帰省記(16)より承前
宇賀神邸をあとにして、今度は東京上野ラインではなく新宿湘南ラインに乗り(といっても分岐するのは赤羽以降だが)、新宿で乗り換え、中野駅で下車して、いつもお世話になっている高橋さんのCPA会計学院の5階の教室へ。
今度はわりと停車駅も少なかった関係で、スムースに着いたら、1時開始にまだ30分もあった。がらんとした教室に、荷物を置く。
前回書いた日光金谷ホテルで頂戴したパンの数々。荷物が3つあるところに、さらにもう一袋増えると持ち運びが鬼化するので、なんとかバッグの空いてる所に詰め込んだ。押し崩れてないか心配だったけど、なんとか無事だった。
予定通り13時からの秋葉さんとの直前講座。
ほぼ2時間、一括パックでよくやってたシェア探し講座をやりました。もう何百回となく喋ってるので、手持ち資料ゼロでも全てソラで言えます。
秋葉さんはこのあとすぐ(9日後)にオーストラリアに来られるので、直前講座がしやすいです。あまりにも先にやってしまうと、いざ本番になったときに忘れてしまいますからね。
今回は参加されるはずのYoshiさん、青木くん、増川さんが都合がつかなくなったのですが、代わりに直前滑り込み参加のめぐみさん。好きだった料理を軸にスキルを~ということで、この間ずっと調理師の勉強をしておられ、資格取得もできたという。
パンを切り分ける道具がないので、「立ってるものは親でも使え」的に高橋さんにお願いして(プラスチック)ナイフを探してきていただき、そして調理師になっためぐみさんに切り分けてもらいました。
さすが上手に切り分けていくめぐみさん。
皆の集まりが五月雨式だったので、少人数で雑談会みたいな感じ。
ここで高橋さんの楽しい独演会になって、やはり教育関係者として、現在の日本の教育問題を。同時に現役バリバリの公認会計士でもあるので各学校の経営構造などの話も膨らみます。
「ほー、そうなんだ?」と思ったことは多々あったのですが(またまとめて本にするか、サロンで書いてくださいよ、面白いから)、一番、「そうなん?」と思ったのは、「オーストラリアの大学進学率が100%以上」という大嘘統計でしたね。
今日本の大学進学率は60%もあるそうです。僕の頃で30%くらいだったからほぼ2倍。それでも文科省はまだまだ足りないという。大学進学率を他のOECD諸国並に引き上げて一流の文明国に~ということで、大学関係予算をぶんどり、天下り先を増やしってことなんだろうけど、日本以外ではそんなに大学行ってないはずだけどなー。
少なくともオーストラリアではY10(イヤ・テン=Year 10=小学校から数えて10年目=高校一年)で卒業し、そのあとはApprenticeship(徒弟制度のように職場で技能を身につける)、あるいはTAFEという公立の職業専門学校にいく道が大きく開かれている。大学進学どころか高校1年くらいしかいかない連中が大勢いる。本格的に知能労働で身を立てよう、頭脳プロになろうと決意した連中だけがY11.12の過酷な詰め込み教育を受け、さらに過酷な大学教育(めっちゃ厳しい)を受ける。
という理解だったんだけど、いつの間に100%になったの?じゃあTAFEなんか要らないじゃんって調べてみると、むしろ下がってるみたい。
例えばこの記事↓によると過去10年足らずの間に12%も下がっているとか。大学院進学者は増えてるけど、バチャロー(学士、四年生大学ってこっちは三年制だけど)は減ってる。
そもそもオーストラリアの大学は37校程度、今調べたらそれにプライベートが3校、国際的な機関の大学が2つ増えて42校らしい。日本の814校に比べると格段に少ない。20分の1くらいしかない。人口比(1対5)考えても少ない。
なのになんで100%なの?というと、留学生もカウントしてるからだそうです。なにそれ?無茶苦茶じゃん。分母に入ってない人数を分子に入れるって、よくそんなこと思いつくなーってレベルです。
そもそもオーストラリアで進学率なんかどうやって出すの?
昔読んだどっかの大学(マッコーリー大学だったかな)の話では、女子学生の方が男子学生よりも多く、その女子学生のうち半数以上は30歳以上になってから入学している。つまり一回社会にでてあれこれやっていくうちに、将来の希望やビジョンが見えてきて、そのためには特殊な学問技能が必要だとなったら、それから進学する人が多い。人によってはリタイアしてから大学に行く人もいく。前にシェア先まで送りに行ったときに、70歳以上になってから一念発起で法学部に入って司法試験を目指しているオジサンがいました。だから18歳になったらベルトコンベアで進学するって日本の発想そのものが既にガラパゴス。ゆえにオーストラリアの真の進学率なんか分かるわけがない。あるとしたら、24-35歳の年齢レンジで学士以上の資格を持ってる人が◯%とかそのくらいです。
付言するに、その昔エッセイでも書いたけど、日本人の留学生の数がどうとか大新聞で統計を示して書いてるのがあって、この数字がデタラメと言いたくなるようなものでした。だって、オーストラリアの統計である移民局の学生ビザの国別発行数とは似ても似つかない数字だったんだもん。こんな数字どこから出てきたの?と調べると、日本の新聞のいってる数字は「日本の大学生が」「外国の大学留学を理由を休学届を出した数」だという。だから社会人になってから行く人はカウントされてないし、日本の大学すっ飛ばして高校から直に外国に行く人も入ってない。それに大学留学だけが留学ではない(語学学校でもTAFEでの技術習得もあるし、アロマセラピーとか一時期流行った)し、全員が休学届を出すわけでもない。
またワーホリや観光ビザでも3ヶ月は就学できるのであるし、それらも留学といっても良いのだが(物見遊山の大学内の留学カリキュラムよりは真剣だったりもするし)、この数は実はわからない。なぜならオーストラリアのビザ統計でも観光ビザやワーホリビザとしてしか上がってこないからです。
結局、本当の留学生数などは神のみぞ知るで、誰にもわからない筈ですよ。
本来分かるはずのない数字を、いかにももっともらしく出してきて立論し、望む結論に誘導するのって詐欺師のやり口でしょ?いずれにせよお役人や大新聞がもっともらしく紹介する統計数値なんか、いちいち真に受けてたら馬鹿を見ますよ。そんなの「日本の常識」だろって。もっとも実際に資料をよく見たら、詐欺呼ばわりされるのを注意深く避けるような記述がどっかに書いてあるとは思います。「これは推計であって実際のものとは異なる可能性が~」とかどっかの余白に小さい字で。そのあたりの保身は抜け目ないでしょう。もしそんなこともやってなかったら、かなり憂うべき劣化なんでしょうけど。
閑話休題。話戻って高橋さんの独演講座ですけど、エヌ高校、エヌ予備校とかあんまり知らなかったけど、勉強になりました。エヌ大学まで作るとか?文科省に縛られたくないから私学助成を受けないでフリーハンドを保つとか。
だけど、文科省って何のためにあるんでしょうねー。てか今の御時世で日本でなんで学歴にこだわってるのか良くわからないです。いや、そもそも本当に皆こだわってるのかな?僕がいた法律事務所で事務員さんの採用試験をやらされたのですけど、学歴なんかほとんど誰も(ほかの弁護士も)気にしませんでしたよ。なんといっても人柄、性格、地頭の良さですよ。採用試験問題作るのも、そのあたりを見るのに腐心しました(◯の場合、あなたはどうしますか?なぜそうするのですか?とか、一切の事前準備が出来ない問題)。
日本の大学生は勉強しないわけで、でもそれが良さでもあるわけで(僕の私見だけど)、でもそんなことは企業にいる諸先輩方だったら知ってるでしょうに。その昔の旧制高校時代だったら真剣に優秀だったと思うけど、戦後になってからダダ下がりでしょう?今でも覚えているけど、2000年時点で東大教授が今の(2000年時点の)東大入試の合格レベルは80年頃の明治大学位のレベルだとどっかでボヤいてて、20年前でそうなら今はどうなってるんだ?って気もしますね。
てかさ、僕らだって小中レベルも怪しいですよねー。あなたは「円錐の体積」の出し方って覚えてますか?俺は忘れてたぞ。床面積✕高さ✕1/3なんだけど、へー、そうなんだーって感じですもんね。それにそれがわかったところで「(円錐の容積は円柱の容積の)なぜ常に1/3になるのか数学的に証明せよ」と言われたらお手上げですもん。こんな小中レベルもヤバい連中(我々)が、学歴だの教育だの言ってる事自体が滑稽だという気もします。
とかなんとか話してると、ぼつぼつ人が増えてきて
一応集まっては来たんだけど、もう時間が、、、なんせ僕がこれから羽田に行くし、7時位には辞去せねばってことで、なんとも中途半端な時間になってしまいました。これから買い出しにいっても、帰ってきたところで解散ってなりそうだし。
結局、僕が帰ったあと皆で飲みにいったそうで、そっちこそ行きたかったなー。
あとで徳ちゃんが送ってくれたもの。いい感じでメンツがバラけていて面白そうな飲み会になったでしょう。
徳ちゃん入でもう1枚。
結局のところ、次の飲み会のための待ち合わせ時間みたいになってしまった。
皆と別れて僕は中野のホームで羽田へ。「くそお、飲み会行きてえよー」と思いながら撮った中野のホームでの風景。
といっても、もともと最終日にオフをやろうというのが無茶ではあります。去年の最終日は成澤ファミリーと少人数で原宿・浅草ツアーやってたので小回りきいて良かったけど、多人数で中途半端な時間設定は良くないっすよね。
そうは言っても、1日前だと高橋さんの会場の都合がつかず(無理いってお貸しいただいているので感謝しかないです)、また1日早めてたら日光その他の体験が無かったので、それもイヤだしなー。贅沢言ってたらキリがないってことですよね。
もっともこの日の眼目である渡豪直前の秋葉さんにじっくり講義が出来たのは良かったです。オーストラリアに戻ってからバタバタしてて書くのが遅れてしまったので、当の秋葉さんはもうオーストラリアに来ておられます。今日でシェア探し二日目。寒い中頑張っておられます。
後日New Faceでまた書くとは思うけど、先行上映。空港からその足で地元のスーパーをハシゴして、買物講座をしてるところ。
帰路はなかなかにハードで、掲示板でも書いたけど、まず羽田の国際線は第三ターミナルだったのが第二にも増設されたけど、増設された分だけ行くのが遠いし、施設もいまいち充実してなかったです。
ANA便だったけど、他にコードシェアが4社もあり、合計5社分の客が一機に詰め込まれたので、めちゃ満杯。
あと夜の10時45分発だから離陸後ご飯が出てくるのかわからんので、搭乗前に食べたのですけど、これがどこ見ても高い。ホットドッグ1800円とかなんなの?という。そのなかでもまあまあなんが天ぷらうどん1150円で、気がつくとこれを食べてる人が多かったぞ(外人さんも食べてた)。
また増設だからかしらんけど、滑走路のはるか沖合に飛行機が止まってて、そこまでバスで延々進む。いちいちバス移動だから全員乗り込んで離陸するまで小一時間かかった。
離陸後出てきた晩ごはん。また天ぷらだったりして(笑)
へろへろになってシドニーに着いたら、当然ながら寒い!
とりあえず一服と、喫煙コーナーに行くけど、灰皿がないのよね。昔あったような気がするけど。
その真正面にやたら人が群がってるバスがあって、なんだろ?と思ったら空港からの電車がメンテで止まってるので代行バスの乗り場になってた。
アンラッキーというかラッキーと言うか。ラッキーなのは、空港線だけやたら高い18ドル以上するゲートパスが無料になったこと(代行バスでも料金を徴収する建前になってるけど、事実上無料が多い)。またタバコ吸わなかったら地下の電車乗り場まで降りてからガビーンとなってただろうから、手間が省けたことがラッキー。
セントラル駅のサリーヒルズ側に着く。
日曜の朝だからがらんとしてるけど、完全に冬の風情。
最寄りのバス停を降りてウチに向かう公園も寒々しい。
戻ってから2-3日はヘロヘロでしたね。別に発病とかはしておらず、普通の稼働してたけど、なんか本調子ではない。それにいきなり車が壊れて修理とか、日本で痛くなかった歯が急に痛みだしたとか。ちなみに特定の歯というよりも歯茎全般が痛い、というかその奥の神経が痛い感じ。結局、急に寒くなって、且つ疲労など免疫が下がってて雑菌繁殖状態になってたのかもしれないです。3-4日したら治まりましたから。
というわけで一ヶ月に及ぶ日本行脚でした。Google Mapのタイムラインでも軌跡がわかりますね。日光から松山まで。これ長距離バスの休憩場所までマッピングされてて、同じところに20分くらいいるとそうなるのかな?
FBに書いたように、日本帰国初期に感じた「入道雲の子供」、まだ若かった夏空は、オーストラリアに戻る頃にはかなり育ってきていました。
高橋さんの学校の教室横のテラスからの景色。この場所が好きなんですよねー。「夏の魁(さきがけ)」とでも題すべき日本滞在でしたが、その意味も含めてこれをトップ写真(微妙に違う別のものだけど)にしました。
僕がオーストラリアに戻ってから(7月以降)、日本は急に暑くなったようで、いいタイミングで日本滞在できたと思います。これが1ヶ月遅れて7月滞在になったら、もう暑くて松山城とか日光とか行ってなかったかもね。暑いともう何もかもが投げやりになってしまいそうで(笑)。
その他感じたこと(日本人はむしろオージー化、ないし進化してるんじゃないか?とか)、やり方論(今回は事前に個人的にオフ連絡を取るのを最低限に押さえたこととか)いろいろありますが、折を見てまた書きます。