宮崎恵さんのジャカルタ通信(その2)

「けど本当に、いろんな景色を見て、いろんな生活を見て、いろんな話をして、ただそれだけで本当に心から楽しい。」

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ジャカルタに駐在しておられる宮崎恵さんからのお便りの続きです。第一回目はここをご参照

(宮崎さんからの再返信)

田村さん 返信ありがとうございます。
前にメールした時は、海外にいると日本に帰りたくなるのに日本に帰ってきて半年経つとまた海外に出たくなるし、なんなんだこの矛盾。
みたいに思ってた時だったんですけど、その時も田村さんに言ってもらってすごいスッとしたんですけど、今回もなんか納得できました。

そうだよな、どうすることもできない部分も当然あるんだし、それは割り切るしかない。
自分にできることは彼らをリスペクトして大切に付き合っていくことなんだなと思えました。

でも私、本当に会って話したくなりましたw
だって、私そんなに控えめなタイプなんかじゃないw
文章で書くって難しいですよね。

私、自分が子供を持つまで、子供に興味ってなかったんですよね。苦手だった。どう接していいのか分からないから。

でも、いざ自分に子供が生まれたら、自分の子供はもちろん、他人の子供もそれまでの自分からは想像できないくらいかわいいなって思うようになって。
日本では、専業主婦って社会との接点がないとかってマイナスイメージもあったりするし、私自身も長女が3歳近くなるまでは必死に社会との接点を持てるように今できることをしようって考えてました。

まだ娘が夜中に何度も起きる年齢にも関わらず、娘が1歳半くらいから、通信講座でUSCPA(米国公認会計士)取ろうとして勉強してたんです。
もうただでさえ忙しいのに、そんなもんやり始めたもんだから睡眠不足もいいとこで、ちょうどその時は夫も仕事が大変な時期で、2015年はもう思い出したくないくらいギッスギスw

でも、娘が言葉でコミュニケーションをとれるようになりだしてから、その娘との時間がすごい貴重に思えて。
夫といろいろ話して、結局1年以上勉強してたけど、あきらめたんですCPA。
なんか、私が思っていたよりも子育てってすごい有意義で貴重な時間じゃない?って私が私自身に思ったというか。

それからは誰がどう思おうが何も気にならなくなって、下の娘が幼稚園に行くようになるまではもう思いっきり家庭に浸かろうって思ったし、自分が働かなくてもそういう生活を選ぶことができるというのはとても幸せなことだなと思いました。

育児は楽しい時間は一瞬で、全然筋の通らない子供相手に毎日イライラとうんざりの連続だけど、子供の成長を感じては涙。 単調な毎日が嫌いな私にはこんなに激動の日々、もってこいw

↓ラグナン動物園。どローカルで園内にあるお店は全て屋台。トイレは手桶式。入園料、大人40円、子供30円、駐車場1日60円!! しかし動物は充実のラインナップだし、広いし子供は大喜びでした。 コモノドラゴンもいます(^ ^)

 

だから、自分自身にはすごく納得しているんです。
夫にも、専業主婦を年収換算したら1000万超えらしいからね!!って言って自分のことも労ってくれと押し付けるくらいです。

日本で普通に生活してたら、自分に違和感も劣等感も感じなかった。

でも、国が変わると立場って変わるじゃないですか。
私がAUSに行った時もそうで。それまで私は日本で働いていて、ネイリストしてて講師したりして「先生」とかって呼ばれてたけど、シドニーに行ったら、理解あるジャパレスで拾ってもらって、言葉全然できないのに働かせてもらって。

何をするにも分からないことばかりで。
すごくすごく弱いというか、できないことが多すぎて、日本にいたころのような自分としての価値がないように感じるっていうか。

私はその「新人」っていう感じがすごく好きだし、AUSの場合は自分が望んでそういう状況になったから、それをそのまま感じていられたというか。

でもジャカルタでは、勝手に立場だけが強くなった。
それなのに私自身はどうかといったら、ジャカルタでの生きる術がなさすぎる。
結局AUSの時と同じように、周りの人たちのヘルプを毎日受けてるわけです。

だから、私がインドネシア人としてここに生まれていたら、今の私がしてるジャカルタでの生活とは違う生活をしてたと思うんです。
たまたま日本に生まれただけ。

でもだから、それであんたは何がしたいわけ?と言われたら、
こんなことをツラツラと思っていたからってなにも変わらないっていうのは分かる。

分かるんだけど~~~~~モヤモヤーーーー!みたいなw

けど本当に、いろんな景色を見て、
いろんな生活を見て、
いろんな話をして、
ただそれだけで本当に心から楽しい。

↑このグリーンのジャンパー着てるバイク、Go-jek (ゴジェック)っていうんですけど、これがすごいんですよ。デリバリーをやってるお店じゃなくても、アプリから注文したら食べ物はもちろん、スーパーの買い物やお掃除やマッサージやなんでもやってくれちゃうんです。もちろんバイクタクシーもあり。初めて利用したとき、日本よりすごい!って感動しました。普段行くショッピングモールとかのレストランとかでもテイクアウェイして届けてくれるんです。

 

すみません、めっちゃ長くなってしまったw
地球会議室興味ありありでーす!!
ほんとアプラックのオフ会行きたいんですけど~ 面白い話がたくさん聞けそう。
アプラックブログに載せてもらえるなんて光栄です。

私、日記書くの好きで、ずっとブログ書いてるんです。誰のためにもならない自分の日記としてなんですけど。AUSに行く少し前から今もずっと書いてるから、もしお暇があれば見てみてください(^.^)
https://ameblo.jp/odebee/
no icecream no life♪♪ジャカルタ生活 – ameblo.jp<https://ameblo.jp/odebee/>
meiさんのブログ「no icecream no life♪♪ジャカルタ生活」です。最新記事は「キンダーはじまる」です。
(これはいずれLink集に載せますね)

本当に会って話したくなって、昨夜、夫にシドニー旅行を提案しましたw
夫にも田村さんにぜひ会ってほしいですよ~!私も田村さんみたいな大人になりたい。出会えたことにすごく感謝しています。ではまた!

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田村感想部分

いやあ、読んでて笑ってしまった。宮崎さんだなあ、変わってないなあって。
体験談の紹介文で、4ヶ月で帰国せざるを得なくなっても、それは多分日本にラウンドに行くようなものじゃないかと書きましたが、実際そうなってる。

オーストラリアにWHでやってきて、そこでWH的な生きる切り口を見出したあとは、ずーっとそのモードになってるんじゃないかな。帰国しようが、結婚しようが、子供を産もうが、ケニアに行こうが、ジャカルタに行こうが、ずっとワーホリ中だって。

彼女の体験談で最初のシェア訪問一件目で超緊張したときのことがこう書かれてます。引用すると、

初めての家に行く時には、ものすごい緊張していて、心の中で
「これはファミコン。私はゲームのキャラクター。相手もゲームのキャラクター。失敗してもゲームオーバーになるだけで、またリセットできちゃう!!」
と意味の分からないことを真剣に考えていました 笑。
今考えたら笑えるけど、当時の私はそれを真剣に想定してインターホンを鳴らしました。

「そうかゲーム設定に思うのか、それって新しいね」とか笑って読んでたけど、もーね、全力投球なんですよね、この人は。全身ぶちかまし!って。

今回のメールも、理路整然と要旨を簡潔に述べてるかというと述べてない。そっかーと腑に落ちてるようで落ちてない。またモヤモヤしてる。でもその心の弾んでる感じは生き生きと伝わってきます。

二児の母になって、駐在員の奥様になっても、全然ワーホリ時代と変わってない。普通さ、こういう立場になると「駐在員の世界は中々狭くて、奥様同士のおつきあいでもなんたらかんたら」的な感じの書き方になったりするんだけど、全然違うじゃん。まさに体験談の続編がそのまんまのテイストで書かれている。

何かに接すると「わー!」って思う、その心のみずみずしさ。なにか思ったら真剣に考えてしまう。答えがでなくても、あるいは答えっぽいものがでても、尚も真剣に考えてしまう。

もともとそういう人で、WHに来る前もそうして行きてこられたと思うけど、WH体験をすることによって、「それでいいんだ」と無意識レベルに強化されたのでしょうか。

それが「ワーホリ的なる生きる切り口」なのかなって僕は思う。言うならば、「自分の心をスポイルしない生き方」です。普通、年をとって責任や立場が出てくるに連れて、自然と心はスポイルされがち。生感情でAと感じたとしても、「いやしくも○○なんだから、B的に思うべし」とか、「もう○なんだから自覚を持って」とか。それは社会的立場を全うするためには大事なことなんだけど、でも技術的なノウハウでしかなくて、人格を変えろ、感性を曲げろってことではないはずです。ほんでも、そういう「自覚」によって、知らず知らず自分の発想が狭まったり固定されたりもする。だんだんゴムが弾力を失うように、心のみずみずしさも失われてきたりもする。

エライ立場にある人でも、会ってみると意外と魅力的な人って居ますよね。だいたいにおいて、共通するのは「らしくない」部分です。○○っていうからもっと堅苦しい人かと思ってたら、全然違った。イメージぶち壊しというか、職業や立場的なイメージよりも、もっと強烈な個性があって、それで上書きされちゃう人は、魅力的だったりします。その人は、自分の心をスポイルさせてないのでしょう。社会的な約束事で生来の自分の感性を曇らせてない。そういう人って、肩書で呼ばれるよりも(部長さんとか)、○○さんって名前で呼ばれる場合が多いんじゃないかな。個性が肩書に勝っている。宮崎さんもそうだと思う。

別にこんなのはワーホリやらなくてもなる人はなるんだけど(僕もワーホリやってないし)、でも、ワーホリって、とにもかくにも社会的身分から一瞬自由になりますし、本来の生の自分に戻りやすい。そこで立場ではない生の自分が、この森羅万象の世界とどう付き合うかって時間が続く。そのなかで、なんとなく腑に落ちてくるものがある。「あ、こんな感じ、気持ええわ」「こんな感じで生きていけばいいんか」って。

宮崎さんがずっとワーホリっていうのもそういう意味です。
彼女のプロフは三層構造になってるように思えて、まずネイリストのインストラクターでもあり、会計事務所で働いて国際会計士を目指すというキャリアを育む一面もあり、且つ妻や母として充実するという一面もある、でもベースにあるのは、「わあ!」一発の宮崎原風景みたいな素材です。思うに、その三層が今だんだん大きく一つに融合しようとしているんじゃないかなー。別に区分けせんでもええわ、全部ぶち込んでもいいわって。

彼女のブログもメールも、要約したら「わあ!」なんですよね。一応、出来事の叙述も描写もあるんだけど、メインテーマは「わあ!」であり、その軽快な心の動きにある。「何が起きたか」ではなく「どう感じたか」にある。

僕も今回これ書いてて、ああ、「生きる」とは「心が動く」ことなんだなって改めて思いました。これをもっと格調高くして「人生とは感動である」と言ってもいいんだけど、なんか格好つけててピンとこない。「わあ!」とか「おお!」とか思うこと、そう心が動いていくことが、生きていくことのリアルな感触なんだろうって、そう考えた方がわかりやすいです。

だから、宮崎さんも、モヤモヤ問題とか完全に解決してるわけではないんだけど、別に解決しなくてもいいし、モヤモヤしてるのもまた醍醐味の一つくらいの感じなのでしょう。
そして、メールの最後の方に、
「けど本当に、いろんな景色を見て、
いろんな生活を見て、
いろんな話をして、
ただそれだけで本当に心から楽しい。」
って、素直にいい切れている。

ポイントはこの短文に3回出てくる「いろんな」で、色々な違ったものに触れるのが楽しいんだと。なんで楽しいの?といえば、いろんなものに触れた時に「心が動くから」だと思う。

Wonderful って英語がありますよね。素晴らしい、素敵のワンダフル。これって意味を知って納得したんだけど、ワンダー(wonder)がたくさん(ful)あるって意味です。
じゃあ、ワンダーってなによ?といえば、”a feeling of amazement and admiration, caused by something beautiful, remarkable, or unfamiliar.”(驚いたり、賞賛したりする感情であり、なにか美しいもの、印象に残るもの、あるいは”よく知らないもの”に接することによって生じる)って書かれてます。

これって宮崎的な「わあ!」(a feeling of amazement )じゃないか。そして、これが「いろいろ」じゃないかと( something beautiful, remarkable, or unfamiliar)。

The world is wonderful とか、Life is wonderfulっていうけど、そういう意味なんだなーって思った。「わあ!」ってものが沢山あるからこそ、この世界は素晴らしく、人生は生きるに値するのだ。でもって、その価値を引き出すには、それを感じられるみずみずしい感性は絶対必要。それを経験・体得・実践していくのがワーホリだとすれば、やっぱ宮崎さん、まだワーホリやってるように思います。多分ずっと。

最後に懐かしい写真。最初にきた2011年1月、たまたまお泊りになったイマミホさんと。彼女とは去年の東京の西日暮里オフで再会しましたよー。昔、インドネシアの北スラベシ州=スラベシ島北部のマナドに海外青年協力隊でいって以来故郷のようになり、年中行ってるようですよ。この時点で、インドネシアつながりになろうとは夢にも思わなかったという。Wonderだわー。

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