削り(賃金だけではなく精神的な充足感やゆとりなども)、非正規や外国人低賃金労働者を増やし、カスタマーサポートとは名ばかりの空疎なものにし、資本家への配当還元を増やし、それをする経営者が年収10億とか、やることがいちいち馬鹿みたいに子供っぽくて。でもそれって、ボクシングの試合で勝ちゃあいいんだろでピストル撃ってるようなものじゃないの?と。それをしないのが人間の矜持じゃないの?そんな馬鹿やってるから、西側先進国が自壊的に没落してるんじゃないんですかね。
それはそうと、精神的にもフィジカルにもお腹いっぱいになったところで帰路につきます。
宇賀持さんのお仕事の都合で、職場(病院)のある鹿沼に寄ってから帰ることになりました。鹿沼というのは宇都宮の左真横(西)にあって、行きは宇都宮の右側を抜けて行き、帰りは宇都宮の左側を通り、全体で楕円形のコースになります。
この杉並木の道路、昔の街道なんでしょうけど、写真で見るよりも車線幅が狭く、また事実上路肩がない(石垣)ので、運転するのはかなり気を使って大変だと思います。僕が運転してたら、速く終わってくれーと思うだろうな。
前回も訪れた宇賀持さんの大きな病院。二階以上が居住区で、お母様にもご挨拶できました。このお母様、御年90歳以上なのですけど、まだバリバリ自分で運転してて、免許返上を勧めるべきかどうか。でもお若い頃から乗り回してたらしく、ここで車がだめになったら一気に老け込む恐れもあり、難しいところですよねーとか話してました。
ところで、いっときハマってたんですよーという陶器と銀器コレクションを見せていただきました。名古屋オフでも書いたノリタケの海外輸出用ブランドのセット。
ほかにも色々と。
裏面に刻印されているのは銀の純度を保証するシルシらしいです。
でもハマってたのは数年くらいだそうです。
なんか分かる気がします。僕の弁護士時代、お歳暮などのご贈答やら、やたら呼び出されてた結婚式の際の引き出物とか、陶器セットが増えた時期があります。でももらっても置き場に困るんですよね。店頭などで現物をみると、お、いいなーとか思うんですけど、買っても結局押入れに眠ってたりして、フルに展示するには膨大なスペースがいるし。難しいんですよねー。
さて、帰宅後しばらく休養してから、最後の晩餐です。
すぐ近所のお寿司屋さん。去年にもテイクアウトを頂いたのですが、美味しかったのをよく覚えてます。今回はテイクアウトではなく乗り込んでいって食する趣向で。
リーズナブルなお値段で質の高い一品がぞろぞろ。すごい人気があるらしく、なるほどこの質だったらわかります。これが自宅のほんの近所にあるんだから、いいなー自治医大駅。
カニ味噌を頼みました。わりとあったら頼むですが、オーストラリアにはなかなかないからです。なかなかって、一回も見たことないかも。蟹丸ごと買えば中に入ってるんですけどね。
光り物も好きなので。イワシとコハダ。新鮮なので酢で締めてないもの。
生エビと、あとゲソです。
またお腹いっぱいになってしまった。ここ数日北京ダック状態で贅沢病になりそうです。ありがたや。
この日はこれでまた墜落睡眠(笑)。
最終日の朝は、またどーんと。毎朝どんどん鳴ってる。
出発まで時間があるので、また庭の木々について宇賀神さんから解説してくださいました。
あたりまえですけど、いっこいっこ名前があって、「これはですねー」とまつわる思い出などを話していただくのが面白いのですよ。
小雨が降ってたのもあって緑が艶々して、ほんと綺麗でした。
これはみっちゃん撮影にかかるカラスアゲハ。サロンでちょっと虫の話をしたときもカラスアゲハの話になりましたけど、本当に飛んでて感動。これ見るの何十年ぶりかな。大体ツガイで飛んでるらしく、2羽(蝶は「頭」で数えるから2頭か)がつかず離れず飛んでる姿は微笑ましかったです。
そうこうしているうちに発車時刻になり、自治医大の隣駅の小金井駅(こちら発の電車もあるのでより便利らしい)にて。
いや今回もほんとーーーにお世話になりました。
一宿一飯の恩義どころではない多宿多飯なのですが、もう甘えまくってありがたく頂いております。最初の頃から、いくらかお支払いをとか、ここは僕が、、とかやってたんですけど、いずれも鉄壁の守りに阻まれています。幾分か払ったほうが気が楽なのですが、でもそれって自分が楽になりたいとか、カッコつけたいとかいう自己中な話であって、もう堂々と借りっぱなしにします。いずれ大きくお返ししますが、もっと言えば貸し借りなんか忘れて、単純に喜んで楽しんでいればいいのかな、それが一番の答礼なのかなという気もしてます。いっぱい色んなことを考えるんだけど、考え抜いた果に、でも最後には何も考えないのが大人なのかしらねー、とか。年を取るのは難しいですよね。
さて、この日の夜にはもうシドニー行きの飛行機に乗らないといけない最終日なのですが、その途中で最後の中野オフをやりました。